【連載】『頂を目指した男たち』第4回 石田康幸

駅伝

 ことしの東京箱根間往復大学駅伝(箱根)では優勝大本命の青学大の対抗馬として期待された早大。その早大が青学大との差を33秒差で往路を終える。逆転優勝なるか―――。早大への期待が高まる中、復路のスタートに立ったのは石田康幸(商3=静岡・浜松日体)であった。数多くの注目を一身に背負い、石田は大手町への一歩を踏み出す。その時石田は何を思ったのか。その胸の内を語ってもらった。

※この取材は1月18日に行われたものです。

「戦える準備はできていました」

復路での逆転を狙う早大にとって、勝負どころの1つになる6区を任された石田

――箱根駅伝を終えてその後体調などいかがですか。特に足に痛みなど

 1週間2週間くらいはずっと(足の裏が)痛くて。昨日からようやくまともにちゃんとした練習ができるかなというくらいで。

――練習を再開されているということですが、どのような練習をされましたか

 一度箱根で走りを崩しちゃって。今は崩れた走りをゆっくりジョグから一から立て直すという意味で、ジョグだけをしています。

――4年生が練習からいなくなって練習の雰囲気など変化はありましたか

 新チームになってからまだ一週間ちょっとなんですけど、今はそれぞれ箱根や集中練習の疲れがあってバラバラに練習していて、今のところは今年のチームの色とかはまだ出てなくて。これからという感じですかね。

――箱根が終わってから帰省はされましたか

 はい。

――その時ご両親などの反応はいかがでしたか

 結果は置いておいてしっかり走ってる姿が見れたということは喜んでいたんですけど、やっぱり次は最後ですし2回目となるので親としても自分も次は結果を出したいという感じですね。

――周りからの反応はいかがでしたか

 地元の友達はちょっとしか会ってないんですけど、見てて刺激をもらった人とかも結構いたので、自分としては納得のいく走りではないんですけど、周りが少しでも刺激を与えられたのはよかったと思います。

――続いて箱根当日の話に移らせていただきます。一日目、往路が33秒差での2位でした。石田選手自身はどのように受け止めていましたか

 33秒ということで自分より格上の選手を追うというのは難しいなというのはあったんですが、追いつこうと思っていたら固まってしまうと思ったので、自分の走りをしっかりして前との差を最小限で抑えて、次の井戸さんに託そうと思っていました。33秒差というのを聞いて1分以内に必ず渡したいなと思いながら走り出しました。

――往路での4年生の快走を見ていかがでしたか

 ことしのチームは4年生がすごいひっぱってくれていて、その走りを見て自分が4年生のように流れを作りたいと、そういう刺激を受けました。

――往路が終わってから相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)や平和真駅伝主将(スポ4=愛知・豊川工)が復路での逆転に自信をのぞかせていました。石田選手はどのようにとらえていましたか

 自分が仕事をすれば逆転の可能性は結構あると思っていたので、走る前は重要なところでタスキをもらえて、自分が頑張らなければいけないなと思っていました。

――その6区に決まったのはいつですか

 今回走るとしたら6区だけと12月から言われていて。ほんとに僕で行くと言われたのは直前でした。往路終わって直前で自分が行くというようになりました。

――6区に決まってどのような気持ちでしたか

 もともと自分が行くという気持ちでいたので、いつのタイミングで言われようと準備はできていたので言われたときは行こう、という感じでした。

――6区を走るにあたってレースプランや目標などありましたか

 集中練習もできていたので、自分としては下りに自信があったので15キロくらいまでは青学大の選手と互角くらいでいけるんじゃないかと。(青学大は)後半が強いので残り5キロをいかに離されても最小限で収めるか、最後粘れるかと自分で思っていました。

――箱根の事前取材では、ケガがあり準備が遅れているとおっしゃっていましたが

 一週間、二週間前から調子も上がってきて、距離も走っていたので直前の一週間は戦える準備はできていました。

――6区には昨年の経験者で佐藤淳選手(スポ4=愛知・明和)がいたと思いますが佐藤選手が走られる可能性はあったのでしょうか

 それもあって監督も最後まで迷っていたと思うんですけど、追う展開だった時に自分の方がタイムの振れ幅は大きいですが、はまった時にいいタイムが出るので。勝負に出るという意味で(監督は)自分を選んだんだと思います。

――佐藤選手から6区を走るにあたってアドバイスはありましたか

 とにかく下りに入ったら休めるから最初の上りを頑張れと。後半は気合で行けと。

「今まで全く経験したことがない感じで崩れてしまいました」

――スタート前は緊張されましたか

 走る前日とかはあまり緊張とかはなかったんですけど、いざ本番になってアップ前からカメラたくさんあって、僕にもカメラがついていたり。今までそういう経験がなかったのでいきなり俳優みたいで(笑)、多少の緊張というかいつもと違うなという感じがしました。

――普段、あまり緊張はされないんですか

 レースにもよりますけどロードレースとかはそこまで緊張はしないです。

――6区は監督車がいない中でのレースとなりますがペース作りはどのようにされていましたか

 自分で過去の人のラップタイムを調べて、このくらいで行ったらこのくらいのタイムが出るというのはあったので自分でタイムを頭に入れて走り出したのでそこらへんは監督車なしで走れました。

――最初の上りでは青学大との差は開いてしまいました

 上りが得意というわけではないので多少開くとは思っていたんですけど、1分くらい開いていたのでちょっとやばいかなと。自分の想定していた5キロの入りよりもちょっと遅くてやばいなと思っていたんですけど、下りに入れば詰まるかなと思ったので多少の焦りくらいでした。

――やはり下りに入ってからは青学大との差を詰めていきました

 下ってからはいつも以上に動いていて、いけるんじゃないかなと思っていました。

――後半3キロは苦悶の表情を浮かべていたように思いました

 足の皮がめくれるという経験がなくて、めくれたのが結構早い段階でめくれちゃってて。後半15キロ過ぎからの下りでなかなかカーブもうまく回れなくて、段々とブレーキのかかった走りになっちゃって。それで後半3キロは崩れた走りになってしまい(力を)出し切れない感じになって。それで最後はいつも以上に落ち込んじゃったのかなと思います。

――監督車が合流されてからはどのような気持ちでしたか

 下りが終わってから足の回転数が落ちていたので、回転数あげてけあげてけという気持ちで。自分の中では足の回転を意識していました。

――最後は同じ学部の先輩である井戸浩貴選手(商4=兵庫・龍野)へのタスキリレーだったと思いますがどのようなお気持ちでしたか

 自分の中で井戸さんが商学部でああいう結果を残してくれなかったら今の自分がなかったと思いますし、何かの縁があって最後タスキがつなげたと思うので、結果はほんとに悔しかったですけど自分の中では井戸さんとタスキをつなげたことは特別な瞬間だったなと思います。

――声かけなどは

 自分でもきつすぎて何を言ったか覚えてないんですけどたぶん「お願いします」って言って。軽く肩をたたいてくれて。

――区間の順位は12位となりましたがそちらはいかがですか

 途中の大平台あたりでは区間3位ぐらいのタイムだったのでそこまでは自分の想定したタイムではいけてて。目標としていたのは区間3番以内だったので、そこまでは届くかなと思ったんですが、終わってからやってしまったなと思いました。タイムも区間順位も最初のスタートとしてはチームに迷惑をかけてしまったなという思いでした。

――やはり後半の走りが想定外だったのでしょうか

 そうですね。10キロ過ぎても足に余裕があって今回は全然余裕があるなという感じだったんですけど、さあここからラスト5キロというところで足が痛くてコーナリングが全然できなかったり、予想外の走りになってしまいました。

――今までそのような経験はなかったのでしょうか

 今まで全く経験したことがない感じで崩れてしまいました。

――ことしは区間12位で終わってしまいましたが来年も6区を走りたいですか

 来年はまずは核となる選手に。4年生が抜けてチーム事情も大きくガラッと変わって自分が山の区間に回る余裕があるかとかもあるんですけど、今回結果が見えたところで終わってしまったのでチャンスがまたあればリベンジしたいなと思っています。

――ワセダで駅伝に出場するのは2回目でしたが箱根を走っていかがでしたか

 箱根まで持っていく期間で身も心も削って、ずっと12月は緊張感がある中でやってきて、本番も今まで走ってきたどの大会よりも周りの応援がすごくて。いろんな声も飛んできますし、ほんとにすべてが初めての経験で。悔しさは残ったんですけど、ほかの大会以上に次につながる大会だったなと思います。

――復路が終わり最後清水歓太選手(スポ2=群馬・中央中教校)を迎えるときはどのような思いでしたか

 後半区間の人に負担をかけてしまったのは最初の自分のところに(原因が)多いので、後輩に負担をかけてしまったのは先輩として悔しいなと思っていました。ただ歓太には前も追わなきゃいけないですし、後ろからも追われていたので最後は逃げ切ってという気持ちでいっぱいでした。

――総合3位という結果に関してはいかがですか

 この一年間、自分が一年生、二年生の時よりもみんな意欲的に練習に取り組んで、意識もすごい高く雰囲気も良くやってきた中の駅伝で3番ということだったので、来年でそれ以上の結果を残すには今年以上のことをやらなければいけばいけないなと思い、すごい危機感を感じた大会でした。

――箱根全体で印象に残った選手はいましたか

 ワセダの中だったら平さんはすごい印象に残ってて。一度2区で順位が落ちてたところを平さんがしっかり押し上げてくれて、反撃ののろしを上げてくれたのでキャプテンだなと感じました。

――ほかの大学では

 同じ6区を走った秋山選手(清仁、日体大)は異次元だなと感じて、後は8区の下田(裕太、青学大)は一気に試合を決めていて。ああいう風に一気に試合を決める走りをできるというのができる選手はすごいなと思います。

「来年は区間賞を取って有終の美を飾りたい」

悔しさを味わった初の箱根。来季の雪辱を誓う

――ことし中心となった4年生は引退されますが、4年生にメッセージなどありますか

 私生活でも練習でもいろんな面で本当にありがとございました、と。4年生がいたおかげでまだまだ完ぺきではないですが意欲的に真剣に取り組む姿勢ができたきっかけを作ってくれたので、らいねん一年間で結果を見せて恩返ししていけたらなと思います。

――今後の話に移らせていただきます。今後レースの予定などはありますか

 今はちゃんと練習できる状態ではないので、しっかり1月中に立て直して3月の立川ハーフ(日本学生ハーフマラソン選手権)のみでこのロードシーズンは行きたいと思うので、その立川ハーフで1分以上自己ベストを更新したいというのが今の目標です。

――トラックシーズンの目標は

 関東学生対校選手権のハーフで入賞もしくは表彰台というのが目標です。あとは1万メートルで28分台。その二つを大きな核にトラックシーズンはやっていきたいと思っています。

――来年の駅伝シーズンではいかがですか

 チームとしては、箱根で優勝というのを掲げていて、自分としてもどの区間になるにしろ、区間賞を取って有終の美を飾りたいなっていうのがあって、来年はその二つが目標です。あとは出雲全日本大学選抜駅伝、全日本大学駅伝対校選手権でしっかり走ってチームに貢献したいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 平松史帆)

◆石田康幸(いしだ・やすゆき)

1995年(平7)12月21日生まれのO型。175センチ、56キロ。静岡・浜松日体高出身。商学部3年。自己記録:5000メートル14分16秒29。1万メートル29分42秒09。ハーフマラソン1時間4分13秒。2017箱根駅伝60分23秒(区間12位)