【連載】『頂』第10回 佐藤淳

駅伝

 前回大会で東京箱根間往復大学駅伝(箱根)デビューを果たした後、佐藤淳(スポ4=愛知・明和)は不調に陥っていた。走れない時期もあったというこの1年間。ついにその長いトンネルを抜け、最後の箱根を目前に控えたいま、何を思うのか。その胸中に迫った。

※この取材は11月30日に行われたものです。

「ようやく戻ってこられた」

今季を振り返る佐藤

――ことし1年間を振り返っていただきたいと思います。3月にびわ湖毎日マラソンに出場されましたが、フルマラソンに挑戦することになった経緯を教えてください

 監督(相楽豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)から井戸(浩貴、商4=兵庫・竜野)と僕に、マラソンやってみないかと話がありました。競技は大学で辞めると決めていて、挑戦してみたいと思っていましたし、長い距離の練習にもなると思ったので、一番走れている時に積極的にトライしてみようと思いました。

――初のフルマラソンで得た収穫はありましたか

 やっぱり42.195キロ走り切ったことで、距離に対する不安が無くなったというのが一番大きいですね。

――当時「箱根の後から足に不安がある」とのことでしたが、箱根6区出走の影響は長引いていましたか

 少し長引きましたね。マラソンの時も足が痛くて、春ぐらいの合宿でもずっと痛かったです。暖かくなってきてから良くなりました。

――痛みがある中5月の関東学生対校選手権(関カレ)に臨まれたのですか

 その時には足は大丈夫でしたが、マラソンの疲労は多少ありました。

――その後の関カレでの当時の調子はいかがでしたか

 春先ぐらいにだいぶ調子が悪くて走れなかったのですが、マラソンを走った時から関カレではハーフ(マラソン)で勝負したいと思っていたので、しっかりと競走部に貢献するという気概で臨みました。

――ハーフマラソンで7位入賞という結果について、振り返っていかがですか

 団体戦で初めて得点を取ることができたので、素直にうれしかったです。

――走れない時期があったとのことですが、不調によるものだったのですか

 はい。慢性疲労のような感じになってしまって、夏合宿も全然走れませんでした。

――夏合宿の間はどのように過ごされていましたか

 下のチームで、自分のペースでやっていました。

――相楽駅伝監督からも声をかけられましたか

 監督からは「しっかり戻ってこい」と言われました。厳しいことも言われたりしましたが、4年生としてしっかりしなきゃというのをすごく感じていました。

――選手とも話をされたりしましたか

 同期には、最上級生なのに全然引っ張っていけなくてごめんという話をしました。下のチームのメンバーには、下のチームでも先頭で引っ張っていけるような調子じゃなかったので、いろんな人にいま体がきついから代わりに頼んだということを話しました。

――調子が戻ってきたと感じたのはいつ頃でしたか

  11月に入ってからぐらいです。

――10月の日体大長距離競技会で5000メートル14分28秒04でまとめましたが、復調のターニングポイントとなったのではないでしょうか

 そうですね。そこで4年生になって初めて納得のいくレースができましたし、ようやくまともに走れるようになってきたという感覚が自分の中でありました。

――上尾シティマラソン(上尾ハーフ)でも結果を残されましたが、復活の手応えを感じましたか

 上尾ハーフはしっかり狙っていってあのタイムで走れたので、ようやく戻ってこられたという実感はあります。

――上尾ハーフに向けては、どのような調整を行われていましたか

 1カ月くらい前の早大の記録会で、1万メートルがすごいタイムかかってしまって、全日本(全日本大学駅伝対校選手権)のメンバーも外されて。そこからいろいろ考えたのですが、学生トレーナーにもまだ走る体ができていないということを言われたので、走るより補強を中心にやっていきました。補強をいっぱいして後半崩れないような走りになってきたので、そこは良かったのかなと思います。

――具体的にはどのようなトレーニングを行ったのですか

 本当に基礎的な部分、腕立て、腹筋、背筋とかですね。いまでも毎日欠かさず、たくさん時間取ってやるようにしています。

「このままじゃ悔しいという思いが強かった」

――駅伝シーズンを振り返っていただきたいと思います。出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)、全日本とエントリーメンバーに入ることができなかった時の気持ちは

 やはり夏も全然走れていませんでしたし、いまのチームは層も厚いので、(エントリー)メンバーに入れなくて当然だとは思っていました。でも、やっぱり最後の駅伝シーズンこのままじゃ悔しいという思いが強かったです。

――メンバーを送り出す時には何か話しましたか

 楽しんで頑張ってきて、と言いました。

――レースはどのような気持ちで見ていましたか

 4年生がみんな活躍していて、本当に見ていて興奮しました。全日本で4年生3人が先頭で走ってきた時はしびれましたね。

――出雲8位、全日本2位という結果については

 出雲はあまり納得のいく結果ではなかったと思います。全日本は走ったメンバーはすごく悔しい気持ちで帰ってきたと思いますが、見ている僕らからしたらすごく興奮しましたね。

――チームとして、最上級生になってから4年生の雰囲気に変化はありましたか

 はい、キャプテン(平和真駅伝主将、スポ4=愛知・豊川工)中心に厳しい雰囲気でやっています。僕は最近までずっと甘えてばかりだったので、最後くらいはしっかりしなきゃと思っています。

――チーム全体の雰囲気にも変化はありましたか

 昨年も先輩方がすごく良い雰囲気でやってくれたと思っているので、そこは毎年変わらない部分だと思っています。同期の間で、お互い厳しくしようという雰囲気があります。

――その中で、チームでの佐藤選手の役割は何だと思いますか

 やっぱりキャプテンや主力の選手ばかりに頼らないで、僕や中間層の選手がもっと積極的にいかなきゃとは思っていました。でも、それが4年生になってからずっとできていなくて。そこは最後の1カ月、意識していきたいなと思っています。

「最後なので、良い走りをして終わりたい」

佐藤は先日の上尾ハーフで復調をアピール

――箱根まであと1カ月となりましたが、現在の調子はいかがですか

 だいぶ調子は良いです。

――集中練習も始まったと思いますが、チームの雰囲気はいかがですか

 先週から始まったのですが、やっぱり集中練習は毎年ピリッとしていて、一人一人がいつも以上に集中できていると思います。ことしも同じような雰囲気でやっています。

――きょうはどのような練習をしましたか

 きょうは5キロ3本でした。

――佐藤選手自身練習を積めているという感覚はありますか

 はい、あります。

――佐藤選手はこの箱根が早大としても最後、競技者としても最後のレースとなります。これまでの箱根と気持ちの部分で違うものはありますか

 そうですね。最後なので、良い走りをして終わりたいなと思っています。

――前回の箱根は6区での出走となりましたが、今回も下りは意識されていますか

 頭にはありますが、実際どこを走っても勝負できるように準備しているので、区間は意識していません。

――下りに向けての練習というのもされていますか

 あまりしていないですね。

――前回の箱根の後は「平地でしっかり勝負したい」とおっしゃっていましたが、その気持ちはいまも変わりませんか

 そうですね。上尾でいける感じはしたので、できれば平地で戦いたいという風には思っています。でも去年みたいなこともあるので、どこでもいけるように準備しています。

――希望の区間はありますか

 トップで持ってきて、アンカーでゴールテープを切りたいという気持ちはあります。

――箱根でのチームの目標は

 全日本で青学大の背中が見えて、みんなすごく悔しい思いをしたと思います。なので、箱根では青学大しか見ていないです。

――青学大で注目している選手はいますか

 みんな速くて強いので、みんなです(笑)。僕らも誰かがミスしたら負けると思います。

――佐藤選手の目標をお願いします

 走る区間で区間賞を取らないと優勝は厳しいと思うので、区間賞を取って引退したいです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 尾澤琴美)

箱根への意気込みを書いて頂きました!

◆佐藤淳(さとう・じゅん)

 1994年(平6)4月12日生まれのO型。170センチ、48キロ。愛知・明和高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:5000メートル14分16秒38。1万メートル29分20秒04。ハーフマラソン1時間2分49秒。試合前のルーティーンは、好物のモンブランを食べることだという佐藤選手。ワセダの選手として、競技者としての『ラストラン』に注目です!