【連載】『頂』第11回 鈴木洋平

駅伝

 今季、大ブレークを果たした鈴木洋平(スポ4=愛媛・新居浜西)。出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)で区間新記録を樹立し、全日本大学駅伝対校選手権(全日本)ではトップを走る青学大をかわして14秒差をつける圧巻の走りを見せるなど、まさにラストシーズン鈴木は『神って』いた。なぜ、この男は4年目にして覚醒の時を迎えることができたのか。東京箱根間往復大学駅伝(箱根)への意気込みを語っていただくとともに、これまでの道のりについて伺った。

※この取材は11月30日に行われたものです。

「僕たちは優勝しか目指していない」

今季を振り返る鈴木

――集中練習の序盤が終わりました。ここまでを振り返って

 上尾ハーフ(上尾シティマラソン)が終わってから、課題が明白になったので今はそれを改善しようとしています。しっかりと箱根までに改善して、本番ではもう一段階レベルアップした走りを見せられるように取り組んでいます。

――上尾ハーフでの課題とは

 後半に身体が思うように動かなかったところがあって、どこか我慢ができていない部分がありました。ポイント練習ではみんなのレベルに合わせているのですが、そこで自分から合わせにいってはいけないと思います。日頃からジョグなどを多めにしておいて、あえて身体が思うように動かない状態に追い込む。そして、そこからポイント練習をしっかりこなす、最近はそういうところを意識しています。

――身体の調子に関してはいかがですか

 上尾ハーフが終わってから、少し疲れが出てしまって、苦しいところもありました。でも、自分の中では最後の箱根に向けて、これまでは順調にきていると思っています。

――チーム全体の状態に関しては

 きょうも全員がメニューをこなすことができましたし、チームの中でも僕たちは優勝しか目指していないので、そういう高い意識を持ちながら練習ができていると思います。

――箱根が近づいてきた今、最上級生の間ではどんな話をされているのでしょうか

 最上級生というのもありますし、ことしは4年生が中心のチームなので、僕たちが練習はもちろん、試合でも引っ張っていくという意識を持っています。「最後の箱根では一人でも多くの4年生がメンバーを勝ち取って、優勝に貢献してほしい」ということを話しています。

「僕は応援のおかげで走れているようなもの」

――これまでの活躍に関して、シーズン前から予想はされていましたか

 3月のハーフマラソンで思うように走ることができなかったので、「もう俺は終わったんだろうな」と正直思っていました(笑)。でも、5月にうまく走ることができたので、その次の試合からがカギになるなと思いながら今シーズンが始まりました。

――先ほどもお話に出てきましたが、5月に出場された日本体育大学長距離競技会(日体大記録会)で自己ベストを大幅に更新して、初の13分台を記録しました。その試合を振り返ってみていかがですか

 大学に入ってから、どこか自分の走りを見失っている部分があって、守りに入って後ろの方からスタートしていた頃もありました。そういった意味で、5月のレースはもう一度初心に戻って自分の強みを取り戻すきっかけとなったレースになりましたね。勢いがあって強気で攻める走りを思い出すことができました。

――あの記録会は部員日誌に「関東学生対校選手権(関カレ)で5000メートルを走るメンバーの誰よりも速く走る」と宣言していたレースでした

 いままでずっと悔しい気持ちを持っていましたし、このレースで自分は5000メートルを走るのが最後になるかもしれないという覚悟もありました。当時の僕のレベルを知っていて、あの日誌を見ていた人は「何を言っているんだ」と思ったかもしれませんが、僕はメンバーの彼らに負けていると本当に思っていませんでした。彼らは常に見えていた目標だったので「いつかはやってやるぞ」って気持ちはいつも持っていました。

――日本学生対校選手権(全カレ)では、5000メートルのメンバーの座を勝ち取りました。振り返ってみていかがですか

 7月に小さな故障で1カ月間走れていなくて、それなのにも関わらずメンバーに選んでいただいたという状況でした。せっかくもらったチャンスだったのに、他の長距離メンバーが全員入賞して僕だけが入賞できなくて、現実はすごい厳しいものでしたね。そこで今のままでは駄目なんだなと思い知りました。少し自分の力を過信していた部分があったのかなと。あの時に味わった悔しさのおかげで今の自分があるのかなと思います。

――また、このレースで3年ぶりのエンジに袖を通しました。そのことについては

 ほとんど着てないに等しいものなので、すごく緊張しましたね。ものすごく違和感がありました(笑)。やはり、対校戦というのはチームメイトがみな応援してくれる大会なので、特別な思いもありました。最後のトラックの対校戦だったので気負いすぎてしまった部分もあったのかなと思います。

――全カレ後は初の学生三大駅伝である出雲に出走しました。そして、そこで4区区間新記録での区間賞を獲得しましたが

 そうですね。全カレよりは緊張はしていませんでした。正直、駅伝自体走るのが久しぶりだったので不安でした。どうやって走ればいいんだろうって(笑)。でも、ここまできたらやるしかないんだなとしっかり開き直れたおかげで、自分の走りがしっかりできたのかなと。

――全日本でも区間2位の好走でした

 出雲でしっかり結果を出せて、自分としては(全日本では)主要区間である1、2、4区を走るつもりで練習をしていました。しかし、結局は3区を走ることになりました。自分に求められているものはもっと高いものだったのですが、本番は出雲よりは調子悪くて「今回は厳しいかな」と思う部分もありましたね。でも、その中でも最低限の順位でまとめられたというのは、僕がこれまで1年間取り組んできた『調子が悪い時にこそ、しっかりまとめられる走りをする』ということに対して、一つの成果が出たんじゃないかと思っています。

――『ワセダの鈴木神ってる』というフレーズが、この全日本をきっかけに始まりました。このフレーズについてご自身はどのように思われているのでしょうか

 良い意味でも悪い意味でも目立ちすぎてしまった。これまでは、僕自身あまり注目してもらえない選手でしたけど、段々と箱根に向けて注目される選手になれつつあるので、『神ってる鈴木』と呼んでもらっているからにはその名に恥じないような走りをしたいなと思っています。

――沿道からの声援に応える、というところが他の選手にない鈴木選手らしさだと思います。意図的に声援に応えているのでしょうか

 友達とか、知り合いの方々の応援には応えようと思っています。この間の全日本は高校の後輩が応援に来てくれていて「何キロ地点にいるんで」って言われていたので走りながら、少し探していました(笑)。でも、きつくなってくると探す余裕がなくなってくるので意識的に手を挙げている時と、無意識にしてしまう時がありますね。

――声援に応えることで力をもらっている、という感覚はありますか

 そうですね。僕にとって、応援というものは実力の150パーセントを引き出してくれるものだと思っています。なので確実にみなさんの応援から、力をもらっています。この間の上尾ハーフでは田口さん(大貴、平成26年スポ卒=秋田)が応援に来てくださっていたのですが、それを見て元気になって、最後のスパートで自分の力を振り絞ることができました。もしかすると声援に手を挙げて応えることで力をロスしているんじゃないか、と思う人がいるかもしれません。でも、それは僕の中では間違いです。僕は応援のおかげで走れているようなものですから。

――記録会では外国人の集団に果敢に向かっていく。駅伝では前の選手に食らいつき、必ず追い抜いて仲間にタスキをつなぐなど、鈴木選手の走りにはいつも感動させられます。自分の走りを見ている人やファンの人々を満足させようとする何か意識というものがあるのでしょうか

 そうですね。僕はケガで走れない期間が長かった選手なので、走ることを純粋に楽しむことを忘れてはいけないと思っています。そして、いつも自分が楽しむことを心掛けています。あんな大舞台を経験できることももうほとんどないので出雲も全日本も楽しみました。また、それと同時に僕の走りを見ている人に楽しんでもらえるような、「ワセダの鈴木があの区間を走るからあの区間見に行こうぜ」と言ってもらえるようなパフォーマンスを心掛けるようにもなりましたね。もう大学を卒業してしまうのですが、実業団に行っても「ワセダの鈴木が愛三工業に行ったから愛三工業を応援しようぜ」と言ってもらえるような選手を目指していきたい、そういう見ていてわくわくどきどきするような選手、人が応援したくなるような選手になりたいと思っています。

――これまで取材の度に「目立ちたい」という言葉をよく口にしていました。それには何か理由はあるのでしょうか

 目立つということは良い意味でも悪い意味でも興味を持ってくれる人が増えるということだと思っています。批判してくださる人も興味を持ってくれているからこその存在だと思いますし。僕は批判をしてくださる人を無視するということはしません。積極的に耳を傾けて聞くようにしています。それが自分の今後の成長につながれば良いと思っているので。

――ここからは少し踏み入った質問をさせていただきます。ブレークまでの3年間は度重なるケガに悩まされていた我慢の期間だったと思います。これまでの期間を振り返っていかがですか

 来年の箱根はどんな結果であれ、悔いなくやり切ろうと思っているので、しっかりとやり切る前提として話すと…。仮にそこで区間賞の走りができたとしても、この4年間の9割9分9厘は苦しいことばかりだったとなと思っています。

――2年生の時には足を手術するほどのケガをされたと伺いました。どこをケガされたのでしょうか

 右足の腓骨筋腱の部分断裂でした。松葉づえを1カ月間突いていましたし、歩くことすらできませんでした。今までできていたことすらできなくなって、本当に0からのスタートといった感じで、とても辛い時期でしたね。

――足にメスを入れるということは、人生の中でなかなかあることではないと思いますが

 僕自身は特に考えていないつもりだったのですが、自分が思っている以上に家族や先輩方が僕以上に心配をしてくれていました。そこで初めて事態の深刻さに気づきましたね。復帰するにかなりの時間が経ちましたし、自分の中ではとても大きな経験になったと思っています。

――過去の部員日記に「陸上競技を辞めなくて良かった」と書かれているのを目にしました。辞めようかなと思われた時はあったのでしょうか

 そうですね。手術してから復帰するまでの期間はもちろん、ここ1、2年も故障続きだったので、それはずっと考えていました。ケガをする度に「もう無理なのかな」とか、実際諦めていた部分もありましたね。親からも「陸上やめて、地元に戻ってきたらいいんじゃない」とも言われたこともありましたし…。2、3年の間は特に考えていました。

――踏みとどまることができたのはなぜでしょうか

 家族も、競走部の仲間も、みんな、いつも僕に優しくしてくれるんですよね。でも、踏みとどまれた一番の理由は僕に期待をしてくれる人がいるからだと思います。全く陸上競技を知らなくても、地元の中学校の友達が帰省して会うたびに「まだ走ってるんだ、すごいね」、「箱根は見に行くから頑張ってよ」って声を掛けてくれるんです。当の本人たちはそんなに意識して言ってはいないと思うんですけど、それが僕の中ではとてもうれしかったんです。そういった期待に応えないと地元にも帰れませんしね(笑)。

「オーラで勝る、存在感のある走りをしたい」

箱根でも攻めの走りを見せられるか

――今季は対校戦となると4年生の活躍が際立ちました。同期の活躍ぶりは鈴木選手の目から見てどのように映りましたか

 強い選手が多いですし、非常に心強い仲間でもあると思います。僕はこれまでチームと違う流れでやってきて、それができたのは監督(相楽豊駅伝監督、平15卒=福島・安積)や同期の理解があったからこそなので、感謝をしています。

――4年生は特に仲の良い印象です。何かエピソードなどありましたら教えてください

 寝るまではほとんど一緒にいます(笑)。時たま、部屋に泊まったりもしますね(笑)。あとは仲の良い4、5人で旅行に行ったりだとか、学年で飲み会を開いたりしています。

――4年目にして最初で最後の箱根出走が見えてきました。改めていかがですか

 全日本であれだけテレビに映ったのに、今度はもっとテレビに映っちゃうのかとか、もっと観客がいるのかよと考えちゃいます(笑)。そういうワクワクを一番感じています。走るからには区間賞を取りたいですね。

――不安よりも期待の方が大きいですか

 不安などを感じても仕方ないと思っています。早く本番を走りたいなって気持ちでいっぱいです。

――これまでは鈴木選手にとって、『箱根駅伝』というものはどんな存在だったのでしょうか

 5月に5000メートルをうまく走ることができたのですが、箱根の20キロという距離には何かカベを感じていましたし、ちょっと苦しいだろうなと思っていました。相楽監督に「全日本までは頑張って走りますけど、箱根だけは分からないです」という話をするくらいで。これまでの僕の中では『箱根は僕が走るべきではない舞台』だと思っていました。すごいところに足を踏み入れてしまったなと思います(笑)。

――直近では上尾シティマラソンに出場し、62分台前半の好タイムをマークしました。長い距離に対しての、不安を拭い去ることができたのではないでしょうか

 そうですね。あの試合であれだけ走ることができたので。あまり練習はできていませんでしたけど、あれだけ走れたということは自信にもなりましたし、1カ月間でしっかりと練習を積むことができれば箱根の距離もしっかりと対応できる自信があります。

――鈴木選手が陸上競技を始めてから、箱根を意識し始めたのはいつ頃からでしょうか

 僕が陸上競技を始めたきっかけは箱根を見たことがきっかけで。それから「あそこで走りたいな」と思うようになっていました。ずっと夢で、目標ではなくて。すごく遠いものでした。実際に走りたいという目標に変わったのが出雲を走った後で、本当に最近のことです。

――箱根ではどんな走りをしたいですか

 往路か山を走りたいなと思っています。自分のところで青学大に先着することを目標にしていますし、そのためには区間賞というものは絶対条件になってくるので、箱根では結果も重視していきたいです。でも、結果だけではなくて、さっきも言いましたが僕はエンターテイメント性も追い求めていきたいと思っています。そういう走りを期待して応援に来てくださる人もいると思うので、それに応えられる走りをしたいですね。僕が一番したい走りというのは、自らのオーラで圧倒する走りです。前を行く選手を猛追して、さらに沿道のみなさんが僕に声援をくれて、じわじわとプレッシャーをかける。そして追いついて、突き放す。そういったオーラで勝る、存在感のある走りをしたいと思っています。それは僕一人ではできないと思っています。沿道からの声援があってこそできる走りだと思っています。

――具体的に走りたい区間はどの区間ですか

 1区から6区ですね。前半でほとんど勝負が決まってしまうことがあるので、前半を走りたいですね。そのために全日本前から平(和真駅伝主将、スポ4=愛知・豊川工)と凜太郎(武田、スポ4=東京・早実)と共に練習をしてきたので。あと、山は特に目立つ区間だと思っているので、『山の神』という称号を貰えることができれば幸せですし。6区に関しては1キロ2分30秒を切るラップで走れる唯一の区間だと思うので、走ってみたいなといった感じですね。

――山を走るとなると適性のあるなしといったことが関わってくると思います。それに関してはいかがですか

 特に抵抗はないですね。「5区に行け」と言われたら走れる準備はできているので、やるからには神に近い存在になれるように頑張りたいなと思っています(笑)。

――箱根でのチームの目標と個人の目標を教えてください

 チームの目標はもちろん優勝です。それしかないと思っています。個人の目標としては、後悔がないように自分の全てを出し切ることです。

――最後に鈴木選手のファンへ一言お願いします

 僕はみなさんからの応援がないと、すぐサボっちゃうので自分の100パーセント以上のものが出し切れません(笑)。他大に負けないくらいのアツい応援をよろしくお願いします!

――ありがとうございました!

(取材・編集 本田京太郎)

箱根への意気込みを書いて頂きました!

◆鈴木洋平(すずき・ようへい)

1994年(平6)5月23日生まれ。身長168センチ、体重55キロ。愛媛県・新居浜西高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:5000メートル13分53秒58。1万メートル29分19秒76。ハーフマラソン1時間2分16秒。大学4年生となった今でも、高校時代に競い合った愛媛県ランナーたちを意識するという鈴木選手。山梨学院大の秦将吾選手や東海大の林竜之介選手が活躍する度にかなりの刺激を受けていたようです。中でも特にライバル視しているのが神奈川大の鈴木健吾選手だそうで、同じ名字なだけに負けられないと意気込んでくれました。愛媛県トップの座は誰の手に!