【箱根駅伝号紙面取材】YAGI PROJECTインタビュー

駅伝

 陸上競技で『プロ』と呼ばれる存在は極めて少ない。その多くが実業団で競技を続けているのが現状だ。かつて競走部主将を務めた八木勇樹(平24スポ卒=現YAGI・RUNNING・TEAM)も例外ではなかった。しかしことしの春、自身の所属していたチームを辞め、新たにYAGI PROJECTを立ち上げ独立する。その決断の裏に、一体どのような思いがあったのか。競走部時代を振り返っていただきつつ、現在の活動についてお話を伺った。

※この取材は11月26日に行われたものです。

「実業団をやめるという踏ん切りを付けられたのも競走部での活動があったからだと思うし、旭化成という強豪に入って競技ができたというのも大きい」

現在YAGI PROJECTの名の下に発足したYAGI RUNNING TEAM代表としてトレーニングに努める八木選手

――ご自身が起ち上げたYAGI RUNNING TEAMとは、どのようなものなのでしょうか

 目的としては東京五輪が2020年にあるということで、自分自身オリンピックに出て活躍するということを目標にやってきている中で、独立してやってみた方が目標に近づくんじゃないかと考えました。そういったところから旭化成を退社し独立するという決断に至ったということと、それに伴って、実業団という枠を飛び出し一人でやっていくという中で、一つ陸上界を変えたいというか。そのように言ってしまうと大きなことを口にしてしまっているのかもしれませんが、自分としてはいま一緒にチームをやっている市民ランナーの方たちなどに、自分が今まで培ってきたことを伝えることができれば『ランニング』という根幹の部分のやり方を変えていけるんじゃないのかなと思い、ランニングチームを起ち上げた、というところです。

――現在は旭化成の陸上部を辞め、YAGI RUNNING TEAMで一人で練習をなさっていると思います。その難しさはありますか

 ありますね。現役の選手でありながらこういったチームの運営をするということは今まで誰もやってきていなかったと思うので、しっかりと僕が結果を出さないといけないという責任もありますし、僕が今までやってきたことと、(チームを組んでいる)市民ランナーの方が形成しているコミュニティというものが全く違うので、そこをどう自分で入り込んでいき、そしてどう自分がやるべきことをやっていくのか。そういったところではじめは本当に難しさや戸惑いはありましたが、いまはもう慣れてきているというか、自分のスタイルやスタンスは崩さずにやれているかなと思います。

――YAGI PROJECTを始めるまでの多くの道のりがあったのですね

 僕が大学にいた時には既存のルートとして、高校から大学、そして箱根(東京箱根間往復大学駅伝)を走って実業団というルートが確立されていました。僕もそこを疑うということはあまりなかったです。ただ、中学生ぐらいの時から、ざっくりではあるんですがこの体で走って稼ぎたいという風には思っていました。なのでいずれはプロにはなっていたとは思うんですね。ただここまでに色々なルートを通ってきたのかなと思います。

――2020東京五輪を目指すとのことでしたが、ご自身が感じる世界との差は

 それはもうめちゃくちゃありますよね…。多くの世界記録が短縮されている中で日本記録は停滞していますし。ただ自分自身がいまそういったレベルでできているわけではないので、一概にどこを批判するということではありません。大事なのは自分がどうしたいか、それに向かって迷わずに突き進めるかが重要です。どうしても競技をやっていると周りの人にどう思われるとか期待に応えなきゃいけないとか、コメントも優等生な発言をしたりしてしまうことがあるんですよね。それは自分がそうしたいというより、みんなが期待している何かになろうとしていると思うんですよね。それが日本の風潮としてはすごくあって。みんな礼儀正しく、異端児的なことをしないのがスポーツマンとして正しい、それが好感が持てることだとなっている。でも本来そうではなく自分がやりたいことを貫くのが正義だと僕は思っています。(日本が世界に遅れていると)批判をする人は批判をするだけで、その人が思うようにやったとしても、別に助けてはくれませんよね。だからこそ、僕は自分の人生だから自分のやりたいことを全うしたいなと思いますし、それに向かっての苦労なんて大したことはないんです。例えば僕が独立して明日からは給料がない、今後の生活どうするんだ、と、もちろんその面では苦労はしていますが、その苦労ってやりたいことを抑制されている苦労に比べれば全然大したことがないんですね。自分のやりたいことをやれないというのは僕は必ずしも良しとは思わない。大学の競走部でも集団の規律などを学ぶ一方、競走部だからこそ自分のやりたいことを明確に持つことができました。実業団をやめるという踏ん切りを付けられたのも競走部での活動があったからだと思いますし、旭化成という強豪に入って競技ができたというのも大きいと思っています。

――11月20日に初マラソン(神戸マラソン)を経験されたと思います。振り返っていかがですか

 撃沈でしたね。地元で走って、後半すごく苦労しました。でも後半に苦労するだろうなというのは分かっていて、自分としても課題が見つかってこれから頑張ろうと思えるんですね。これが今までだと指導者に怒られてしまったとか、様々なことがあったと思うんです。いまはもうシンプルに、ダメだったら改善するために何をすればいいのかと道が見えてくるようになって。自分で色々とできるのは、僕としては利点が多いですね。

「人とのつながりの大切さは、独立してなお感じるんです」

――最近の『箱根有害論』などについてはどのように思いますか

 あまり僕は感じないですね。ダメな人は何をやってもダメですし、成功する人は何をしても成功します。大事なのは自分がどう感じるかですね。箱根が自分をダメにすると思いながら走ればその人はダメになってしまうと思いますし、関係ないよと思っていれば何の問題もないと思います。一試合たった20数キロのレースを走った程度でダメになっていたら、練習からしてものすごく慎重にならなきゃいけないじゃないですか。特にワセダのような個性を伸ばすやり方で練習をしていれば問題はないと思いますね。ワセダは年中ずっと距離を踏む訳ではないですしね。

――八木選手にとって箱根はどのような存在ですか

 結構通過点という人がいますよね。でも僕はそうは思っていなくて、箱根は箱根で一つのゴールだと思うんですね。僕の競技人生のゴールではありませんが、大学の陸上生活の中でのゴールだと思っています。みんなでやれる楽しさ、個人競技にはない良さもあって、箱根というビッグイベントを経験できたのは僕の人生にプラスになっているという風にも思っています。やはり大学で関東に来て陸上をやる上で、一つの目標にはなると思うんですよね。ただ、それとは別に競技でもっと上を目指すという中で、別の道もあるんだろうと。道は一つじゃないんです。箱根を目指す道もあれば、オリンピックをゴールとする道もあると思います。

――大学3年生の時には『三冠』も経験されたと思います。その時のチームはどのようなチームでしたか

 下に力がある選手が多かったですね。大迫(傑、平26スポ卒=現ナイキ・オレゴン・プロジェクト)や平賀(翔太、平25基理卒=現住友電工)もいて。そういった中である意味バランスが取れていたチームだったのかなと思いますね。4年生だけが強くて上の言うことを聞かなきゃいけないようなチームではありませんでした。僕ら(当時の大学3年生世代)がそういっているだけで、4年生の方たちからすれば下の学年がうるさいと思われていたかもしれません(笑)。でも、そういう4年生がいたからこそ優勝できたのかなと思いますね。これがチーム競技の難しさで、強い代が一番上にいるから優勝するというものではないんですね。

――『三冠』の年は後ろから東洋大が猛追してくる中、八木選手は9区で先頭でタスキをもらうという展開でした。振り返っていかがですか

 やめてくれよと思っていました(笑)。僕もその時あまり調子が上がっていなくて、そんな中9区という長い区間を任されて、大丈夫かなというところと、そんな差がない中で回って来て不安ではありました。ただ絶対に抜かれてはいけないと思いましたし、10区の中島さん(賢士氏、平23スポ卒)は同部屋だったので、しっかりタスキをつなごうと思っていました。そこのタスキリレーはすごく良かったですね。「中島さん、ほんまお願いします」と思いながら渡しました。

――ことしの早大の駅伝を見て

 良いと思いますね。ちょうど全日本(全日本大学駅伝対校選手権)が終わってから相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)と電話させていただいて、良かった点もありつつ、課題も見つかったということで。久しぶりにワセダが優勝候補になったと思うんですよね。僕も全日本は久々に全部見ましたからね(笑)。最後まで青学大とああやって勝負できたのは良かったと思いますし、箱根はやってほしいですね。

――今の早大を見て、八木選手がいらした時と変わらない点は

 エンジの重さ、ですかね。僕も最初あのユニフォームを着た時はすごく重くてびっくりしました。やはりワセダの良さはみんなワセダが好きで入ってきているので、一人一人がユニフォームに誇りを持っているというか。自分のいる環境に誇りを持って競技をしているんですよね。みんながそうなので、駅伝だとチームの戦力に関わらず毎回ある程度の位置には毎回いますよね。大学とか部の力とか、そういった総合力が大きいのかなと思います。それは当時は渡辺監督(渡辺康幸前駅伝監督、平8人卒=現住友電工監督)、今は相楽監督が率いていて、そして礒先生(礒繁雄監督、昭58教卒=栃木・大田原)がいることもすごく大きいと思いますね。

――現在の大学駅伝勢力を八木選手はどう見ますか

 青学大がやはり強いなと。青学大はやるべきことをしっかりやっていてメンバー争いも厳しい中ではあるのですが、それを決して外に出しませんよね。それを見せずに楽しさを持って勝っていると思われがちです。ですが本当は厳しい環境でやっていて、みんなが切磋琢磨(せっさたくま)しているわけですよね。そこの本質を見ないといけないなと思います。今の学生が「楽しさ」の部分だけを見てしまうと、今自分がやっていることが無駄になってしまうと感じてしまうかもしれませんが、もちろんそれはそうではなくて。ただ、(青学大には)チームとして楽しさを出せる雰囲気があるのかなとも思います。まず青学大の選手は表情が違いますよね。他の大学の選手を見ると中には修行僧みたいな顔をしている選手もいて(笑)。そういった意味では、ワセダの選手はエンジの重さを力に変えられる選手が現れてほしいですね。特にエースがちゃんとした走りをするということ、それから永山選手(博基、スポ2=鹿児島実)のような長い距離に適性がある選手の存在が大事だと思います。そういう選手は武器になって、箱根になった時にはさらに力を発揮してくれると思うので、区間配置によってはワセダもいけるのかなと思いますね。全日本を見ると期待が持てる感じでしたよね。あと個人的には出身校が一緒で、教育実習の時に教えていた藤原選手(滋記、スポ3=兵庫・西脇工)にも頑張ってほしいです。

――駅伝を通して学んだことは

 流れとかチーム力とか、目に見えないものの力というのは感じました。いま逆に一人でやり出して駅伝とは無縁のところでやっているので、それ自体が関連しているということはないのかもしれません。ですが自分だけでは競技ができないという点では共通していると思うんですね。いまだと実業団の時には知りえなかった方々と交流があって、会員の方が神戸まで応援にきてくださったりですとか、人とのつながりの大切さは独立してなお感じるんです。今までは部や会社に守られている部分があったんです。『実業団の○○』といった、そういったバックボーンが全部なくなって、あくまで個人で勝負しなきゃいけないかという状況になった時にそれを応援してくれている人は大事だと思いますし、僕のこういうやり方に賛同してくださる方たちもいる中で、それが5年後、10年後に大きな流れとして陸上界を変えられるような存在になれたらなと思いますね。

――大学時代で印象に残っていることは

 関カレ(関東学生対校選手権)で優勝したことですかね。個人で初めてタイトルを取って、その時にみんながすごく祝福してくれたんですね。いままでそういった大会では撃沈していて、みんなに会えないような後ろめたさがある中大会が終わっていたんですね。ですがその時にはやはりみんなが一緒に喜んでくれて、それが本当にありがたかったなというのはすごく覚えています。

――競走部主将を務められていたと思いますが、大変だったことはありますか

 下が強くて、みんなしっかりしていたのでそんなに苦労はなかったかな。でも僕がやれたこととして、短距離と長距離のカベをなくせたかなという自負はあります。僕らの代は本当に短距離も長距離も仲が良くて、たくさんご飯も行きましたし、それがあったからこそ対校戦でも他種目をすごく応援できたなと思います。部としてすごく盛り上がりがあったなと思いますね。

――大学時代に主将として意識していていたことはありますか

 僕自身もプレッシャーに弱かったので、それを克服したくて主将になったというのもあったんですよね。100人くらいの部をまとめるのは結構プレッシャーで。ただ、信頼できるメンバーだったので、あまりまとめるという意識もなかったかもしれません。僕がまとめるというよりまとまってくれていたというか。僕らの代が良い代だったのではなく、全学年含めて良かったなと思いますね。

――主将に決まった経緯は

 基本的には僕らの代でミーティングを重ねました。ただ主将を決めるという話が出た時にはまだ僕はトラックで実績が全然なくて、そのあとの対校戦で結果が出たらという話だったんですよね。結局その後の対校戦で2種目入賞できて。僕の中ではチームを変えたいとずっと思っていて、個人的にはなるべくしてなったのだろうなと思っていますね。

――具体的に、何を変えていったのでしょうか

 みんなが強くなる方向に向かないと意味がないんです。誰か2、3人がみんなと違う方向を向いていると、自然とそれが連なってみんながそちらに引っ張られていってしまうんですね。そうすると例えば箱根であれば、強い10人だけが優勝という方向を向いていて、あとの選手が別の方向を向いていて勝てるかというとそんな甘いことはなくて。控えの選手のモチベーションもすごく大事なんです。短距離だと尚更ですよね。リレーで出られるのも4人までで、多くは応援に回ります。その中で本当に活躍してほしい、活躍したら次は自分がそれを超えて活躍したい、今度は自分も出てやるぞという気持ちを持って応援した方が良いに決まってますよね。あとは逆に、短距離が長距離を応援したり、短距離が長距離を応援する際に、その競技の細かいことまではなかなか分からないじゃないですか。どのくらいのタイムで予選を通過できるのか、どんな選手が強いのか。そんなことが分からない中で応援するのって、たださせられているだけになってしまうのではないかという思いもありました。どうせ喉を枯らして3、4日間の大会の間応援し続けるのなら、本当に応援した方が良いですよね。なので僕らの代ではまず他の競技を知ろうよというところから始まりました。お互いの練習を見るとかではなく、ご飯に行ってざっくばらんに話したりとか、競技の目標について話していったりして。みんなで分かり合おうとしてきました。専門的なこともありますし、100パーセント分からなくても良いんです。話した時間の長さ、事実が重要で。そうしたら僕らの代は和やかな雰囲気になっていって、そのご飯に今度は下の学年の選手を連れていって、普段思っていること、批判などを含めて言ってもらうんですね。そこでまたお互いの気持ちを言い合えるというか。そういう会話が生まれたのが大きいことでしたね。僕らは大学の部であって、プロではない。4年間の間チームとしてやっていくわけです。学生スポーツとしてやるべきことをやらなきゃいけないなというのをその時には思っていましたね。

――たくさんのことを変えられたのですね。

 そうですね。僕は自分の思ったこと、これと思ったことをやりたいなと思っています。逆にそれが強みになるというか。(今回独立したのも)なんで(旭化成を)やめたんだと人に言われます。旭化成というのは一部上場企業ですし、安定しています。でも、僕は競技をやっている間は、競技で妥協するような要素は極力省きたかったんです。人生の中で競技ができるのがあと数年だとして、その後の人生の方がずっと長いわけです。そっちの人生を取るのはベターな選択肢ではあると思いますが、僕はどちらかといえばベターよりもベストを求めたいんですよね。競技を終えて無職でもいいから、競技をやっている数年間は命を懸けてやりたいですし、僕がはっきりと言いたいのは陸上界を変えていきたいということです。今の実業団のシステムや市民ランナーのランニングクラブの仕組みなどを変えていきたいと思っていて、いつか5年後、10年後に僕のやっていることが実を結んで、一つの大きな波となっていけばなと思っています。

「倒せるのはワセダだけ」

陸上界を変えるため、八木選手はこれからも走り続ける

――マラソンの練習を現在なさっていると思いますが、今までと変えた点は

 長い距離を走れるので、ベースの距離をまず伸ばしていきました。それもうまくいかなかったのですが、何をしたらいいのかを探すのが面白いんですよね。何をやったらいいんだろうといつも考えていて。失敗したら次はこれをやろうと思えます。今何をやらなきゃいけないのかを考えるのが大切ですね。

――今までのお話から、八木選手は目の前の人や物をしっかりと見ながらここまで来られたのだなという印象を受けます

 というより、目の前の物事に夢中になってしまって(笑)。そしてそれが続いていくものなんですね。目の前の物事が連続していって、気がついたらそれが道になっているんだと思います。慎重に先のことを見据えるのではないですね。「人に期待されているうちは早めに裏切った方がいい。そうしないと、自分ではなく人の期待する方向に向かっていってしまうから」というセリフも聞いたことがあって、それがすごい印象に残ってます。自分の芯を持って、やりたいことをやるのが大事だと思います。

――最後に、後輩へメッセージをお願いします

 相楽監督になってからいろいろな新しい取り組みをしてきたと思います。これまでとは違ったワセダとして、今までの伝統を引き継いでいきながらも新たな強みを手に入れてきているとも思います。その中で、青学大をはじめとした強いチームがありますが、倒せるのはワセダだけだと僕は思っていて。その中でも、ワセダに入って一体に何がしたかったのか、どうなりたいのかをもう一度考えてほしいですね。そこが芯になる強さっていうのは、どの大学にも負けない強さだと思います。そういう強さを持って、10人だけでもエントリーメンバーだけでもなく、部員全員が一丸となって正月を迎えたら勝てるのではないかと思っています。応援していますので、頑張ってほしいですね。

――ありがとうございました!

(取材・編集 平野紘揮、太田萌枝、鎌田理沙)

◆八木勇樹(やぎ・ゆうき)

 現在YAGI RUNNING TEAMを運営するOFFICE YAGIの代表取締役を務めながら、マラソンランナーとして東京五輪を目指している。自己記録:5000メートル13分37秒25。1万メートル28分42秒36。ハーフマラソン1時間1分37秒。フルマラソン2時間24分30秒。
 自分の考えをしっかりと持ち、ランニングチームの運営に当たっている八木選手。東京五輪を目指すため、そして陸上界を変えるため、これからも走り続けます!

【YAGI PROJECTのホームページはコチラ!】

YAGI PROJECT:八木勇樹オフィシャルWEBサイト