【連載】『箱根路の足跡』第8回 中村信一郎

駅伝

今季の全日本大学駅伝対校選手権(全日本)の1区ではトップと秒差の3位。確かな実績と自信を胸に、中村信一郎(スポ4=香川・高松工芸)は2年連続となる東京箱根間往復大学駅伝(箱根)の1区を疾走した。中村にとって、最後の箱根路はどのようなものであったのか。ワセダでの4年間、そして実業団での今後を伺った。

※この取材は1月27日に行われたものです。

優勝を目指した最後の箱根

4年生として、主力として、最後の箱根に挑んだ。

――競走部での4年間を振り返っていかがですか

正直言って、走れたのは4年生の夏以降だったなという感じがします。競走部に貢献できなかったのではという後悔の方が強いです。

――エンジへの特別な思いはありましたか

エンジに憧れて入ったというのもあって、いざエンジを着て走ってみると、着て走らないと分からない重みやプレッシャーをとても感じました。ワセダのエンジを着て走ることがないと考えると、僕の陸上人生の中でとても良い経験になったと思います。

――最後の箱根への意気込みは

僕らの代では高田(康暉、スポ4=鹿児島実)をはじめとして学生三大駅伝での三冠というのを目標にしてやっていました。しかし出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)ではダメで、全日本も結局『三強』(青学大・東洋大・駒大)には勝てずに4位に終わりました。三冠はできなかったのですが、それでも最後の箱根は優勝を目指して行こうという気持ちで全員が一丸となっていたと思います。

――4位という結果についてどのように思われましたか

結果は4位で、箱根でも青学大、東洋大、駒大に勝てなかったというのが現実でした。僕としても1区区間5位ということで流れを作れなかったというのが原因の一つだと思うのですが、それでも力を出し切れたのではないかとは思っていて、あれが今の僕の実力だったと思うので、今回の箱根に関して悔いは無いです。

――箱根を振り返ってみて他の大学の印象などはどうでしたか

たぶんほとんどの選手がそう思っているのですが、青学大が強かったなと思います。どの大学も1回も前に出ることなく終わってしまって。ことし1年トレーニングなど変えてきたつもりでしたが、まだまだ変えていかないと青学大、東洋大、駒大には勝てないのではないかなと感じているので、そこは僕じゃなくて後輩たち3年生以下がやることですし、それは後輩たちも分かっていると思うので、来年から応援していきたいなと思います。

エースとしての自覚

――1区に決まったのはいつでしょうか

集中練習の最後のポイント練習が終わって走れる状態だったので、そのときに決まりました。それが12月の中旬から下旬くらいでした。でも僕としても監督としても全日本が終わってからもう1区という気持ちはあったと思うので、心の準備自体はできていました。

――1区に決まったときは、『やはり』という感じでしたか

僕自身、好走というかちゃんと走れた経験が全日本の1区ぐらいしか無く、きょねんの(1区を走った)箱根も合格点はもらえたので、そういう意味で1区なら自分の力を出し切れるかなと思っていました。2区を走りたかった気持ちもありましたが、チームの事を考えると僕が1区に行くのが一番良いと思っていたので、きたかという感じでした。

――レースプランはどのように考えられていましたか

1区の責任は先頭で渡すか、先頭とどれくらい秒差で渡すことができるかということが大事だと思っています。そういう意味で箱根は全日本よりもさらに距離があるので、前半は他の選手の力を使って力をためて、最後の4~5キロで仕掛けが始まる時にその仕掛けに対応するか、自分から仕掛けられたらいいなというふうに思っていました。

――結果的には高速レースとなりましたが、振り返ってみていかがでしたか

正直あそこまで高速レースになるとは思っていませんでした。全日本がスローペースでの試合だったので、箱根もひょっとしたらスローペースの試合になるのではないかなという考えがあったのですが、きょねんの箱根でもハイペースは経験しているので、速くなったからといって焦りとかは一切なかったです。

――前回も1区を走られていましたが、違いはありましたか

前回はハイペースになったときに大丈夫かなとか、10キロの通過も僕の知らない世界というか、そんな感じのペースだったので、不安の方が大きかったです。今回は全日本の成功が大きな自信になって10キロの通過も自己ベストより早かったのですが、本当に焦ることは無かったです。

――気持ちに余裕をもって走れていたのですか

そうですね。気持ちに余裕もあって、周りの選手の状態とかも観察することができていたので、落ち着いて走れていたと思います。

――集中練習から箱根までの1カ月はどのように過ごされていましたか

全日本で選手全員手応えをつかんで、そういった意味で今年度の集中練習は内容がとても大切になってくると思っていました。集中練習に参加している、いないではなくて、箱根に向けて気持ちがチーム全員一丸になっていたのではないかなと思います。

――2年連続高田選手へのタスキリレーとなりましたが、箱根当日何か言葉などはかけられましたか

きょねん僕が1区で出遅れてしまって、高田以降、井戸(浩貴、商3=兵庫・竜野)とかにも迷惑をかけてしまったので、ことしは1区から先頭らへんで渡すから、頼んだよということは伝えました。

――1区を走る選手は1週間ほど前から朝早いスタート時間に対応するため、生活リズムを変えるというふうに聞いたことがあります。中村信選手の場合はどうでしたか

急に早く起きるのは好きじゃないので、逆算して試合前に20分ごと起きる時間を早くしていって、8日前ぐらいからちょっとずつ早く起きるようにしました。その分寝るのも早くなるのですが、寝るのが早くなる方がきつかったです。

――今季はエース格の一人として他大からマークされていた部分もあったと思いますが、それについてはどう思われますか

正直、全カレ(日本学生対校選手権)で入賞したのが、大学生活で初めて大きな大会で結果を残した瞬間でした。そのあとの出雲は3区のエース区間に置いていただいたにも関わらず、周りの大学の選手に圧倒されてしまって自分の力を出し切ることができませんでした。そんな中でも全日本で1区に起用してくださった相楽駅伝監督(平15人卒=福島・安積)の信頼が結果につながったと思っています。他大からマークされていなかったと思うのですが、僕としてはことしのワセダのチームのエースとしての自覚はあったので、そういうふうにワセダの選手とか他大の選手に見られていたのであれば、やってきたことは間違ってなかったのではないかと思います。

――柳利幸選手(教4=埼玉・早大本庄)が箱根事前取材の際に、練習で中村信選手が引っ張っているとおっしゃっていたのですが

高校時代は全然練習ができなかったのですが、大学で練習がかなり強くなりました。僕の性格的にもそんなにガミガミ言えるタイプではないので、練習面において背中で引っ張っていけたらいいなと思っていたので、柳がそう感じ取ってくれていたのなら、良かったのではないかなと思います。

――箱根駅伝で2区を走られた高田駅伝主将や柳選手の走りについてはどう思われましたか

彼らとは4年間ずっと一緒にやってきて、特に高田・三浦(雅裕、スポ4=兵庫・西脇工)、柳というのは1年目からメンバー入りしていて、僕からすると目標でもありましたし、1年目とかは特に1回は一緒に駅伝を走りたいなと思っていました。そんな中で2、3、4年生と3回も一緒に走らせてもらって、最終的に全員が納得する結果ではなかったと思いますが、彼らと一緒に練習とか試合とか普段の生活とか一緒に過ごすことができて。それが一番良かったなと思います。

――箱根では三浦選手が直前にケガをし、走れないというアクシデントがありましたが、チームとしてどのように受け止められましたか

僕自身も聞いたのが走り終わってゴールに向かう移動中でした。その時はまだ走れるかもというふうに聞いていたのですが、夜ぐらいにやはり交代するという方向になったときに、僕らのことしの1番の強みは下りの三浦がいるということだったのですが、欠場ということで。そんな中でも佐藤淳(スポ3=愛知・明和)がきちんと走ってくれたことは、そのあとの7区以降の選手にも勇気を与えることができたと思いますし、僕らが引退してからもそういった経験が生きてくるのではないかなと思うので。もちろん良かったとは言えませんが、そういう意味では良かったのではないかなと思います。

――3年前のアンカー勝負で敗れて以来大きな躍進を遂げていますが、ご自身で振り返ってみていかがですか

2年生の10区の時も練習は完璧にできていて、勝てると思っていたのですが、そんな中で負けて、そこでやっぱり自分よりまだまだ上の選手がいるということも実感しましたし、僕には才能が無いのだなと思って人と同じではなくて人よりも多く練習はしてきたつもりです。その結果、3年生4年生と順調に伸びたのではないかなと僕自身は思っています。

「マラソンにも挑戦したい」

ラストイヤーで大きく成長を遂げた中村。今後はマラソンを視野に競技を続ける

――では、今後についてお伺いします。まず、進路先を九電工に決められた理由は何だったのでしょうか

企業の方からお誘いが無かったというのが正直なところなのですが、九電工さんが来てくれて、かつ青学大の久保田和真が行くということで、やっぱり強い選手と一緒に練習したいなという思いもあったので九電工を選びました。

――九電工には前田和浩選手などマラソンで成功している選手もいますが、マラソンに挑戦したい気持ちなどはありますか

マラソンで競技を終わりたいと思っていて、ゆくゆくはマラソンの方にも挑戦したいと思っていますし、そういう意味で九電工は前田選手などマラソンの成功の経験があるのでそういう意味でも九電工はいいなと思いました。

――実業団ではどのような目標をもってやっていきたいですか

来年度からは走るということを仕事としてやっていくので、今まで以上に責任が自分にのしかかってくるのですが、それにつぶされることなく自分らしさを出していけば、会社的にも素晴らしいチームなので伸びていくと思います。苦労はすると思いますが、ゆっくりと長くやっていきたいと思います。

――今後のレースの予定は

今は足の状態が良くないので実業団に行くまではしっかりと休んで、実業団に行ってから、ちゃんと走れる状態にしておきたいと思っています。今後のレースの予定とかは未定です。

――後輩へ何かメッセージなどあればお願いします。

僕はみんなと一緒じゃなくてみんなよりプラスアルファというのを心がけてやってきたので、そこをもともと力があったとかそういうふうには思ってもらいたくありません。誰にも伸びる可能性はあると思うので、本当に小さいことを1個ずつ積み上げて長期的に見て結果が出てくれればいいなとは思うので、腐らずやってほしいです。

――最後に、読者やファンの方にメッセージをお願いします。

4年間、応援ありがとうございました。

――ありがとうございました!

(取材・編集 佐藤亜利紗、杉野利恵)

◆中村信一郎(なかむら・しんいちろう)

1993(平5)年4月14日生まれのO型。174センチ。香川・高松工芸出身。スポーツ科学部4年。自己記録:5000メートル13分54秒09。1万メートル28分52秒08。2014年箱根駅伝10区1時間11分32秒(区間10位)。2015年箱根駅伝1区1時間2分42秒(区間11位)。2016年箱根駅伝1区1時間2分10秒(区間5位)。