【連載】『栄冠への走路』 第11回 中村信一郎

駅伝

 全日本大学駅伝対校選手権(全日本)で早大に流れを引き寄せた中村信一郎(スポ4=香川・高松工芸)。「走っていてワクワクした」と白い歯を見せたその笑顔の裏には、試行錯誤を繰り返した日々があった。泣いても笑っても最後の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)。人一倍流してきた悔し涙、決して順風満帆ではなかった競技人生を乗り越えて、頂点だけを目指す。いよいよ集大成を迎える中村信の箱根に懸ける思いとは――。

※この取材は12月1日に行われたものです。

箱根まで残りわずか、「僕から何か受け取ってくれたら」

丁寧に質問へと答える中村信

――箱根まで残り1カ月となりました。現在はどのような心境ですか

 あっという間だったなと感じます。新しいチームになり大学駅伝三冠を目標にやってきて、振り返るともう二つ終わりました。大学駅伝三冠という目標は達成することができませんでしたが、本当に最後の一つは取りに行けたらではなく取りに行くという気持ちを持ってやらなければならないと感じています。本当にあっという間ですね。

――集中練習でのチームの雰囲気はいかがですか

 出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)では6位で、全日本でも4位だったのですが、少しずつは前進することができているなというのはチーム全員が感じていることです。その中でも勝つにはまだ足りないということが相楽さん(豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)からも指摘があって、それを補うことができるのがこの集中練習だと思います。そういった意識が他の選手からも感じられるので、まだ始まったばかりですがこの集中練習次第でこのチームはガラっと変われるなと思います。

――チームとしては時を重ねるごとに良くなっているのですね

 そうですね。僕ら4年生は本当に最後になるので、その思いを練習であったりミーティングであったりそういう場を使って後輩たちに伝えています、その思いを後輩たちが受け取ってくれていて、全日本が終わってからの練習はAチーム、Bチーム、Cチーム関係なく全員が一丸となって上を目指せていると思います。

――ご自身の調子はいかがですか

 いまは鍛練期ということで決して良い状況とは言えませんが、順調には来ています。優勝するためには、僕自身が全日本の時の力ではいけません。なので、もうワンランクアップするためにも、いま頑張って我慢我慢というかたちで練習するだけですね。調子としては良くも悪くもなく、ですね。

――具体的に集中練習で強化したい点はありますか

 ことしが僕の中では11月の走行距離が例年より少なかったです。箱根は20キロ以上の距離なので、ある程度走る距離を増やして臨まなければなりません。なので、この2週間でしっかりとミニ合宿というかたちで走り込むことができれば良いなと思います。

――集中練習は3度目ということですが、例年以上に意識している点などはありますか

 集中練習を毎年毎年やって思うのがきついなということです。その中でもいかに余裕を持ってこなして、どうプラスアルファするかが力の付く秘訣(ひけつ)だと思います。2年生の時は練習をこなすことにいっぱいいっぱいになっていたのですが、きょねん、ことしと少しずつ余裕ができていて、その余裕を他の練習やプラスアルファにつなげることができているので、それが僕以外の選手にも共通で必要であると思います。

――プラスアルファとは、ダッシュの本数を増やしたりジョグを増やしたりですか

 走る距離を増やしたりだとか、補強の量を増やしたりだとか、体がきつかったらダウンを長くするといった小さな積み重ねが1カ月後に結果として出ます。3年生までにそれが大切だなと感じたことなので、ことしはそこを特に大切にしていきたいなと思います。

――体のケアも気を付けていますか

 そうですね。ケガなく練習を継続することが一番強くなるための秘訣(ひけつ)だと思います。どんな選手でもケガをしてしまうと伸びないと思うので、きちんと自分でケアしたりだとか、自分で補えない部分は専門のトレーナーさんに見てもらっています。ケアに関しては重視しています。

――何か気分転換はされていますか

 やはり4年生になってチームのことを考えることが多くなって、気を張る時間が増えているのでどこかでリラックスしないといけないなとは思います。どこかしらに出掛けたりだとか、今週の金曜日にはスヌーピーの映画が公開されるのでそういうのを見たりとかが息抜きとなって、また1週間頑張る活力になるのかなと思います。

――4年生と出掛けることが多いのですか

 はい。4年生だったりいろいろです。普段も授業を一緒に取っている後輩とお昼ご飯を一緒に食べたりとか、土日もどこかへ食べに行ったりとかは後1カ月しかできないのでそういう時間もとても大切にしています。普段話している中でも僕から何か受け取ってくれたら良いなと思って残りの日々を過ごしています。

――遊んでいる時の方が、「箱根頼むぞ」といったようにそれとなく気持ちを示せる部分は少なからずありますよね

 そうですね。ご飯とかオン、オフのオフの時の方が大事な話もしやすいですし、そういう時の方が重い空気にならないというか、言いやすいというのは確かにあります。

全日本2週間前の練習から「戦える集団になった」

――きょねんの箱根が終わって、新チームが始まる時はどのような決意を持って臨みましたか

 きょねんのチームは箱根で負けて例年ならその後すぐ解散に入りますが、僕らの代は1月4日に一回解散する前に集まろうということで、そこで新チームとしての取り組みや僕らが描く理想のチーム像を伝えてから解散に入りました。僕らの学年は意外と個性が強くて、みんなバラバラな性格です。良いのか悪いのか分かりませんが、1月から3月は後輩たちを導くようなレールを引けなかったなと感じます。当時は正確にはまだ4年生になっていなくて、最上級生という重みが分かってなかったのではと思います。

――1月4日に伝えた理想像とはどのような像だったのでしょうか

 高田(康暉駅伝主将、スポ4=鹿児島実)を始めとする僕らの学年は大学駅伝三冠をするというのを後輩たちに公言しよう、どれか一つ取れば良いではなくて、三つしっかりと取りに行くということを言おうということでついて来て欲しいと言いました。また、いままで導入していなかった動きづくりという部分で新たなトレーニングとするということを1月4日から伝えました。

――新たな体幹トレーニングの導入は早い段階から決まっていたのですか

 導入は4月からなのですが、きょねんからも時々来て下さっていました。僕らの代からは正式に見てもらうということでお願いをさせていただいだのですが、最もそれまでの3カ月間が僕ら最上級生のチームを引っ張る自覚や責任が少なかったと思います。

――やはり、4月を迎えてからより最上級生としての重みが出てきたということですか

 はい。箱根が終わって1月から3月はチームとしての目標が身近にはないんです。出る試合も選手によって違いますし、そこがやはり難しかったかなといまになっては思います。

――4年生の個性が強いということですが、相楽監督や周囲からどのような学年と言われてきましたか

 エースはいないと言われていますが、僕らの学年のエースは高田です。高田がキャプテンになったということで、高田に負担を掛けるのではなくて他の主力選手の僕や三浦(雅裕、スポ4=兵庫・西脇工)、柳(利幸、教4=埼玉・早大本庄)が高田の支えとなって、チームをつくっていくことが必要だなと僕自身は思っています。また、2月に相楽監督と4年生でご飯に行きました。そういった機会はいままではなくて、歴代の4年生の中でもそういうのはなかったと思いますが、ことしからは僕らの思いと監督の思いがすれ違ったらいけないと思ったので、そこを密に話し合って決めることが必要だと判断しました。相楽監督と4年生は近い距離で1年間チームをつくって来られたかなと思います。

――具体的にどのようなことを話しましたか

 大きく話したのは、2010年度に大学駅伝三冠をしてからは3位にすら入れていない状況が続いていて、練習自体を変えなければいけないのではないかと相楽監督と4年生は思っていました。そこで、「僕はこう思うのだが君はどう思う」とか、「ここはこっちの方が良いと思います」とか、いままでの確立されたチームではなくていまの4年生に合ったチームを一緒に作るということを話して、実践できたかなと思います。

――そこで話し合ったことをここまで継続してきたのですね

 選手から監督に、というのは普通言いづらいと思いますが、相楽監督は柔軟に聞いて下さる方で、僕らからも「いまのチームはここがこうなのですがこういう方針で良いですか」などといった話はちょくちょく話してその時に合ったチームをつくれたかなと思います。

――それは相楽監督の就任が良い方向に進んだということですね

 渡辺さん(康幸前駅伝監督、平8人卒=現住友電工監督)が退任ということを聞いたときはかなりショックでしたが、渡辺さんのメソッドを教え込まれてきましたし、相楽さんも渡辺さんの元で長年コーチをやっていたので早大そのものが大きく変わることはありません。また、いまは学生三大駅伝のレベルが上がっているので昔の風潮にしがみつくことなく、昔は昔、三冠した年は三冠した年、あの時の練習ではいまは勝てないということを相楽さんも理解してくれています。相楽さんになって良かったかどうかは結果が全てで、出雲や全日本では実現できていません。僕らの代としては、取り組みが正しいことを証明するのはもう箱根だけだと思っています。

――渡辺前監督が全日本の解説をしていた時に中村信選手のスパートを見て4年間で一番良い顔をして走っていると言っていましたが、そういうのも嬉しいですよね

 渡辺さんに4年間見てもらいたかったというのは確かにありましたが、そういうかたちで早大に携わっていただけているのは嬉しいですし、渡辺さんも僕らは3年間見てもらってきているので、1年前2年前より進化した部分を解説者の渡辺さんに見せることが一番の恩返しかなと思います。

――春のトラックシーズンについてですが、やはり全日本予選が印象的です。新しいトレーニングを導入した中でも良い結果が出なかったということで、どのような思いでしたか

 ずっと練習はケガなくできて内容も完璧で、でも4月から兵庫リレーカーニバル、関カレ(関東学生対校選手権)、全日本予選(全日本大学駅伝対校選手権関東学生連盟推薦校選考会)と主要な大会で結果が出せず他大学の選手と戦いきれていませんでした。いままでは調整をミスしてしまった、途中で足が重くなって走り込みが足りなかった、というように練習のせいにしていました。ですが、全日本予選は調子も良かったのにあのような結果に終わって相楽監督に初めて怒られました。そこでやっと自分と向き合えたというか、怒られて気付いたのがメンタル、自分の精神的な部分が弱いから練習の成果が出せない、練習以下の結果になってしまうのではないかということです。それを相楽監督に伝えたところ、監督もそう思っていて、「お前から言ってくれるのを待っていた」と言ってくれました。そこで偶然が重なりあってメンタルトレーニングをしていただけるということで受けてから変わったようには感じます。

――相楽監督からは足りないものがあるからそれを探せ、と言われて中村信選手がその答えを見つけて伝えたということですか

 そうですね。自分でも前々から試合で結果が出ないのはメンタルなのかなと思っていました。ですが、それを認めたくない自分もいて調整ミスだろうというように人のせいにしていました。全日本予選で時間はかかりましたがようやく気付けました。それがいまの自分につながっています。

――メンタルトレーニングは具体的にどのようなことをするのですか

 メンタルトレーニングの先生が相楽監督と同級生の方で、そういうお仕事をされています。最初は分からないまま行ったのですが、いま一番実感しているのは呼吸法と、自分の体質そのものを変えるということで感謝する体質になる、それが人間性の向上、競技力の向上につながるということを教えていただいたことです。呼吸法は、すぐに実践してその後のホクレンディスタンスチャレンジ二発もまずまずでした。感謝する体質というのは、継続して続けてようやく成果として出て来るものです。いまちょうど続けて5カ月弱くらいです。ようやく感謝する体質になってきて、人間性と競技力の向上につながっているかなと思います。

――普段から周囲へ感謝し、表現力が増すことでさまざまなものを吸収し、それを力に変えるということですか

 毎日練習日誌を書いているのですが、そこで毎日受けた恩や感謝の気持ちを5、6個書いています。例えば、荷物を持ってくれたとか、大丈夫と声を掛けてもらったとか小さなことでも書いていくということをしました。後はその日頑張ったことを4つ書くということをしています。そうすることで、きょうはここを頑張ったんだという振り返りにもつながりますし、書くことで日々の当たり前が当たり前ではなくなってきて人間性が高まっていくというか、人から何かをされたことを書き出していくとさまざまな気付きがあります。そこで受けた行動がありがたい行動だと感じるようになってきて、その思いを大事にすることが大切だとも教えられたので、それが人間性なのではないかなと思っています。

――出雲でも全日本でも中村信選手を取り囲むファンはすごく多かったですよね。そのような部分にも表れていると感じます

 本当ですか。(笑)でも、応援していただけるのは本当に嬉しいですし、SNSでも応援してくれますし、知らないところでもたくさんの人が応援してくれていると強く感じるようになれたのもメンタルトレーニングのおかげだと思います。

――呼吸法はどのように行うのですか

 レース前にするものです。緊張して動揺している体を落ち着かせたりだとか集中できる体にすることができているのではないかなと思います。

――それは簡単にできるのですか

 いまはウォーミングアップ場でやっているのですが、最初は恥ずかしくてホテルや宿舎でやっていて、でも音楽を聞きながらリラックスしながらできます。それをやると、僕の場合は手と足先が熱くなってくるので血液の循環もできているのかなと思います。

――そうなのですね。手応えをつかんできた、というところで4年目の夏合宿を迎えます。臨むに当たって特に意識した点はありますか

 ことしの合宿は僕自身足の状態があまり良くなかったのですが、必要最低限の練習はこなすことができました。自分の後に付いてくるのがチームを引っ張るということです。いままでは感じることができなかったチームを引っ張るということは普段より長くチームメイトといるというだけ大事になるので、引っ張るということがとても大変でしたが、チームのためにも役割を果たせたかなと思います。

――その引っ張るということは4年生で決意を固めて合宿に臨んだのですか

 はい。ポツポツと故障で抜ける選手もいたので、ケガに強い僕やケガしていない柳が引っ張る必要があったと思います。

――体幹トレーニングにより走りの感覚なども変わってきましたか

 合宿中もトレーナーさんがかなりの頻度で来て下さっていて、ずっと一緒に泊まって教えてくれていて自分たちでやるよりきちんと教えてもらった方が動きも良くなるので、夏合宿の2カ月間で自分のものにできたかなと思います。夏合宿まではトレーナーさんもなかなか来られなかったので他の選手も自分のものにしきれていなかったのですが、夏合宿でみっちり見てもらったことでチームにも浸透したと思います。

――その成果の指標の一つとして日本学生対校選手権(全カレ)の1万メートル5位入賞が挙げられます

 全カレにおいても、効率の良い動きとメンタルトレーニングの効果を強く感じられた試合でした。

――夏合宿が終わると駅伝シーズンがやってきます。初戦である出雲はチームとして惨敗し試合後のインタビューでも「チームに何かが足りない」と話していましたが、その何かは見つかりましたか

 夏合宿の効率の良い動きというのが骨盤運動でした。ですが、出雲で共通していたことは骨盤は動くのですがそれに伴う上半身が動かない、足だけ先にいっちゃうけど上半身が付いてこないということです。出雲後は上半身を鍛えて、上半身下半身の連動を確立することができた結果、全日本は出雲より満足はできていませんが少なからず成長はそれぞれ実感できていたのではと思います。

――出雲後に戦う集団になれていないとも話されていましたがこちらは変化しましたか

 夏合宿で例年以上に良い状態で消化することができて、普通に走ればそれなりに結果が出るという自信が生まれていて、どこかふわふわした雰囲気がありました。闘争心が見えないというか勝つ気持ちがないわけではないですが、それが表に出ていないという雰囲気で、出雲が終わってからもそういった雰囲気が続いていました。その原因として、僕ら4年生がそういう雰囲気をつくり出しているからだということをまず4年生だけで話してそれを後輩にも伝えました。

――具体的にどのような言葉を掛けましたか

 その日の練習は、例年は早大競技会(早稲田大学長距離競技会)をやっていましたがことしはやらなかったんです。ですが試合並みの大事な練習でした。しかし、練習前に笑い声が聞こえてくるという状況で、それはちょっとおかしくないか、出雲負けて全日本に勝つためにその雰囲気は違うということを伝えました。他の選手もわかっていたとは思いますが、わかっていてもできないことはあると思うので、そこで僕が言うことで他の選手にもきちんと伝わったと思います。それからの練習はみんなしっかり付いてきてくれて、雰囲気も変わりました。

――4年生のミーティングでもそのようなことを話されたのですか

 僕らが甘やかしているではないですけど、4年生全体として優しすぎるというか後輩にあまり言わないのでそれがつくり出した雰囲気なのではと話し合いました。

――その日から、チームは徐々に変わったのですか、それとも次の日から一気に変わりましたか

 ワセダの選手は素直な人が多いので、次の日から練習はピリッとしましたね。あの日が全日本の2週間前だったのですがその日から変わってくれたことで、2週間という短い期間の中で戦える集団になれたのかなと思います。

――出雲後、相楽監督からはどのような言葉がありましたか

 相楽さんや駒野さん(亮太長距離コーチ、平20教卒=東京・早実)からはあまりがみがみ言われなかったのですが、出雲から全日本にかけて少しは変われて結果も少しずつ良くなって、これから箱根になるともっと戦えるチームにすることができるのではないかと言われた時はやる気がでたというか、僕らも最後ですし、そこは相楽さんや駒野さんと共にやっていかなければならないと改めて感じました。

――全日本は3位まで後一歩の4位でした。改めて振り返るとこの結果はいかがでしたか

 優勝はできませんでしたが、出雲から全日本までの3週間でここまでもって来られたということは、箱根までの2カ月間でさらに成長できるのではないかと思いました。

――ご自身も駅伝で初めて納得のいく結果(1区区間3位)だったと思います

 他の選手も他大学の監督もハイペースになるという予想だったと思いますが、全く逆のスローペースということで僕自身も余裕があったので自分が仕掛けることで集団がバラけるなと思いました。前に出るなら一気にいった方が他の選手も嫌がるなと思ったのであのような仕掛けをしました。やはり駒大、東洋大、青学大の強い選手は付いてきましたし、区間賞を取れなかったというのは最後の詰めの甘さかなと思います。

――ラストスパートは惜しかったですよね

 そうですね。ラストスパートの自信はあったのですが、勝ち切れなかったことがとても悔しいです。あそこで勝っていればチームの勢いはもっと良い方向に行ったと思いますし、よくやったと言われますがあそこで勝ち切れなかったことは甘さですね。

――学生三大駅伝での学生界トップの選手たちとのスパート合戦はいかがでしたか

 その選手たちとあのように走るのは初めてでした。ビビらずに走れていましたがその中でもあの全日本というのは自分の理想とするレースができたと思います。走っていて楽しかったです。

――楽しかったと思えるのも自分で主導権を握れたからですか

 自分の理想は、自分が途中で仕掛けて他の選手が離れてラストスパートに持ち込むというレースです。そういう展開になって、他の選手の誰かが仕掛けてくるという思いもあったのですが、あのメンバーの中で自分が主導権を握れているのがとてもワクワクしましたし、逆に緊張が取れたというのが感じられました。

――上尾シティマラソン(上尾ハーフ)に関しても引っ張るレースを展開していましたね

 上尾ハーフは練習不足でしたが、15キロまでは自分のレースができました。ラスト5キロは失速しましたが、そこは集中練習で補えます。いままで自分でどんどん仕掛けるレースを試合でできなかったので幅を広げるレースができたことは良かったかなと思います。

「コツコツと積みあげてきたものが結果に出ることを走りで示す」

全日本では1区で好走を見せた

――再度箱根に向けて伺います。エンジのタスキを胸に走る最後の駅伝です。どういう走りをしたいですか

 チームの理想は僕が先頭や先頭付近で2区に渡すことだと思います。まだどこを走るかは全く分かりませんが、1区以外でもチームに勢いを付ける走りを4年生の僕がすべきだと思います。勢いを付ける走り、後輩たちが安心して走れるような走りを僕ら4年生がすることで勝利に導きたいです。

――希望区間はありますか

 1、2、3区ですね。前半の主要区間を走ってチームを勢い付けて、後輩や次の走者に安心して走ってもらいたいです。

――いままでの駅伝で一番学んだことは何ですか

 やはり1区の流れですね。それが僕になるか他の選手になるか分かりませんが、1区を走る選手は流れをつくる走りがマストだと思います。1区の選手にプレッシャーをかけるわけではないですが、そういったことも考えて走る必要があると思います。そうすると早大の選手は能力が高いので自然と流れに乗れて結果が付いてくると思います。

――走る上での信念などはありますか

 良いレースをしたのは1区だけですが、絶対離れられないというか責任感ですね。きつくなって離れては後ろの選手に迷惑を掛けるだけなので、死に物狂いで走るということです。『一走懸命』じゃないですけど、20キロ走っていると絶対どこかできついと思うことはあります。そういう時は駅伝やっているということで他の選手の気持ちを思い出して、次の走者に頼るのではなく託すということを思っています。高校の時からそのことはずっと思っています。

――その気持ちが折れそうな時に、チームメイト、監督、コーチ、両親、ファンの思いが一つになって後押ししてくれるのですよね

 そうです。陸上長距離の団体競技は駅伝だけで、1区はないのですが、2区以降の選手は前の選手の汗がタスキに染みついていてその重みを感じ取ることができて、1区の選手は待っている選手の思いを一番多くくみ取ることができると思います。後は沿道、テレビで応援してくれる人や僕たちが見えないところで応援してくれている人も多くいるので、そういう方たちの思いに応えたいという気持ちはすごく強いです。

――4年間で一番思い出に残る試合などはありますか

 3年生までは正直ただ陸上をやっているだけで、いま思うことは僕が変われたのは全日本予選の敗戦とそこで相楽監督に怒られたことです。あそこで失敗したことが良かったとは言えませんが、そこで初めて怒られて自分を変えることができたなと思います。あれが無ければいまの僕はいなかったと思います。

――では箱根に向けて同期への思いを聞かせて下さい

 本当に我が強いというか選手それぞれ特徴があって、正直1月4日に新チームになってからも個性豊かすぎてまとめることができませんでした。ですが、全日本予選の惨敗から僕ら4年生がまとまることができて、チームをここまで引っ張って来れました。それは、僕一人ではできなかったことで周りの4年生がいたからです。いまの4年生やいまのチームで戦うのは次が最後で、いつも泣いてしまっているので最後こそ笑って終わりたいと思います。

――後輩たちに残したいことはありますか

 後輩たちには自分でいうのもなんですがエリート街道を歩いてきたわけではなくて、1年生の頃とかも全然ダメで強くなるために人一倍努力してきました。結果ももちろんですが、その過程も見てそれを後輩たちが感じ取ってくれたらと思います。スポーツ推薦で入りましたが、それを才能やセンスとは思って欲しくなくて本当に僕自身苦しんで誰よりも努力してきたのでそこを後輩たちが感じ取ってくれることが一番良いと思います。

――地道に努力を重ねた4年生が箱根で活躍することで、その姿を見た下級生にとってそれが来年へのモチベーションとなり、また強いチームが生まれるのですよね

 本当にちりも積もれば山となるではないですが、僕は他の選手よりも少しずつではありますが上乗せしてきていてこうして早大の主力と呼ばれるところには来れたので、一気にはやらなくて良いんです。コツコツと積み重ねることが後に結果として表れるということを走りで示したいと思います。

――ではこれまでのこと全てを包括して、箱根への意気込みをお願いします

 早大に憧れて入学してきて、僕が在籍した4年間は一回も優勝を経験していません。優勝したいという気持ちは強いですし、相楽監督になって1年目、競走部101年目ということで新しい伝統をつくるためにも優勝したいという思いは強いです。1年間お世話になった監督、コーチ、関係者の方とか、知っている人とか、僕が知らない人もたくさんの方が応援してくれています。優勝が一番良い恩返しだと思うので、優勝します。

――箱根はいまや名物となった沿道の声援も力になりますよね

 出雲、全日本とは全く違う量の歓声で、それはそれで緊張はしますが、それでたくさんの方に支えられているなということを実感しますし良い走りをして結果を出したいと思います。

――最後に読者へのメッセージをお願いします

 前回の箱根が終わって、僕ら4年生としての新チームとなってからの駅伝シーズンが二つ終わってしまいましたが、全日本が終わってからちょっとずつチームは良くなってきていてトップを取れる可能性は十分にあります。そこは本当に僕ら4年生の力次第ですし、早大のユニフォームを着て走る最後の試合なので一番良いかたちで終われるように頑張ります!

――ありがとうございました!

(取材・編集 和泉智也)

箱根への意気込みを書いていただきました

◆中村信一郎(なかむら・しんいちろう)

1993年(平5)4月14日生まれのO型。174センチ、57キロ。香川・高松工芸高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:5000メートル13分54秒09。1万メートル28分52秒80。ハーフマラソン1時間02分30秒。座右の銘は『一期一会』。中村信選手は、残りわずかとなった同期や後輩とのお出掛けやランチの時間も大切にしているそう。「普段話している中からも後輩が何かを感じ取ってくれたら」と笑顔で話してくれました。温厚な好青年・中村信選手の力強い走りに注目です!