【連載】『栄冠への走路』 第8回 佐藤淳

駅伝

 積み上げてきた努力が実を結び、チームに欠かせない存在へと成長を遂げた佐藤淳(スポ3=愛知・明和)。しかし、期待を背負って出場した出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)、そして全日本大学駅伝対校選手権(全日本)では思うような結果を出せず悔しい結果に終わった。いまだ走ったことがない東京箱根間往復大学駅伝(箱根)へどのような思いを抱いているのか。その胸中に迫った。

※この取材は12月1日に行われたものです。

『チームを引っ張っていく』

取材に応じる佐藤淳

――3回目の集中練習となりますが、練習には慣れてきましたか

 (集中練習に参加するのは)3回目ですが、最初からみんなと同じメニューで参加するのは初めてなので、やはりきついですね。

――いまの調子はいかがですか

 少し足に不安があって、あまり調子は良くないです。でも、練習に影響はないので大丈夫です。

――いまの時期の練習はケガにもかなり気を使う必要があると思います

 そうですね。ケガだけはしないように注意しながら練習しています。

――いま練習で強化していることは何ですか

 レースの後半でもフォームが崩れないように走ることをいまは意識して練習しています。

――3年生ということで、後輩も多くいる中考えることはありますか

 そうですね。もう上級生ですし、後輩もいるのでチームを引っ張っていこうという意識はありますね。

――特にことしは高田康暉主将(スポ4=鹿児島実)がレースに出られない中で、3年生の責任も大きかったと思います

 学年のミーティングなどでも、自分たちがチームを引っ張っていこうということは意識していますし、相楽監督(豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)たちからも「3年生が頑張らないといけない」と言われています。

――学年のミーティングの中心は誰ですか

 来年の主将の平(和真、スポ3=愛知・豊川工)を中心にやっています。

「自分が敗因」

――ことし1年間を振り返っていただきたいのですが、トラックシーズンはあまりレースに出場していませんでした

 春先にケガをしてしまって、それがだいぶ長引いてしまいました。たぶんことしはトラックには1回しか出ていないと思います。

――ケガというのは足の部分ですか

 はい、膝とかですね。

――その期間はどのような調整をしていましたか

 自分としては走れない分、体幹トレーニングとかでお腹回りなど自分の弱いと思うところを鍛えていました。でも、いま思うとあまりやっていなかったですね(笑)。部屋でゆっくりしていた時が長かったです(笑)。

――そのトレーニングは相楽駅伝監督や、指導者の方から教わったものですか

 監督、コーチからとかではなく、自分からやろうと思ってやっていました。

――では夏合宿もケガが治ったばかりで、あまり調子が良い状況ではなかったのでしょうか

 夏合宿までには何とかしようと思ってケガの時もやっていたので、ケガはあまり心配ない状況でできました。最初はBチームだったのですが、練習についていけたので良かったです。

――昨年は大きなケガがない中で好成績を上げました。ケガをしない重要さは身に染みて感じていると思います

 そうですね。きょねんはケガがあまりなくて良かったですし、ケガをするといいことはないので。ケガをしないというのは最低限やるべきことだと思います。

――そして迎えた駅伝シーズンでしたが、出雲を改めて振り返っていかがですか

 久々のレースということもあって少し感覚が鈍っていたのかなと思います。出雲は距離が短いので始めから飛ばさないといけないのですが、突っ込みすぎて入ってしまいました。僕はスピードよりも粘って走る方なので、反省することはありました。

――レース後のインタビューでは「前半はトレーニングの成果が出た」と話していましたが、どのようなトレーニングですか

 レース前にトレーナーの人に股関節の可動域とかを広げる運動をやってもらって、その後走ったら感覚的にですが良かったです。

――そのようなトレーニングをやると実際にタイムも上がりますか

 ことしはあまりレースに出ていないので分からないです(笑)。でも、軽く走れる感じがします。

――続く全日本では最終8区を任されました。レースを振り返っていかがですか

 少し後ろに駒大がいる状況でタスキをもらって、監督からも前を追っていこうと言われていました。しかし、前との差を全く埋められなくて、逆に後ろとの差を詰められてしまって、相手に元気を与えてしまいました。

――最後は粘り切れずに4位に転落してしまいました

 そうですね。レースの後、相楽監督からも自分が敗因だと言われました。本当に悔しかったです。

――最終区間である8区を言い渡されたのはいつですか

 いつも全日本の8区は出雲の後にすぐに発表があるので、ことしも同じ時期に言われました。

――実際にアンカーを告げられた時の心境はいかがでしたか

 井戸(浩貴、商3=兵庫・竜野)のあまり調子が良くなかったので、(8区を走ることも)あるかなとは思っていました。なので、少し予想できていたところもありました。

――重要区間ということで、緊張はありましたか

 昔は大きな大会になるとガチガチに緊張してしまっていたのですが、いまはあまり緊張することもなく走れます。いつもの練習通りにやれば大丈夫という感じで。全日本は少しみんなと別メニューをやったりもしたので、緊張は特になかったです。

――全日本の後はすぐに切り替えて練習に入れましたか

 大会の後は落ち込みそうだったのですが、レースの後に田口さん(大貴、平27スポ卒=現日立物流)から電話が来ました。「こういう結果だから心配していて」と言われて、「落ち込むなら箱根の後にしろ」とアドバイスもしてくれました。それがあったので、すぐに切り替えて練習することができて。本当に良かったです。

――田口選手は仲の良い先輩ですか

 いや、特にそういうわけでもないです(笑)。箱根で10区のエントリーを代わったくらいですね(笑)。面倒見のいい先輩でした。

――現在のチームで足りないところはどこだと思いますか

 少し緊張感が足りないのかなと思います。全日本の後にミーティングでもっと締めて練習していくということをチームで決めました。

――実際に練習の雰囲気は変わりましたか

 そうですね。緊張感を持ってやれていると思います。雰囲気も良いですし、練習でも先頭が毎回変わるようになりました。

――昨年は「総合力のチーム」と話されていましたが、ことしはどのようなチームですか

 ことしも総合力のチームというのは変わらないと思います。飛びぬけた人がいないので、一人でも抜けてしまうと勝つことが難しくなるので、しっかり僕もやっていきたいです。

「ことしは絶対に走りたい」

箱根でのリベンジを誓う

――昨年は10区にエントリーされながらも発走はなりませんでした。その時の心境を教えてください

 やはりずっとこの日に向けて準備をしていたので、すごく悔しかったです。

――エントリー変更を告げられたのはいつですか

 当日(1月3日)の朝に言われました。

――当日まではどのような走りをイメージしていましたか

 往路があまりうまくいかないところがありましたが、2位から5位くらいで混戦になると思っていました。10区は長い区間で、長い距離が得意なので、なんとかそこを抜け出して、大手町に帰ってこようと考えていました。

――1月3日は7区の武田凜太郎選手(スポ3=東京・早実)の応援に行かれたとお伺いしました

 そうですね。応援に行きました。

――同期が箱根路を走っている姿を見ていかがでしたか

 やっぱりいいなと思いました。走れなくてすごく悔しかったので。

――次こそは絶対走ろうと思った瞬間でもあったと思います

 そうですね。ことしは絶対に走りたいです。

――昨年はつなぎの選手として7、8区を走りたいと話していましたが、ことしはいかがですか

 ことしはいまのところ8区や10区といった距離の長い区間を想定して練習しています。長い距離を走るのが得意なので、そういうこともあるのかなと思います。

――最後に箱根に向けての目標を教えてください

 自分のいまできることを精一杯にやって、かつチームの総合優勝に貢献できるような走りをしたいです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 杉田陵也)

箱根への意気込みを書いていただきました

◆佐藤淳(さとう・じゅん)

1994年(平6)4月12日生まれのO型。168センチ、48キロ。愛知・明和高出身。スポーツ科学部3年。自己記録:5000メートル14分16秒38。1万メートル29分20秒04。ハーフマラソン1時間2分49秒。取材後、色紙に『今度は勝ちます』と目標を書いていただきました。同室で取材していた武田凜太郎選手(スポ3=東京・早実)に「自虐(笑)。」と冗談交じりで話されていましたが、箱根に対する思いは人一倍。区間エントリーされながらも走ることができなかった昨年の箱根、そして力を十分に発揮できなかった出雲、全日本の悔しさを新春の箱根にぶつけます!