【連載】『栄冠への走路』 第2回 永山博基

駅伝

ことしも全国から集った期待のルーキーたち。実力者が名を連ねる早大で、早くから台頭を見せたのは永山博基(スポ1=鹿児島実)であった。憧れの先輩・高田康暉駅伝主将(スポ4=鹿児島実)を追って歩を進めた新天地では、トラックで次々と自己記録を更新すると秋には順調に駅伝デビュー。次代のワセダを担うと目される新星は、初の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)を前に何を思うのか。

※この取材は12月1日に行われたものです。

ひるまずに挑もうという気持ち

丁寧に取材に応える永山

――上尾シティマラソンから2週間ほど経ちますが、現在の調子はいかがですか

 上尾ではコンディションを合わせられなかったというか、いい走りはできなかったです。それでもいまはしっかりと気持ちを立て直して集中練習に入って、良い練習ができています。

――お話に挙がった集中練習には初参加ですが、いかがですか

 箱根前の本当に伝統的な練習といった感じで、全日本大学駅伝対校選手権(全日本)などの前の練習とは違って雰囲気を感じます。

――早大に入って約8カ月となりますが、ここまでを一言で表すと

 そうですね、楽しいですね。

――それではまずことしのことを伺う前に大学に入る前のことなどを少しお聞きしたいのですが、陸上を始めたのはいつで何かきっかけがあったのでしょうか

 小学校高学年くらいからけっこう地方のマラソン大会に家族とかで出ていて、それをきっかけにという感じです。

――ご家族が走ることが好きな一家だったのでしょうか

特に陸上をしていたというわけではないのですけれど、僕が好きだったのでけっこう連れて行ってもらっていました。

――何か陸上以外に他のスポーツの経験はありますか

  ちょっとはやっていたのですけれど、ほとんど陸上です。

――高校は名門・鹿児島実で1年目から活躍されていましたが、高校時代で一番印象に残っているレースというのは何かありますか

 たくさんあるのですけれど、3年目のインターハイがかかった南九州大会ですね。故障明けだったのでインターハイはちょっと厳しいかなと思っていたのですけれど、ギリギリの6着で通過できたことがすごくうれしかったということが一番です。

――高校に入られたときには卒業後のことはどのようにイメージされていましたか

  大学に入って駅伝をやっていこうと思っていました。

――高校の先輩や同期が多く関東の大学にいらっしゃいますが、いまも連絡を取り合ったり仲良くしている人はどなたかいらっしゃいますか

 全体的にみんなと連絡を取っていて、そういったメンバーで食事に行ったりもしています。

――身近な選手がいろいろな大学で活躍する中、永山選手がこの早大を志望した理由を教えてください

 いまの4年生に高田さんもいて、憧れもありましたし、先輩からワセダの話を聞いたりしてずっとここで競技がしたいなと思っていました。

――今、先輩として高田選手の名前が出ましたが、受験前や合格後など何か声をかけられたり、アドバイスをもらったりということはありましたか

 結構定期的に連絡とかは下さっていて、年間を通してレースなどのアドバイスもいただきました。

――入学後は一緒に練習や生活をしているわけですが、永山選手から見て高田選手はどのような先輩であり、どのような選手だと思いますか

 先輩としては経験とかも豊富にあってアドバイスもすごくためになるものというか重要なことを教えてくれますし。選手としてはすごく競技に対する意識が高いというか、とてもストイックなので見習うといいますか、真似したいなと思っています。

――次に早大の同期のことをお聞きしますが、ことしの1年生は他の学年と比べてどのような代だと思いますか

 先輩たちも仲はよさそうなのですが、自分たちもそれなりに仲のいい学年なのかなと思います。

――その中で入学以前から面識や話したことなどがあった選手はどなたかいらっしゃったのでしょうか

 いや、ほとんどいなかったですね。名前は知っていたのですけれど。

――先ほどは高校の方とご飯に行くといったお話がありましたが、大学の同期ともそういったことはありますか

 よくありますね。

――ここまで永山選手はAチームにいて同期の選手とは練習を共にすることは多くなかったと思いますが、Aでの経験を同期に話されたりということはあるのですか

 あまりそういった話はしないですね。

――同級生という点ではここに来て車田颯選手(スポ1=福島・学法石川)が好成績を挙げられてきていますが

 ずっと故障をしていて苦労していたと思うのですけれど、記録も出してきて彼もストイックにまじめにこつこつするタイプなので、これからも一緒に頑張っていきたいです。

――やはり同級生の活躍は刺激になりますか

 そうですね、同級生は特に刺激になりますね。

――それでは今季の競技のことを振り返っていただきたいのですが、大学でのデビュー戦となった平成国際大長距離競技会ではいきなり自己ベストを更新されましたが、大学での初戦ということで緊張もあったのではないですか

 少しはあったのですけれど、それほどは緊張していませんでした。練習もずっと積めていたので予定通りの走りができたと思います。

――大学のレースを戦ってみて高校でのレースとの違いなど何か印象に残ったことはありましたか

 特にはなかったのですけれど、やはり高校の時にやっていたペースと比べれば高く速いので、それなりの練習や準備の必要性は感じました。

――5月の関東学生対校選手権(関カレ)で初めてエンジを身にまといましたが、その時の思いというのは

 初めてのエンジがあのような舞台かつメンバーも箱根で活躍しているような先輩方や選手がたくさんいる中ではあったのですけれど、ひるまずに挑もうという気持ちでいい経験ができたなと思います。

――関カレ男子5000メートルでは3戦続けての自己新記録で13分台をマークされましたが、トップクラスの選手の中でも結果を出せたことには手応えがあったのではないですか

 そうですね、結構手応えをつかむことができました。

――初の13分台を記録しましたが、振り返って何がよかったと感じていますか

 レースの流れでそのまま行ってしまったという感じなのですけれど、中盤中だるみするところがありました。なので来年はそういったところをもっと攻めて行けば、まだまだ記録が出るのではないかなと感じています。

――またこのレースは高田選手と共に走られましたが、その点も永山選手にとってはうれしい点の1つだったのではないですか

 アドバイスをいただいたり共に生活をしている高田さんがいることで安心して臨むことができました。

――その後の全日本大学駅伝対校選手権関東学生連盟推薦校選考会では8人のメンバーに入って2組で4位という結果を残されましたが、駅伝がかかったレースということでいつもと違うプレッシャーや重さがあったのではないですか

 1人もミスが許されないような状況だったのですけれど、先輩方にリラックスして走れよみたいなアドバイスをいただいたので、メンバーに入ったのだから自分の走りをしようと思っていました。

――この時に8人のメンバーに選ばれたことに関してはどのように捉えられていましたか

 素直にうれしい気持ちもあったのですけれど、入ったからには結果を残さないといけないなと思っていました。

――7月のホクレンディスタンスチャレンジでは1万メートルのベストも更新されましたが、29分19秒68という現状の数字に関してはどのように考えていますか

 ホクレンも5000メートルか1万メートルかどちらに出場するか迷ったときもあったのですけれど、その後を見据えて1万メートルに決めて7月の段階ではあれが精一杯だったのかなと思います。

――上半期のトラックシーズンは5000メートルでの13分台に1万メートルでも自己ベストという結果でしたが、改めて1年目のトラックシーズンを振り返るとどのような印象を持たれていますか

  トラックシーズンは自己ベストを大幅に更新できたので、まずまずのスタートが切れたのかなと思いました。

――2年目のトラックでの目標として何か考えているものはありますか

 来年は5000メートルをメインでやりたいなと考えていて、13分50秒を切るようなところを目標にやっていきたいなと思っています。

――5000メートルをメインでやっていきたいと思ったきっかけは何かあったのですか

 1万メートルも走りたい気持ちはあるのですけれど、ことし関カレで5000メートルを走って来年はもっと上に行きたいなと思ったので、個人的には来年も5000メートルで、と思っています。

――先ほど言われた13分50秒切りの目標へ、現時点で思う課題や修正点は何かありますか

 いまは駅伝に向けてやっているのでなんとも言えないのですけれど、やはり3月などの早い段階から切り替えをして準備をしていきたいなと思います。

チャンスをしっかり生かす

――トラックシーズンを終えられ大学初の夏合宿に入られましたが、大学の夏合宿はいかがでしたか

 かなり充実していました。

――具体的にはどのような点でしょうか

 練習もほとんどミスなくこなすことができて、生活の面でも競技のための時間をずっと多く作ることができたので、すごくいい合宿になりました。

――やはり日常行っている練習とは密度なども違うものなのですか

 環境なども変わって気持ちも新たに、いい感じでできました。

――3次合宿の岩手では腹痛のため3日目くらいからほぼ練習ができなかったと以前お話されていましたが、そのことで合宿に不完全燃焼の思いも少しあるのではないですか

 最後の最後のところで腹痛で3次の後半はほとんど練習ができなかったので、そこは不完全燃焼というか悔しいという思いがあります。

――最後の最後を乗り換えられなかったということで、その時期には駅伝シーズンへの不安を感じることもあったのでは

 その影響もあって出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)は走れずに悔しい思いもあったのですけれど、気持ちは切り替えて全日本に向けてやっていこうと思い、不安というよりかは次に向けて頑張ろうといった感じでした。

――エントリーこそされながら出走はかなわなかった出雲はどちらでレースをご覧になったのですか

 エントリーはされていたのですけれど、もともと走らないことになっていたので寮の部屋のテレビで見ていました。

――率直に画面を通して仲間のレースを見たことでどのような思いを抱かれましたか

  走りたいという思いがありましたし、チームとしても不完全燃焼のところもあったので、全日本では自分もしっかりと走ってチームに貢献したいなと思いました。

――そんな中で3週間後の全日本では見事に駅伝デビューを果たされましたが、正式に出走を伝えられたのはいつだったのですか

 本当に直前でした。

――その時の思いというのはいかがでしたか

 練習も順調にできていたので、このチャンスをしっかり生かそうと思いました。

――出雲を走れずに終えてから全日本まで練習の際の意識なども変わったのではないですか

 チームとしてもかなり気を引き締めてやっていこうと言っていて、自分ももっと厳しくやっていこうと思い練習を行ってきました。

――実際に走る前には監督からどのような指示やアドバイスがあったのでしょうか

 7区というつなぎの区間ではあるのですけれど、勝負をかけている区間でもあるから区間賞を目指して欲しいというようなことを言ってもらいました。

――当日は高田選手が付き添いだったとのことですが、レース前など何か言葉をかけていただいたりしましたか

 自分が走ると決まってから高田さんが付き添いをしてくれることになり安心して臨めましたし、気楽に走ってくれみたいな感じで言ってくれたので心に余裕を持って臨めました。

――先ほどからお話を聞く中で永山選手はあまり緊張はしないのかな、というように感じるのですが緊張はあまりしないタイプなのでしょうか

 練習がきちんとできていれば緊張はあるのですけれど、わくわくの方が大きいのかなと思います。

――初の駅伝は3位でタスキを受けましたが、それまでのレースはどのようにご覧になっていましたか

  優勝を目指してやっていて1区で好スタートを切ったので良い流れで来ると思い、それをさらに勢い付けるような走りができたらいいなと思っていました。

――前の青学大とは1分31秒差、一方で後ろの駒大とはわずかに14秒差でしたが、前後との距離や時間差はどのように捉えていましたか

  前はかなり間が開いていて見えない位置にいたんですけれど、前を追っていくつもりでした。特に後ろは数十秒差ではあったのですけれど、後ろを気にし過ぎず前だけを見ていきました。

――タスキをもらう瞬間、前の走者の井戸浩貴選手(商3=兵庫・龍野)から何か言葉などかけられたりしましたか

 あまり覚えていないのですけれど、背中を押されて思いは伝わりました。

――レースは終始単独走となりましたが、その点に関してはいかがでしたか

 苦手ではないのですけれど、前半少し飛ばしすぎて後半思うように粘ることができなかったので、ちょっと反省かなと思います。

――永山選手は今回のような単独走と集団走どちらの方が得意なのでしょうか

 どちらも苦手でも得意でもないですね。

――また別の話ではあるのですが、トラックとロードを比較すると永山選手はどちらが得意ですか

 もともとロードが好きでロードが向いているのかなと思っていたのですけれど、案外上半期トラックで結果が残せたので少し複雑なところです。

――走っている途中でタイム差などの情報は入っていたのでしょうか

 ほとんどなくて、前との差などは全然分からなかったですね。

――逆に後ろを離していたということもですか

 分からなかったのですけれど、応援とかが後ろには聞こえなかったので離れているのかなと思っていました。

――走りという点では永山選手には攻めの走り、前で勝負をしていくという印象がありますが、ご自身で意識している点は何かあるのでしょうか

 そういった走りを目指しているので、速いペースで押していって後半も粘っていけるような走りができたらなと思っています。

――7区のコースの最後にはアップダウンがありましたが、そこに関してはどうでしたか

 実際に走っていてコースをしっかりと確認したわけではないので、高低差はきちんとはわからなかったのですけれど、気持ちで走りました。

――走り終えられた直後の思いというのはどのようなものでしたか

 まずは無事にタスキを渡せてよかったという思いです。

――時間を置いていま、全日本のご自身の走りを振り返られるとどのような評価をされますか

 区間賞を目指していたのに取れなかったり、タイム的にも目標には届かなくて、レースとしても納得のいく走りができなくてすごく不完全燃焼感があったかなと思います。

活躍したいと思って見ていた

全日本では7区区間2位の好成績を残した

――いよいよ箱根まで約1カ月となりましたが、現在のチームの雰囲気はいかがですか

 集中練習が始まって戦う雰囲気になってきたのかなと感じます。

――大学入学前の箱根へ対するイメージや憧れといったものはいかがでしたか

 いつもテレビで見ていてすごい大きな大会、大舞台だなと思っていました。その半面で来年からは絶対に走って活躍したいなとも思って見ていました。

――これまでのレースや駅伝と比べて、箱根は迎える前の心境として何か違いはありますか

 やはり記録会や全日本もそうでしたけど、特に駅伝は応援がすごくて沿道にも多くの人が来ますし、そういったところからも規模の大きさというのは感じます。

――沿道の応援は耳に入るものですか

 そうですね、全日本のときも気がつきました。

――全日本にはご家族は応援にいらしていたのですか

 いましたね。祖父もいたのですけれど、気づきました。

――箱根もいらっしゃるのですか

 その予定です。

――箱根では1区間約20キロとなる訳ですが、この20キロという距離に関してはどのように考えられていますか

 上尾で20キロという距離を体験して、あの時も1週間前に調子といいますか体調を崩して万全では臨むことができなくて出場も迷ったのですが、箱根に向けてこういう距離でも結果を出したいなと思って出たので、そういった意味でも上尾の経験は生きていて、これから先集中練習も経験していけば距離の面は大丈夫かなと思っています。

――好調とは言えない中で出場した上尾シティマラソンで得た収穫と課題は何ですか

 練習ができていない状態だったのですけれど、その中でも前半はいけるだけいってみようと思って、そこから後半どれだけきついかということを体感できたことはこれから集中練習で克服していく点で、前半突っ込めたことは箱根に向けてもよかったと思います。

――箱根は10区間ありますが、現在と将来的に走ってみたい区間はどこかありますか

 将来的には1区や2区、3区といった区間で区間賞を取るくらいの力をつけて戦いたいなと思っています。

――ことしご自身が走るとすればどこかといった予想はあったりしますか

 そこはまだわからないのですけれど、4区であったり8区などはありえるとすればそこかなと思っています。ただそこは相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)が決められたところでしっかり仕事をしたいなと思います。

――箱根といえば特殊区間といえる5区や6区は注目されるポイントの1つですが、ご自身に山の適正を感じたりはしませんか

  走ったこともないですしわからないですけれど、きっと無理だろうなと思います。

――箱根を前に他大でどなたか意識する選手はいらっしゃいますか

  同級生である1年生は結構他の大学で活躍していて気になりますね。

――その中でも特に、といった選手はどなたかいらっしゃいますか

 明治大の坂口裕之は年間通して昔からずっと強いですし、順天堂の塩尻和也に東海の湊谷春紀もここ最近ずっといい記録で走っているので意識していますね。

――ここまでの8カ月間でご自身で最も成長した、変わったと思う点はどのようなものが浮かびますか

  高校から大学と環境に生活のリズムも変わったのですけれど、その中で高校も競技にすごく打ち込める環境ではあったのですけれど大学ではさらにできているという感じです。

――いまの自らの持ち味、アピールポイントというのはどのようなものだと思いますか

 安定して確実に走れるところだと思います。

――初めての箱根を前に早大におけるご自身の役割は何だと考えていますか

 チームで全員駅伝ということを言っています。一人一人が主役といいますか、しっかり自分もその一員としてつなぐということです。

――個人、チームとしての目標を聞かせてください

 箱根優勝とずっと言ってきてやってきているので、個人としてもそれに見合った走りをしなければいけないなと思います。

――最後に箱根への意気込みをお願いします

 初めての箱根駅伝ではあるのですけれど、しっかりと自分の走りをして優勝に貢献できるようにしたいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 三井田雄一)

箱根への意気込みを書いていただきました

◆永山博基(ながやま・ひろき)

1996年(平8)7月20日生まれのB型。168センチ、50キロ。鹿児島実高出身。自己記録:5000メートル13分58秒81。1万メートル29分19秒68。ハーフマラソン1時間5分44秒。大学に入り上京した今も母校の仲間とのつながりを大切にしている永山選手。取材の前日も大東大の北村一摩選手や明大の田中龍太選手とご飯に行ったとのこと。特に同級生である田中選手はレース前にも連絡を取り合うよき友人ではありますが、走り出したら話は別。勝ちは絶対に譲りません