第1回で特集するのはマネージャーである山下尋矢主務(スポ4=静岡・浜松西)と江口卓弥副務(スポ3=愛知・明和)。陰ながら部を支える二人へ、東京箱根間往復大学駅伝(箱根)を前に抱く思いを伺った。
※この取材は12月1日に行われたものです。
やりがいと誇り
冷静に今シーズンを振り返る山下主務
――陸上競技を始めたきっかけを教えてください
山下 元々小中とサッカーをやっていました。よくあると思うのですが、中学校の駅伝大会のためにいろんな部活から寄せ集めでチームを組んでいて。僕もそういう学校にいて、中1から駅伝大会に出させてもらっていました。当時は体が細かったので(笑)、サッカーより陸上の長距離の方が上を目指せるのかなと思い、高校に上がるときに陸上に転向しました。
江口 僕は全日本(全日本大学駅伝対校選手権)の1区のラスト1キロ地点くらいに実家があって、小学校くらいからずっと応援していたのですが、その影響が一番強いと思います。小学校、中学校とサッカー部には在籍はしていたのですが、長距離走は速かったので、山下さんと同じく寄せ集めのようなチームで駅伝に参加して、高校から真剣に陸上を始めたかたちです。
――早大に進学した理由は
山下 僕は江口と違って正直あんまり陸上とか見ていなくて。箱根を見たのは、ワセダが三冠したときがちょうど初めてくらいでした。高校に上がって陸上を始めたときも全然大学で続けようなんて思っていなくて、なんとなくで始めた感じでした。ワセダが勉強できるのは元々知っていたのですが、出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)と全日本と箱根と全部勝っているところを見て、これはすごいぞと思って(笑)。(早大進学を考え)そこからですね。みんなよりはワセダ愛の歴史は浅いかもしれないです。
江口 僕は「大学で陸上を続けたいなら、早稲田大学か明治大学しか許さないよ」と母に言われていて、元から赤い色が好きだったのもあって(笑)、ワセダを目指しました。赤い色が好きだったのもあったのかもしれないんですが、その先はワセダしか見ていなくて、受験もワセダしか受けていなくて。一浪しちゃったんですけど、次も同じようなかたちで頑張って、何とかいまここにいるような感じになりました。すごいドラマチックなことがある訳ではないんですが(笑)。
――お二人共スポーツ科学部ですが、学部を選んだ理由はありますか
山下 僕の場合はワセダに行こうと思い、高2のときに早稲田キャンパスと所沢キャンパスのオープンキャンパスに行きました。そのとき、いまゼミで所属している川上先生の研究を紹介するブースがあって、アキレスけんについての研究に惹かれて、競技にも生かせるしその研究がしたいなと思って。なのでスポ科しか受けてなかったです。他受けても受かるかわかんなかったし(笑)。
江口 僕は大学で陸上をしたかったので、スポーツ科学部が一番直結するかなということがあったのと、あと法学部とか政治経済とか面白いのかなっていうのが自分の中にあって(笑)。小学校から体育は得意だったので、せっかくだからスポーツに関連したことを学びながら、実際に競技をしたいなと思って。それが実現できるのがスポーツ科学部で、最高だなと思い選びました。
――お二人はゼミでどのような研究をされていますか
山下 僕はさっき言ったアキレスけんについて研究しています。卒論はうちの長距離の選手に手伝ってもらって、アキレスけんの硬さが長距離の練習にどのように生かせるかということをやっています。
江口 僕はちょっと何を研究しているかと聞かれるとわからないんですけど、一応スポーツビジネスという分野にいて、スポーツを切り口にいろんな分野を学ぼうというスタンスのゼミにいます。毎週プレゼンがあるのですが、スポーツを切り口に選挙やオリンピック・パラリンピックだったり、障がい者スポーツ、エネルギーや車など幅広い分野を研究しています。周りの意識がすごく高く、プレゼンも毎回順位が付けられるということもあって、真剣に勉強しています。
――選手時代にはどういった目標を掲げられていましたか
山下 正直自分が入ったときの実力だと世界大会を目指そうなどというレベルではなかったので。こんなこと言ったらいまは怒られると思うけど(笑)、入ったときはインカレとか、箱根をはじめとする三大駅伝に出て、まずはエンジを着たいというのが強かったですね。
江口 僕も似た感じでしたね。最初はエンジが着たかったです。僕は高校のころから3000メートル障害をやっていて、しかも早稲田大学は3000メートル障害に力を入れている大学ではないので、僕はそこで走りたいなとは思っていましたが、なかなかうまくいかなかったですね(笑)。
――いまも選手と一緒に走られますか
山下 たまに(笑)。
江口 朝練で僕もたまにくらいです。市民ランナー程度です。
――マネージャー転向の経緯はどういったものでしたか
山下 男子マネージャーは入学時には取っていなくて、毎年その学年が2年生に上がるときに、4年生になったときの主務になる人を学年の話し合いがメインで選ぶ流れがあります。僕もその流れの中でなったのですが、(主務に)なった理由が2つありました。1つは僕が1年生だったときの主務の卯木さん(卯木研也氏、平26スポ卒)がプラスの意味ですが、強烈な印象があって。主将と同じくらいか、もしくは主将以上にチームを引っ張っていたり、チームへの影響力がすごくて。でも逆に僕みたいにBチームで入った下級生にも細かいアドバイスをくれたりということがありました。もちろん高校生のときはこういう主務という立場があることは知らなかったんですが、こういう立場でチームを結果に結びつけるような働きかけができるんだなと思ったのが1つです。もう1つは正直やっぱりみんな選手で入ったのでマネージャーはやりたくないじゃないですか。正直走りたいのが一番なので。でも学年で話をしていく中で、周りの同期の陸上競技に対する思いは、正直自分より強いかなと思って。みんなの陸上に対する思いを踏みにじってまで自分が続けるよりは、支える立場の方が向いているのかもしれないかな、と。本当に向いているかどうかはわかりませんが(笑)。そのときはそう思っていました。
江口 僕も山下さんに近いものがあります。僕はケガが多くて走れない日々が続いて、指導陣からも「マネージャーやらないか」と結構言われてはいました。そのときそう言われて何を考えていたかなといま思い返すと、やっぱり選手だったら大迫さん(大迫傑、平27スポ卒=現ナイキ・オレゴン・プロジェクト)やディーンさん(ディーン元気、平27スポ卒=現ミズノ)とか、そういう選手は部を卒業しても「あの人はすごかった」とか、伝説じゃないですけど、いろんな話が後々までされるじゃないですか。ただその次とか、それに匹敵するくらいお話を多く聞いたのが福島さん(福島翔太氏、平25スポ卒)や卯木さんなどの、マネージャーさんや主務だったので、どうせやるならそういう立場になりたいなと思ったのが本音です。確かに自分の願望だけで言ったらそのままダラダラ走り続けてて(競技で上を目指せる)チャンスがあるなら狙う、というものを求めたかったですが、やっぱりそういうことを言っていられるような部ではないので。自分が(部に)プラスになれるのならばと思ったのが自分がマネージャーになった経緯ですかね。
――お二人とも、福島さんや卯木さんなどの印象があったからマネージャーを選ばれたという一因があったのでしょうか
山下 そうですね。
江口 はい。高校時代にマネージャーと聞いたら『雑用』というイメージだったのですが、ここではやっぱりそうではないので。いろんな人の間に入っていろんなことをして、いなきゃダメな存在であることは本当に事実で、すごいなと思って僕は選びました。
――マネージャーに転向するとき、OBなどに相談はされましたか
山下 僕は全然ワセダにつながりがなくて、自分の高校から競走部に入るような先輩もいなかったので全然ですね。
江口 僕も相談とかはしていないですね。親にもあまり言ってなくて、決まってから「(マネージャーに)なっちゃった」みたいに言った感じです(笑)。
――ではマネージャーに転向されてから、歴代のマネージャーに相談されたりなどつながりはありますか
山下 それはありますね。そんなにしょっちゅうって訳ではないですが、節々でお会いしています。
――マネージャーの仕事は具体的にどのようなものですか
山下 就活でよくこういうの聞かれるんですよ(笑)。いろいろあり過ぎて言えないというか。グラウンドに行ったら選手のタイムを測ったり、道具を準備したりという一般的なマネージャーとしての仕事もあれば、外のメディアの方やOBの方とつながりを保ったり、監督(相楽豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)やコーチ(駒野亮太長距離コーチ、平20教卒=東京・早実)と選手をつないだりということはありますが、どんどんいろんなことが入ってくるので、パッとはなかなか…(笑)。
江口 言えないですよね。
山下 難しいよね。
江口 人に話すと「マネージャーってそんなことなの?」というような反応が返ってくるときがあるんですけど。でも僕たちは常にいろんなことに追われていると言いますか、駅伝の下見など常に予定が入っているので、小さなことが連なっているのかなとは思います。一つ一つの仕事は普通にできるんですけど、それが積み重なっていくと「あしたは試合の帯同だし、その次は車を出して駅伝の下見だし…」というようなことな多いですね。
――主務、副務と役職の名前は分かれていますが、仕事もそれぞれ分かれていますか
山下 (江口が)次の代の主務をやるので、そんなに分かれてはいないですね。僕が入ってきた仕事をみんなに分けてます。ただ僕が仕事を振るのがちょっと苦手だったので(笑)、最初はうまくできなかったです。いまはどっちが何をやると決めるというより、いろいろな仕事がガンガン入ってくるので、臨機応変にその都度対応しています。
江口 結構流れですよね。二人とも相楽さんがおっしゃったことを聞いているので、その場でなんとなく決まることが多いですね。簡単なアイコンタクトとかで、「あ、僕がやるんだ」みたいな(笑)。
山下 確かに、それはあるかもしれないね。暗黙の了解みたいな。
江口 そこにいなきゃわからないみたいな雰囲気ですかね。あまり仕事で「あれをやれ」とか言われることはないんですよ。その場にいて、相楽さんが喋った雰囲気とかで、これは僕の仕事だなといつも勝手にやっている感じです。
――転向する前、マネージャーに抱いていたイメージとは
山下 個人的には大学に入ったときに、同じマネージャーという言葉でも一気にイメージが変わりました。明らかに大学の方が大変そうだなと。
江口 いま高校でマネージャーやっている方には申し訳ないのですが、正直よくやるなあというイメージでした(笑)。でも大学のマネージャーは格好良いですよね。
山下 そう!格好良いよね。
江口 下(の学年)から見てて、格好良いんですよ。だから(マネージャーに)なろうと思えました。
山下 そうそう。一般的な雑用と思われるのはちょっとね、違うよね(笑)。
江口 意外と選手の中にもそう思っている人がいるんですけど、僕たちは一歩引いた立場から見ているので、「何言ってんだか」と思って見ているんですけど(笑)。
山下 やりがいもあるし、誇りもあるしね。
江口 そうですね。いなければ本当に何もできないと思うので。頑張ってやってます。
――お互いの印象は
山下 副務までの段階だったら、3年生以下はある程度先輩たちのサポートや選手のサポートがメインでやって良いと思います。それが4年でやる主務の段階になってくると、さっきも言ったように外の窓口になっているのは主務なので、副務も含めた他のマネージャーなどチーム内に広げる仕事をしなきゃいけないと思っています。なので主務に向いているのは江口かもしれないです(笑)。主務はやっぱりリーダー的な意味合いもあると思います。4年目になって本当に思うのは、個人的にはいろんな人に言われたことをやるのは簡単ですが…、なんだろうな。
江口 確かに山下さんは下を使うのが下手なんですよ(笑)。
山下 そうそう下手(笑)。本当にそれは思う、自分で(笑)。良く言えば優しいと言うか(笑)、「これやってね」って言いづらいというか。
江口 山下さんは自分でやった方が早いって思っちゃうんですよね。説明するのが面倒くさいと言うか。
山下 でも下にやらせないと結局自分じゃキャパオーバーになるし、後輩も育たないしというのはありますね。そういう面では江口の方がうまいと思います。
江口 確かに変な話ですが、僕は常々どうしたら楽をできるかということを考えているので(笑)。僕は元から先輩後輩という意識があまりないと言いますか、結構みんなと仲良くなれてしまうタイプかなと思います。先輩の前で言うのもまた変な話ですが(笑)。後輩とも結構仲が良いので、(たわいもないことを)話しながら「これをやってほしい」と言えるので。ただ山下さんは自分でバーってやっててもかたちにしてくるのが早いというか。
山下 (笑)。
江口 自分の中で溜め込むんですけど、それはいつの間にかちゃんと終わってるんですよ。それはすごいと思います。
山下 終わらないときもあったけどね(笑)。
――目指しているマネージャー像はありますか
山下 福島さんは被っていないので卯木さんから下の3人しか主務の先輩は直接被っていないのですが、みんなやっぱり一長一短というか、尊敬できるところもあれば「もっとこうしたら良いんじゃないかな」って思うこともあって。ちょっと僕もなかなか言えたもんじゃないんですが(笑)。でもやっぱりこう思ったりすることはあるので、誰だと言うよりは、先輩の組み合わせで自分の中にはぼんやりと持っています。
江口 僕も誰だというのはないのですが、やっぱりいろんな人の間に入れる人になりたいなと常々考えていて。目の前の仕事をやるのはもちろんなんですけど、それぞれの選手と関わっていたいなと思います。いるだけだったら誰でもできるので。できれば選手の成績が僕たちのおかげで(伸びる)って考えたらただの思い上がりかもしれないのですが、でも僕たちが何かをすることによってその選手の成績が上がることにつながるんだったら、ということを考えながら、そうなれたら良いなと思うんですけど、でも実際いまは目の前のやることで精一杯ということがあります。
山下 そうなんだよね。結局は自分が4年生のときに、インカレとか駅伝が何位だったか、最後結果を残したかどうかが自分たち主務の評価じゃないかなと思います。僕の場合はあと1カ月ですが(笑)、10位だったら10位のマネージャーだし、1位だったら一番のマネージャーだなと。
江口 そういうこともあって、3年生のときに主務だったのに三冠をもぎ取った福島さんはすごいなと。いろんな監督が言うように、『主務力』っていうのがきっとあるのかなと思ってますよね。
山下 思ってます。
江口 それで自分ならどうできるかということを考えてはいるのですが、やっぱりなかなか難しいなと思います。口で言えば良いっていう単純な問題ではないので…。
――マネージャーをやる上でのやりがいや、うれしかったことはありますか
山下 やっぱり一番うれしいのはくさいけど、大きい試合でも小さい試合でも選手が良い順位で走ったり、自己ベスト出したりというときはやっぱりアツいよね。アツくなるよね(笑)。
江口 そうですね。具体的な名前を挙げてしまうと4年生の木村賢太さん(スポ4=大分・杵築)と結構仲が良くて。僕は計測のためにポツンと孤立した位置で声を出していることが多いのですが、木村さんとかはゴールした後に僕の方を向いて手を振ってくれたりするので、そういうのはやっぱり存在として見てくれているんだなと感じられるので、やっぱりうれしいですね。
――反対にマネージャーをする上で大変なことや苦しいことはありますか
山下 仕事が多いというよりは…。
江口 (仕事を)溜めるんですか(笑)?
山下 いや(笑)。仕事うんぬんというより自分がやっていることが正しいのかなと、(仕事が)大変だなというよりは不安だなとよく思います。選手に対するアプローチもそうだし、マネージャーの仕事を割り振ることもそうだし、いろいろ自信をなくすこともありますね。
江口 確かに、それをして本当に選手のためになるのかどうかということはあります。甘やかすことも必要だと思いますが、厳しいこともときには言わなきゃいけないので。ただその厳しいことが選手にプラスになるのかということはまた別ですし、甘やかすことがプラスになるのかも別ですし…。どこまで全部やってあげちゃえば良いのか…。
山下 そこの線引きがね。選手からしたら「これはマネージャーがやるべきこと」と思ってるかもしれませんが、マネージャーからしたら選手が自立するために「自分でやらなきゃダメでしょ」って思いますし…。たまに(二人で)こそこそ言ってます(笑)。
江口 安定して走る選手はやっぱり自分でちゃんと見て、自分で準備ができるんですよ。「なんであいつがやれているのに、あの人より弱いお前がそれをやらずに、女子マネージャーさんとかに言っているんだろう」と結構思うところがあって。
山下 それを言うか言わないかっていう基準がすごく難しいラインだよね。
江口 でも女子マネージャーさんたちはなかなか言えないじゃないですか。それを言うとしたら僕たちなんですけど、ただ言い方として元から引き継いできているので、「そこは違うだろ」って言うこともまた違うのかなって思ったり。そういうところの線引きというのは難しいですね。
――よくそういうことをお二人で話し合われているのですか
江口 話し合うというより、まずは愚痴から始まるんですよ、試合の帰りとかに(笑)。もちろん最初は「きょう高田さん(康暉駅伝主将、スポ4=鹿児島実)すごい良かったなあ」とかなんですけど、だんだん「けどあいつなんだよ」とか話題が進んでいって(笑)。「あんなこと言ってるからなんだよ」みたいな愚痴もあります。
山下 選手に対する文句という訳ではないですが、結局大きい大会になればなるほどマネージャーなんかいなくなるじゃないですか。それこそ国際大会レベルになったら一人で全部やらなきゃいけないし。変な話、上から目線かもしれないですが、そういうときのことを考えたらやっぱりある程度は、それはもちろん監督やコーチ陣も言ってますが、自立というのは一人のアスリートとしてしてほしいなとは、生意気ながら思っています(笑)。
江口 結局はちゃんと走ってほしいという思いが根本にはあるんですよね。「あいつが走れなかったな」と言うのも期待の裏返しと言いますか。もっと走ると思ってたからこそそういう気持ちが出てきてしまうので。もっと走るために足りなかったことと言えば、そういう身の回りのこととかが当てはまってくるのかなとは思うんです。だからそういうのは結構話すというか、難しいことだなと常々思っています。
――マネージャーになってから、新たに気付いたことはありますか
山下 あるよね〜(笑)。
江口 パッと言わなきゃいけないとなると難しいんですよね、たくさんあるんですよ(笑)!
山下 もしもう一回体重落として(笑)、競技やったらもっと走れるなと。選手のときにああすれば良かったこうすれば良かったっていうことはすごく出てきます。でもそのことを選手に伝えられるのはこういう立場になった人間だけだと思うので。女子マネージャーともまた違うし、選手もやってマネージャーもやって、っていうのは僕らだけなので、と思いながら…らいねんは頑張ってくれ(笑)。まだあと1カ月頑張るけど(笑)。
江口 でも自分たちって何ができるんですかね本当に。選手をやっているときは自分の中からの視点で物を見るじゃないですか。自分の中からの視点であの選手が速いとか思ったり。ただ僕たちは走っているのを見るのも集団として見たり、「あの選手のあの走りだと…」と考えたり、自分が走ってたとき以上にピッチ走法やストライド走法などの差がわかるというか。「もっとこういうトレーニングをしたら、あいつはもっと良くなるんじゃないかな」っていうことがわかってくるんですよ。ただそれは自分が選手だったときは周りに思われてたんだろうけど、気付けないというか。
山下 そう、気付けないんだよね。まとめると客観的に見ることの大切さを知った、って感じかな(笑)。
江口 そうですね。僕たちは顔が見えなくても走っているフォームを見て誰なのかわかりますし、そのくらい目に焼き付いていると言いますか。だから走りが崩れたらすぐわかりますし。これも一つの具体例でしかないので、まだまだたくさんありますよね。
山下 難しいけど、せっかく短距離も中距離も投てきもいて、レベルが高い選手がたくさんいるので、もうちょっと周りを見ても良いのかなって思います。
江口 ブロック間のつながりをもっと持ったほうか良いんじゃないのかなっていうのは思いますね。僕たちは短距離も中距離も投てきも跳躍も、全部のブロックの間にいるので、カベがないと言いますか。やっぱり短距離ブロックと長距離ブロックの中にはあるので、そういうところをもっとスッと行けば良いのになとは思いますね。
――マネージャーとして心掛けていることはありますか
山下 一番は(選手の)言葉と行動のギャップを見極めることですかね。。いまは集中練習に入って練習も増えているのですが、「やれます、大丈夫です」と言う反面、別のところでは不安そうな言動や行動が表れていたりするときがあります。そういうのを見抜いて、時と場合によっては監督やコーチに伝えたり。なので言葉はすごく大切にしています。
江口 僕は長距離も短距離も見ているのですが、選手が何かを変えたというときに、たまにマネージャーに「ここ変えたんだけどどう思う?」と聞きに来ることがあります。それに自分から気付いていないことがないようにするということをすごく心掛けています。多分それを聞いて来た選手に、「ああこいつは気付かなかったんだな」と思われてしまったら、次からはそういったアプローチをしてくることはなくなって、その選手から信頼を失うかもしれないと思います。山下さんからもありましたが、僕たちは雑用するマネージャーだとは思っていないので、選手に、競技につながることをするためにどうすれば良いかということを考えています。僕なんかがそういうことを心掛けて(選手に)プラスになるかはやっぱりわかりませんが、女子マネージャーさんがよく計測をするのですが、そういうことが円滑に進むように保険を掛けておくということもやっています。例えば1年生の女子マネージャーが計測に入ったとき、スタートに合わせて自分もスタートボタンを押したり。失敗しても大丈夫なようにということは考えていますね。
――理想の4年生像はありますか
江口 学年間のつながりが深いのが理想なのではないかなと思います。ただ、それはやはり良いことと悪いこととの表裏一体で、あまり馴れ馴れしいのがまかり通ってしまうと厳しいことも言えなくなるし、威厳というものもなくなってくると思うので、そのさじ加減が一番難しいと思います。ですが、少なからず仲は良くないと下からの意見や、上から出す意見も聞いてもらえなくなってしまうので。下をちゃんとみているというか、口だけではだめですし、行動が伴った上で下と仲の良い学年というのが理想なのではないかなと思います。
山下 そうだね。学年の中ではバチバチしていても、下の後輩とは、全員とではなくてもいいけど、つながりはあってほしいとは思う。
「みんなの意識が同じ方向を向いていなかった」
――今季の話に移らせていただきます。渡辺康幸前駅伝監督(平8人卒=現住友電工監督)が退任され、相楽豊駅伝監督(平15人卒=福島・安積)体制となりましたが、何か変化はありましたか
山下 今までも相楽さんが渡辺さんの下でメニューを組むということはあって、いろいろな面でサポートはあったので、そんなに大きくは変わらないですね。一つ良くなったことがあるとすれば、相楽さんは本当に選手とのコミュニケーションを大事にする方で、メニューを組むときも、たまにはプライベートでも、良い意味でちょっかいを出したり。選手とのコミュニケーションを大事にすることで、一緒にチームを作っていくという雰囲気に変わったかな、と。
江口 僕が感じるのは、渡辺さんはどちらかというと感覚派でしたよね、それが相楽さんになると理論派なのかなと。渡辺さんがダメというわけではないのですが、渡辺さんの感覚が伝わる選手というのは、何人かはいるのですけど、理解できない選手もいたりして。相楽さんはちゃんとデータや理論に基づいて、「ここ最近の論文がこうだから」のような説明をしてくれます。そういう最先端の情報をトレーニングに当てはめていこうという方なので、練習に無理がなくなったのかなと。このくらいやっておけば良いのでは、というような練習がなくなりました。練習の目的も鮮明に言ってくださるので。
――相楽監督はどういう方ですか
山下 真面目で超優しい人。
江口 先生みたいな人ですよね。
山下 教員もやっていたからね。
江口 いろいろな仕事を僕らはしていて、それに対していろいろ指導してくださるのですが、それがすごく的を射た意見を言ってくださって。忘れていたところというか、盲点だったところを教えてくれることが多いですね。
山下 頭のキャパシティがすごくて。変な話、マネージャーにとってはデメリットというか、仕事がごまかせない。
江口 先を読まれているんですよね。僕らのやっていることを見て、どうせそうなるだろうと相楽さんが思っていて、それを先につぶされてしまうというか。
山下 良い意味で悔しいよね、相楽さんの先を行きたいというのがいつも思うことなので。
江口 大抵負けますけどね(笑)。
――前半シーズンを振り返って、まずトラック2位となった関東学生対校選手権(関カレ)はいかがでしたか
山下 前半シーズンに関しては、正直後輩には申し訳ないのだけど、春に各ブロックの選手が集まった時すごいチームがバラバラで。関カレ前にミーティングした時もみんな話を聞いているのかわからないという状況で。少なくともみんなの意識が同じ方向に向いてなかったのに、2位という結果がついてきてしまった感はありますね。
江口 関カレが始まってからも、正直これはやばいな、と感じたのが本音で。意外と走れていたな、という感じが強かったです。
山下 チーム状況的には良くなかったね。4年生が悪かったのだけど。
江口 マネージャーからの視点というか、下の学年として見ていても、4年生たちがまとまっていないな、と感じているところはあって。ただそれを分かっていたからこそ、僕と山下さんが何かできたのではないかなと。公式戦のときには特に思います。昨年の箱根なども、実際に走っているのは選手ですが、ギリギリまで選手のそばにいることができるのは監督でもコーチでもなく僕たちですし、応援しかできないけども、その中で何かできることというのはあると思うんですね。それを自分の中から導いていけたらなと常々考えてはいるのですが…難しいですね。
――全日本大学駅伝対校選手権関東学生連盟推薦校選考会(全日本予選)を振り返っていかがですか
江口 軽く見ていましたね。
山下 一言で言ったら軽く見ていました。もちろんそんなつもりはなかったのですが、いざ走ってみたら想像よりはるかに難しくて。怖かったね。
山下 怖かったですね。僕たちが本当にもっと真剣にというか、あの場にいったことを想像してやっていれば、レース展開が難しくなることなんてわかるじゃないですか。最初に以前のレースの動画を見せるだけでも変わったかもしれないなとは帰りの車でも山下さんと話したりしましたし、正直、相楽さんがコーチ時代に経験していたということもあって安心してしまっていたというか。力不足は感じましたね。
――全日本予選後に何か選手に言葉は掛けられましたか
山下 あの時は選手たち自身も分かっていたと思うし、相楽さんの方からガッツリと言葉があったので。個別でそれぞれ話したことはあったけど、チームに向けては特には言ってないです。
江口 選手も僕たちも考えていることは一緒だったと思います。これはおごっていたなと。
――そこから夏合宿へ入ったと思いますが、どのような意識で臨みましたか
山下 昨年のチームが一年間を通して距離を走りこめていなかったので、まずみんなでしっかり距離を踏むこと、それと春からずっとは言っていたのですが故障なく練習すること。その2つはチームとして大きく持っていて、さっきの関カレの話とは違って、長距離ブロック内ではあるけど、合宿ではそういう意識が統一されていたかな。
江口 そうですね、僕も故障者を出すのが嫌だったので、走りが崩れている選手がいたらすぐに「痛いのか」と働きかけはしていました。
――マネージャーの視点から見て、夏以降伸びたと感じる選手は
山下 高校時代の実績とかを無視したら藤原滋記(スポ2=兵庫・西脇工)とか、ここ1、2カ月とかだと柄本勲明(スポ3=早稲田佐賀)や今井開智(スポ3=神奈川・桐光学園)とか。2、3年生がことしの夏以降頑張ったかなと思います。
江口 河合祐哉(スポ2=愛知・時習館)ですね。あいつは伸びました。やっと力が出せるようになりましたね。
山下 そうだね。何だかんだ、こつこつ真面目に取り組んでいた選手が2年目、3年目で花開いたって感じだよね。
江口 そうですね。がむしゃらに距離を踏むとか、与えられた練習にプラスしてやるとか、そういうことはもちろん大事ですが、それで良いのかと迷っている選手はいると思うんですよ。ただ、それが最短でないにしろ、特にB 、Cチームとかには重要なことだと思うんですね。それを信じ込ませるというか、促すのが大事かなと。そういうレベルの選手(B 、Cチーム層)には、まずそれをやってみないことには他に何をやっても意味が無いと思うので、彼らが練習から帰ってきたらそれは言いますし、僕たちができていたことはそれくらいですかね。
――日本学生対校選手権(全カレ)でも2位という結果でしたが、関カレの2位とは違いましたか
山下 あれは違ったね。
江口 違いましたね。
山下 全カレの前も理想的なチームとして100点かというと違う気はするけど、少なくとも関カレよりは…。そもそも大会として比べるレベルではないかもしれませんが。
江口 結果というより、チームで動いていましたね。大阪という遠いところに、応援の子たちは各自の判断で参加というかたちだったのですが、ほとんどの1年生が来てくれて。それって大きいことかなと。1年生は部に入ってから5カ月くらいしか経っていないわけで、正直チームのことがわからないじゃないですか。それでも自分のお金を出して足を運んでくれて、集まっている部員が少ない中、各自で仕事を分担してやっていました。そういう土台の部分がまず関カレとは大きく違っていました。その分、山下さんをはじめとする4年生の皆さんもしたいことができていたというか、意志が伴った言葉を言えていましたよね。言さん(田中言主将、スポ4=東京・早実)もとかも。
山下 伝わっていたよね、チームに。
江口 やっとチームでまとまったかなというのが全カレでした。
――その後の出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)を振り返っていかがですか
山下 いけるかなと思っていたのが良くなかったと言いますか。ふわふわしている雰囲気はあったかなと思います。
江口 新しいトレーニングとかもして、みんなすごい調子が良かったんですね。でも、昨年も同じように手応えを感じていたんですよね、実は。それがあったのに、手応えと現実のギャップというものに僕たちが気付かなくてはいけなかったとは思うのですけど、どうしてもどれができなかったですね。思ってはいました、なんか浮ついているんじゃないのかな、と。
山下 うん。そしてそれを言っていいのかな、と。うるさく言って雰囲気を壊してもいけないなというのもあって。
江口 「自分たちはやれる」と思ってチームはどんどんモチベーションが上がっていたので、どこまで言っていいのかというのは…。でも僕たち2人は、試合の帰りとかに、調子は良いけど記録会で勝ちきれないな、常々感じていて。でも何もできなかったですね。
――出雲から全日本大学駅伝対校選手権(全日本)までの期間で何か選手と言葉は交わしましたか
山下 その期間はみんなが危機感を感じていて。2週間くらいしか無かったけど、選手自身も変わったし、僕らもある程度シビアな目で見ていることを表せるようになりましたね。
江口 選手の方から求めてくるようになりましたね。自分たち何が足りないのか、何がおかしいのかというのを僕らに聞いてきてくれるようになりました。吸収しようとする姿勢が出てきたのがその時期だったかなと。
――全日本を振り返ってみていかがですか
山下 1区がきちっと決まったので。三冠して以来おそらく初めてあんなところでタスキをつないで、それでもやはり最後に負けてしまって4番ということで。良くはないけど、すごい手応えをつかんだ大会ではありました。三冠してから、ワセダが3位以内を走っている場面というのがほとんどなくて、久しぶりにそういう状況になって、前で走るってこういうことなのだなというのが選手も知ることができたというのは、箱根に向けて大きな成果だったかなと思います。
江口 僕たちも三冠して以来、前で勝負するという状況がなかったので、先頭争いをするチームの状況というのがわかっていなかったんですね。全日本は信一郎さん(中村、スポ4=香川・高松工芸)の起用が当たって、ああいうレースをしてくれて。今まで勝ちを見ていなかったわけではないですけど、勝つってこういうことのなのかとやっと気付いたというか。
山下 ちょっとぼんやりしていたよね。実際狙っていたし、自信もあったつもりだったけど。
江口 そうですね、それはあくまで『つもり』だったのだなと。勝つというのはこういうレースをしなくてはいけないのだなというのがわかりました。その意識が後半の区間には浸透させきれていなかったのだなとも感じましたね。
――柳利幸選手(教4=埼玉・早大本庄)、高田康暉駅伝主将(スポ4=鹿児島実)が出走しませんでした
山下 正直下級生の勢いがあったし、高田は直前怪我で練習が積めていなかったので、妥当な人選というか、その時のベストメンバーだったかなと。無理して全日本で使わずに、箱根でちゃんと最後戻ってきてほしいなというだけですね。
江口 逆に、あの時点で、あのようなレースができたチーム状況というのがプラスになるというか。柳さんにとっては辛い現実だったと思うのですが、あそこで柳さんが外れても大丈夫という状況がチームにあったことで、柳さんが箱根に対して見る目が変わったというか、本人は外れると思っていなかったと思うので。それをさせるチーム状況というのが相楽監督が言っている層が厚いということだと思いますし、箱根までにはそれをもう一段階、二段階と上げていかなくてはいけないのですが、あそこで4年生の主力が外れたというのは、箱根への布石にはなるのではないかなと思いました。
「自信と力と安定力が必要」
真剣な表情で取材に応える江口副務
――箱根の話に移らせていただきます。箱根で戦うにあたって、他大と比べて早大に足りないものは感じていますか
江口 安定感なのかな、と。チーム内で、区間上位で走ってくるというビジョンがお互いに無いということなのかなと思います。誰かが崩れて区間6位、7位になってしまうというが今までの現状なので、そこを断ち切らなくてはならないのかなと思います。区間の予想をしているファンの方や知識のある方も思っていると思うのですが、いまのワセダのチーム状況で箱根の10区間のメンバーを考えると、主力が1人、2人余るんですよ。山下さんとも話したことがあるのですが、やはり余ってしまうのですね。それなのに勝てるというビジョンが持てていないことが足りていないのかなと。主力が余るということはそれだけ層が厚いのに、自信を持ちきれていないのというか。それは記録会の結果とかいろいろなものが合わさっているのかもしれないですが、青学大さんや東洋大さんは、それぞれの区間の選手が外さないですし、たとえ外しても後ろの選手が頑張って前に戻ってきますよね。それができる自信と力と安定感、これが必要なのではないかなと僕は考えています。
山下 たまたまこの前、他大のマネージャーさん方と話す機会があって、そこで言われたのは、ワセダは人はいるけどインパクトがないなということでした。まさに江口の話の通りだと思うけど、エースがいないという状況で。ただ、残り箱根までの1ヶ月で他大のスーパーエースに張り合う選手を育てるというのは簡単なことじゃないと思うので、相楽さんがいつもおっしゃっている全員駅伝ではないけど、補い合いの全員駅伝ではなく、積み重ね合う全員駅伝をしていくのしかないかなと。エースがいないことは事実なので。でもそれでも十分戦えるチーム状況ではあると思うので、それは今からやっていくしかないかなと。
――そのような、足りていない点を補うため、マネージャーとしてどのようなアプローチをするのでしょうか
山下 全日本以降から取り組んでいる、前半に突っ込んで粘って、最後にもう一度上げるという駅伝の基本的な戦い方を意識した練習を実際にやっていて。手応えは得ていると思うので、まずはそこを本番で一人になっても走れるように支えるのみかなと思います。
江口 あとは、そういう練習ができなかった選手に対してすぐに声は掛けます。怒っているとかではなくて、全員駅伝をするにあたっては、この選手にはこの役割を、という期待は確実にあるので。それができるはずの選手が失敗した時にはやはり言葉を掛けます。それは自然と増えましたね。
――箱根のポイント区間を挙げるとすればどこになるでしょうか
山下 複数回答可(笑)?うーん、1、2、5区かな。
江口 1区は確実ですよね。あとは5区も確実なのですが、僕は4、7区も大事かなと思っていて。区間予想していても、1区と5区はなんとか分かるのですが4と7区に誰を使うのかが予想がつかないです。
山下 それはあるね。いい意味でわからない。
江口 あまり言えないのですが、こいつを使うならこいつでもいいのではないかというのが結構あって。それは相楽さんもすごく迷っているとは思うのですが。
山下 力が同じだからこそ、区間配置を見極めるのがすごく難しいかなと。最後は相楽さんにお任せすることになると思います。
江口 さっき山下さんが言った2区というのも、誰が走るのだろうというのはありますよね。誰を当てたら一番走れるのだろうか、と。
――マネージャーということで、選手とはまた違った視点で箱根を見ていると思いますが、お二人にとって箱根とはどのような存在ですか
山下 一番には勝ちたいというのがあるのですが、マネージャーになって思うのは自分が想像していた以上にいろいろな人が関わって支えてくれていて。もしかしたら日本の陸上競技の大会の中で一番いろいろな人が関わっているのではないかと勝手に思っているのですが、そこに感謝をしたいですし、特に自分たちを応援してくれている人たちには結果で恩返しをしたいし。いろいろな人が関わっているのだなとは常々思っています。
江口 スケールが大きいですよね。100キロ行って戻ってくるわけですけど、その当日だけの試合ではないです。当日お世話になる人には前々からご挨拶に行こうとか、いろいろなつながりの集合体が箱根の2日間に現れてくるので。本当に普段からしていることを総動員して臨む大会というか。準備もそうですし、人との関わりという点も普段からOBさんたちと関わっていかなければ簡単に作り出すことはできないです。全部つながっているのだなと感じます。
山下 全部神様は見ているよね(笑)
江口 はい。ラスト1カ月頑張ればいいとか、そういう大会ではないものの代表なのでは無いかなと思います。
――最後に、箱根への意気込みをお願いします
山下 総合優勝したいというのは個人的にもチームのみんなも思ってくれていることだと思うので。今はひたすらそれだけです。
江口 それだけですね、勝ちたいですよね。
山下 うん、勝ちたいです。
江口 勝ったところから見える景色を見たいですよね、どうせこれだけやるのならば。本当に頑張ってほしいなと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 八木瑛莉佳、平野紘揮)
箱根への意気込みを書いていただきました
◆山下尋矢(やました・ひろや)(※写真右)
1993年(平5)8月10日生まれ。静岡・浜松西高出身。スポーツ科学部4年。色紙に書いてくださったのは、チームのスローガンでもある『全員駅伝』。主務として、選手とともに最後の箱根に挑みます!
◆江口卓弥(えぐち・たくや)(※写真左)
1993年(平5)6月12日生まれ。愛知・明和高出身。スポーツ科学部3年。一つ一つの質問に丁寧に答えてくださる姿が印象的でした。学年の垣根を越え信頼されるマネージャーとなり、仲間を支えます!