【連載】『捲土重来』 第5回 高田康暉

駅伝

 東京箱根間往復大学駅伝(箱根)ではエース区間である2区を2年連続で任された高田康暉(スポ3=鹿児島実)。ケガに苦しんだこの1年、どのように競技に向き合い、戦ったのか。そして駅伝主将という大役を担う来季への思いを伺った。

※この取材は2月11日に行ったものです。

「『井の中の蛙』だった」

真剣な表情でレースを振り返った高田

――現在の調子はいかがですか

いまはスピード系を中心にやっています。かなりスピードが出てきて、トラックへの移行ができてきていると思います。

――先日の千葉国際クロスカントリー(千葉クロカン)を振り返っていかがですか

調子は悪くは無かったです。完全にコンディションにやられたというか。言い訳にはなってしまうのですけれど、滑って滑って、コースアウトして…の連続でした。ああいうところ(クロスカントリー系のコース)を走るのがまだまだ苦手なので、身体の軸を作るという意味ではいい練習になったかなと思います。

――千葉クロカンは本領発揮とはなりませんでしたが、前向きには捉えているのでしょうか

そうですね。あまりレースという認識ではなかったのですが、次のトラックにむけていい走りができたとは思います。

――今シーズンの駅伝についてお伺いします。まず全日本大学駅伝対校選手権(全日本)について振り返っていかがですか

僕自身は夏の合宿も行っていなくて、直前に合わせてきたという感じだったのですが、皆は合宿もあり記録会でもいい感じに28分台が出ていました。でも、記録にとらわれすぎて、本当は他大との勝負なのに、大学内で落ち着くというか、「井の中の蛙」状態になっていたと思います。それが戦ってみてふたを開けてみれば、全く戦える選手がいなくて、もっと外で戦わなくてはいけないという反省がチーム内で生まれました。

――高田選手個人の総括としては

全カレ(日本学生対校選手権)で故障してから合宿には行けなかったので、短い距離の練習で駅伝にアプローチしていって、どうにか自分の力は出せるようにはなっていたと思います。でも全日本で2区を走ってみて、競った久保田(和真、青学大)や服部(勇馬、東洋大)というあの2人とは1分差が開いていました。それがチームの1分ですし、チームとしても前半でどう流れをつかむかが駅伝では大事なんですけど、2区はずっと大迫さん(傑、平26スポ卒=現日清食品グループ)や竹澤さん(健介、平21スポ卒=現住友電工)が7年くらいはずっとワセダでは走ってこられていて、そういうなかでエースとしての走りが出来なかった自分に腹が立ったというか。シードを落として来季は予選会から戦わなくてはならないというのももちろんありますが、自分があそこで走れなかったというのが本当に悔しかったです。

――全日本後の上尾シティマラソン(上尾ハーフ)では見事な走りでした

駅伝の後の1週間、1日平均で30〜40キロくらい走っていました。それまでも距離を積める時期が今シーズンは無くて、箱根までの逆算をしても積めるのは今しかないなと。その後の上尾ハーフは「勝たなきゃ」とか「タイムを出さなきゃ」とかではなく、上尾で最低限優勝しないと、箱根の2区でまた戦うことはできないというか。上尾で勝ってこそ、箱根の2区に準備できるのではないかという思いでいました。もちろん全日本での悔しさもあったのですが、今後のことを考えると、上尾(ハーフ)では最低限勝つことが必要でした。レースでもしっかり戦えたので良かったと思います。

――その後の集中練習はどのように臨みましたか

ミーティングで4年生を中心に、甘い所や全学年に共通して直していかなきゃいけないところとかを出し合いました。ピリッとした空気の中で集中練習に入っていったので、良かったのではないかなと思います。

「優勝のためにも区間賞を」

――では箱根当日についてお聞きします。タスキを受け取って、まず何を考え中継所をスタートしましたか

前4つ(東洋大、駒大、青学大、明大)が抜けているのは分かっていたので、とりあえず権太坂までは前を追うというよりは、いまの集団で楽に走って、ラストの7、8キロで前を追うということを考えていました。やっぱりこの1年練習も出来ていなかったので、今の自分にできる攻めのレースがそれかなと思って。そうしてスタートした感じでした。

――では終盤に集団から抜け出したのは予定通りの走りだったのですか

そうですね。本当はもっと後にいきたかったですが。10キロまでは先頭と変わらないペースで行けて、10から15キロで(先頭と)30秒くらい差が出て、そこで遅いなと思って、自分でいくしかないと思ったんですけど、前に出たところで自分一人で前を追う力もなかったかなという感じです。

――自分の走りに点数をつけるとすると何点ですか

1年間を通した練習内容とかを含めて評価すると7、80点くらいかなと思うのですけれど、でもケガしているのも自分ですし、昨年勝っている服部(勇馬、東洋大)とか大六野さん(秀畝、明大)、一色(恭志、青学大)にも負けています。特に服部は同学年、一色は下の学年ですし、そういった選手にも3、40秒やられたということで、本来の、戦わなければいけないという意識を考えたら50点くらいにしかならないのかなと思います。ただ、それは結果論なので、今回学んだことを次に生かせればと思います。

――来年も2区はハイレベルが予想されます、どう立ち向かいますか

そうですね、来年はもう絶対に区間賞…というか、チームが優勝するためにもそこで区間賞を取らなければ勝てないと思います。箱根のラストのレースで、意地というか、2年生の時の2区区間賞が本物だったということ、そういったものを出していけるようにこの一年間努力していきたいと思います。

――来年に向け、目標は決まっていますか

大学三大駅伝で勝つというのをチームで決めています。毎年目標を曖昧に決めていても、じゃあそれをどう行動していくんだ?どう練習していくんだ?どう持っていくんだ?という感じですが、今年はそういったところを徹底しています。例えば、毎年出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)は、どちらかというと箱根を見据えた中で走る感じなのですけど、今季はしっかり勝ちにいこうとチームで話しています。

――卒業される4年生の穴はけして小さくはないと思いますが、どのような存在だったのでしょうか

僕らにはないものっていうか、あまり物を言わず、走りで引っ張ってきてくれた感じでした。1年間引っ張って下さったことは感謝していますが、最後の最後で、4年生がしっかり走れないとチームって言うのができあがらないというのを気付かせてくれたというか、やっぱり上級生が走ってこそ勝てるんじゃないか、そうしてそこに下級生がしっかりついてくる感じなんじゃないかと思いました。自分たちが今度は逆の立場になって、4年生というのはすごい難しい存在なんだなと気付かされました。決して4年生の箱根での走りが良かったとは言えないと思っていますが、それでも得たものの方が大きかったので非常に感謝しています。

――現在のチームメイトにはどのようなことを期待していますか

昨年の箱根駅伝で2、3、4区を走った僕と凜太郎(武田、スポ2=東京・早実)と平(和真、スポ2=愛知・豊川工)が1年間うまく行かなかったことが今回の箱根で勝てなかった原因だと思っています。3人ともケガで走れなかったんですが、その3人がキーマンじゃないですけど、しっかり走ってこそうちのチームだと思います。もちろん4年生のメンバーはしっかり走らなくてはならないんですけど、自分、平、凜太郎というのがエース格というか、関カレ(関東学生対校選手権)や全カレ、日本選手権などで表彰台を狙えるレベルにならなければ絶対に他とは戦えないので、期待というより、エース級にならなくてはいけないです。特にその2人はもう上級生になるので、しっかりエースになるっていう気持ちでやってほしいと思います。その上に、三浦(雅裕、スポ3=兵庫・西脇工)が今回区間賞を取って、信一郎(中村、スポ3=香川・高松工芸)、柳(利幸、教3=埼玉・早大本庄)も安定して走れているので、自分も含めて4年生はチームを引っ張って、さらに下級生からの突き上げ…安井(雄一、スポ1=千葉・市船橋)や光延(誠、スポ1=佐賀・鳥栖高)もいます。やっぱりそういう所が今後大事になってくるので、僕らができることはしっかり走って、姿で引っ張っていく、生活の中でも引っ張っていく、そのようなかたちでやっていきたいと思います。

全員でチームをつくる

駅伝主将として飛躍を誓う

――有力な他大が数多く存在する中、どのように対抗していきますか

戦っていくというか、例えば青学大が優勝して、世間には青学のやり方が正しいからそれに転換するのがいいとか言われていますが、うちはうちなりに、うちのできることと言いますか、ワセダらしいことを1年間貫いて、走れる走れない関係なしに、厳しいところはしっかりお互いやりあっていくことが大事だと思っています。他大との間にカベがあるので、それを払拭する為にも、自分たちらしさを貫きながら、かつ、いままで通りの生ぬるいことをやっていくんじゃなくて、少し難しいんですけど、新しいことを取り入れながらそれを自分たちのものにしていければなと思います。

――新しいことというと具体的にはどのようなものですか

みんなと話し合って、最近のワセダの印象なども考えて駅伝に向けてのスローガンを決めてみたりだとか、補強についても今までは機械的にやっていたところがあるんですけど、もっと自分で考えながらやるっていう練習を増やしています。本練習以外の、補強だったり動き作りだったりといったところを徹底していくということと、あとは、いままで主力中心のチーム…ミーティングの発言とかも含めてですね。速ければいいみたいなところがあったので、そこはもう置いて、しっかり全員で共有して、全員で戦うというか、縦のつながり、横のつながりを強くしながら、お互いを仲良し集団でなくて、本当に良いチームになるようにしていきたいです。まだ変えている途中というか、そういう方向でやっていくという風に言っているだけで、正直大きな変化もないですし、良いのか悪いのかもまだ分からないですけど、僕はそういうかたちで1年間取り組んでいきたいなと思います。

――高田選手は駅伝主将に就任されますが、そのような変革は主将として考えたことだったのでしょうか

主将としてというか、4年生として存在をしっかり示していかないとなあなあな集団になってしまうので。いままで勝てていないということは、現状のままでは勝てないということなので、そういったところを学年とかで話し合うのではなく、Aチームはもちろん、B、Cチームも発言できる場を作って、チーム全体で考えて戦っているんだという意識を一人ずつ持ちながらやっていきたいなというのと、僕が目指している主将というのは主将というよりもエースというか、背中で引っ張っていきたいと思っています。そういう意味では、いまはまだシーズンでなく、この2月と3月というのが一番自分以外にも目を向けられる時間だと思うので、そのうちにチームのやり方を正していって、シーズンに入ってそれが定着していってほしいと思います。いつも箱根前の集中練習ぐらいからやっと「良いチームだ」という感じになるので、それをより早く、4月からの段階でできるようにチームとしては考えています。

――山本修平駅伝主将(スポ4=愛知・時習館)に抱いている印象などはありますか

大変そうだな、と。主将となると周囲の見られ方も違いますし、自分中心に考えるのでなく、見なくていいところまで見なくてはならなくなると思います。大変だというのは聞いていますし、そうだなとも思うのですけれど、僕は僕なりにやっていきたいなと思っています。

――渡辺康幸駅伝監督(平8人卒=千葉・市船橋)が退任されましたが

あと1年で卒業というところでいなくなってしまったことは寂しいですが、あまりやり方も変わったわけではないので、そこは臨機応変に対応できています。

――これから始まるラストシーズンはどのようにしたいですか

ワセダのエースと言われるのはあと1年しか残されていません。まだ自分はエース候補でしかないんじゃないかと思います。ワセダのエースというのはやはり世界で戦える選手だと思うので、今年はユニバーシアードだったり、関カレや全カレでの表彰台を狙って、もちろん駅伝で頑張らなくてはならないのもあるんですけど、まずはしっかりトラックシーズンでエースとして活躍できるように頑張りたいです。

――最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします

この一年また新しいチームになって、新しいワセダ、勝てるワセダっていうものを目指していきたいので、ご声援の方よろしくお願いします。

――ありがとうございました!

(取材・編集 平野紘揮)

◆高田康暉(たかだ・こうき)

1993(平5)年6月13日生まれ。170センチ、54キロ。鹿児島実高出身。スポーツ科学部3年。自己記録:5000メートル14分00秒99。1万メートル28分49秒59。ハーフマラソン1時間2分2秒。2014年箱根駅伝2区1時間8分18秒(区間賞)。2015年箱根駅伝2区1時間8分17秒(区間6位)。