昨季は1年生なから大学三大駅伝全てに出場し、チームに欠かせない存在となった武田凜太郎(スポ2=東京・早実)。しかし2年目はケガで満足に走れない状態が続く悔しい1年となった。順風満帆な陸上人生に突如訪れた初めての挫折。その武田を支えたのはチームメイト、監督、コーチ、そして何よりも家族の存在であった。ケガを乗り越え、再び東京箱根間往復大学駅伝(箱根)に帰ってきた武田の胸中に迫る。
※この取材は2月11日に行われたものです。
追い求める理想
丁寧に取材に応じる武田
――まずは数日前に行われた千葉国際クロスカントリーのことから振り返っていただきたいと思います。部内1位という結果でしたが、そのレースについてはいかがでしたか
すごく強い雨の中で、思っていたよりも自分のコンディションも悪かったですが、故障期間や走り始めてからも筋力トレーニングなどの補強の運動を取り入れていて、自分の理想とする走りに近づくことができた結果が出たのかなと思います。
――箱根から1カ月ほど経ちますが、疲れなどいまの体調はいかがですか
1月中は結構しんどいなと思う時もありましたが、2月に入ってからは疲労も抜けてきたなという気がしています。
――箱根後のオフはどのように過ごしていましたか
1週間ほど休みがあったので、実家のある千葉に帰りました。あと、仲の良い同期で京都旅行に行きました。鈴木洋平(スポ2=愛媛・新居浜西)と佐藤淳(スポ2=愛知・明和)と、あと平(和真、スポ2=愛知・豊川工)が行く予定でしたがケガで松葉杖だったので、代わりに後輩を一人誘って旅館に泊まりました。
――2年生は特に同期での仲が良いイメージがありますが
やっぱり一緒にいる時間が長いです。3月の合宿の後にも学年でご飯でも行こうかという話になっています。少し仲が良すぎるという面で、なかなか思い切ったことを言い合えないところが悪い点だなと思うこともありますが、すごくつながりが強い学年なのかなと思います。
――特に武田選手と平選手は、ことしケガを経験するなど共通する部分が多いと思います
正直、彼(平)はよく分からない部分があるんですけど(笑)。お互いもっと高いステージで戦いたいと思っていますし、補強とか練習をする中で見習うべきところも多いので、同期ながら本当に尊敬していますし、負けたくないなとも思っています。
――昨年は箱根後にアキレスけんを故障して、その後1年間あまりレースに出られなくなってしまいましたが、そのことを踏まえてことし意識していることはありますか
この時期に大きなケガをしてしまうと、シーズンを棒に振ってしまうということは分かっていました。なので(箱根が)終わってからは慎重にと言いますか、オンとオフの切り替えを自分の中で作って、なるべく疲労をためた状態できつい練習をし過ぎないというか、距離を抑えたりしました。
――いまロードシーズン終盤に向けて調子を上げていくうえで、意識していることはありますか
先ほども言ったように自分の理想としている走りに近づいてきていることは感じているので、それが立川ハーフ(日本学生ハーフマラソン選手権)でどこまで通用するのか確かめたいですし、ベストタイムも1年生の時のままなので最低でも自己ベストは更新していきたいなという風に考えています。
「力負けした」
――続いてことしの箱根の話に移りたいと思います。ことしは7区で区間5位という結果でしたが、そのことについてはどう考えていますか
本当に力負けしたというのが1番だと思います。箱根までに調子が上がっていたことは感じていましたが、それでもやはり1年間通して走り込めなかったボロが出たという気がしています。
――ことしは復路の7区を任されましたが、そのことを伝えられたときはどのような心境でしたか
もちろん理想とする区間とは違いましたが、それでも落胆することはありませんでしたし、復路だからこそできることもたくさんあると思ったので、ことしは7区でしっかりやろうと思いました。
――今回箱根に出場された同期の井戸浩貴選手(商2=兵庫・竜野)、平選手とは試合前に何か話しましたか
4年生は最後の箱根で誰よりも思いが強いですし、3年生にはエース級の方がいるので、僕らの学年は大きな役割があるから頑張っていこうなというという話はしました。
――井戸選手は、昨年武田選手が走った3区を任されましたが、井戸選手に対して何かアドバイスを送ったりはしましたか
前半区間でみんなもどんどん突っ込んでくると思うので、怖がらずに行けとは伝えました。
――往路では6位という結果に終わりましたが、その後に復路の選手で話し合ったことなどはありますか
往路優勝はなくなってしまいましたが、復路でワセダの強さとか、いままでやってきたことを出して、復路優勝は狙っていこうという話はしました。
――総合優勝を目指すというよりは、復路優勝を目標にということですか
そうですね、復路優勝を達成することで全体としての結果にもつながると思ったので。
――いままでワセダがやってきたこととは具体的に何ですか
全日本駅伝(全日本大学駅伝対校選手権)の敗戦からチームの状況に対して危機感が生まれたりだとか、僕は行けなかったですけど、夏合宿はみんないい練習ができていたりとか、やはりそれが試合に出せることは無かったので、そういったことを出し切るというか、やってきたことを信じて頑張ろうという感じですね。
――自身の中でのレースプランはありましたか
東洋大と駒大が前にいて、その2校が競い合ってけん制はしないだろうと思ったので、じっくり詰めていけたらなと思っていました。けれども、結果は(差を)広げられてしまっていたので、もう少しできたことがあるのかなと思います。
――細かいアップダウンが多い7区ですが、走った中での反省点はありますか
コースの中のアップダウンは自分の中ではうまく走れたかなという気がするのですが、走っていて自分のペース感覚と実際のタイムとのズレがすごく大きくて、そういった感覚的なものを磨く面で少し足りなかったなという所があります。
――箱根の直前練習では、「夏に遅れてしまった分スタミナをつけたい」とおっしゃっていましたが、その部分は完全なところまではいけなかったということでしょうか
やはり数カ月程度の練習では限界があるというか、限界を決めてしまってはいけないですが、差はあるのかなということは感じました。
――武田選手がタスキを渡された時、前には昨年区間賞の服部弾馬選手(東洋大)がいましたが、同学年ということもあり意識などはされましたか
(服部弾が)見える状態で(タスキを)渡して頂いたので、何としても詰めようと思いましたが、やはり力の差を感じた部分ではあったので、これからの立川ハーフや、トラックシーズンで戦っていけたらなという風に思います。
――昨年は「同区間に設楽悠太さん(東洋大)がいて、あまり思い切ったレースができなかった」とおっしゃっていましたが、そこの部分は解消できましたか
20キロという距離に不安のある中でのレースだったので、そういった面でことしも最初から積極的なレースができたかと言われると、そこは少しできなかった部分があると思います。
――レース中、渡辺康幸駅伝監督(平8人卒=千葉・市船橋)からはどのようなアドバイスがありましたか
前を追って行けということはすごく言われましたし、僕の頑張りが安井(雄一、スポ1=千葉・市船橋)を楽にさせるからお前が頑張らないとダメだぞということは言われました。
――箱根前には「チームの流れを変える走りをしたい」とおっしゃっていましたが、自分の中で今回の箱根ではレースをつくれたという実感はありますか
正直、三浦さん(雅裕、スポ3=兵庫・西脇工)が区間賞とすごく良い流れで持ってきてくれたと思いますが、それを自分がうまい形で引き継げたかは疑問を感じます。次の安井にもっと楽をさせてあげることもできたのかなと思っています。
――武田選手は後半の走りに強さがありますが、自身の中で後半の走りはいかがでしたか
大幅なペースダウンはなかったので、そこは良かった点かなと思いますが、それでもやはり区間5位という結果だったので、体力の面でもすごい力不足を感じました。
――安井選手にタスキを渡す際には、先輩として何か声をかけたりしましたか
明大が落ちてきているということは分かっていたので、まずは明大まで言ってくれということは伝えました。
――箱根では多くの方が沿道で応援をしていますが、今回は知り合いの方などはいましたか
家族がみんな来てくれました。昨年は誰にも気付きませんでしたが(笑)。僕は姉が2人いて、その2人がすごく応援してくれいるのに気付いて力になりました。他にも地元の友達や高校、大学の友達も来てくれました。あと、平が足を引きずって僕のところに応援に来てくれましたことと、佐藤淳がエントリーから漏れてすごくつらかったと思うけれども、わざわざ応援に来てくれたことは、ちょっと走っていて涙が出そうになったというか、このメンバーに出会えてよかったなと思った場面でもあったと思います。
再び往路へ
復路で安定した走りを見せた
――ことしはケガでなかなか思ったような走りができなかったと思いますが、その間は相楽豊長距離コーチ(平15人卒=福島・安積)や渡辺監督からどのようなアドバイスがありましたか
全日本の直前に行われたレースの後には、渡辺監督から「お前が走らないと、うちは勝てないぞ」と言って頂きましたし、相楽さんや駒野コーチ(亮太、平20教卒=東京・早実)からも「お前が箱根を走らないとダメだぞ」と言って頂きました。それがモチベーションになりましたし、期待していただいていると思えたので、諦めずに頑張ろうという原動力になったと思います。
――ケガの期間は筋力トレーニングをしていましたが、箱根を走ってみて自分の走りが変わったと感じた部分はありますか
大きなケガをしたことが無かったので、初めての挫折でもありましたし、普通に走れることがこんなにも幸せなんだなということを感じた年でもありました。いままではケガをしても、1か月くらいで治るものばかりだったので、ここまで大きなケガは初めてでした。
――ケガを超えて、レースに対する自身の考え方は変わりましたか
きれいごとになってしまうかもしれませんが、家族には学費なども含めていつもお世話になっていますし、ケガの期間もたくさん支えてくれたので、何としても箱根だけでも走っている姿を見せたいと思っていました。なので、そこは(見せることができて)安心しています。
――来年度からは上級生としてチームを引っ張らなくてはいけない学年になりますが、そのようなことを同期で話すことはありますか
(同期)全体でということはなかなかありませんが、平など何人かで、来年はどうしなければいけないかを話す時はあります。そのために一緒に補強しようとか、走ろうとか、自分たちのことだけではなくチームのことにも目を向けてやっていこうという話はしています。
――ご自身としては、上級生としてチーム作りで意識したいことはありますか
自分は1年生から上のチームにいて、ずっと上のチームしか見ていなかったという部分がありました。故障してB・Cチームを見る機会が増えて、チーム内に意識の差があることを感じたので、みんなが同じ目標を持ってそこに向かっていくということをもっと徹底して共有しなければいけないなと思いました。
――新チームが始まって1か月程が経ちますが、高田康暉新主将(スポ3=鹿児島実)からはどのようなことを言われましたか
高田さんとは1年生の時に(箱根で)一緒にタスキをつなぎました。ことしも(タスキを)つなぎたいという思いはあって、高田さんからも「つなごうな」と言われていましたが、ことしはそれができなくて申し訳ないと思いました。また、「来年はおれらで引っ張っていこうな」という話もして頂いて、よりもっと強くならなくてはいけないなという思いも強くなりましたし、個人的に高田さんを尊敬している部分が大きいので、この人に付いて行きたいと思っています。
――最後に、来年度の自身の目標を教えてください
トラックシーズンは全カレ(日本学生対校選手権)で入賞をして、ワセダに貢献したいという気持ちがすごく強いので、いま自分に足らないものを知ったうえでトレーニングに貪欲に取り組んでいけたらなと思います。
――駅伝シーズンではやはり出雲・全日本・箱根すべてを走ることが目標ですか
そうですね。そこで1区を走りたいと思っているので、3つの大会全てで1区を走って、チームに良い流れを作りたいと思っています。
――ありがとうございました!
(取材・編集 杉田陵也)
◆武田凜太郎(たけだ・りんたろう)
1994年(平6)4月5日生まれのA型。174センチ、54キロ。東京・早実高出身。スポーツ科学部2年。自己記録:5000メートル13分58秒83。1万メートル29分04秒20。ハーフマラソン1時間3分28秒。2014年箱根駅伝3区1時間4分00秒(区間5位)。2015年箱根駅伝7区1時間4分09秒(区間5位)。