第13回は、山本修平駅伝主将(スポ4=愛知・時習館)。きょねんの東京箱根間往復大学駅伝(箱根)は、直前のケガにより悔しくも欠場。ことしは2年ぶりとなる箱根の舞台に誰よりも闘志を燃やしている。ここまでワセダを背負い戦ってきた4年間の振り返りと、そしてついに迎えた最後の箱根路に懸ける思いを語ってもらった。
※この取材は11月26日に行われたものです。
ケガからの復活
笑顔で取材に応じる山本駅伝主将
――いよいよ集中練習が始まりましたが、どのようなお気持ちですか
先週末から集中練習が始まって、あと1ヶ月半しか残されていないので1回1回の練習を集中してやっていきたいです。
――例年と日程が異なりますが、その点に関しては
試合の日程的にも少し早く始まるスケジュールだったのですが、やることは特に変わらないので、焦る必要なくやっていければいいと思います。
――箱根を前にして、現在のチームの雰囲気は
全日本大学駅伝対校選手権(全日本)で敗戦してしまいましたが、一人一人反省や課題が見つかったと思うので、そういうところを克服して、いい緊張感を持ってリベンジという形で全員が箱根に向かっていきたいなという雰囲気ですね。
――緊張感は高まっていますか
まだ1ヶ月半なので、そんなに緊張感はまだないと思いますが、そういったところは4年生や経験の多い選手を中心に作っていきたいです。
――きょうは悪天候の中での練習でしたが、いかがでしたか
きょうの練習はかなり寒かったですし、雨というのもありまして、故障につながりやすい天候でもあったので、色々スケジュールを変えて行った選手もいたのですが、自分は順調にこなせたかなと思います。
――ご自身の現在の調子は
きょねんのアキレス腱のケガもありますので、そこだけは様子を見ていきながら再発させないようにやっていきたいですが、そんなことも言ってられないので、再発させないようにやれることはやっていきたいと思います。
――ケガを再発させないために意識していることは
この1年間は予防、ケアのためにマッサージなどを中心にやってきましたが、マッサージを少しでも油断すると、1回で痛みが出てしまったりすることもあるので、このような寒い日などはジェルを使って温めたりなど、1回でも怠らないようにやりたいと思います。
――日頃の気分転換は
気分転換は…明るいメンバーがやはりたくさんいるので、普段の生活で楽しんだりしています(笑)。あとは音楽を聴いたり、テレビを見たりしてリラックスしています。
――全日本の7位という結果をどう捉えましたか
7位という結果は実際、情けなかったです。正直もっと行けたかなと思いましたし、シードを落とすというのは予想外でした。でも、あくまで僕らは箱根を一番に考えていて、そういったオーダーで組まれていたので、わりと経験の少ない選手や、まだ本調子ではない選手などが主要区間にいたりして正直しょうがないかなとも思っていました。あまり深く考えすぎず、次をしっかり見て、次で勝てば取り返せると思っているので、箱根で取り返したいと思います。
――経験の差を感じるというのは
やはり他大学のエースと競り合う場面で、なかなか自分の走りができなくなってしまう選手もいたので、そこは普段の練習が足りないということと、自覚や認識の差が大きかったかなと感じました。そういったところは、これからの集中練習で詰めてやっていけば、もともと力のある選手が多いので、箱根ではしっかり走れると思います。
――ご自身は3年連続の4区でした。主将としてどのような意気込みで挑まれたのでしょうか
最後の全日本ということで僕は本当に懸けていたのですが、やはり予想外の展開でした。でも地元ということでたくさん応援してくれる方々がいましたし、そういった状態になってもワセダを応援してくれる方々がたくさんいて、その応援を力に走ることができました。その中で、自分の力をしっかり発揮できたとは思いましたが、次の走者が1年生だったり残っているメンバーが2年生などの下級生が残っていたりだったので、ペースダウンをすることも考えてもう少し良い順位で渡せたらなと思いました。ただ、前半の走りも全体的に良くなかったので、やはり差のつくレースだったかなと感じています。箱根でしっかりと立て直したいです。
――9位でタスキをもらい、6位へ浮上。ご自身は区間2位の好走だったと思いますが、振り返って
あの位置でタスキをもらって、前半の最初は突っ込みましたが、天候とかコンディションも良くなかったので前もあまり見えず難しいレースでした。でもやはり優勝を狙っている中で、あの位置でタスキを受けて精神的なダメージなども堪えて、自分の走りに集中してレースを運べたと思います。でも、最後の最後で区間賞を逃してしまって、あまり意識していなかったのでしょうがないなと思いますが、そこで区間賞を取れていればもう少し流れが変わったかなと感じています。
――タスキを9位で受けたときの心境とレースプランは
とにかく一つでも前に行くことを考えて臨みましたが、次は1年生というのもあってシード圏にはしっかりと持っていかなければならなかったと思いますし、それから最後に山梨学院大のエノック・オムワンバ選手がいるということなどを考えて、後ろも突き放して、行けるところまで行こうと考えていました。
――レース前に監督からは何か指示はありましたか
レース前に話したときはまだ明大との差がそんなにない状況だったので、明大と同じくらいに来て、東洋大とは1分差でそこまでは追いつけと言われて、予定とは違いましたが切り替えていけたかなと思います。
――レース直後の率直な思いは
最後の全日本で7位という結果で終わってしまって悔しかったですが、箱根を狙っている以上はそんなに大きく捉える必要はないと思っていましたし、負けたら強くなってリベンジするしかないと思っているので、地元の全日本で7位は情けなかったですが、最後チャンスが箱根で残っているのでしっかり切り替えていこうと思いました。
――チームで話し合われたことは
全体の意識も変わりましたし、悔しさを感じている選手もたくさんいて、そういった意味では集中練習でしっかり切り替えってやっている雰囲気がありますね。
――主将として周りにはどのような声掛けをしましたか
今回の全日本に関しては出たメンバーが情けなかったと思いますので、一人一人に厳しい言葉をかけましたけど、エンジを背負っている以上は結果が悪かったら悔しがるのはもちろんですが、次はしっかり借りを返さなければならないですし、そういった意味では失敗した選手が箱根で取り返してくれることを願って、またみんなで進んでいきたいと思います。
――前回の箱根後から新シーズンが始動する頃、ご自身のケガの具合はどのような状態だったのでしょうか
12月にケガをして1月、2月とは走れない状況で3月ぐらいから走れるようになったのですが、アキレス腱だったので時間もかかりましたし、春シーズンは無理かなと思いたくもなりました。でも、自分が主将ということをしっかり自分に言い聞かせて、諦めずに4月からトラックの舞台に立てたことは自分でも頑張ったかなと思いますが、結果が出なければ賞賛されない世界なので、そういったところではやはり関カレではしっかり結果を出せることができず、秋以降のシーズンになんとかリベンジという形で結果が出ればと思って取り組んでいました。
――新シーズンが始まり主将としての役目を果たす上で、ケガによって結果を出せないことへの悔しさなどはありましたか
自分の最後のトラックシーズンということで結果も出したかったですし、ことしは競走部が100周年という節目の年に駅伝主将という大役を任されて、まずはとにかくインカレに出なければ許されないと思っていましたし、そこで結果も出さなければ許されないと自分に言い聞かせながらやっていました。
――レース復帰した4月、そして5月の関東学生対校選手権(関カレ)での結果をいま振り返って
関カレに関しては切羽詰まった状態であまり覚えていないのですが…。あの時は自分だけを見すぎていて、色々なことに追い込まれて、やりたいことと自分の行動とが噛み合っていなかったです。自分の持ち味が発揮できず、ただ焦ってひたすら頑張るレースになってしまって、結果が出せなかったと思いました。
――夏場の走り込みを振り返っていかがですか
夏前もあまりいい記録が出せなかったですが、自分のいまの状況を考えると、ピークを合わせられるのはこの1年で1度しかないと思っていたので、あまり夏前に頑張りすぎないようにして、夏以降からしっかり集中してやっていこうと決めていました。そういう意味で、夏合宿は最後ということでポイント練習を積んでいきながら、日本学生対校選手権(全カレ)に関しては、そこだけは点を取らなければならないと考えていたので、1点で情けなかったと思いますが、そういった状況を乗り越えて、次の駅伝シーズンにつなげることができたと思います。
――駅伝主将としてしっかりと結果を残さなければならないという思いで全カレに臨まれたかと思いますが、結果を得ることでいいプラスの要素となったのでは
自分自身の走りとしては全カレまでに調子が上がっていましたが、結果が出なければプラスにはならないなと思ったので、何点だろうと、入賞したことによってプラスになって自信になったと思いましたし、その後の駅伝シーズンに自信を持って臨めたと思います。
――ケガを抱えながら始まった今季、そこから復帰できた一番だと思うレースは
やはり秋以降のレースに関してはどれも成長したかなと感じるレースだったと思いますが、まだまだベストには持っていけていないです。でも、最後の冬場に一番に絞ってやっていましたので、それより前に切り替えてしまうと僕の体は持たないと思っていて、まだ100%の力は出し切れていないのですが、全カレで入賞できたり、早大長距離競技会で28分台を出せたり、全日本でもなんとか走れましたし、そういった3つのレースを乗り越えて手応えがあるので、このあと1ヶ月半で最高の状態に持っていければ、今までで一番いいレースができるかなと考えています。
――ことしのチームはエース不在と嘆かれてはいますが、ご自身がエースでなければならないという思いなど感じたことはあったのでしょうか
いままでもエースがいたという意識でやってはいなかったので、エースは必要ないと思いますし、ワセダにいる以上は全員がエースでなければならないと思うので、そのようなことは気にしないで自分に集中してやっていきたいと思っています。
――駅伝で勝つために必要なことはどのようなことだと考えていますか
自分自身で立ち向かえるかどうかが、一人一人カギになると思います。全日本を振り返ると、一人で立ち向かおうというときに、弱さが出たレースだったかなと思います。自分でちゃんと立ち向かって成し遂げないと結果がついてこないと思いますし、駅伝はチームスポーツですが、走っているときは個人なので、個人のミスが全体につながってしまうと思います。助け合えるところはみんなで助け合っていきますが、最後は個人に託されると思いますので、一人一人自分の力を発揮できるかが大事になると思います。
主将として結果を出さなければならない
――ワセダでの4年間の競技生活を振り返って、ご自身にとっての競技人生におけるターニングポイントなどがあれば
2つありますが、悪い方に転んでいってしまって、自分の気がかりとしては2年前の箱根の5区でそこから自分の走りが悪くなってしまったと思っていて、すごい向かい風で上り等の疲労もあってそこから思うような走りができなくてそこから難しいなということがありました。2つ目はきょねんの箱根前のケガで、あまり大きなケガをしたことはなかったですが、そのケガで箱根を欠場しまして、そこで一人で考え込むことや、辛いことがあったりしましたが、そういったところで、まず自分が一人でやっているのではないと大きく気付けました。地元の人や仲間など、支えてくれる人達がいるんだと思って、ただそれを感じるだけで力を出すことができるようになりました。キャプテンになって色々なカベにぶち当たりましたが、その中で自分自身こうやると決めてやってきて、それによって自立できたかなと思いますので、ケガというのもキャプテンになってこの1年で大きなポイントになったかと思います。
――3年目の不調のシーズン、箱根前のケガを乗り越えて、その過程で支えを感じたのは特にどのようなときだったのでしょうか
それは普段の生活や学校、試合に出るときに色々な応援をくれたり、声が聞こえたりとかですね。あとは、きょねん欠場したときに何も声をかけていなかったので地元にも行きづらくて顔も出したりしなかったのですが、ことしの6月に顔を出したときに、応援してくれていたことを感じました。
――4年生になり、どんなチームにしていこうと考えていましたか
やはり僕はまず自分がしっかりしようということを一番のポイントで置いて、周りから見られる姿勢が大事になってくると思ったので、とにかく自分がしっかりできるところはしっかりして、ことしはそういったところを変えていきましたし、意識していきました。練習もみんなと一緒に声をかけてやっていこうとかそういった姿勢から、4年生全員で引っ張っていこうとしましたので、みんなもついてきてくれて、総合力が高まってきていると思います
――駅伝主将に就任し、自分自身に掲げた目標などはありましたか
まずは主将として結果を出さなければならないと考えていましたので、インカレと駅伝の2つはしっかりポイントとしてやろうと決めました。自分自身なんとか入賞もできましたし、他の選手も複数入賞を意識して結果を出せたことがインカレに関してはよかったと思います。駅伝では箱根を一番に考えていましたので、前回自分が欠場しているということも兼ねているのですが、最後はまだ何も言えないですが、そこの2つで、最後は全力を尽くしたいと思っています。
――ルーキーイヤーから学生三大駅伝を経験しましたが、当時を振り返って
1年生の頃は自分が若かったかなと思った部分もあって、先輩方に頼っていたかなと感じていました。自分は自分でしっかり走ればいいと思っていたので、そういったところから、でも結局は一人一人がしっかり走らなければと感じることも逆にできたので、先輩に助けられていた分、これから上級生になったときに後輩を助けていこうと考えていけるようになりました。1年生の頃は本当に感情そのままにだったかなと思います。でも、結果的に4年間やってきて大事なのは気持ちかなと感じましたし、3、4年生になって誰かが結局何かをしてくれなくなってくると、自分がちゃんとしていかなければならないという認識を強く持てるようになったので、上級生になって周りを見て自覚をもってやっていけるようになりましたね。
――1年目から山の5区に抜擢されましたが、そのときの心境は
正直上りに得意意識はないのですが、抜擢されたということは、やはり自分を生かせる区間だなと感じました。自分の持ち味を考えたときに、誰よりも気持ちを強く持てるかなと思いますし、一人だけじゃなくて周りから受け取るものを力にして発揮できるかなと思うので、もともと得意ではありませんが、一番自分似合っている区間かなと思います。
――5区を走った経験はご自身にとってやはり大きいものだったのでしょうか
5区を走ったことによって、自分が今までこの4年間で得るものがたくさんあって、本当によかったかなとは感じていますね。
――きょねん欠場となってしまった箱根を振り返って
悔しかったというよりも、僕が走れば往路優勝も少し見えたかなというのを感じて、特に今までついてきてくれた高田(康暉、スポ3=鹿児島実)が区間賞を取ってくれたり、6区の三浦(雅裕、スポ3=兵庫・西脇工)を先頭で送り出せなかったという、仲間に対しての申し訳無さがあって、家族とかも応援してくれている中で期待に応えられなかったという辛さがたくさんあったので、来年なんとしてでも借りを返してちゃんとリベンジしなければならないなと思いました。
――ワセダに入ってよかったことは
ワセダに入って、いい選手が本当にたくさんいますし、吸収できることもあって、自分の成長につながるものがありますし、ワセダというだけでネームの強さから応援してくれる人がいたりしました。だからこそワセダにいる以上は、しっかりと結果を出して勝って感謝の気持ちを持って取り組んでいきたいなと思います。
――この4年間最も感謝の思いを伝えたい人は
それはもうやはり親ですね。きょねんは欠場することを直前に伝えたのですが、なかなか伝えられなかったということがありました。でも何かしら暖かく支えてくれていたので、最後は恩返しできたらなと思います。
――4年間で自分の成長した点は何か感じていますか
まずは周りに感謝ができるようになりました。こういう環境にいるということで、自覚を持って行動できるようになったと思います。あとは試合に立ち向かう姿勢の中で、他人に頼らずに、自分自身で戦うことができるようになったということです。その2つの点で成長したのかなと感じています。
――卒業後も実業団で競技生活を続けられるということですが
実業団はまた違って、結果だけを求められるシビアな世界だと思うので、常にトップだけを目指してやっていきたいです。
「最後は優勝だけを考えていたい」
全日本では気合のこもった走りを見せた山本。箱根では最重要区間5区を担う
――箱根まで残り少ないですが、最後の箱根に向けて意識していることは
数少ない日数の中で、一日一日のケアやストレッチをサボったりとか、そういったことが故障につながると思いますし、あとは間食とか日々の生活のちょっとの気の緩みが競技力はマイナスになっていくと思います。1日1日大切にしていかないと自分のベストの状態に持っていけないと思うので、練習の姿勢だけじゃなくて別のところの生活でも集中して大切にしていきたいと思います。
――最後の箱根を間近に控えていますが心境は
いまは実感があまりありませんが、冷静に考えるとこれが最後なんだなというのを最近になって感じてきまして、緊張やワクワクというより寂しさもありつつ…。でも最後の箱根ということでワクワクもしていますし、そういった中でもとにかく全力を尽くすだけかなと思います。
――個人の目標を教えてください
区間賞だけですね。区間賞を取りたいというよりも、箱根駅伝で優勝するためには自分の区間賞を取ることが大事だと思っています。
――山上りのカギは、どう考えられていますか
登り始めたときに一瞬でも気を抜くとリズムが悪くなって、ペースが落ちていくし、気を抜いた時にタイムも落ちるので、きつくなっても全力で足を動かして走って、1秒でも早くゴールすることが大事だと思うので、一瞬たりとも気を抜かずに走りたいです。
――レースプランなどはありますか
上位の位置でもらってくれると思うので、ことしはとにかく往路優勝をするということだけに集中しているので、往路テープを切ることだけが自分の役目です。あまり差が大きすぎると難しいと思いますがどういう順位で来ても往路テープを一番でゴールしたいですね。
――ライバルの選手はどなたですか
特にないですが、駒大、東洋大、青学大、明大が優勝候補に絡んでくると思うので、そこの大学の選手よりは先にゴールしたいです
――きょねん欠場となった悔しさも大きいと思いますが
きょねんは本気で優勝を狙っていましたが、そこで出られなくて、挑戦したということを後悔はしていませんが、あれだけ本気でやって出られないという悔しさがあったので、その悔しさを最後にぶつけたいです。
――どんな走りを見せたいですか
4年間の集大成ということもありますし、いままでのすべての応援と支えによって成長したということを見せて、やはりワセダの優勝する姿を期待していると思うので、その姿を見せたいです。
――山本選手にとって箱根とは
やはりこれまでの箱根駅伝を目指してやってきている人がいますが、夢というか、自分の持ち味を発揮できる場所、何か大切なものを見つけられるそういった場所だと思います。
――最後に意気込みをお願いします
僕がワセダに入ってからは優勝をしていないので、優勝したいという思いを持っていれば、エンジの力が自分を動かしてくれるのではないかと信じています。そういう思いを強く持っていれば走れると思うので、最後は優勝だけを考えていたいと思います。
――ありがとございました!
(取材・編集 松田萌花)
箱根への意気込みを書いていただきました
◆山本修平(やまもと・しゅうへい)
1991年(平3)5月24日生まれのA型。168㌢、47㌔。愛知・時習館高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:5000メートル13分42秒17。1万メートル28分14秒19。ハーフマラソン1時間2分14秒。2012年箱根駅伝5区1時間19分52秒(区間3位)、13年5区1時間22分52秒(区間3位)。すべての質問に力強く答えてくださった山本選手。3度目となる箱根路で4年間の集大成を示し、目指すは『優勝』のみ。エンジのユニホームでのラストランに向けて、強い決意が伺えました。