【連載】『逆襲』 第5回 田口大貴

駅伝

 第5回にお届けするのは、昨年、1年間の浪人生活を経て念願のワセダへ入学した田口大貴(スポ2=秋田)。関東学生対校選手権(関カレ)のハーフマラソンに出場、出雲駅伝で出走するなど様々な経験を積んだ今季。2年目に訪れた心境の変化、そしてエンジへの思いを語ってもらった。

 ※この取材は11月24日に行ったものです

憧れの『エンジ』を着ての大舞台

成長を遂げた今季を振り返る田口

――きょうから集中練習が始まりました
きょうは距離走から入りました。これからチームの上尾(上尾シティハーフマラソン)で出た課題であるスタミナ不足を補う、走り込みの時期に入ったという感じです。

――現在の調子はいかがですか
上尾を期に少しずつ調子が良くなっていると思います。

――今シーズンを振り返っていただきます。関東学生対校選手権(関カレ)ではハーフマラソンに出場されました
始めてエンジを着させていただく機会をいただきました。エンジを着ることに中学の頃から憧れを抱いていたので、初めてインカレの試合に出させていただいてありがたいというか、本当に良い経験をさせていただいたと思っています。

――実際に着てみて重みは感じましたか
そうですね。いままで自分が着ていたセカンドユニフォームとは違う緊張感というものがありましたし、ワセダの代表ということになるのでそれなりの責任感というのもありましたね。

――夏合宿を振り返っていかがですか
いま思うと、夏合宿は自分にとって変われたきっかけとなった時期だったのかなと思います。練習でもいままでやってきたこととは全然違う感覚というか、そういったところで走ることができたので、いろいろな収穫が多かったと感じます。

――いままでとは違った感覚とは
いままでは自分の中でいこうと思ってもいききれていなかったというか。言ってしまえば主力の人たちについていこうと思っていても、いままでだったらついていけませんでした。1年間Aチームでやらせていただいたことで、自分の中で少しずつ力はついてきたと思っています。それが結果として、2年目の夏合宿という時期に、ある程度力がついた段階で主力の人たちについていって争うことができたことで、また1段階上のレベルの練習ができたのかなと思います。

――合宿を良いかたちで終えられたと部員日記に書かれていましたが、出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)にうまくつながっていきましたか
そうですね。合宿の出来が良かったというところを評価していただいて、出雲で出走させていただくというような流れになったのだと自分では思います。

――初めての大学駅伝でしたが、緊張はされましたか
はい。かなり緊張しました。関カレの時も緊張はしたんですけど、関カレはチームのレースというよりも個人的なレースの中の一つの位置づけだったので。それを考えると、駅伝というのはチームをより一層意識しました。関カレとはまた違った緊張感がありましたね。

――渡辺康幸駅伝監督(平8人卒=千葉・市船橋)、相楽豊コーチ(平15人卒=福島・安積)からは何か伝えられましたか
夏合宿をやってきた成果をしっかりと出すことを意識して、自信持っていけと言われました。

――実際に走ってみていかがでしたか
もともと、駅伝というものの試合を走る経験がなかったので、普段走っている時とは違うレースの流れがあることは感じていました。終わった後は駅伝の難しさとかこうしなきゃいけないのか、といういろいろな課題がかなり見えてきたと思います。

――具体的に課題とは
後半区間を走らせていただいて、自分一人の中で押していけるかというのがかなり重要になってくるかなと。攻める気持ちを持ちつつも、ペースを落とさないでいかに自分の感覚の中で一定のリズムで押していけるかというのが大事なところなのかなと思いました。

――区間8位、チーム6位という結果についてはいかがですか
出雲の場合は、アクシデントがあったと言ってしまえばそれまでです。それ以上に、アクシデントがあったのはワセダだけじゃなくて、東洋さんであったり駒澤さんであったりと他の大学もアクシデントがありました。その中で東洋、駒澤の二校はアクシデントがあった中でも後半グッと上げてきて、ワセダよりも良い順位できました。二校はそれなりに地力を発揮してきた中で、僕らは押し切ることができなかった、という反省点がはっきりと出てしまいました。

――エンジを経験したことで変わったことはありましたか
それはもう間違いなくありました。より一層、自分がチームの主力としてというか、天狗になるという意味じゃなくて、良い意味で自分が主力になるという位置付け、意識を持つようになりました。いままではそういった機会に触れることがあまりなかったので。大学の最前線の舞台を経験して、自分がそれを踏まえた上でどうやっていかなきゃいけないかを考えて、生活の面でもそうですし、練習の中でも位置づけしていろいろな意識の変化がありました。

――その後調子を落とされたとお聞きしました
自分の中ではこのままの流れでいけると思っていたんですけど、夏合宿の疲れが出てきてしまいました。いままでとは違う一つ上の質での練習であったりとか、昨年に比べれば距離も全然踏んでいたほうなので、合宿の疲れが見えないところで徐々に出てきました。それをきっかけに調子が落ちていったのではないかなと思います。

――全日本大学駅伝対校選手権(全日本)は補欠に回りました
調子が悪いためにメンバーから外れたというのがあって、外された直後は仕方がないと思いました。けど、全日本補欠に回ってレースが動いて、自分が走っていない中であの順位、やはり3番という結果にすごく悔しい思いをしましたし、本来であれば出雲を走らせていただいた経験を踏まえて自分が全日本でどれだけ走れるかっていうことを監督、コーチが見ていたんじゃないかなと思うので、その期待に応えられなかったことは僕自身反省しています。それ以上に前回、出雲を走ったのに今回走れなかったということがこれだけ悔しいことなのかと思いました。そういう思いがある中で自分の体がなかなか動いてこないという自分に対しての苛立ちじゃないんですけど、自分に対しての様々な感情がありました。

――疲れが抜けてきたことや悔しさが上尾ハーフに繋がりましたか
上尾に関しては、全日本が終わってからも1週間くらいはなかなか体が動いてくれないこともあって、自分自身どうしようかなと思っていました。調子を落としてから自分なりにいろいろと考えて取り組んできた中で、直前の仕上げ練習で動きの中で変化が出てきました。それを期に動きが少しずつ変わってきたというのが自分の中にあります。後はもう日はなかったんですけど、残り2、3日という中で動きをなるべく再現していく、ジョグから意識して感覚をとりあえず再現していこう、その流れでいこうとしていた結果が上尾になったのかなと思いますね。

――何かきっかけはありましたか
元から好不調の波が激しいということを渡辺さんにも指摘されていたんですけど、全日本が終わった後、渡辺さんから喝を入れてもらうことがありました。それがきっかけとなって自分の中で奮起しました。後は意識の変化といろいろと試行錯誤していた結果がうまくはまったのかなと思います。

――関カレから2分以上の自己記録更新でした
関カレが終わって夏合宿の出来を考えるとそのくらいのタイムを縮めることが当たり前というか、そのように思われていたと思います。僕自身も、そのくらいのタイムは出したいなと思っていたんですけど、ずっと不調だった中で上尾を期に自己ベストを更新したということに関しては自分の中で自信を持てます。やっぱり自分が不調という中でそのくらいタイムを縮められたことは僕自身今後に向けて意識の中でモチベーションも上がりますし、すごく良い機会だったんじゃないかなと思います。

「ワセダに入らなければ何も始まらない」

出雲で駅伝デビューを果たした

――田口選手は浪人を経ての入部ですが、ワセダを志望した理由は
箱根(東京箱根間往復大学駅伝)を子供の頃から見ていた中で、大学までは競技をしたいとは思っていました。中学のときにいろいろなユニフォームを見て、エンジのWがすごく魅力的だと感じました。特定の選手を見てではないんですけど、ワセダのユニフォームを着て箱根を走りたいなと思っていたのがきっかけです。

――他の大学への入学は考えませんでしたか
正直なところ、浪人をすることに関してはいろんな人から反対をされました。他の大学を受けるということも考えたりしましたけど、最終的に自分がどうしたいかということを考えたときに、やっぱりワセダで走るということを譲れなくて、そこだけは曲げたくなかったというか。そういう思いもあった中、一番の決め手になったのは親が後押ししてくれたことでした。親が浪人して走るだけの価値がワセダにはあるからと言ってくれたのが決め手ですね。

――ブランクができてしまうことに関して不安はありませんでしたか
ブランクがあることに関しては僕自身も考えてはいたところなんですけど、それ以上にワセダに入る、入らなければ何も始まらないと思っていました。受験をするにあたって合格が決まるまでは勉強をしようと思っていましたし、やはり親からも入らないことには何も始まらないから勉強はしろと言われていました。だからと言って、全く走っていなかったわけではないんですけど。少しですけど、自分で時間を見つけてできるときがあれば走ったり、軽く運動はしたりはしていました。ただ、入ってから1年くらいは体を戻すくらいでいいやとは思っていました。

――スポーツ推薦で決まった後から本格的に練習を始めたのですか
スポーツ推薦で決まった後は自分なりにやっていました。僕は、高校時代自分で練習メニューを決めてやっていたこともあったので、そのことに関しては特に苦労することもなく自分のペースでやれることをやっていたということはありますね。ただ、浪人中は何も縛られるものはなかったので逆にそれがきつかったというか…。自分の中で練習のリズムを定着させることが難しかったですね。実際、自分に対して甘くなっちゃって、うまく練習ができなかった時期もありました。苦労はしたんですけど、自分なりにやっていました。

――入部した時の心境を教えてください
やっぱりうれしかったですね。一番に。自分が目指していた世界に入れたということで素直にうれしかったです。主力の人たちとやっと練習ができる、同じ生活ができると思っただけで感慨深いものがありましたし、僕自身あの瞬間は忘れられないものです。

――同期で同じく浪人を経て入部した山本修平(スポ2=愛知・時習館)選手については
元々スポーツ推薦でとるときも修平と二人でとると聞いていたので、同じ境遇というか、同じ浪人の修平の存在は僕にとって大きかったですね。僕一人だけの浪人生だったら結構きつかったと思うので。修平の存在に結構助けられた部分はあります。

出雲、全日本の悔しさは箱根で返す

――駅伝を一度経験したことで箱根のイメージはできましたか
その点に関しては僕の中で大きいですね。駅伝を走る、走らないだけで全く違います。それに、関カレでハーフマラソンに出させていただいて、エンジを着て長い距離を走るという経験を踏んでいますし、出雲で駅伝を経験させていただいて箱根のイメージが僕の中で作りやすいですね。

――距離に対しての不安はありませんか
そうですね。1万メートルくらいだとちょっと僕の中で苦手意識じゃないんですけど、なかなか走れないイメージがあります。でも、20キロ以上のハーフマラソンくらいの距離になると1年目は大きく外してしまったこともあったんですけど、ことしに入ってまだあまり大きく外していることはないので。そのことに関しては自信を持てているというか。今回の上尾で少しですけど、自信を持てたかなと思います。

――トラックよりもロードのほうが得意ですか
そうですね。僕自身はトラックよりロードの方が走れるかなと思っています。でもこれから先、もっと上を目指すにはトラックの力がかなり必要になってくるとは思います。箱根が終わった後の話なんですけど、トラックでも走れるようになっていかなきゃいけないのかなと思っています。

――ご自身のアピールポイントを教えてください
よく言われるのは、粘り強いということです。僕自身の中では積極性が出たときにそういう自分の特性が出てくると思っているので、走りの中で積極的に自分が走っていて、粘れていることが一番のアピールポイントかなと思います。

――最後に箱根への意気込みをお願いします
チームとしても出雲、全日本と優勝を目指していた中で勝てなかったという悔しさもありますし、僕自身、全日本走れなかった上に出雲も個人的には悔しい思いをしているので早く借りを返したいと思っています。箱根で走って少しでもチームに貢献したいと思っていますし、このチームになっていろいろな経験をさせていただいているので、自分自身変われたという思いがあります。いまこのチームがあって、自分の力だけでなく経験を積ませてもらえたからこそ、自分が変われたと思っているので、だからこそチームに貢献したいという気持ちが大きいです。箱根は自分の力全てを出せるようにいまからちゃんとしっかり準備をして迎えたいなと思っています。

――ありがとうございました!

(取材・編集 目良夕貴) 

◆田口大貴(たぐち・だいき)
 1991年(平3)12月12日生まれのA型。168センチ、51キロ。秋田高出身。スポーツ科学部2年。自己記録:5000メートル14分23秒60。1万メートル30分21秒00。ハーフマラソン1時間04分23秒