【連載】『ツナグ』 第10回 田中鴻佑 

駅伝


 今季大きな成長を果たし、復路のエース区間とも言われる9区を任された田中鴻佑(法3=京都・洛南)。念願の箱根で、田中が感じたこととは――。そして、競技生活最後の1年となる来季への思いを伺った。

※この取材は1月26日に行われたものです

「悔しくて情けない」

4年生が抜けた穴を、自らが主力に成長し埋めたいと語る

――東京箱根間往復大学駅伝(箱根)を終えた今のお気持ちを教えてください
結果が良くなかったというのがあったので、悔しさだったり情けなさだったりもありますが、今はそういう経験が次に生かそうという風にプラスに向いていると思って、良い緊張感を持って練習に取り組めていると思います。

――大学駅伝デビューでした。初のエンジの感想はいかがですか
あれだけ大きい大会だと、それまで思っていた以上にプレッシャーを感じました。そういったものに耐えられるだけの練習をやってきたつもりだったのですが、実際任されて緊張してしまったというのがあったので…。でも、良い経験ができたなと感じています。
――それでは出走が決まったときの周囲の反応はいかがでしたか
ずっと僕が箱根を目指してやっているということを知ってくれている人が多かったので、応援してくれている人たちは喜んでくれました。

――出走が告げられたのはいつ頃でしたか
区間エントリーのときに9区にエントリーしたからということを言われました・ただまだ当日まで変更、何があるかわからないからということで、9区の走る準備だけをしておいてくれということを29日の帰りのときに言われました。

――それまでは区間の話は一切されていなかったということですか
全然されていなかったですね。

――そのときの心境はいかがでしたか
9区と聞いて、大丈夫かなという不安があったのですが、練習自体はできていました。ワセダの作戦上、往路で稼いであとはもう我慢するだけだということはわかっていたので、求められているものも、すごいタイム差つけるような走りではないということもわかっていましたし、どの区間というのは意識せずにしっかり力を出そうということだけを考えていました。

――それでは9区にはどのようなイメージをいだいていましたか
僕の前が前田さん(悠貴、スポ4=宮崎・小林)だったり、僕が一年のときは八木さん(勇樹、平24スポ卒=現旭化成)というすごい選手が走られていたので、自分なんかで務まるのかなという印象は確かにありました。ただその中でも任せてもらえたということがあったので、特にどうということは意識せずにやりました。

――どのような心構えで箱根に臨みましたか
往路が終わるまでは、往路で往路優勝という展開で、1位であとは我慢するだけだという想定を考えていました。上尾のときに64分7秒というタイムが出てその当時からまだ少し力がついたと感じていたので、とにかく63分台のレースをしっかりできるようにしていこうと思っていました。

――渡辺康幸駅伝監督(平8人卒=千葉・市船橋)からはどのような指示がありましたか
レース当日、タスキをもらう直前にもらった指示では、(5キロを)15分50くらいで入って、そこから押していって後半勝負だということだったので、あまり前半力みすぎず、少し落ち着いて入るようにと思っていました。

――前日の往路の日はどのように過ごされていたのですか
いつも通りの流れで朝練習をして、3区くらいまで箱根駅伝の往路を観ました。途中で自分の練習をしてという形で、いつもとそんなに流れが変わったわけではありません。

――往路2位という結果はどのように感じましたか
確かに1区で出遅れがあったというのはありましたけが、どこのチームも往路に強い選手がそろっていたので、どういう順位になるかわからないということは考えていたことでした。でも2位あそこまで後半しっかり上げてこれてきたということは、往路を走った選手たちの力があったからかなと思います。

――往路を終えた選手とは走る前にお話しされましたか
同じ宿舎だった人たちとは会って、声かけてもらったりとかはありました。あとは当日の中継所に大迫(傑、スポ3=長野・佐久長聖)が来てくれたりしたので、声をかけてもらいました。

――それでは、実際9区を走った感想を教えてください
何よりも自分が思っていた走りが全然できなかったというのがすごく悔しくて情けないというのが第一印象というか、一番思っていることですね。今回経験して、もっとやれたのではないかなと思う部分がすごくあったので、来年どこを任されるか、そもそも走る、走らないというのもわかりませんが、反省をして活かしていきたいと思います。今回については、まだもっとやれるんじゃないかなという印象でした。

――駒大の上野渉選手が追いついてきたときはどのようなことを考えていたのでしょうか
後ろから(上野選手が)来るということは監督からずっと言われていたので、あとはどこまでついていけるかということだけを考えていたのですが、実際後ろについたときにつけないペースではないという印象があったので、とにかく粘ろうという感じでした。

――レース中に渡辺監督からは指示はあったのでしょうか
後ろのタイム差などはあまり具体的にはわからなかったのですが、後ろから駒澤大学、帝京大学が追ってきていることはずっと言われていたので、わかっていました。とにかく自分のペースで走って、追いつかれてからついていけということだけ言われていました。

――そのあと追いつかれてからはどのような指示があったのでしょうか
とにかく粘るしかなかったので、とにかく粘れという、ただそれだけでした。
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――10区の田口大貴選手(スポ2=秋田)が見えたときのお気持ちはいかがでしたか
かなり順位を下げたというか後ろから詰められて、結果的に前もなかなか見えない位置で渡してしまったので、申し訳ないなという気持ちが一番強かったです。

――タスキリレーのときは何か声はおかけになったのでしょうか
あまり覚えていないのですが(笑)、何か声はかけていたと思います。

「いままで見ていた目線とは変わった」

――今回箱根の出走に至った最大の要因は何だと思いますか
この1年間は大きい怪我がなく練習が積めたということですね。こなしていた練習量に関しては、自分自身自信を持っていましたし、ひたすら積み上げていった結果が形になったのかなと思います。

――それでは、この1年振り返ってどのような1年でしたか
実際よく走れたと思えるレースが上尾ハーフくらいで、前半のシーズンはもうボロボロだったので、誰も僕が箱根を走ることになるとは思わなかったと思います。僕自身、あまりイメージできないくらいでした。結果は出ませんでしたが、自分なりに頑張れたシーズンだったのかなと思います。

――出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)、全日本大学駅伝対校選手権(全日本)でもエントリーはされていました。出走は叶わなかったですが、そのときの心境はいかがでしたか
出雲は正直、自分自身まさかというか、入ると思っていませんでした。直前でちょっと調子が良くなってきて、おまけで入れてもらったというくらいの位置だったと思います。それでも、走れなかったというのは、情けなさを感じました。全日本は逆に走れると思っていて、結果選手から外れてしまいました。最近そういう経験もあまりしていませんでしたし、その悔しさは大きかったです。自分の中で次こそはという思いがより強くなったので、良い経験になりました。

――それでは、箱根を走れると確信し始めたのはいつ頃ですか
どちらにしろ、春シーズンのときに、力量的には15,6番目くらいだと思っていたので、そこから具体的に行けるかもと思ったのは実際集中練習に入ってからです。それでも夏合宿である程度走れたり、出雲、全日本のメンバー争いができたという時点で、そういう位置にいるからには自分がしっかり走らなければいけないなという責任は感じていました。

――それまで、箱根駅伝とはご自身にとってどのような大会でしたか
ずっと憧れてきた舞台だったので、とにかく最初は走れたらいいなと思っていました。ただ学年が上がるに連れて、先輩たちを見てきて、ワセダが優勝しないといけないチームだということ、そういう意味で箱根を走れればいいだけではなくて、優勝に貢献できるだけの走りをしないといけないという思いがありました。

――昨季まで大学駅伝には、同学年で大迫選手、志方文典選手(スポ3=兵庫・西脇工)以外のエントリーがありませんでした。そのことについてはどのようにお考えでしたか
力の差が2人だけずば抜けて、僕らが全然だという状況は、危機感ではありませんが、大迫、志方だけの学年と言われるのがやはり悔しかったですね。今回僕と相原(将仁、教3=東京・早実)が新しく駅伝を経験できましたが、とにかくそこの間を埋めるということを大事にずっと考えて取り組んできたことだったので、結果的にいまは良い方向に向かってきたと思います。

――それでは、お話は少し変わるのですが、ワセダを志望した理由はなんですか
もともと箱根駅伝に出たかったというのがあったので、ずっと関東の大学には行きたいとは思っていました。ただ、陸上競技だけではなくて、高校時代も少し勉強していたというのもあったので、学業においてもある程度高いレベルで、文武両道をできるところはどこかなと考えたときに早稲田大学に入学したいと思って決めました。

――練習している所沢キャンパスであるスポーツ科学部や人間科学部ではなく、法学部を選んだことには何か理由があるのでしょうか
指定校推薦で入ってきたので、枠が限られていたのもあるのですが、その中で興味があったのが法学でした。特に法学にこだわりがあったというわけではなかったのですが(笑)。

――ちなみに、他にどのような学部があったのでしょうか(笑)
政治経済学部(政経)と商学部ですかね。文系だとその三枠が確かあったと思います。政経が1人、同じクラスに指定校推薦で行く人が決まっていたので、法学部か商学部かとなったときに、法学の方が面白そうだなということで法学部を選びました。

――テスト期間中ですが、両立は大変ではないですか
そうですね。いまは結構過酷で、たぶん寿命を縮めているなという感じはします(笑)。

――練習終わったらすぐに勉強という流れですか
そうですね。練習やって勉強やってという繰り返しで、睡眠時間もあまり取れずにいます。でも学年が上がるに連れて、徐々に科目数が減ったということもあって、少しはマシになりました。ただそれでもまだ、だいぶきついなという感じです。

――それでは、オフのときは何をされているのですか
競走部の友達と遊びに行くこともあります。でも、特に何かしているというのもないです。

――競走部で仲の良い選手は
大迫とかはよく一緒にいるのですが、同学年は結構仲がいいので、みんなわいわいやっています(笑)。

――陸上の話に戻るのですが、陸上を始めたきっかけは何ですか
最初は小学5年生だったのですが、京都市の小学校単位の対抗の駅伝があって、その大会に出たいと思って始めたのがきっかけでした。

――それでは、中高とどのような競技生活を送っていたのでしょうか
中学で続けるきっかけになったのが、箱根に出たいということだったので、とにかく中高と京都府の中では全国を狙える学校だったので、最終的にとにかく箱根駅伝を走りたいと思っていました。全国規模の大会に出て活躍したいなという思いで、陸上を続けていました。

――ワセダの競走部に入ったときの印象はいかがでしたか
強い選手というか、高校時代、中学時代とすごく名前を聞く選手ばかりがいらっしゃったので、こんなところに入って大丈夫なのかなという思いはありました。ただすごく周りから刺激をもらえる環境だったので、陸上競技をやるには最高の環境だなと感じました。

――入部から3年経ちますが、印象の変化はありますか
前までは、後ろに引っついていくだけで、すごい選手に遠慮というわけではありませんが、後ろについていくばかりでした。いまは最終学年ということもありますし、自分の力がついてきたということもあって、自分自身が引っ張っていかないといけないなという思いでやっているので、いままで見ていた目線とは変わったかなと思います。

「自分自身が主力になっていかないといけない」

裏のエース区間とも言われる9区を任されたが、思うような走りはできなかった

――箱根を経験して何か変わったことはありますか
まず一つは、最後あと1回の箱根で勝ちたいという思いが強くなったことです。他には、自分のチーム内での役割というのが箱根を経験して変わったと思うので、自分自身が主力になっていかないといけないなという思いでもいます。考え方や感情面での変化はあったと感じます。

――それでは、具体的な収穫や課題は見つかりましたか
一つは、9区を走った選手を見ていてもそうだったのですが、自分だけトラックの持ちタイムが遅くて、なんとかしなければいけないと感じました。ハーフのタイムではそんなに変わらないかもしれないのですが、トラックのタイムで結構差がついているという印象がありました。トラックの持ちタイム次第では最初の入りのタイムなどの自信の持ちようが変わってくると思うので、記録を上げていきたいと思います。いまはもちろん箱根を走れるだけの練習をしつつも、春先のトラックシーズンでいかにタイムを出せるかということを考えてやっています。

――新チームの練習はいつから始まったのでしょうか
全体で集まったのは12日ですかね、土曜でした。

――その間の解散期間はどのように過ごされていたのですか
割と早めに帰ってきて、結局自分で練習をしてという感じでした。気持ち的にはゆっくり休みつつ、体はある程度動かしながら、という過ごし方をしました。

――ご実家に帰られたということですか
そうですね。帰省してゆっくりしました。

――ご家族の反応はいかがでしたか
みんな喜んでくれていたっていうのはあったのですが、僕自身があまり喜べはしませんでした。良かったなという風に声はかけてもらいましたね。

――それでは、新チームの印象はいかがですか
やはり4年生の力がやはりすごくて、かなりの主力の方々が抜けられたと思います。いまもう1回箱根駅伝を1、2、3学年だけでしたときに、おそらくシード争いもできないような力のチームだと思うので、そういう意味で練習に対する危機感というのはいままで以上に個人個人が持てているのかなと思います。

――それではご自身のいまの調子はいかがですか
集中練習に引き続き、割と良い感覚でというか、調子良く走れていると思います。

――主将としての大迫選手の印象を教えてください
競技で引っ張っていくというところ、僕らとしても競技面で引っ張っていってほしいという思いはありますね。もちろんその部分に関しては僕らは言うことがなくて、本当にすごくやってくれています。そのほかにもできる限りチーム個人個人に目を向けて、全体を見ようとしてやってくれているので、思っていた以上と言ったら失礼ですが、すごく頑張ってくれているなというのと、張ろうとしてくれているなという印象があります。

――新4年生はどのような学年ですか
第一に仲が良いというのがありますし、僕自身そういう雰囲気が好きですね。ただ、競技に対する思いというのは、結果がついてきている、ついてきていないに関係なく、結果に対する厳しさというものは持っている学年です。良い意味で競技の厳しさはありつつ、チームワークではありませんが、そういう雰囲気の良さはあると思います。

――よく競技の話やチーム全体の話などは皆さんでされるのでしょうか
そうですね。特に頻繁に全員で集まってというわけではありませんが、ちょっとした時にああだこうだということは話しています。

――それでは、競技生活最後の1年はどのような1年にしたいですか
箱根で勝つことがとにかく一番大きな目標なので、いまはただそのためにだけにこのシーズンを過ごせたらなという思いです。ただ、そのためには春の結果であったりとか、三大駅伝3つある中での他の駅伝での走りだったりとか求められている部分というのはやはり大きいと思うので、箱根で優勝するということを考えながら、最初から最後まで充実したシーズンを送りたいと思っています。

――今後のご予定は
2月10日の千葉クロカンに出場予定なので、それに出場したあと、3月に立川ハーフに出て、あとはトラックシーズンという感じです。

――トラックシーズンの目標をお願いします
トラックに関しては5000メートル13分台、1万メートル28分台というのを出せないとある程度箱根では戦えないと思っているので、そのタイムを目標にしつつ、でもあくまで箱根に繋げるという思いで取り組んでいければと思います。

――それでは、最後にこの1年の意気込みを教えてください
個人的な話になると、競技ラスト1年ということがあるので、そういう思いでは1日1日後悔したくないと思っています。とにかく自分に厳しく、かつ、最終学年としてチームにも厳しく過ごして、とにかく箱根で優勝するためにすべてやりたいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 川嶋悠里) 

◆田中鴻佑(たなか・こうすけ)
 1991年(平3)11月25日生まれのO型。180センチ、63キロ。京都・洛南高出身。法学部3年。自己記録:5000メートル14分24秒98。1万メートル29分47秒40。ハーフマラソン1時間4分6秒。2013年箱根駅伝9区1時間12分29秒(区間12位)