【連載】『ツナグ』 第9回 柳利幸 

駅伝


 第9回は、1年生ながらただ一人箱根路を駆け抜けた柳利幸(教1=埼玉・早大本庄)。
区間14位とチームに貢献することは叶わなかったがこの経験は必ず今後に生きてくるだろう。陸上を始めてわずか2年で鮮烈デビューを果たした柳が何を感じ、どんな思いでタスキをつないだのか。その心の内をうかがった。

※この取材は1月29日に行われたものです

「初めての箱根駅伝だったので慎重になりすぎた」

応援に来てくれた友人の話になると笑顔に

――現在の調子はいかがですか
そんなに目立ったケガもありませんし調子も悪くないです。来月2日に試合にも出させていただくので、それに向けて調子は上がってきている感じだと思います。

――テストや単位は順調ですか
今日もレポートや課題提出があったのですが、まあ順調と言えば順調ですね。

――箱根後はゆっくり休めましたか
そうですね。だいたい1週間くらい解散期間だったのですが、友達や家族とご飯に行ったりだとか、兄弟がいるのですが、一緒に買い物行ったりだとかしてすごくリフレッシュできたと思います。

――ご兄弟は陸上をやられているのですか
いえ、全然です。兄と弟がいるのですが、(やっているのは)サッカーですね。

――箱根駅伝に出たことでやはり反響があったと思うのですが、例えばどのようなものがありましたか
僕はSNSをやっているのですが、ツイッターのフォロワーさんが増えましたね。あとは地元に帰ってから、今まで話したことない地域の人からもお疲れ様―と言われたり、中学や高校の友達からもいろいろメッセージもらえたのですごく嬉しかったです。

――ツイッターは具体的にどれくらいフォロワーが増えたのでしょうか
箱根が終わってからで大体300~400くらいは増えていました。パッと見たら「あ。」って(笑)。

――やはり嬉しいものですか
そうですね。いやもうびっくりしました。

――箱根から約3週間経過しましたが、今思うことはなんですか
やはり4年生の力のある方々と一緒に出られた箱根駅伝だったので、あの結果で終ってしまったのは悔しいという気がありますね。

――レースを終えた時の率直な感想はいかがでしたか
僕の前と後ろは他大からすごく離れていたので単独で走った形になったのですが、やはり次の9区の田中さん(鴻佑、法3=京都・洛南)に渡す時に少しでも前を詰められていたらもう少し良い結果が出たのかなというのがありますね。

――単独走というのはやはり走りにくいものですか
自分としてはそこまで走りにくいというのはないのですが、初めての箱根駅伝で慎重になりすぎた部分がありました。僕の後ろの走っている車から監督からの指示も聞こえてきたりしたのですが、プレッシャーもあって自分の走りができなかったというのがありますね。

――8区を任されるというのはいつごろからわかっていたのですか
前日の往路が終わって、復路を走る人たちが宿舎に向かい始めてしばらく経ったころに渡辺監督(康幸、平8人卒=千葉・市船橋)から電話が来て、その時にようやく知らされました。前日の夕方くらいですね。

――一日で心の準備はできましたか
そうですね。やはり宿舎には先輩たちやスタッフの方がたくさんいたので、その人たちに緊張をほぐしてもらったりしたおかげで、準備はできたと思います。

――1年生でただ一人の起用となりましたが、そのことについてはいかがですか
スポーツ推薦で入ってきた高田(康暉、スポ1=鹿児島実)や三浦(雅裕、スポ1=兵庫・西脇工)を差し置いて付属上がりの僕が出たということもありますし、やはりその二人の箱根に対する思いや、陸上や競技に対する思い、1年間頑張ってきたことがあったなかで、僕が出たということでもあるので、その人たちの分まで頑張ろうというのは考えましたね。

――渡辺監督や相楽豊コーチ(平8人卒=千葉・市船橋)が柳さんを選んだ決め手はどこにあるとお考えですか
やはり1年振り返って、試合や記録会で毎回ベスト更新していたことや、そこそこの結果を出していたところで、高田と評価が大きく違ったのかなと思います。

――テレビ放送でも言われていましたが、陸上を始めてわずか2年で箱根に出場したことについてはいかがですか
正直、陸上を始めた頃はこうなるとは予想していませんでした(笑)。本当に自分でもびっくりしています。

――大学で入学した時点で入部1年目に箱根に出場すると考えていましたか
いえ全然考えていませんでした(笑)。最初、1年は本当に土台作りから始めて、2~3年くらいからメンバー争いを始めて、最終的に箱根駅伝走れたらなくらいだったので、箱根に出場できると思っていませんでした。

「恥ずかしい結果なので納得していない」

――調整はうまくいきましたか
授業と集中練習の両立というのがなかなかうまくいかなくて、調整という面ではちゃんとできたかなということはあります。やはりそこは学生なので、しっかりできれば良かったなと思います。

――当日はどのようなレースプランをお持ちでしたか
8区は遊行寺の坂があるのですが、前回、前々回の箱根を見直してもそこでみんなペースダウンしていたので、遊行寺の坂以降のラスト5、6キロを上げられればいいかなと思っていました。

――レースプランの通りにはいきましたか
その坂を重要視しすぎて、前半はすごく遅いペースで行ってしまったので、坂を過ぎてからは一気に上げるしかないと思って走りました。

――ペース配分や設定タイムは具体的にはどのようなものでしたか
渡辺さんからは、遊行寺の坂までの約15キロを30分半くらいで行って、そこから粘れという指示をいただいていたのですが、予想以上にそこまで31、2分かかってしまったので、その点が今回の反省点かなと思います。

――当日の体調やコンディションはいかがでしたか
付添いの先輩や前日往路を走った先輩たちが走る直前に中継所に来てくれて、すごく励ましてくれましたし、緊張や体調の管理などもみんな気を配ってくれたので、当日は非常に良い状態でした。

――レース中には監督からどういった指示をいただきましたか
設定タイムの指示を主にいただきました。遊行寺の坂ではすごく励ましというか応援の声も聞こえたので、それですごく頑張れました。

――沿道などで友人や家族を見かけましたか
高校のサッカー部の友達や陸上部の友達、学部の友達も応援しに来てくれていました。あと家族も、母と兄弟が応援しに来てくれて、感謝の気持ちでいっぱいです。

――やはり走っていても応援に来てくれた方には気付くものなのでしょうか
サッカー部の友達はすごくアピールをしていたので気が付きました(笑)。テレビで見ていてもしっかりわかるくらいでした。ブブゼラを持ってきていたんですよ(笑)。しかも一番きつい遊行寺の坂のあたりでみんな固まって応援してくれいたので、それですごく頑張れました。

――一番印象に残っている場面があれば教えてください
やはり遊行寺の坂ですね。あの400メートル、500メートルが一番記憶に残っているというか、そこがきつかったということはすごく覚えています。

――志方文典選手(スポ3=兵庫・西脇工)からタスキを受け取る際に何か声をかけてもらいましたか
特にはありませんが、やはり調整があまりできなかった志方さんが頑張って走ってきてくれたので、その気持ちに応えようと思って走りました。

――9区の田中選手にはどのような想いをこめてタスキをつなぎましたか
僕のところで前との差を詰められなかったというのがあったので、田中さんに僕のそういう悔しさとかそういうものを全て託してお願いします、とタスキを渡しました。

――タイムと区間14位という結果についてはいかがですか
渡辺さんからも言われた通り、やはりワセダで走るには(区間順位が)2桁というのは恥ずかしい結果なので、自分としても納得していません。あと30秒40秒速ければ区間10位以内に入れたかなと思います。

――箱根後のミーティングではどういったことを話されましたか
渡辺さんからは、「来年以降は主力になれるように」「もっとトラックのベストタイムやハーフマラソンのベストタイムを更新してチームを引っ張っていけるように」と言われたので、来年以降しっかり自分の中で計画を立てて練習ができるように頑張りたいです。

――強豪校の一角と言われながら優勝できなかった要因はなんだと思いますか
箱根前に主力の先輩方が少しケガをしてしまったり、調子が悪かったりがあったことはひとつあるかなと思います。チーム全体としては、駒澤さんや東洋さんのように絶対勝つぞという闘争心が、素人の僕からはなんですけど、少し足りなかったのかなと思います。

――日体大の優勝をどのように思いますか
5区を走られた服部さん(翔大、日体大)は昨年の都道府県(天皇盃 全国都道府県対抗男子駅伝競走大会)で一緒に走る予定だったのですが、僕の付添いをしてくださいました。その方がすごくチームに貢献して優勝できたと思うので、服部さんのキャプテンとしての力強さというものを感じましたし、やはり復路の人たちがそのリードをまた後続に負けないようにとチーム一丸で頑張ったのが今回の優勝に繋がったのかなと思います。

――他大の選手でお話しされた選手は

明治大学の横手(健、明大)ですね。同じ学年なのですが彼も同じ8区走って、そこまで良いタイムではなかったので、二人で少し反省会というか(笑)。「俺はここがだめだった」「お前もか」みたいな感じになりましたね。

――やはりお互い意識されますよね
そうですね。やはりお互い関東の選手ですし、明治の横手など他大の1年生とは結構仲良くさせてもらっているので、ライバル心はあります。

「大きく貢献したい」

苦しい表情で遊行寺の坂を駆け上がった

――お世話になった4年生への思いをお聞かせください
僕のような初心者がここまで来られたのも、4年生方が練習や合宿で声をかけてくれたり応援してくれたり、アドバイスしてくれたりして引っ張ってくださったからだと思うので、卒業される4年生の方々には感謝しきれないくらいの恩がありますね。

――その中でも特にお世話になった4年生はいらっしゃいますか
佐々木さん(寛文、スポ4=長野・佐久長聖)にはチームをまとめてくださってすごくお世話になりました。個人的には、前田さん(悠貴、スポ4=宮崎・小林)がすごく親身に話をしてくれたり、よく相談に乗ってくれるなど僕のことをすごく気にかけてくれたので、とてもお世話になりました。

――前田選手は普段先頭に立って声を出してチームを引っ張るタイプでなのでしょうか

違いますね。練習では先頭を引っ張ったりするのですが、そんなにがつがつ言う人ではなくて物静かな人です。ただ話してみるとやっぱりすごく自分の考えというか、芯がしっかりしていて、僕が悩んでいるときなどもすごく良いアドバイスくれて、尊敬できる先輩ですね。

――来期走りたい区間はありますか
やはり主要区間を走りたいですね。来年大迫さん(傑、スポ3=長野・佐久長聖)や志方さんも卒業されるので、もっと良い結果を出すために自分が大きく貢献したいと思います。そのためにも主要区間を走りたいなと思いますね。

――具体的には何区を考えられていますか
周りや先輩からは、山本さん(修平、スポ2=愛知・時習館)を平地で使えるように僕が5区を走れればいいのになということをたまに言われるので、それくらいの走力をつけられれば、来年以降5区にも挑戦してみたいなと思いますね。

――山の適正はあると思いますか
そうですね…(笑)。下りよりは上りの方が得意というか、走りやすいというのがあるので、挑戦してみたいと思います。

――やはり高田選手の存在は意識しますか
そうですね。高校時代は世代トップを争ってきた選手ですし、大学に入ってきてからも練習は100パーセント以上の出来です。そういうところはすごく尊敬もしていて、ライバル心、闘争心もあります。やはり高田がいなければ僕もここまで切磋琢磨(せっさたくま)できなかったので、高田がいなければ今の僕はないかなというのはありますね。

――お互い競技についてお話されたりはしますか
そうですね。箱根のメンバーに入ってからは、二人でいろいろ練習のことや、今後どういう風にモチベーションを上げていくかなどの話をしていましたね。

――やはり二人で1年生を引っ張っていくという感じですか
そうですね。やはり高田と僕が1番1年生の中では試合に出て実績というか成績を残せている方なので、その僕と高田でこれからチーム、また来年入ってくる新1年生などを引っ張っていければなと思います。

――直近のレースのご予定はなんですか
おそらく千葉クロカンですね。

――それまでにどのような練習をなさる予定ですか
千葉クロカンで出場する距離に合わせた練習や、スピードに移行するインターバルの練習などを最近取り入れています。そういう練習のほかにも、少し距離が足りなかった時はジョグなりペース走を自分で取り入れるようにしています。

――最後に、来年度のトラックシーズンを含めた具体的な目標をお聞かせください
トラックシーズンでは、まず5000メートルは13分台、1万メートルは28分台、またインカレで入賞というのが目標です。駅伝シーズンでは、優勝を目指して頑張っていきたいなと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 野宮瑞希) 

◆柳利幸(やなぎ・としゆき)
 1993年(平5)4月23日生まれのO型。172センチ、57キロ。埼玉・早大本庄高出身。教育学部教育学科1年。自己記録:5000メートル14分12秒67。1万メートル29分11秒80 。2013年箱根駅伝8区1時間07分49秒(区間14位)