【特集】『ツナグ』 第2回 前田悠貴

駅伝


 これまで4区2位、9区2位と箱根路を快走してきた前田悠貴選手(スポ4=宮崎・小林)。最後の箱根は1区を任されるも大きく出遅れてしまった。実は故障を抱えていたにも関わらず最後まで走りぬいた前田選手に、レース中の心境からワセダでの4年間、そしてこれからの目標と多くの事を伺った。

※この取材は1月31日に行われたものです

「調子は悪くはないと思っていた」

顔を見せるなど前を向く様子もうかがわせた

――箱根が終わり1ヶ月ほど経ちますが、現在の心境はいかがですか
だいぶ気持ちの整理がつきました。実業団でも続けていくので、また頑張ろうという気持ちです。

――箱根が終わったあとどこかに行かれましたか
実家に5日間帰って、その後は都道府県(天皇盃 第18回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会 )の付き添いに行っていました。

――地元の方はどんな反応でしたか
4年間お疲れ様と言われました。

――現在はどこで練習されていますか
ケガが良くないので、全然練習はしていないですね。

――具体的にはどのようなケガですか
上尾シティハーフマラソンが終わってから、左足がシンスプリントになってしまい、それをかばっていたら12月初めくらいからは坐骨神経痛になってしまいました。

――集中練習はできていたのですか
ポイント練習はやっていたのですが、間のジョグなどはあまりできず、走り込めませんでした。

――渡辺康幸駅伝監督(平8人卒=千葉・市船橋)は「調子自体は悪くなかった」とおっしゃっていましたが
自分の中でも不安はありましたが、みんなと練習をする中で大きく遅れる事もありませんでしたし、ケガした中でも練習はそれなりにできていたので、自分でも調子は悪くはないのかなと思っていました。

――12月の全国高校駅伝では母校の小林高校が12年ぶりの入賞を果たされました
毎年惜しい所まで行って入賞を逃していたので、やっと殻が破れて嬉しかったです。自分も頑張らなくてはいけないと思いました。

「申し訳ないという気持ち」

――それでは箱根の話に移っていきます。まず1区のレースを振り返っていかがですか
自分の心と体が合わず、理想と現実のギャップがありました。自分ではもっとやれると思っていたのですが、付いていけずに1回目のスパートで離れてしまい少しびっくりしました。

――1区というのはいつ決まりましたか
何もなければ行くと、1週間前には言われていました。

――1区は高校時代以来でしたが
あまり良い状態ではなかった中、途中の区間に1人で走ると痛みをかばってしまうので1区で人に付いて走った方が自分の走りができると思っていました。その点は1区で良かったです。

――渡辺監督からはどのような指示が出ていましたか
やはり優勝を狙う中で、東洋大と駒沢大が1番ライバルになると思っていたので、その2校を意識しながら走れと言われました。

――レース中の向かい風は気になりましか
前半はそこまで感じませんでした。後半はタスキを渡す2、3キロ前がきつかったです。

――レース自体はスローペースで、細かいペースの上げ下げがあったと思いますがいかがでしたか
なんとかスローのまま、15キロくらいまでこのまま行ってほしいと思っていました。ただ普通に練習して望むレースよりは、ペースの割にきつく感じてしまいました。

――序盤は無駄な動きがありませんでしたが
いつものレースに比べて自信が無かったので、無駄な動きや、前に出ることは絶対しないで相手を見ながら走るということを考えていました。

――初めて目立ったのが7キロでの東洋大の田口雅也選手のペースアップに付いて行った場面でしたが、どのような考えからですか
1区で東洋大に離されてしまうと、なかなか僕らも追い上げるのは難しいと思ったので、優勝を狙うチームとして付いて行かなければいけないと思ったからです。

――8キロ付近で後ろの選手と接触をして大きくバランスを崩していましたが大丈夫でしたか
少し危なかったですが、大丈夫でした。

――その直後の9キロ付近で遅れて始めてしまいましたが、影響などはありませんでしたか
もうスタート前から厳しかったので、転びそうになったことによる影響はなかったです。

――最後の10キロは大変なレースとなってしまいましたが、何を考えていましたか
一緒に東農大と帝京大と走っていたのでこの2人からは遅れないようにと考えて、自分のできる範囲で粘って走っていました。

――タスキを渡す時に平賀翔太選手(基理4=長野・佐久長聖)に何か声はかけられましたか
あまり覚えてないですね。申し訳ないという気持ちでした。

――渡辺監督からはレース後どんな言葉をかけられましたか
「ダメかなと思っていたが、他になかなか選手もいなかったので使うしかなかった」とは言われました。

――今回は悔しい結果となりましたが、次につながることはありましたか
最後の箱根で、いろんな人の期待を裏切ってしまいました。でも今後も競技を続けるので実業団ではこの失敗を返してこれまで応援してくれた人に活躍している姿を見せようよという気持ちや、この悔しさをバネにして頑張りたいという気持ちにはなりました。

――最後のゴール手前のスパートはどこで見られていましたか
ゴールテープの先で見ていました。

――5位という順位についてはどのような捉え方をされていますか
僕が17位で、2区以降は17位からのスタートとなり、シード大丈夫かなという不安もあったので、なんとか9人が5位でタスキをゴールまで持って来てくれて少しほっとしました。5位ですけどみんな本当に頑張ってくれました。

常に持ち続けている向上心

苦しい表情でラストスパートをかけるも、区間17位に終わった

──ワセダで過ごした4年間を振り返ってみていかがですか
あっという間でした。

──一番印象に残っているレースはありますか
2年生のときの箱根駅伝ですね。

──やはり優勝されたレースというのは思い出に残っていますか
そうですね。ギリギリの戦いだったので、そこで優勝できたのは本当に嬉しかったですし、本当にやってきてよかったなとそのときは思いました。

──前田選手にとって箱根駅伝とはどのような大会ですか
注目される大会ですし、学生の長距離をやっている人たちはみんな目指している大会なので、思い入れは強いです。僕もそのうちの一人ですから、やはり何度走ってもいいなと思いますし、何度でも出たいなと思う大会です。

──ワセダに入学してよかったと思うことはありますか
大学に入るときに、箱根駅伝で優勝できるようなチームに入りたいと思っていました。それを2年生のときに達成することができて、そのことは良かったかなと思います。

──逆に、大変だったりつらかったりしたことはありますか
高校までは周りに自分より速い選手がそんなにいなかったのですが、大学に入ってみたら自分より速い選手ばかりでした。そういった中で、メンバーに入るために試合でアピールしたり練習でアピールしたりっていうのは、それまで経験がなかったことなので、そういうことは最初のうちは大変だなと思いました。

──以前、部員日記に「関東学生対校選手権(関カレ)などのレースに出られないことが悔しい」などと書かれていましたが、そのようなことはつらかったですか
つらかったですが、そういう経験をしたことがありませんでしたし、逆にそういう経験が「頑張ろう」と思えるきっかけになったのかなと思います。

──同期の4年生はどのような存在ですか
駅伝を走るメンバーも走らないメンバーもみんなすごく仲が良いです。競技に対してなど少し考えが甘いところもあったかもしれませんが、僕はそういうところが合っていたのかなと思います。仲良くやれたところが一番良かったですね。

──駅伝主将の佐々木選手(寛文、スポ4=長野・佐久長聖)は前田選手から見てどのような駅伝主将でしたか
最初はどんなやつなのかな、ちょっと堅いやつかな、と思っていたのですが(笑)、4年間でだいぶみんなに馴染んでくれました。4年目は駅伝主将をやってくれて、自分の状態などを別にしてみんなを気遣ったりしてくれていたので、しっかりやってくれたなと思います。

──渡辺監督と過ごした4年間はどのようなものでしたか
特に怒られることもなく(笑)、いつも優しかったです。結果が悪いときも怒らないで「また次頑張れ」と言ってくれたので、なんとか監督のために頑張ろうと思ってやって来られました。優しい監督でしたね。

──卒業後はことしの全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)で4位に入賞したホンダに入社されますが、入社の決め手は何ですか
拠点が(競走部の合宿所と)すごく近くて、西武新宿線の新狭山駅の近くにあるので、あまり環境が変わらない点がいいかなと思いました。あとは、きょねんまでイブラヒム・ジェイラン(エチオピア)という世界選手権で金メダルを獲った選手もいて、そういう選手を育てたチームなので、これから世界大会を目指していきたいなと思っている僕にとってはいいチームなのかなと思いました。ジェイランはもういなくなってしまいましたが、外国人の選手と一緒に練習していくと聞いています。

──同期だと上野渉選手(駒大)も入社されますが、交流などはありますか
会社の試験などで何回か会いました。あとは向こうも九州出身なので、中学のときに九州大会などで何回か走ったりしました。

──先ほど、入社後は世界を目指していくというお話がありましたが、マラソンとトラックのどちらを中心に目指していこうとお考えですか
トラックは厳しいなと思っているので、マラソンを早めにやって、目指していきたいなと思っています。

──具体的な目標はありますか
そうですね…とにかく、世界の大会に日本の代表として出られればいいかなと思っています。

──最後に、後輩に伝えたいことやメッセージなどがありましたらよろしくお願いします
ことしの箱根はたくさんの後輩が走ってくれて、結果は5位でしたが来年に繋がるいいレースができたと思っています。このような経験をしっかり来年に生かして、箱根でも全日本大学駅伝対校選手権でも出雲全日本大学選抜駅伝でも、また優勝をしてほしいなと思っています。

――ありがとうございました!

(取材・編集 石丸諒、目黒広菜) 

◆前田悠貴(まえだ・ゆうき)
 1991年(平3)2月16日生まれのO型。171センチ、53キロ。宮崎・小林高出身。スポーツ科学部スポーツ文化学科4年。自己記録:5000メートル13分58秒76。1万メートル28分48秒20。ハーフマラソン1時間03分02秒。2011年箱根駅伝4区55分06秒(区間2位)、12年9区1時間10分41秒(区間2位)、13年1区1時間05分36秒(17位)