2年生にして東京箱根間往復駅伝(箱根)、さらには学生三大駅伝初出場を果たした三浦雅裕(スポ2=兵庫・西脇工)。6区区間2位での好走、早大記録の更新など華々しいデビューを飾る。しかし、三浦の口から出てきた言葉に満足した様子は一切見られなかった。ライバルたちに勝つために、そしてさらなる飛躍のために――。『新・山下りの神』への序章となった今大会を振り返っていただいた。
※この取材は2月1日に行われたものです。
仲間、ライバルの存在
自身につながった箱根を振り返る三浦
――箱根からの1ヵ月、どのようにお過ごしでしたか
渡辺康幸駅伝監督(平8人卒=千葉・市船橋)やコーチ陣からは1ヵ月間しっかり休むように言われていました。自分としては休むつもりはありませんでしたが、いざ休んでしまったら少し気持ちが緩んでしまった部分はありますね。モチベーションをまだ上げ切れていないという感じですね。
――ことしの箱根はどのような大会でしたか
初出場だったので、どのような結果で走れるかということについて不安はありました。でもいざ走ってみたら区間2位という上位に立つことができて、自分の自信になりました。ことしの箱根は、今後の自分の成長につながるものになったと思います。
――初出場となった今大会ですが、前日は良く眠れましたか
正直あまり眠れなかったです(笑)。
――プレッシャー等は大きかったですか
それはありましたね、初出場というのもあったので。でも高田(康暉、スポ2=鹿児島実)がしっかり走ってくれたので、安心できる部分もありました。
――走る前にリラックスする方法はありますか
ラインで友達とかが「頑張れ」と送ってくれるので、それを見ると安心できました。
――友達とは高校時代のチームメートなどですか
高校時代のチームメートもいますね。あとは地元の友達とかですね。
――三浦選手の活躍に対して、試合後に地元の方から何か声を掛けられましたか
先日成人式があったので、地元に実際帰っていたんですよ。やっぱりすごくいろいろと言われました(笑)。
――レース前日、往路を走り終えた選手や控えの選手からどのような声を掛けられましたか
高田と修平さん(山本、スポ3=愛知・時習館)と武田(凜太郎、スポ1=東京・早実)と平(和真、スポ1=愛知・豊川工)からは、前日に「固まってお前の応援に行くから、頑張れよ」と言われましたね。実際ラスト3キロのきついところで声を掛けてもらえたので、もう一度リラックスすることができました。
――いままで学生三大駅伝への出場はかないませんでしたが、その悔しさ等はありましたか
そうですね。やはり他大の同世代の選手がルーキーやエースと呼ばれて戦っていて、その中で自分は出場すらできていないわけで、なんで走れていないんだろうと悔しく思うことはありました。
――特にきょねんの箱根で何か感じたことはありましたか
きょねんに関しては逆に経験の1年にしようと考えていたので、悔しい面はもちろんありましたが、納得している自分もいました。
――今大会は初出場だったにも関わらず、渡辺監督は『秘密兵器』と三浦選手を評していました
秘密兵器ですか(笑)。僕自身、一度試しに走った時に良い感じのタイムで走ることができて、秘密兵器と言えるかは分かりませんが、走れる自信はありました。何と言われようが渡辺監督からは、「自分で自分の走りをするように」と言われ続けてきました。
――往路のエース区間2区で同期の高田選手が区間賞を獲得しました。刺激などは受けましたか
やはり同じ練習をしている仲間が、他大のトップ選手と同じ場でわたり合ってしっかり走れているというのを見て安心できました。高田もできたんだから自分も絶対にできる、やってやると自信を持って臨むことができました。
――やはり高田選手へのライバル意識は強いですか
はい、もちろんです。
――以前取材をさせていただいた時に負けたくないと語っていた、駒大の中谷圭佑選手が4区歴代2位の走りを披露しましたが、そちらについてはいかがですか
4区で区間賞を取ったのはテレビで見ていたので、僕も絶対に区間賞取ってやろうと意気込んで走ったんですけど、負けました(笑)。もちろん中谷への意識も強くもっていました。
「早大記録は最低条件」
――6区候補にはいつ頃から挙がっていたのでしょうか
主に挙がっていたのは7月あたりですね。その頃に試しに走ったりするのですが、その時からもう良い走りができていたので、候補としてはずっとその時期から挙がっていました。
――昨年も16人のメンバーには入っていましたが、その時はまだ6区への意識は薄かったのですか
いや、きょねんから何度も練習は積んでいたので、走るのであれば僕は山下りなんだろうなとは思っていました。
――序盤の上り坂に関してはどのような対策を取っていましたか
実際僕の中では上りは嫌いというイメージがあったので、やはり不安はありましたね。でも夏のクロカン(クロスカントリー)合宿の時に、臼田さん(稔宏、基理3=長野・佐久長聖)や修平さんといった上りの速い選手についていったり、上りをどのように上ればいいのかを学んだりして、意識を変えようとしていた部分はありました。上りに関しては不安はありましたが、逆に自信もつけて臨むこともできていました。
――6区のメインとなる山下りの際にはどのような意識を持っていましたか
僕の場合、下りは本当に勝手に進んでしまうので、ブレーキをしないということだけ考えて走り続けました。
――終盤3キロの平地への意識は
苦しくなることは分かっているので、とにかくひたすらに粘るということだけですね。
――様々な環境への対応が求められる区間になりますが、難しさは感じましたか
序盤の上りと最後の平地だけ気を付ければ、下りは勝手に走れるので、本当に意識したのはそこだけですね。対応は誰にでもできると思います。
――直前の集中練習で負ったアキレスけんのケガの影響はありましたか
やはり集中練習の終盤でアキレスけんを痛めてしまって、途中離脱となり練習を積めなかった分が後半の2キロで粘れないということに出てしまったなと思います。下りにおいてはケガの影響はほとんどありませんでした。
――復路のスタートとなる6区ですが、走る前の心境はいかがでしたか
メディアとかもたくさん入っていて、初出場だったのでプレッシャーも緊張も感じました。でも駒大の選手がスタートで滑って転んだので(笑)、それを見てほっとしてリラックスできました。
――ワセダへの応援はすごく大きなものだと思いますが、その点について
ワセダのチームメートの先輩や後輩が、先頭とのタイム差などを出してくれたりしたので、本当にありがとうという気持ちが強かったです。観客の方々の応援もめちゃくちゃ聞こえてきました(笑)。応援されている身なので、それに応えて頑張らなければならないと思いはありました。
――トップの東洋大とは5分9秒という差が開いてのスタートとなりましたが、どのような意識を持っていましたか
僕で最低1分詰められたらいいなと考えていました。5分もあるともちろん抜かすことは厳しいので、アンカーで逆転できればいいと思って気楽に走りました。
――前を走っていた東洋大、駒大についてはどのようなチームだと考えていましたか
下りという特殊区間なので、持ちタイム関係なく走れる人は走れてしまいます。実際本当に勝負して、差を詰められるかどうか分からなかったので怖いなとは思いました。
――三強崩しという意味では、東洋大、駒大、日体大に挟まれる位置でのスタートとなりましたが
復路を走るメンバーで三強は絶対に崩したいという話をしていたので、何とか勢いのあるタスキリレーをしたかったのですが、僕でもう少し詰めて後の選手につなげられれば良かったかなという感じですね。
――レース直前、渡辺監督からはどのような指示を受けていましたか
ラストの平地をしっかり粘ることと、あとは滑るなと…(笑)。絶対に滑るなということは強く言われました。
――ご自身のレースプランはどのようなものでしたか
上りをゆとり持って走って、10キロ過ぎからペースを上げていくというレースプランでした。でもちょっと速めに上りも下りも入ってしまって、そこを計算ミスしてしまったので最後の平地で支障が出たんだと思います。
――レースのコンディションは良い中でのレースとなりましたが、実際走ってみて
特に風もなく、路面も気になるほど凍っていたというわけでもなかったので走りやすいなとは感じていました。
――単独走というレース展開になりました
やはり前が詰まっているとか後ろから詰められているとか、そういうことが全く分からないので、本当にこのペースが自分にとって一番いいペースなのかとかが分かりませんでした。そこが終盤に少し響いてしまったかなというのはありました。
――山下りの途中までは区間記録を上回るタイムでしたが
いまの区間記録を持っている千葉健太さん(富士通)は最後の3キロが本当に速くて、そこまでなら誰でも区間記録を上回ることはできると思うので、そこまで意識することはありませんでした。ひたすら区間賞を狙いにいきました。
――最後の平地においての課題点はどのようなところになりますか
僕は脚が疲れてしまうと上に跳ねてしまうので、どうしても最後の粘りのところで無駄な力を使ってしまってしまいます。なのでいまは走り込みに加えて体幹トレーニングを行っていて、身体をさらにうまく使えるようになればもっともっと伸びていくのではないかと感じています。
――58分51秒というタイムでの区間2位という結果について
渡辺監督もおっしゃっていましたが、あと30秒は速く走れたのではないかというのが率直な感想です。
――その中で6区の早大記録更新という快挙も達成されましたが
早大記録は抜かせると思っていたので、特に早大記録に関しては思うことはありません。強いて言うならば最低条件でした。
――区間賞を獲得した明大の廣瀬大貴選手への印象はいかがですか
とにかくラスト3キロが速いというイメージがあって、そこで廣瀬さんと一緒に勝負できたらいいなというふうに思っていましたが…負けました。
――7区の柳選手(利幸、教2=埼玉・早大本庄)へタスキを渡す時、何か思いを込めましたか
レース前にラインで、「絶対に勢いづけて渡すから、頑張れ」とは言ってありました。タスキリレーの時は平地がきつくて正直しんどすぎて、自分の思いを直接伝えることはできませんでした。柳は駅伝で失敗が続いてしまっていたので、自分一人で抱え込むんじゃなくて皆で戦っていこう、という思いは言葉ではなく、タスキに込めて伝えました(笑)。
狙うは区間新記録、そして優勝へ
得意の下りで来季は区間新記録を狙う
――箱根を走り終えて、意識的に変わったことはありましたか
高田が東洋大の服部勇馬と一緒に競って走っていて、さらに区間賞を獲得したのを見て、もっと強くなりたいという思いが一層強くなりました。
――新たに目標にしたい選手などは現れましたか
同年代の山中(秀仁、日体大)、服部勇馬、それからやはり高田ですね。
――三浦選手の出走した復路は4位という結果に終わりましたが
力不足というのが本当に感じたことですね。東洋大や駒大は単独走でも自分のレースをつくることができて、なおかつ1人でも攻めた走りができるのですが、いまのワセダの選手は単独走になってしまうと守りに守りに入ってしまって、前に出ることができないというのは本当に痛感しました。
――総合順位も同じく4位でしたが、振り返っていかがですか
やはりチームの目標は箱根での優勝だったので…。今回のような若い選手がメインとなっているチーム編成で4位というのは悪いことではないかもしれませんが、優勝を狙うと決めていたので、僕としては本当に悔しいです。らいねんは絶対に優勝してやるという気持ちが強くなりました。
――いまお話なさったように、三浦選手をはじめ、高田選手や4区早大記録を塗り替えた平選手など、若い選手の活躍が目立つ大会となりましたが
そうですね。でももともと力のある選手たちがそろっているので、1、2年生でも区間上位で走るということは当然なのかなと個人的には感じますね。
――ことし少し伸び悩んだトラックに関して、来季に向けどのような目標を立てていますか
ことしは日本学生対校選手権(全カレ)の1万メートルで入賞することを目標として取り組んでいます。具体的なタイムとしては、5000メートルで13分台を出すことと、1万メートルで28分30秒を切るということが目標です。
――来季の学生三大駅伝についてはいかがですか
いまの時点ではトラックのことにしか意識が集中していないので、駅伝のことは考えていませんが、もう3年目になるのでもちろん走り抜くつもりでいます。
――1年後の箱根ではどの区間を走りたいですか
6区で(笑)。区間新出します!
――もし今後も6区を走られることになった場合、一躍注目選手となることも考えられますが
周りが何と言おうが僕は僕の走りをして、ワセダが1位を取れるような結果で走り切るだけですね。
――これから最上級生となる3年生への印象はいかがですか
もっと自分たちを引っ張っていって欲しいなとは思います。もっと1、2年生の先頭に立っていただいて、一緒に戦っていきたいと思います。
――引退となった大迫傑駅伝主将(スポ4=長野・佐久長聖)への印象は
大迫さんがいるだけでチームは引き締まりますし意識も高まるので、本当に大迫さんが抜けた穴というのは大きいと思います。その穴は自分たちでそのような雰囲気をつくることで埋めなければならないと思います。大迫さんのようなスター選手が現状いなくなったので、やらないといけないという雰囲気をつくることでしか補うことはできないと思います。
――4年生全体についての印象はいかがですか
いまの4年生は少ない人数の中で僕たちのことをまとめてくださったので、そのような面においては本当に尊敬していますし感謝しています。
――来季に向け、抱負をお願いします
来季はトラックに重点を置いて結果を出して、それが駅伝シーズンにつながるように、全体としても三冠を狙いにいけるように頑張りたいと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 細矢大帆)
◆三浦雅裕(みうら・まさひろ)
1993(平5)年8月23日生まれ。166センチ50キロ。兵庫・西脇工高出身。スポーツ科学部2年。自己記録:5000メートル14分11秒94。1万メートル29分42秒50。ハーフマラソン1時間3分31秒。2014年箱根駅伝6区58分51秒(区間2位、早大新記録)。