【連載】『箱根路への挑戦状』 第8回 臼田稔宏×田口大貴×山本修平

駅伝

 第8回は3年生3人組のインタビューをお送りする。昨年、往路、復路のゴールテープを切った山本修平(スポ3=愛知・時習館)、田口大貴(スポ3=秋田)。そして、16人のメンバーに選ばれたが、惜しくも走ることができなかった臼田稔宏(基理3=長野・佐久長聖)。それぞれ違った立場、視点から見てきた1年間の振り返り、そして箱根路に懸ける思いを伺った。

※この取材は11月27日に行われたものです

3年目を迎えて

それぞれの印象について楽しそうに語る田口(左端)、山本(中央)、臼田稔

――3年目ですが、お互いの最初の印象をいま振り返っていかがですか

田口 まず、とりあえず俺は修平をぶっ飛んでるやつだと思った。
臼田は、最初は本当に真面目なやつだと思ってた。最初、僕はそういう風に思ってましたね。

山本 僕は、田口はなんか俺と似てるなっていう感じでした。同じ様な立場(浪人してワセダに入学)だったっていうのもあったので。

田口 まあ確かにね。

山本 臼田は佐久長聖のキャプテンだったし、しっかりしてるな、真面目だなと思いました。話しかけるの怖、みたいな(笑)。

田口 怖いか?怖くはないだろ。

山本 怖いっていうかなんかね、なんかちょっと気を遣うみたいな。

――お互いにうまく話せるようになったのはいつ頃ですか

山本  でもすぐに話せたんじゃないかな。田口とかね、1年前から喋ってたしね。

田口  そうだね。

――臼田選手はいかがですか

臼田稔  どうですかね。修平はストイックだなと思っていましたね。

山本  ストイックだったかなあ。

臼田稔  まあ、いまもそうなんですけど。

山本 練習に対してはね。

臼田稔  田口は…なんだろうね。

田口 多分ね、自分でも俺の第一印象って聞かれても答えられない(笑)。

臼田稔 最初からみんなフレンドリーでしたね。

田口 俺と臼田は最初からかなり仲良かったからね。

山本 確かに。俺一年生の時あまり一緒にいなかったよね。一人で行動してたね、よく。で、臼田と田口で行動してて。

田口 よく二人でいたもんな。

――競技面での印象はいかがですか

山本 (田口を指して)この人はなんて言ったらいいのかな。臼田はストイックで、色々気をつけて厳しくしているなと思うんだけど…。田口は、なんか。なんだろうね?なんかうまいっていうか、ちゃんと考えてはやってるな、みたいな(笑)。でも熱はすごいよね、やっぱり。ワセダ愛みたいな。

田口 俺が?

山本 って、先輩が言ってた。

田口 そういうことにしとこうか。

山本 まあ俺もそう思ったけど。練習見ていて、他の3年生よりも練習に対して思いが強いよね。でもストイックかどうかって言われたら、まあ日月リバウンドしてくるし(笑)。

臼田稔 しょっちゅうじゃんそんなの。

山本 あの時は特別やばかった。熊みたいな。

田口 お前は熱く語るし、こいつは冷静に入ってくるから俺完全にそういうキャラになってるじゃん!でも確かにストイックではないな俺。自分でもそう思う。

山本 いやー臼田が喋る前に盛り上がっちゃった(笑)。

臼田稔 さっきも言いましたけど、修平もストイックですね。1、2年の時と変わったのは、チームのみんなに声をかけてくれるようになったことですかね。田口も同じようにチームを見つつやれるようになったと思います。田口はその…確かにストイックかどうかって言われたらわからないんですけど。でも、ここ一番の集中力みたいなものはすごいですね。

山本 さすがの回答案だ。

田口 いまのでまた俺の評価が上がったね。

――田口選手は自分自身ではストイックだと思いますか

田口 いや、ストイックとは思わないです。人の言葉を借りていうんだったら、うまくやってるんじゃないですか。他の人より(オン、オフを)うまくやってると思いますよ。疲労を抜くときは抜きますし、ここだと思ったところは集中してやります。オンとオフの切り替えは他の人より激しいですね。周りから見てても、こいつは、いまがっつりやろうとしてる時なんだなって言うのがわかりやすいと思いますね。自分でもそう思います。

――山本選手はご自身のことはどう思いますか

山本 練習から、誰にも負けたくないって思いを持って常にやっています。ワセダに対しての想いも人一倍持って取り組むように心掛けているかなと思います。

――普段のインタビューの節々からもワセダやチームへの愛を感じます

山本 臼田も言っていたんですけど、1、2年生のときは自分で精一杯でした。同期と一緒にいるときも少なかったりだとか、一人でなんかやってたりとかして、周りが見えてなかったかなっていうのがありました。けど、二人の影響や自分が変われたのもあって、周りが見えるようになったかなっていうのは感じますね。やっぱり成長したかなと思います。

――臼田選手はどうですか

臼田稔 田口がうまくやれてると言っていたんですけど、そういう意味ではへたくそなのかなと思います。失敗を経て、色んなアプローチをしようと思ってやってるんですけど、それがうまくかみ合っていないことが多いですね。そこは田口を見習ってやりたいんですけど、その姿がストイックっていうんだったらそういうことかもしれないですね。

――山本選手と田口選手は浪人を経てワセダに入学されましたが、臼田選手は最初気にされましたか

臼田稔 2、3日で忘れましたね。

山本 それ俺も忘れたね。

田口 うん俺も忘れた。多分、臼田は一番早かったね。他の人たちはどうしてもね、あったけど。特に侑矢(山田、スポ3=三重・伊勢)とか、広夢(髙橋、スポ3=東京・東大付)とかは最初の間は接していても若干抜けてない感じがあったよね。あれすごいよね。なんで?

臼田稔 まず田口とすぐ仲良くなれたから、そのまま修平もみたいな感じだったかな。

山本 確かに言われてみればそうだ。広夢とかすごい手こずってたよな。手こずってたっておかしいけど(笑)。なんかあったね。

田口 だって俺ずっと敬語使われてたもん。

山本 いまでもそうじゃん。

田口 それは違うでしょ!

山本 確かにね、臼田すごいね。

臼田稔 寮に入った時に同学年がまだ2人しかいなかったってこともあると思うけどね。

――上級生になって変わったことは何かありますか

田口 とりあえず僕はチームを引っ張っていこうという意識を持つようになりましたね。下級生の頃はまず引っ張ってもらうのが前提でしたけど、それがなくなりました。チームを引っ張っていくために、自分は何をしなくちゃいけないかを常に考えるようにはなりました。

山本 僕も同じですね。3年生になって、チームを引っ張るようになりました。対校戦で僕ももちろんそうですが、全体としてはワセダが結果を残していくっていうことが一番大事なことなんです。ことしは3、4年生が少なくて、エンジの試合とかに下級生が出ることが多かったんですけど、強い思いを持つことと、エンジを背負う責任を果たしてほしいっていうことは伝えていきながらやってこれたかなと思います。上級生になってチームに対してのワセダの思いっていうのをしっかり伝えていけたかなと思いますね。

臼田稔 まあそうですね。僕もそんな感じです。

山本 みんなそんな感じだよね。

田口 変わったっていったらそこだよね。まあでも、上級生になったことでみんな自然にそういう風になったよね。環境がそうさせたっていったらあれだけど。自然となったよね。

それぞれの1年間

他の2人の真面目という言葉通り、真剣にインタビューに応じる臼田稔

――この1年間を振り返っていかがですか

山本 東京箱根間往復大学駅伝(箱根)は2年連続5区を走って、2年連続で区間3位、往路も2位でした。2回連続同じ失敗をしてしまって、往路優勝できなかったのが原因で総合5位まで引きずり落ちてしまう流れも作ってしまったので、そこは反省点ですね。そこからのトラックシーズンも、箱根のダメージを言い訳にしたらダメだと思うんですけど、例年と違ってダメージが大きかったです。管理能力が欠けていた分、シーズンに切り替えることができなかったかなというのもありました。それもあって、ことしは全体的に結果を残せなかったかなと思います。ただ、不調の中でもなんとか日本学生対校選手権(日本インカレ)では、最低限2種目で入賞できたというところは良かったと思います。でも、それより上級生になって周りが見えるようにもなって、自分がどうやって引っ張って行ったらいいかとか、結果を残していったらいいのかというのを考えられるようになってきましたね。この1年を振り返って、(競技面で)結果は残せなかったんですけど、自分自身変われた1年だったかなと思いました。

田口 僕はアンカーを走らせてもらいましたけど、結果的にああいうかたちになってしまったことがいますごく影響しています。らいねん箱根を走るときは「お前きょねん10区走ってて良かったな。あれがあって良かったな」って思ってもらいたいっていうのもあるし、自分がそれをきっかけにしてなんとか良い方向に持ってきたいっていうのもあったので、そう思いながら1年間やってきています。ただ比較的に詰めが甘いかなっていうのがありますね。一応出た種目全てで自己記録は出しているんですけど、関東学生対校選手権(関東インカレ)とかの対校戦になったときに結果が出ていません。やはり重要なところですし、そこで結果が出ていないところが、僕の中で記録が出て嬉しい反面、手放しで喜べない状況です。それを駅伝で払拭(ふっしょく)したかったんですけど、払拭させなきゃいけないと思っていた矢先に故障してしまいました。チームには迷惑をかけましたし、自分自身には詰めが甘いかなと思います。いま現状はそんな感じですね。

――臼田選手は箱根にエントリーはされましたが走れませんでした。この1年どう過ごしてきましたか

臼田稔 走れなかったというのが、自分が走れるかもって思って走れなかったっていうわけではありませんでした。その前の練習の時点で、故障っぽかったりしていたので、自分の中でも走れないだろうなって思っていました。不甲斐ない気持ちでことしの箱根に臨んで、ことしのお正月は実家に帰らず所沢で練習をしていました。そういうことをしなきゃ自分で納得できないような感じでした。1年間その繰り返しですね。結果が出なくて、自分の不甲斐なさを納得させるためにがむしゃらに練習して、それでも結果でなくてっていう感じがいま続いています。少しずつは軌道に乗れているんですけど、大事なところで外してしまいます。大事なところでしっかりチャンスをつかむには、したたかさみたいなものも必要なのかなとは思いますね。

――トラックシーズン、山本選手は日本インカレ1万メートル、5000メートルで入賞されました

山本 2種目入賞とは言っても上位で入賞できていないですし、ワセダはインカレでポイントを取ることは最低限求められることです。やはり優勝した選手を何人出すかっていうところを行っているのが監督の意向です。その中で結果を残せたかというとまだまだ甘いところもあります。これから最高学年、駅伝主将になるので、年が明けた後のトラックシーズンでは記録を出すことも大事なんですけど、インカレとかでしっかり上位に絡んで結果を残していきたいなと思います。ことしも全カレで2種目入賞はしたんですけど、そこで満足せずに最後のインカレではしっかり自分を出していきたいですし、他の4年生次の4年生になる3年生みんなで結果を残していきたいなとは思います。

――世界選手権、ユニバーシアードは視野に入れていましたか

山本 もちろん狙ってましたね。本来、一番最初に言うべきだったかもしれないんですけど。やはりユニバーシアードを逃したのは一番悔しかったですね。本当はトラックを狙いたかったのですが、欲を出してしまいました。ハーフにも出てしまったりだとか、決断力のなさから試合に出過ぎてしまった、ということも不調につながったのかなと思います。力の持っていく方法だけじゃなくて、そういった決断力とか調整能力もしっかりできていかなければトップレベルにはなれないと感じたので、いい学習になりました。でもやはりすごく悔しかったですね。

――田口選手は自己ベストを更新しつつ詰めが甘いというトラックシーズンだったということですが、振り返っていかがですか

田口  記録の面では満足はしていないですが、自分の中では良かった方だと思います。ただそういう勝負どころで結果が出てないというところは手放しでは喜べないシーズンでした。関東インカレの前に軽い故障をしたのですが、その空いてしまった期間を無理やり詰め込んで、焦ってしまったというのがすべてです。まあそれがあったから、自分のこともよくわかってきたようになったので、その先につながっていますが、求められているところで結果が出せなかったことがダメだったなと思います。

ケガで練習を離れていた時期もあったが、そこで得ることも多かったという田口

――臼田選手は1万メートルでベストを更新されましたが振り返っていかがですか

臼田稔  1万メートルを更新したときは、ハーフの代表がかかった大会だったのでそれを逃したという方がショックでしたね。1万メートルのベストは持っていなくて、そのときのタイムは早くないので、ベストが出て嬉しいとかいうことはなかったですね。大事なところでチャンスを逃してきたなと感じています。

――では夏合宿についてはそれぞれどう振り返っていますか

田口 故障してしまったのが一番やってしまったなという感じはありました。ただその期間で、故障から戻ってきたときに、インパクトじゃないですけどまた違った自分の走りができるようにするために柄にもなくコツコツやっていました。結果的に今少しずつ実を結び始めている実感はありますが、故障していて走り込みができていなくて不安要素を出してしまったということに関してはみんなに迷惑をかけましたし…みんなに迷惑かけたよね。泣きついたよね。

山本  あったね。そんなことも(笑)。

田口  こうやってみんなに迷惑かけたりもしていたので、夏合宿のシーズンはあまり良くなかったですね。それでもちゃんと今の自分につながっているので、また別のかたちですけどああいう夏合宿ができて良かったですね。

山本 僕も同じですね。ことしはすごく調子が悪くて、いつもは余裕とまではいかないですけど余裕を持ってこなしてきた練習でしたが、ことしは最初から離れてしまったり断念してしまったり、すごくきつい中での合宿でした。でもそういった中でもチームのことも見ていかなければならなかったりとか、心を休める時期がなくて、つらい時期もありました。ただそういったつらい中を2カ月間かけて乗り越えてこれたというのは、意義があると思います。日本インカレ入賞も、これまで我慢してきた分結果につながったのかなと思います。ことしの夏合宿はそんなに練習できなかったかなあと正直思いますが、気持ちの面ではしっかり成長出来たかなというふうには思いますので、大きな(意味のある)合宿でしたねことしは。

臼田稔  僕は過去2年と比較するとことしの出来は良かったです。途中で田口が故障したというのもあって、頑張らなきゃなというのもありました。ただ充実した合宿はできたのですが、なぜそこで調子がよかったというのが考えていませんでした。いまは、夏合宿はどういう気持ちで、どういった体の状態で走ったかというのを考えながら走っています。

――トラックシーズンから駅伝シーズンへはいい流れできたのでしょうか

田口  俺はいいと思っているよ。いなかったけど。客観的に見てたから、すごいいいチームだったと思うよ。夏合宿を経て成長できたと僕は思っています。

山本  その時はやっぱりいいチームになれたなと思いましたが、まあ結果的に出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)や全日本大学駅伝対校選手権大会(全日本)の結果につながっているかは、他大学がもっといい練習をしたのだと振り返るところもありました。いいところもあったしまだまだ甘いところがあったのだなと捉えているので、改善点もありましたね。

この1年、山本は自身のことだけではなく、チームのこともよく考えてきた

――山本選手は、出雲では総合4位、個人では区間5位の走りでした。悔しさを見せたレースでしたが振り返っていかがですか

山本  調子も良くなかったので、あの状態では精一杯走ったレースでしたが、区間3番以内には入らなければいけなかったなと思っています。本来ならば区間賞を取らないといけないところでした。自分がそういう状況になっているのが第一問題だなと思うので、当日のレースどうこうよりも、しっかり合わせていくべきだったかなと思います。

――一方、全日本では総合4位、ご自身も区間3位と、チームに貢献する好走も見せられたのではないでしょうか

山本  出雲から全日本にかけて3週間しかなかったので、出雲で区間5位で、そこから全日本で区間賞取れるかというとそんな甘い世界ではないと思います。そういう意味ではなかなか厳しいレースでしたが、なんとか最低限の力は出せたと思います。でも僕の区間で1分以上先頭とは差がつけられているので、そこはやっぱり満足してはいけないですね。箱根駅伝でしっかり借りを返そうと思います。

――臼田稔選手は出雲でエントリーを外れたときの心境は

臼田稔 夏合宿の時点では調子も良くて、自分の中でも走る気は満々でいました。ですがそこからなかなか調子が上がらずに、半分ちょっと無理だろうなという気持ちで臨んだ結果、走ることができませんでした。少し弱気になっちゃっていた部分も調子が上がらなかった一つの要因かなと思います

――全日本前にケガをされていたとお伺いしましたが

臼田稔 そうですね。なかなか完治するのが難しいようなケガで、いまはそのケガと付き合いながらやっています。ただ正直3年目でケガなどは言い訳にはならないので、いまは痛みを我慢してやるしかないという感じです。

――総合4位でも層の薄さの改善が見えた全日本でしたがチームとしてレースを振り返って

山本 区間賞は大迫さん(傑、スポ4=長野・佐久長聖)の一人だけで、他の選手を見るとひとつも取れていないことは満足してはいけないと思います。ただ1区がああいう展開になったときに、冷静に自分の力を出し切って、総合4位までなんとか順位を押し上げて、シード権確保できたのは収穫になったレースだと思います。1年生とか特に初の駅伝の人も多くて僕自身も焦っていましたが、その中では収穫もありましたね。ただ厳しいことを言うと、本来チームのエースになるべき柳(利幸、教2=埼玉・早大本庄)がああやって1区で2回も連続失敗しているというのは、チームにとって非常によくないことだと思います。彼にはそういうことはしっかり修正して必ず次の箱根で借りを返してほしいですし、ほかにも主力のメンバーで田口も臼田もそうですが、上級生でも本来メンバー入りすべき選手が入ってないのもあるのでそこは反省すべきですね。ワセダ全体として考えるならば、そういう上の選手がしっかり入ってきていない状況もあるので、そういったところを修正して箱根に臨みたいと思います。

――1区の出遅れがきょねんから続いていますがそのことについては

山本  どうなんだろうね…。

田口  俺はあまり気にしないよ。まあ悪い印象はあるなとは思いますが。

山本  でもこれが現状の力であることには変わりないです。

田口 それもありますし、きょねんもありましたがアクシデント等のこともありますし、1区が鬼門だとも言われたりはしますが、あまり僕は気にしないですね。

山本  本来1区にいるべき選手がそこに選ばれていなかったりする状況も含めてその結果につながっているのでみんなに責任があると思います。

田口  まあすべては次駅伝を走るときにしっかり走ればいいと僕は思います。というかみんなそう思っているよね。あまり引きずっていないです。

――1区の出遅れもあった全日本でしたが、その穴を埋めるかのようにアンカーの田中鴻佑選手(法4=京都・洛南)もかなり健闘されていました。大迫選手不在時は主将代行をなさっているという田中選手についてはいかがですか

田口  いけてるよね。リーダーシップもあるよね。マネジメント能力もあるし全体のことが見えてるし、本当にうまくやってくれています。あの2人いい関係だよね、大迫さんと田中さん。田中さん自身が一生懸命やる人なのでこっちも手を抜けないです。

――いつも笑顔でのたすきを渡すシーンが印象的な山本選手ですが、意識されているのですか

山本 そうですね。常にたすきをもらうときは前の選手がどんな走りをしてきても笑顔で受け入れています。その前の選手が走っているのは力になりますので、自分もしっかり走ろうと思えますし、そして次に走る選手も同じようにきつくても笑顔で渡してあげると力になってくれるんじゃないかと感じていますのでそれは強く意識しています。

――お二人も笑顔でたすきを受けるのはやはり力になりますか

田口 おそらく修平からもらったら変わるかと思います(笑)。

山本 そういうのあるのか。(笑)

田口 いや、やっぱり修平からもらうのは力になるんじゃないかな(笑)。

山本 武田凜太郎(スポ1=東京・早実)も2回連続でたすきを渡したんですけど、あいつの部員日記にもそういったことを書いてくれていたのをたまたま見つけて嬉しかったですね。下級生にそう思ってもらえるのはより嬉しいです。

目指すは『優勝』のみ

箱根への意気込みを書いていただきました

――集中練習が始まった現在の状況はいかがですか

山本 いい感じだと思います。うちのチームはもう残されているのは箱根しかないので、何があっても優勝を取りに行くしかないですし、ベストのコンディションで迎えるしかないです。なのでいままで以上に順調だと思います。

田口 チームの雰囲気はめちゃくちゃいいです。

――走りたい区間などはありますか

山本 僕はとりあえず往路優勝がしたいので、僕は前半から行ってチームの流れを作らなければいけないと思っています。まあ本来は5区でリベンジして往路のテープを切りたいですが、総合優勝するためにも往路で優勝しなければいけないと思うので、それができるように前半任されたところで区間賞をとってチームに貢献したいです。

田口 特にないですね。任された区間で結果を出すことが一番です。強いて言うなら流れをつくりたいなという気持ちもあるし、復路で勝負を決めにいきたいという気持ちもあります。やはりどこでも走りたいので、一番は任された区間で結果を出せるようにしたいですね。

――きょねんの5区は風が強い中のレースでした。ご自身のコンディション以外に気をつけたいことなどは何か

山本 正直きょねんは風さえなければいけたと思うのですが、まあそれは言い訳にはなりませんね。風はなくあってほしいですが、みんな条件は一緒なのでとにかく精一杯走るだけですね。

――レース区間の把握も重要となってくると思いますが、その点に関しては

山本 3回目なので下級生とか初めて走る選手には負けてはいけないと思います。大先輩の駒野さん(亮太、平20スポ卒)の記録を監督自身からも破って欲しいと言われましたので、そこを走るとなったらいままでの経験も活かしてその記録を破りたいですね。でも何よりも自分の結果よりも往路優勝、総合優勝したいです。

田口 とにかく優勝できれば文句はないですし、誰も文句を言えないオーダーにしたいと思っているので、それだけですね。

――箱根に向けて意気込みを

一同 優勝です。それしかないです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 松田萌花、目良夕貴)

◆臼田稔宏(うすだ・としひろ)(※写真左)

1992(平4)年6月26日生まれのA型。173センチ、53キロ。長野・佐久長聖高出身。基幹理工学部3年。自己記録:5000メートル14分13秒。1万メートル29分42秒。ハーフマラソン1時間4分。自他ともに認めるストイックさを持ち、インタビューの節々でもその一面を感じさせた臼田選手。3年目を迎え、ストイックに競技に取り組む姿勢が実を結ぶ日も近いのでは!?

◆山本修平(やまもと・しゅうへい)(※写真中央)

1991年(平3)5月24日生まれのA型。168センチ、47キロ。愛知・時習館高出身。スポーツ科学部3年。自己記録:5000メートル13分42秒17。1万メートル28分14秒19。ハーフマラソン1時間2分14秒。2012年箱根駅伝5区1時間19分52秒(区間3位)、13年5区1時間22分52秒(区間3位)。レースでは気迫のこもった走りを見せる山本選手ですが、インタビューの最中にはありのままの素顔で、楽しそうに同期との思い出話も語ってくれました。

◆田口大貴(たぐち・だいき)(※写真右)

1991年(平3)12月12日生まれのA型。168センチ、51キロ。秋田高出身。スポーツ科学部3年。自己記録:5000メートル14分01秒。1万メートル29分14秒。ハーフマラソン1時間2分53秒。2013年箱根駅伝10区1時間11分49秒(区間4位)。オフの過ごし方を尋ねると、「ご飯を食べに行くこと」と答えた田口選手。後輩とも仲が良く、一緒によく行くそうです。