【連載】『箱根路への挑戦状』 第5回 武田凜太郎×平和真

駅伝

 第5回は良きライバルであり、私生活でもとても仲の良い武田凜太郎(スポ1=東京・早実)と平和真(スポ1=愛知・豊川工)の対談をお送りする。高校時代、世代のトップ選手として活躍してきた平と大学入学後から頭角を現してきた武田。ワセダに入学してからここまでの道のり、そしてルーキーとして挑む東京箱根間往復大学駅伝(箱根)への思いとは――。

※この取材は11月27日に行われたものです。

順調と苦戦、対照的なここまで

息の合ったやりとりを見せる武田(右)、平

――上尾シティマラソンが終わって1週間半が経ちました。現在の調子はいかがですか

武田 初めてハーフを走って、体験したことのない距離だったのでダメージというか疲れがどっと出ました。ただ、調子自体は上尾を走ったことでむしろ動きが良くなった感じがあるのでこれからもどんどん上げていきたいです。

 僕は上尾の疲れはまだ抜け切れてないかなって感じです。集中練習が始まっているので1回1回の練習の間のジョグでうまく疲れを抜いていければと思います。

――互いにどんな課題を持って集中練習に臨んでいますか

武田 上尾では15キロくらいまではペースが速くなかったってことで付けましたが、そこから上位の選手達と1分離されたというのは、距離に対応できていませんでしたし、スタミナ不足という課題が見つかりました。集中練習は量も質も高いので、しっかり走り込んで改善したいです。

 ラスト5キロが完全に課題だったので、そこのスタミナを集中練習で補うということと1回、1回調子を少しずつ開けて調子を上げて箱根にピークを持ってきたいです。

――競走部に入られて8か月経ちますが、ここまでを一言で表すと

武田 大きなケガなくここまでこられているので、順調と言えば順調ですが、大学のレースの厳しさとか、走る距離が増えてなかなか自分の走りができず苦しんだ部分もありました。

 まとめると自分との戦いですかね。ちょっとかっこよく言いますと。ケガもありましたし高校と比べると本当にうまくいきませんでした。それで自分に何がいけないのかとか、なんでうまく走れないんだとか、自分を責めたというか、なんでだろう?なんでだろう?っていう半年でしたね。

――順調というよりは苦しかった

 そうですね。良かったときでもなぜか考え込んでしまいました。

――トラックシーズンを振り返っていかがですか

武田 5000、1万(メートル)で自己ベストを更新しましたし、関東学生対校選手権(関カレ)、日本学生対校選手権(全カレ)に出させていただいて、自分の中では良いシーズンをおくれたかなと思います。ただ、日本学生長距離界のトップの人たちとの差を感じて、まだまだ戦えないという印象を受けました。

――関カレは悔しい思いをしたと思いますが、全カレは及第点の走りだったと思います。改善の要因は

武田 全カレの方がが5000で距離が短かったというのもあると思うのですが、夏合宿の走り込みであったり、関カレ後に自分の意識を改めて練習したのがつながったと思います。

――6月に出された5000メートルの13分58秒83というのは今季の1年生では最も速いタイムです。13分台を出した感想は

武田 出る出ると言われてきたのでやっと出たかなという感じです。やっぱり、平なんかは夏の勝負する試合で出していて、自分は条件の良い記録会で出した記録なので、まだ満足はしていません。

――平選手は関カレ前後にケガがありました。その時の心境は

 入学して東京六大学対校が最初の大会だったのですが、そのレースから1回もうまくいったレースはなかったです。関カレも、足が痛かったですし練習も積めていなかったので、中途半端に出てしまいチームに申し訳なかったです。自分にも何も残るものがありませんでした。なので、しっかりケガを直して、夏合宿で練習を積んで駅伝1本にしていこうと切り替えました。

――夏合宿は高校とは大きく違ったと思いますがいかがでしたか

 たくさん走りました。

武田 しんどかったです(笑)。

 僕は高校とそんなに差がないのですが凜太郎はキツそうにしてました。

武田 そうですね。高校の合宿は普段より走りこんでいましたが、あんまり強くない高校なのでちょっと甘えてしまう部分がありました。大学は先輩方みんなたくさん走っていましたし、同期のみんなもしっかり走っているので自分もしっかり走らなきゃと思って頑張りました。

――そういった夏合宿を経て駅伝シーズンに突入しました。最初の出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)に武田選手は出場されましたが、いま振り返っていかがですか

武田 大学駅伝の中では距離が一番短いので高校駅伝の延長と思って臨んだんですけど、大会の雰囲気は全然違いました。自分の走りはできたと思うのですが、タイムを見ても少し甘かった部分はあったのかなと思います。

――出雲後に練習に変化などは生まれましたか

武田 逆に頑張んなきゃ、頑張んなきゃと思って、焦って、極端に走ったり、補強とかを頑張ったら全日本(全日本大学駅伝対校選手権)の前に少し調子を崩してしまいました。意識を変えようとしたのですが、良い方向にいかなかったです。

――平選手は出雲の出場がかないませんでしたが、当日どのように見られていましたか

 悔しいという気持ちが一番にありましたが、優勝を狙って1年間やってきたチームなので優勝して欲しいと思って見ていました。凜太郎の走りは前半うまくいってなかったので、後半うまくいって欲しいなと思って見ていましたが、普通でした。

武田 無難にまとめました。

――その後、所沢市選手権1万メートルでは武田選手に勝つなど復調の気配がうかがえましたが

 出雲から、親など周りの人は(僕が)走る気満々でいてくれたので出雲が走れなかったことが相当、自分自身悔しかったです。周りの人からも「大丈夫かな」、みたいな感じで見られちゃったと思うので、全日本は地元ということもあって、絶対に元気な姿を見せようと思ってました。それもあって、全日本の選考である1万では頑張りました。

――調子が上向いた理由は

 夏合宿で力がついた感じは自分の中であります。

――フォームを変えたりはされたのですか

 多少は変えました。春は走りが潰れちゃっていたので夏は踏ん張るのを意識したり体幹を鍛えたりして、できることはやりました。

――全日本はいま振り返っていかがですか

武田 1区で少し出遅れてしまったのは分かっていて、トップとの差があって前が見えない状況だったので自分の走りで落ち着いていこうと思っていました。ただ、前にいた大東大に追いつこうと思って少し冷静さを欠いて突っ込んでしまって、後半なかなか伸びなかったという印象はあります。

――渡辺康幸駅伝監督(平8人卒=千葉・市船橋)が1区を柳利幸(教2=埼玉・早大本庄)選手か武田選手で迷っていたと伺いましたが

武田 自分もずっと全日本で1区を走りたいなと思っていました。最終的に監督が僕に任せていただけなかったのは、まだいける実力がないという判断だったと思います。自分も全日本前に調子を崩してしまいましたし、色んな面で柳さんの方が安心できると思っての起用になったのだと思います。申し訳なかったです。

――平選手は、初大学駅伝となった全日本を振り返っていかがですか

 初めてだったのでどうなるかなという気持ちでした。高校なら1キロ3分で押していけば区間賞というレベルなんですけど、大学は10キロを2分50ちょいで押していかないと区間賞には絡めないというのを痛感した大会でした。

――監督は全日本後に「平の走りだけ少し不満が残った」とおっしゃっていましたが

 思いっきりいけなかったというか、こんなもんでいいかなっていう気持ちが少しありました。それがいけなかったのだと思います。

――緊張などはされたのですか

 緊張はしなかったんですけど、中盤に自分を追い込めませんでした。

――事前に「前半の区を走りたい」と言っていた中、3区という前半の区を任されました。モチベーションは上がりましたか

 そうですね。スタート前は柳さんがある程度で来て、大迫(傑、スポ4=長野・佐久長聖)さんで前の方で来ると思ってやる気満々だったのでした。でもアップが終わってから柳さんが思うようにいってなかったので、少しでも順位を上げようという気持ちに切り替えました。

――以前、「距離は長いほうがいい」といっていましたが、一番短い区になりました。距離に関してはどう思われましたか

 全日本は9キロでも長く感じましたね。

――1年生3人全日本に出場されて、一般入試の選手も活躍しています。刺激にはなりますか

 僕は他の1年生がいなかったらボロボロに潰れていたと思います。自分より上に必ず誰かがいるからこそ、やらなきゃという気持ちにはなりました。自分が1番上にいては分からないこともありますし、それ以上はないと思うのでいい学年です。

武田 駅伝当日も平が3区走ったんですけど、(抜いた選手は)平が1人?

 うん、1人。

武田 1人抜いたのを付き添いの先輩に聞いて、自分もやらなきゃとなりました。練習でも高校時代は同じ学年に速い人がいなかったので、いま同じ学年同士で競いあってできているというのは僕自身すごい幸せです。

――武田選手は1年間試合に出続けられましたが、最も印象に残っている試合は

武田 悪い印象だとホクレン(ディスタンスチャレンジ)かなって思います。やっぱ北海道まで行かせてもらって何してんだろうなとか、終わった後に頭が真っ白になって自分が嫌になりました。

 レースを見てないので結果だけ見て、どうしたんだろうなと思ってました。実際、動画でレースを見たら全然動いていませんでした。

――その原因はどこにあると考えていますか

武田 遠征疲れもありますけど、僕が1年生1人で練習前の道具出しとか、「いいよ」って言われていたんですけど、やんなきゃ、やんなきゃと思ってやりましたし、朝も早く起きました。変に気を使ってしまい、自分のレースを1番に考えられませんでした。

攻めと粘り、対照的な走り

期待と重圧を背負いながらも前を向く平

――武田選手は、大学競走部を意識して早実に入られたのですか

武田 最初は地元の高校に決めていたのですが、少し早実への憧れがあって。そのとき偶然に話を頂いて、見学した練習も良い雰囲気だったので、受けるだけでも受けてみようと思い、運よく受かったので進学しました。早大競走部には、もちろん早い選手がいたので憧れはあったのですが、特別な思い、どうしても入りたいという思いは正直なかったですね。

――入ってみてワセダ競走部はどんな印象ですか

 長距離では、監督もコーチも優しいですし、自分の好きなこと、やってみたいことをやらせてもらえるし、比較的自由かなと思いますね。入る前から話は聞いていたので、特にイメージと異なる部分はなかったです。

武田 監督、コーチはポイント練習等ではいろいろ指導してくださるのですが、普段のジョグの練習などではあまり口を出されないので、自分で考える、自主性を重んじているのかなと思いますね。

――そのなかで各自成長したと感じる点は

 うーん…今のところ見られないですねえ(笑)。でも高校よりかは走る距離は長くなったので、筋肉だけはちょっとついたかなと思います。

武田 僕は、睡眠をしっかりとるようになったかなと(笑)やっぱり朝練とかもあるんで、しっかり寝ないとなと思います!

――武田選手は寮での生活が合っているということでしょうか

武田 そうですね。さみしがり屋なので、人がいる方がいいですし(笑)

――大迫傑駅伝主将(スポ4=長野・佐久長聖)の存在は

 (実力的には)ちょっと離れちゃっているかなとは思います。一緒のグラウンドで練習していますし、盗めるところは全部盗みたいと思ってワセダに入学しました。あんなトップレベルの選手が近くにいることはすごく恵まれていると思います。アドバイスもすぐに聞けば返してくれるので。具体的には走る以外のトレーニングについて、大迫主将がやっていたものを教えてくれたりしますね。

武田 間近に世界的な選手がいるので、なかなか他の大学では得られない経験ができているというか、肌で世界を感じられているという点で貴重な体験ができていると思います。まだ全然手の届かないような選手ですが、少しでも近づきたいです。

――平選手は、以前の大迫選手のように、“スーパールーキー”などとメディアで言われることについてどう感じていますか

 実際…ちょっとそれが邪魔になっているというか(笑)自分の頭の片隅に常にどこかにあって、邪魔しています。

――プレッシャーになっているということでしょうか

 そうですね。高校のときは、入学時は全然強くなくて、でもがむしゃらに練習していたら強くなったという感じでした。大学では、周りに「強い」と思われた状態からのスタートというのが難しいですね。レベルを保つという意味で。自分のなかでは過去を捨て去ってリセットしていきたいところなんですけど、周りが忘れてくれない…。

――武田選手は高校時代からロードを外さない印象がありますが、ご自身で思い当たる要因はありますか

武田 自分自身、ロードを走るのが好きだからですかね。景色も良いし、大きな大会だと沿道の声援とかもトラックより近くで聞こえるので、走っていてとても楽しいです。

――平選手もそれに共感するところがあるのでは

 そうですね、僕もトラックよりかロードの方が好きです。ただ、好きですけど得意かといったら、それはちょっと最近は自信ないですね(笑)

――それは最近あまり良くないということですか

 はい…なんかもうすべてにおいて自信が持てないです(笑)

――そんな平選手はいつも自身がレースを引っ張る展開が多いですね

 はい、僕は後ろの方では走ったことないです。やっぱり後ろの方を走る選手はスピードに自信があって、レースが動いたときにすっと前に行ける選手だと思うので、僕のタイプは常に先頭に近いところで勝負していかないと、レースの動きに対応できないのかなと思って、(前方でのレースを)心掛けています。

――方武田選手は粘って最後にさすレースの印象が強いです

武田 そうですね。僕は平のようなレースは真似できないです(笑)

 (笑)

武田 びびってしまうというか、自信がないので、粘って粘って最後に力を振り絞って、という感じです。本当は平のような走りができたらいいなとも思うんですけど、自分にはこういうレースプランが合っているのかなという感じですね。

――お二人とも、お互いのレースや走りをよく見られているようですが、ワセダに入る前からなにかお互いの印象はお持ちでしたか

 …(武田選手は)苦しい顔して粘るやつだな、と(笑)

一同 (笑)

武田 僕はもう、インターハイもテレビで見ていたので、とんでもないやつだな、と。こんなやつと同じ大学で大丈夫かな、練習とか一緒にできるかなと思っていました(笑)

――今では、ライバルとして普段から意識し合っているように見えますが

 そうですね。はい、ライバルですね!

――平選手、即答ですね(笑)

 ちょっと最近は負けていて、悔しいと思っているので、そこは変えないと!(笑)

――武田選手はいかがですか

武田 僕も、平にはやく追いつかなきゃなという気持ちでやって、成長してきた部分があります。平が少し苦しい、走れない時期もありましたけど、僕は永遠のライバルだと思っています!

――平選手はその苦しい時期から、全日本前に調子をあげていた際、武田選手の活躍というのも刺激となっていましたか

 そうですね。やんなきゃなという気持ちにさせてくれました。

――走行距離など、練習でお互いに意識することはありますか

 競い合うというか、逆に傷のなめ合い(笑)。正直2人ともあまり走っていなくて、「まあこいつ(武田)も走ってないからいいや」って(笑)。

武田 もっと他の1年生とかは走ってるんですけど、僕らは結構「ちょっときついな」みたいな(笑)。良くないとは思っているんですけど、少し甘えちゃう部分があって…直していきたいですね。

――お互いにすごい、敵わないと思う点は

 ないですね。

武田 (笑)

 (武田に)え、ある?(笑)

武田 さっきも言いましたが、度胸ですね。平のレース中の度胸はすごいなと思います。

 いや、武田も一回やればできると思うんですよ。なのに、しないから(笑)

武田 できないですね(笑)

――お二人は仲が良いようですが、私生活で遊びに行ったりは

 よく遊びにいきますね。やっぱり土日の午後が急に空いたりすると、一緒の寮にいる分一番都合が合うので。どこか遊びに行こうとよくなるのは、やっぱり競走部の人ですね。

――そういったときにはあまり陸上の話はされないですか

 そうですね。あんまりしないよね(笑)。

武田 しない(笑)。

――1年生全体としてはどのような雰囲気ですか

武田 仲は良いと思います。

 遊ぶときとかは、若干グループはあります(笑)。でも全体としては仲良いですね。

――他大で意識する選手は

 僕は「あいつに勝とう」と常に意識している選手はいないです。でも、自分が出ていない記録会などで良いタイムを出す同級生とかがいたりすると、「くっそー」ってなります。記録が抜かれていくその都度、その選手をターゲットにしていく感じですね。

武田 僕はなんでかはわからないんですけど、山梨学院大の佐藤孝哉選手を意識しますね。一緒のレースが多かったですし、タイプ的にもちょっと似ているので、負けたくないなと思いますね。

思いは同じ「4年生のために」

箱根では出雲・全日本に続く出走が期待される武田

――大学に入る前の自分にとっての箱根とは

 大学陸上のなかで一番大きな大会で、本当に日本中のみんなが見てくれているので、すごい大会だなと思っていました。ワセダへの憧れも、箱根での走りを見ての部分もあったので。

武田 やっぱりメディアからの注目度も全然違うので、大きい大会だなあと。20キロという走る距離も段違いなので、あまり身近には感じていませんでしたね。

――ともに大学駅伝も経験したいまは、だいぶ身近に感じられるようになったのではないでしょうか

 はい、だいぶ近づいたとは思います。

武田 僕もそうですね。

――これまでの駅伝やレース前と気持ちの面で違うことはありますか

武田 うーん、ちょっと怖いなというのはあります。上尾ハーフで20キロ以上というのも経験したんですけど、足の痙攣とか途中の疲労とか他の駅伝とは違う危険性もあるので。もちろん走りたいと思っていますし、走るからには頑張りたいです。

 僕は、今もまだ普段とあまり変わらない気持ちですね。正直、全日本でも、(メンバー選考となった)直前の所沢市選手権への気持ちの方が大きかったので…。実は大学に入ってから、目標としている大会への気持ちの持って行き方が下手になってしまったかなと感じています。高校時代は、大会前、監督たちが“ピリピリ”した雰囲気を作ってくれていたので、「いよいよだな」と思うことができていたのですが、今はなんとなく楽しく過ごし過ぎて、「あれ、もう当日だ」となってしまう部分があって。今回は、2週間くらい前からは気持ちの準備をしていきたいです。

――20キロという距離についてはどう感じていますか

武田 この間上尾ハーフを経験しているので、なんとかなるとは思っています。

 僕も一回経験できたので、大丈夫だと思っているんですけど、一人で走るとなると、ちょっと長くて怖いかなという気持ちもまだあります。

――走りたい区は

 僕はどこ走りたいとか言える立場じゃなくなってきているので(笑)。練習でちゃんとアピールして、そのうえで監督に任された区間をしっかりはしたいです。

武田 言っていいかわからないんですが、僕は1区を走りたいと思っています。それは難しくても、なんとか往路で、チームの流れを自分が作りたいなと思います。

――個人・チームの目標を教えてください

 やっぱり優勝するチームというのは全員が区間3位以内に入ると思うので、自分では区間3位以内が最低目標ですね。チームとしては優勝しか狙っていないです。

武田 任された区間によってやるべきことも違ってくると思うんですけど、個人的にはチームの流れというのを意識しながら走っていきたいなと思います。それはその区間を上位で走ることで、実現できると思います。チームとしては箱根駅伝で優勝しようというのを目標として今までやってきたので、優勝が目標です。

――それぞれのチームにおける役割はどのようなものだとお考えですか

 僕にはそんなに爆発力はないので、良い流れだったらそれを切らずにつなげるというのと、逆に流れが悪かったら少しでも良い方向に持って行けるようにすることですかね。

武田 僕たちより長い期間箱根を意識して、そのために頑張ってこられた上級生の方たちもいるので、結果はどうであれ、自分のできる最大限のことをすることが大事だと思っています。

――最後に箱根への意気込みをお願いします

 (出場する)10人だけで戦うわけではないですし、4年生の方々、特に田中さん(鴻佑、法4=京都・洛南)などを見ていると、最後の年に懸ける思いが強いと思うので、もちろん自分のせいで優勝を逃すようなことがあっては、本当に悔やんでも悔やみきれないと思うので、チームの思いというのを胸に留めて、走ります。

武田 平が言ったように4年生の思いというのを練習でもミーティングでも伝わってくるので、やっぱり優勝して、その4年生を胴上げして、箱根駅伝を終えたいです。

ありがとうございました!

(取材・編集 石丸諒、平岡櫻子)

箱根への意気込みを書いていただきました

◆武田凜太郎(たけだ・りんたろう)(※写真下)

1994年(平6)年4月5日生まれ。174センチ、54キロ。東京・早実高出身、スポーツ科学部1年。自己記録:5000メートル13分58秒83。1万メートル29分04秒20。色紙には「笑顔で」との言葉を記してくださった武田選手。写真のポーズも「普通じゃなくて何か面白いものを」と提案していただきました。

◆平和真(たいら・かずま)(※写真上)

1994年(平6)年11月5日生まれ。177センチ、57キロ。愛知・豊川工高出身、スポーツ科学部1年。自己記録:5000メートル13分55秒64。1万メートル29分11秒26。平選手が箱根への意気込みとして書いてくださったのは、「想いを走りに」。とても端整な字ですが、実は習字を習っていた経験があるそうです。