『超越』をかたちに
「俺らの青春だった」。早大水泳部の4年間を、今井流星(スポ=愛知・豊川)はこのように振り返った。様々な苦労や困難に直面しながらも、『日本一』という目標を掲げ、深い絆で結ばれた仲間たちと共に努力を重ねてきた今井。その競泳人生を支えた原動力は一体どこにあったのだろうか。
高校時代は全国総体(インターハイ)優勝を経験し、大きな期待を持って入学した今井だったが、入部当初は苦しい時間が待っていた。大学という新しい環境に慣れず、結果が伸び悩む日々。明確な目標が見えずに、ゴールまでの距離がひどく遠く感じることもあった。自分が思い描く記録とのギャップに苦しみ、気づけば大好きな水泳が楽しくなくなっていた。そんな今井を支えたのはチームメイトの存在だった。練習に加え、寮でも共に生活をしていた仲間たち。常に苦楽を共にするチームメイトのおかげで、どん底に落ち込むことなく、何とか立て直すことができたのである。
そんな今井に、人生のターニングポイントというべき、大きな転機が訪れる。それは2019年3月、大学3年直前にアメリカで行われた高地合宿だ。元々は自主的に環境を変えることを好まなかったという今井だったが、思うような結果を残せない中で持った、「何かを変えなければならない」という気持ちが新たな挑戦を後押しした。強い意思を持って臨んだ合宿で、今井は大きな収穫を得る。酸素が薄い環境の中で心肺能力を鍛えることはもちろん、普段触れることのない、トップレベルの泳ぎに触れて感じたことがあった。「自分が思っている、その先の努力が足りていない」。世界トップレベルのスイマーが見せる『努力』は、練習の量や質、精度など、あらゆる面で自分の想像を超えていた。これまでの努力からさらにステップアップする必要性を、身をもって感じたのだ。
この発見は、今井を大きく成長させた。高地合宿を終えて迎えた6月、FINAワールドカップ100メートル平泳ぎにおいて大学入学後初となる、悲願のベストタイムをたたき出す。これはインカレレギュラーの選考基準である早稲田基準をわずか100分の1秒上回る記録でもあった。苦しくも努力を重ねた日々と新たな挑戦で得た糧が、今井の大学水泳人生に光をもたらした。
200メートル平泳ぎで力泳を見せる今井
主将に就任して4年では、新型コロナウイルスによる未曽有のスタートとなった。度重なる試合の延期と中止。レースに出られないまま引退となってしまうのではないか。同期の間ではそんな気持ちも広まっていった。だが、その状況の中でも、今井はチームのまとまりを欠くことが無いよう、積極的な取り組みを続けた。その背景には、今井の「みんなで一つのところを目指す楽しさ」を部員全員に味わってほしいという思いがあった。高校時代も全国高校総体(インターハイ)で優勝を経験している今井。「目指すなら日本一」という意識を常に持ってきた。先が読めない状況の中でも、日本一になるためのチーム作りを諦めていなかったのである。
そんな中、今井はラストイヤーにして大きな決断を下す。「最後のインカレに出場しない」。『優勝』という目標を実現するためには、自分の出場ではなく、後輩にチームを託すことが最善の策だと考えた。自分が競技に参加しないことによってより客観的にチームを見ることができたという今井。気づけば部員とのコミュニケーションが増えていた。チームを思う主将の熱に感化され、部員の間でも徐々に「インカレ優勝」という目標が現実味を帯びていく。「今井さんのチームを日本一にしたい」。同期だけではなく、後輩にもその熱は伝播し、チームの絆はより強固なものとなった。
そして迎えた最後のインカレ。早大は全体順位も3位という成績を残した。優勝を目指していただけに、チームメイトの目からは涙が溢れた。だが、この大会では「今井を日本一の主将にする」と奮起した男子4×100メートルメドレーリレーで王座奪還を果たすなど、結果以上にチームの絆や結束力をみることができた。優勝にこそ届かなかったが、今井は最後のインカレで『最高のチーム』を示して見せたのである。
水泳を頑張ってきた原動力を聞くと、今井は「水泳が好きだから」と答えた。思うような結果が出ずに苦しく、やめたいと思う事もあった。弱音をこぼすこともあった。しかし、水泳が好きな気持ち、そして何より早大水泳部の仲間達、「自分の中で最大のライバル」と評する妹・今井月(東洋大)の存在が水泳を頑張る原動力となった。競技を引退しても気づけばプールへ足を運んでいる自分がいる今、より「水泳が好きだ」という感情を感じるのだそうだ。「卒業をしても何らかの形で水泳に関わっていきたい」。4月からは社会人としての人生がスタートする今井。だが、4年間で得たかけがえのない仲間たちと、水泳で得たものは今井の人生をこれからも輝かせる。
(記事、写真 小山亜美)