【連載】『令和元年度卒業記念特集』第58回 大芦知央/競泳

競泳

原動力の在りか

 「大学水泳人生の8割くらいがけがと戦う時間でした」。昔は気分の浮き沈みが激しかったと自らを表する大芦知央(スポ=大阪・関大北陽)だが、気さくで優しい人柄は不思議とその場を穏やかにする。だが、その陰にはけがと戦いながら突き進んできた4年間があった。けがを抱える己と向き合う中で、一体何が大芦を前進させたのだろうか。そこには壮絶な時間で見つけた、人々を大切にする心があった。

 高校時代はインターハイ優勝という輝かしい成績を持つ大芦は、漠然とした憧れと、当時慕っていた先輩が水泳部に在籍していたことから、早大への進学を決意。だがそこには慣れない生活が待っていた。練習回数が増加し、高校ではなかったウエイトトレーニングも導入。さらに、強者ひしめく早大水泳部で現実に打ちひしがれることもあった。自分は思うような記録が出ない中で、先輩たちは次々とオリンピック行きの切符をつかんでいく。その高い壁を前に、自信を失ってしまっていたのだ。そんな大芦を救ったのは、先輩である坂井聖人(平30スポ卒=現セイコー)の「自信を持ってやった方がいい」という言葉。これをきっかけに、沈んでいた心が徐々に前を向き始めた。

 迎えた4年生では主将に抜てきされる。人と話すのが好きで、ムードメーカーのような存在である大芦。仲間と向き合うためにコミュニケーションを大切にしてきた。そして、チームとして試合に臨むことが増えた中で、個人だけではなく、全員が活躍することが大切なのではないかという気持ちも芽生えていった。個々の成績があまり良くなくても、チーム全体で補い合い、地道に得点を重ねて勝てるチームにしたい。だからこそ、大芦は「太陽のような存在になれたら」という想いで選手一人一人と向き合ってきた。そして臨んだ最後のインカレ。自分を信じて支えてくれた人たちみんなのために、思いを背負ってレースに挑んだ。その結果、200㍍背泳ぎで見事B決勝に進出。チームは悔しくも目標の総合3位には及ばなかったが、シード権を堅守した。

インカレで部員に声援を送る大芦(右から2人目)

 大学水泳生活を振り返って、大芦は「めげない気持ちが身についたと思います」と話した。癒えぬ痛みを抱えながらも、くじけることなく努力を重ねてきた大芦。泳げない不安やタイムが出ない焦りの中で、「誰よりも元気に頑張る」という気持ちを持って、自分にできることをしっかりとこなしてきた。その原動力となったのは、やはり支えてくれる人たちへの感謝の気持ち。そして大芦にとって「第二の家」である水泳部の仲間たちの存在だ。チームメイトの誰かがいたら笑いが起きる、その空間が、辛く苦しい生活に温かい光を当ててくれた。水泳を辞めてしまおうか、と何度も考えた。だが周りの人たちへの恩を返すため、結果が伴わなくても最後までやり切ることにこだわったのだ。けがから始まり、決して順風満帆ではなかったが、たくさんの刺激を受けて成長した4年間。この歳月は大芦にとって満足のいく、非常に充実したものとなった。選手生活に終止符を打ち、この春から企業で新しい生活が始まる大芦。大学で培った感謝の気持ちを胸に、これからも歩き続ける。

(記事 小山亜美、写真 宅森咲子氏)