【連載】『平成30年度卒業記念特集』第52回 井上奨真/競泳

競泳

悔いなき四年間

 「全く悔いはないですし、楽しかったなと思います」。この四年間を振り返り、井上奨真(スポ=県岐阜商)はそうきっぱりと言い切った。常に納得のいく結果を出し続けてきたわけではない。思うようにいかない日もあった。それでも、昨年の日本学生選手権(インカレ)。早稲田を背負って戦う最後の試合で見せた笑顔は、充足感に満ちたものだった。

 保育園生の頃から始めた水泳。当時は「近所の子と休みの日に遊びに行くぐらいの感覚」だったという。その後はクラブを拠点に練習に打ち込み、高校3年時には総体優勝を達成。着実に力をつけていった。そんな井上に転機があったのは2014年9月。「大学に入学する前にインカレを一回見てこい」。高校の部活の顧問にこう勧められ、会場の横浜国際プールを訪れた時のことだ。「かっこいいなあ」。そこで少年を惹きつけたのは、最後に優勝を飾って引退する4年生の雄姿だった。最高の成績を残して競技生活に区切りをつける。その背中に心を動かされた井上は、「自分も最後はこうなりたい」、そんな思いを抱くようになった。

 入学後、待ち受けていたのはそれまでとは大きく違う環境だった。中でも井上が最も楽しかったことに挙げたのは寮生活だ。先輩後輩間の上下関係、その中で深めた同期との絆。どちらも学年の垣根がほとんどないクラブ時代には、味わうことのなかったものだ。しかし、入学直後の自身を苦しめたのもまた、寮生活だった。当初は慣れないことも多く、故郷・岐阜の実家への思いが募った。さらに、競技面でもスランプに陥ってしまう。自己ベストがなかなか更新できず、苦悩の日々が続いた。そんなとき、励みになったのは先輩から掛けられた優しい声。「今悩むんじゃなくて、2〜4年生につなげていけるように頑張れよ」。大学1年目は多くの選手が伸び悩む時期。来年以降結果を残せるように頑張ろう。そう考え、前を向いて練習に取り組んだ。ところが、迎えた最初のインカレ。井上は男子800メートルフリーリレー決勝のメンバーから外された。「それが本当に悔しくて」。1年生だし仕方ない。そんな気持ちは、その日を境に大きく変わった。以来、その悔しさを晴らすべく一念発起。冬場の泳ぎ込みも、懸命に励んだ。すると、2年時のインカレではリレーのメンバー入りを果たし、3位入賞に貢献。個人でも男子400メートル自由形で3位に入り、努力の成果を見せた。

昨年のインカレ男子400メートル自由形決勝で力泳を見せる井上

 そして、最高学年になると主将に就任する。その際掲げたチーム目標は、『インカレ総合優勝』。それまでは自由勝手な行動をする部員が多く、チームとしてのまとまりに欠けている部分があった。しかし、その高く、厳しい目標を達成するには、みんなが一丸とならなければならない。そう考えた井上は後輩とも積極的にコミュニケーションをとり、団結して一つのゴールに向かっていけるよう努めた。また、伝統校・早大の主将としての使命感も持っていた。「結果は絶対に出さないといけない」。その言葉通りの活躍を見せたのが、昨年横浜国際プールで開催されたインカレだ。大会初日、得意とする男子400メートル自由形の決勝に登場した井上。レース序盤でトップに立つと、後続の猛追を振り切りそのままフィニッシュ。大学ラストイヤーでついに個人種目初優勝を果たしたのだ。「自分も最後はこうなりたい」——。4年前、この場所で描いた青写真が現実になった瞬間だった。そして3日間にわたるインカレを終え、早大の総合順位は3位。目指していた頂には届かなかった。悔しい気持ちもある。だが、最初から難しい目標なのは分かっていた。総合優勝は無理だろう。そんな声も聞こえていた。それでも、チームのみんなが精いっぱい頑張ってくれた。結果よりもそのことの方がうれしくて、そして幸せだった。

 後輩には「早稲田っていいチームだと思いますし、誇りを持って頑張ってほしい」とエールを送った井上。チームの結束に尽力し、行動でも結果でもチームをけん引してきたその姿は、後輩たちの記憶に刻み込まれたに違いない。卒業後は一般企業に就職する。集団生活で培った協調性、主将を務める中で身に付けたリーダーシップ。競技からは離れることになるが、早大で学んださまざまなことは社会に出ても生きてくるはずだ。この四年間の、そして水泳人生の思い出と糧を胸に。今悔いなき未来への一歩を踏み出す。

(記事、写真 宇根加菜葉)