ワセダから世界へ
ことしもワセダから世界のトップスイマーが巣立つ。坂井聖人(スポ=福岡・柳川)、リオデジャネイロ五輪男子200メートルバタフライ銀メダリストだ。今でこそ常に代表選手団に名を連ね、数々の大舞台を経験している坂井。しかし大学入学前は、主要な国際大会での目覚ましい戦績は持っていなかった。なぜこれほどまでの選手へと成長できたのか。そこにはワセダという地で鍛え上げたからこそ身に付いた強さがあった。
坂井にとって、ワセダはいつも特別な存在だった。「エンジとWには他の大学にはないオーラを感じる」。昔から大学駅伝が好きだった坂井には、夢路を走る選手が身にまとうエンジとWのユニフォームは他の大学とはどこか違った輝きを放っているように見えた。いつしかぼんやりと憧れを抱くようになっていたワセダが明確な目標となったのは、高校2年時のこと。尊敬する瀬戸大也(平29スポ卒=現ANA)がワセダに入学することを知ったからだ。「それを知ってからはワセダしか考えなかった」。自身と同じバタフライを得意とする先輩の後を追い、迷わずワセダへと飛び込んだ。
4年間世界を舞台に活躍し続けた
大学入学後は、瀬戸を追い越すかのような勢いでめきめきと、しかし着実に力を伸ばしていった。1年時、パンパシフィック選手権に出場を果たしたものの、思うような結果はついてこなかった。しかしこれを引きずることなく練習を続ける。2年時の日本選手権でロシア・カザンでの世界選手権への切符を獲得。「出るからには絶対にメダルを取る」。そんな強い決意を胸に、大舞台に挑んだ。準決勝で目標としていた1分54秒台を記録すると、決勝でもさらにタイムを上げ、1分54秒24でゴール。しかし着順は4位で、メダルにはわずか0秒14及ばなかった。悔しさでいっぱいになった。だからこそ次に掲げた目標は、「リオでは金」。もう一度メダル獲得を目指すのではなく、さらに高い目標を据えることでより強さを増した。迎えたリオ五輪決勝。前半100メートルを自己ベストとほぼ同タイムで折り返すと、ラスト50メートルで驚異的な追い上げを見せる。一気に他の選手を追い抜き、1分53秒40の自己ベストで銀メダルを獲得。目標としていた金メダルを僅差で逃した悔しさもあったが、それを上回る喜びがあった。「カザンがなかったらリオのメダルはなかった」。世界選手権の経験があったからこそ、生まれた結果だった。
そんな坂井も、4年時は苦戦した。なかなかパフォーマンスの質が上がらない上に、身近にライバルが現れた。幌村尚(スポ1=兵庫・西脇工)だ。自らが瀬戸の背中を追い成長してきたように、自らを追い力を伸ばす幌村。五輪でメダルを取ってから追われる存在になったとはいえ、『追われる怖さ』は一番身近にそのような存在が現れて初めて知った感情だった。そんな幌村との直接対決になったのが、インカレでの男子200メートルバタフライだ。この種目で3連覇を果たしていた坂井。4連覇へと挑んだレースは、予想通り幌村との接戦となる。ラスト50メートルの時点でほとんど余力は残っていなかったが、「先輩の意地を見せたかった」と気迫のレースを見せる。0秒09差で幌村を上回り、見事4連覇を達成した。
瀬戸と幌村。自らと同種目を得意とするトップスイマーが同じワセダにいたことが、坂井の成長につながった。加えて一つ下には渡辺一平(スポ3=大分・佐伯鶴城)が在籍。昨年1月の東京都選手権で男子200メートル平泳ぎの世界記録をマークし、大きな刺激となった。4年間を振り返ってもらう時、真っ先に口に出たのは「大学の団体戦が本当に楽しかった」という言葉。ワセダの仲間と戦うレースはいつも楽しかったが、その中でも最高のレースに挙げたのが、昨年のインカレでの男子4×100メートルメドレーリレーだ。坂井は専門のバタフライではなく、ワセダに入ってから強化してきた背泳ぎで出場。トップバッターとして粘りの泳ぎで2番手につけると、渡辺、幌村、井上奨真(スポ3=県岐阜商)の後輩たちが後をつなぎ、優勝を果たした。憧れだったワセダでつなぐ、最後のメドレーリレーを最高のかたちで締めくくった。
坂井に今後の目標を聞くと、「自分のレースを見て水泳をやりたいと思う子どもが増えたり、周りの人に感動してもらえるような選手になりたい」と答えてくれた。もちろん、2020年の東京五輪は視野に入れている。それでも坂井の根幹にあるのは、水泳に少しでも興味を持ってもらい、感動を与えられる泳ぎをすること。それに向けて、ことしのパンパシフィック選手権をはじめ、一年ごとの目標をしっかりクリアしていくつもりだ。まもなく4年間の大学生活を終える。しかし卒業後も奥野景介総監督(昭63教卒=広島・瀬戸内)の指導の下、後輩と共にワセダのプールで練習することを決めた。「ここで強くなれたし、五輪のメダルも取れた。だから離れる理由がないんです」。ワセダから世界へ。その言葉を体現した坂井は、これからもこの場所で強さに磨きをかけていく。
(記事 吉田優、写真 大島悠輔)