【連載】『平成29年度卒業記念特集』第59回 阿久津直希/競泳

競泳

人一倍の責任感

 この1年間、水泳部の主将を務めた阿久津直希(スポ=埼玉栄)は「濃い4年間だった。1年1年充実していた」と大学生活を振り返った。日本代表選手も所属する強豪校ゆえ、競技成績だけではチームの主軸とは言えなかったかもしれない。しかしそんな中でも阿久津は主将として、誰よりもチームのことをよく考え、実際に行動に移してきた。『人一倍の責任感』を持ち、全力で駆け抜けてきた大学生活を振り返る。

 小学生時代のコーチが県外への進学を勧めてくれたのをきっかけに、地元の茨城県を離れることを決意。後に早大でもチームメートとなる瀬戸大也(平成29スポ卒=現ANA)らも在籍していた競泳の名門校・埼玉栄高校に進学し、レベルの高い環境で練習に打ち込んだ。卒業後は早大に進学した阿久津。そこで待っていたのは思った以上に刺激的な環境だった。まず毎日練習するのは、高校時代では考えられなかった長水路のプール。「毎日が合宿みたいに感じた」と当時は驚きを隠せなかった。また、練習で隣を泳ぐのは坂井聖人(スポ=福岡・柳川)や中村克(平成28スポ卒=現イトマン東進)といった日本代表クラスの選手たち。そんな彼らと練習する日々はとても刺激的で、自分が練習する際の大きなモチベーションとなっていた。また、大会でのレース時間はわずか数分と、短い時間で勝負が決まる水泳競技。時には思うような結果が出ず、辛い時もしばしば。しかしそんな時は先輩たちと会話を交わすことを意識し、そこからヒントを得ようと努力した。

これまでチームをまとめてきた阿久津

  そんな阿久津が4年間で特に印象に残っているのが、大学2年の4月に行われた、東京六大学春季対抗戦。男子400メートル自由形に出場し、自身初となるジャパンオープン出場を決めた。これまでベストタイムを更新することはあっても、日本選手権やジャパンオープンといった大会の参加標準記録は突破できず、悔しい思いをしてきた阿久津。このレースは大舞台への出場が決まり、今までの練習の成果が実を結んだ瞬間となった。順調にタイムを伸ばしてきたかと思いきや、実はこの大会の2か月程前まで、成果が出ずに悩んでいたという。そのことを奥野景介総監督(昭63教卒=広島・瀬戸内)に相談したことで、自分の中でタイムへの意識が変わった。監督から言われたのは「過去は捨てろ。タイムは気にするな」というシンプルな言葉。しかし、本人が「自分が感じていたことの核をつかれた」と振り返ったこの言葉こそ、当時の阿久津に最も必要だったものであり、ターニングポイントとなるものでもあった。それ以降は練習でも調子が上がり、大会で何回もベストタイムを更新するほどまでになった。

 それから月日が経ち、迎えた最後の日本学生選手権。1年間主将としてチームを引っ張ってきた阿久津にとっては、集大成となる大会だった。名門・早稲田大学水泳部で主将を務めるということは、決して容易なことではない。時には自分を犠牲にすることもあったが『チームのために』という一心で、1年間主将をやり遂げた。自分が出場した個人種目ついては最高の結果を出すことはできなかったが、主将として、部員たちの見本となるような行動をしてきたその姿は、いつも後輩たちの指針になっていたに違いない。

 水泳に捧げてきた4年間を振り返り、後輩たちに「自分たちについてきてくれて本当に感謝している」と言葉を述べた阿久津。卒業後は水泳競技から離れるが、主将の経験から磨き上げた『人一倍の責任感』は、新たなステージでもきっと活きてくるはずだ。

(記事 大島悠輔、写真 大谷望桜氏)