【連載】競泳ルーキー特集『NEW STAGE』 第1回 渡辺一平

競泳

 193センチという長身を武器に、高校時代から名を上げてきた渡辺一平(スポ1=大分・佐伯鶴城)。昨年のユース五輪で金メダルを獲得した大物ルーキーは、早大にとって大きな戦力になるに違いない。新たなステージで、どんな歴史を刻んでいくのか。大学デビュー戦の日本選手権、初の団体戦であるアリーナ杯東京六大学春季対抗戦を終えた渡辺に、埼玉での新生活、今後の目標などを伺った。

※この取材は4月20日に行われたものです。

新たな環境で充実した日常

取材中、笑顔を見せる渡辺

――まだ大学に入って間もないですが、いまのところ大学生活はいかがですか

いままではずっと実家だったのですが大学生になって寮に入って生活が変わったので、いまはまだ慣れていないところがあるのですが、聖人さん(坂井、スポ2=福岡・柳川)、克さん(中村副将、スポ4=東京・武蔵野)、和田さん(真、スポ3=東京・早実)が同じ部屋で毎日楽しくやっています。でも日本選手権があって代表に入れなかったのが悔しいです。

――授業についてはいかがですか

高校と違って自分で授業を決めたりするので、僕はあまり自分で決めずに周りの人に任せていたりしたのですが、いまのところは水泳部のみんなで受けて楽しくやっています。

――授業は水泳部の同期と一緒に決めたのですか

そうですね。いまは誰も友達がいないのでできるだけ楽なものをできる限り同期と一緒に取って(笑)。先輩から「これは楽だ」というように言われている教科しか取らないようにしています。

――好きな授業はありますか

あした救急処置法があって、さっきスポーツ心理学があったり、まだチュートリアルイングリッシュ(少人数の英会話の授業)が始まっていないのですがそれが楽しみです。僕は英語が全くできなくて(笑)、怖いのもあるのですが楽しみです。

――瀬戸大也選手(スポ3=埼玉栄)も以前チュートリアルイングリッシュが好きだとおっしゃっていました

本当ですか。大也さんは頭がいいんですよね。僕がワセダに来た理由というのが、大也さんや克さんや聖人さんに憧れて一緒に練習したり寮に入って生活したいと思ったということなので、真似できるところは真似したいです。

――先ほどお話にもありましたが、他にも強豪校はある中どうしてワセダを選んだのですか

僕の高校の水泳部の顧問がいて、僕はあまり練習は好きではなかったのですがその人と練習すると毎日楽しく練習が苦にならなかったので、そういう心理学も学びたいと思っていました。スポーツ科学部のあるところに行きたいと思うとなかなか全国には少なくて。それで早稲田大学には(スポーツ科学部が)あって、僕が憧れる先輩方もいて、というところですね。早稲田大学という名前もかっこいいので。

――早稲田大学の字面がかっこいいのですか

字面というか、僕は早慶戦とか好きで。僕がワセダボーイになってみたかったというのがありますね(笑)。

――ワセダへの進学はいつ頃から決めていましたか

高3になったばかりの日本選手権では決めていました。決めたのは高2の冬ぐらいだったと思います。

――ワセダの練習は高校と比べていかがですか

僕の高校は有名な高校でもないですし、有名な監督がついているわけでもなかったので、プールも短水路のプールが室内に3コースだけあって。3コースしかないので、練習メニューもスプリントチームやロングチームなどで分かれた練習をしたことがなくて。みんなで同じメニューをしていたので、練習がそれぞれ分けられているのがいままでと違う感覚というか、新鮮な気持ちでやっています。

――練習量についてはいかがですか

ワセダで練習を始めた時には日本選手権前の調整の時期だったので、あまりきついメニューというのはやっていなくて。僕は練習が結構強くて、JISS(日本スポーツ科学センター)でやるインター(ナショナル)合宿で、平泳ぎチームで練習をしても基本的に練習で負けることはほとんどないというくらい練習が強いのですが、それでも聖人さんは僕より強いです。練習で勝てないと試合でも勝てないと思うので、全く種目は違うのですが聖人さんにも練習で勝てるように頑張ります。瀬戸選手はいろんな種目に出ていろんなところで好タイムを出していますが、聖人さんも六大学(アリーナ杯東京六大学春季対抗戦)でいろんな種目に出て、200メートル背泳ぎでも優勝して、1500メートル自由形でもびっくりするようなタイムを出していて。そういう選手になりたいと思っています。

「日本の競泳界を背負えるようになりたい」

――大分と東京ではやはり違いますか

違いますね。でも、ここ(小手指)は結構田舎なので。

――東京に観光をしに行くことはありますか

まだそんなに時間が無いので行けていないです。(小手指は)大分よりは都会ですが、田舎ですよね(笑)。びっくりしました。東京に来たときは都会の方で遊んでいたので、そういう所に大学があるのかなと思っていたら「何だここは」と(笑)。

――不便さは感じますか

僕はいままで大分の田舎な所に住んでいて、びっくりするかもしれないですけど、電車とかも1時間に1本くらいしかないんですよ。バスも平均して1日2本とかなので、それに比べるとここは恵まれていると感じます。

――寮の雰囲気はいかがですか

僕は克さん、聖人さん、和田さんといった楽しいメンバーの部屋にいるのですが、ゲームをしたりしています。でも結構叫び合って「うるさい」と他の部屋から言われたりしますね。

――食事についてはいかがですか

晩御飯は自分でご飯を炊いてという感じで。でも僕は結構ご飯を食べるので、晩御飯だけで3合ぐらい炊いて食べています。3合でも足りないときは足りないです。前からご飯が好きで、お母さんが作っている最中に自分でおかずを出してとりあえず食べていました。そこからお母さんが料理を持ってきてまたご飯を食べて。結構量を食べるので、米代が高いです。>

――きょうの昼食はどうしたのですか

学食です。おいしいですよね。いま、はまっているのはチキン竜田丼です。

――1個で足りますか

いや、足りませんね。練習前におにぎりを作って食べたりしています。

――1年生のお仕事は大変ですか

そうですね。1年生は仕事があると分かっていて、でもそれは必ず社会に出て役に立つと思いながら仕事をしています。おとといの大会(アリーナ杯東京六大学春季対抗戦)前日に夜まで掃除をしたり、帰ってきてまた掃除をしたり。将来に役立つと考えながらやっています。

――同期の仲はいかがですか

男子は競泳で4人、水球で4人なのですが、いまのところ仲良くやっていますね。いまさっき競泳の女子2人と男子3人の5人で学食でご飯を食べました。仲はいい方だと思います。

――どんな話をされますか

きのうの大会の結果のことだったり、楽しくやっていますね。

――同じワタナベ姓である渡部香生子(スポ1=東京・武蔵野)選手については

男子の渡辺と女子の渡部でいつも『ダブルワタナベ』って呼ばれるんですよ。きょねんのインターハイ(高校総体)のとき、「平泳ぎはダブルワタナベが不在」とスポーツ雑誌に書かれて、僕と香生子を比べている感じになっていますが、僕の実力が足りていないなと。僕が香生子ぐらいの実力を持てるように頑張っていますが、なかなか追い付けないですね(笑)。個メ(個人メドレー)で日本記録を出していたり、香生子もいろいろな種目を泳げる選手なので、憧れているというか、目標にしています。性別は違いますけど、僕も早く日本のトップに立って日本の競泳界を背負えるようになりたいです。

――ワセダのワタナベは俺だという気持ちは

いや、それはないです(笑)。『ダブルワタナベ』と言われているのですが、僕はまだ実力が足りていないので早く追い付いて、『ダブルワタナベ』と言われるようになりたいです。

――奥野景介監督(昭63教卒=広島・瀬戸内)の印象は

僕は平泳ぎや自由形のフォームがうまくないので、そこを優しく教えてくださっています。少しの間ではスタートはうまくならないので、ちゃんと練習していきたいです。

――193センチと長身ですが、長身で得したこと、損したことは

いいことだと思うのは、電球を換えるときとかです。高校で電球が切れたときには絶対に僕が使われていました。「ちょっと来てくれ」と(笑)。僕は結構目立ちたがりなので、オイシイです。悪いところといえば、僕はいま細いので服などは大丈夫なのですが、靴が靴屋さんに行っても売っていないです。

――靴は何センチですか

30センチです。大分で靴買うときは、「30センチの靴はどれがありますか」と聞いて「これとこれとこれがあります」と言われて「じゃあ、これで」と、まずサイズを聞いてから決めます。でも、この間近くのアウトレットに行ったのですが、29(センチ)とかがあってびっくりしました。大分にはないなって(笑)。あと、大分では実家から電車を使って学校に通学していたのですが、電車のドアをいちいちくぐらなければいけないんですよ。あと、つり革が目線の位置にきて邪魔です。

――競技面ではいかがですか

すごい選手が覚えてくれるので、それがうれしいです。日本の水泳界では結構(身長が)高い位置にいると思うので、みんな覚えてくれます。損はないですね。いいことばかりです。

――まだ伸びていますか

伸びています。僕は2メートル欲しいです。最始の目標は178センチだったんですよ。178センチは高すぎず、低すぎず、まとまりがよくてかっこいい身長だと。

――いつ超えてしまったのですか

中学2年生のはじめが170センチだったんですよ。中学3年生のはじめが181センチだったのでそのどこかです。180センチを超えてからもう190センチまでいこうと。そこを超えてからは192、193で終わったら面白くないから2メートルを目指しています。

――小学生のころから大きかったのですか

だいたい真ん中から後ろくらいでした。身長が高いと言われ始めたのは中2くらいからです。

――体育でのバスケなどに役立ちますか

バスケ得意なんですよね(笑)。水泳をしていると、陸上の競技というか球技とかはみんな苦手になるんですよ。僕はバレー、バスケは得意でしかないです。バスケとかは、高校でクラスマッチをやったりしますが、格好つけてダンク(シュート)とかしかしなかったです。高3のとき、ユース五輪前にクラスマッチでバスケしていて、そのときに靭帯部分断裂っていうのをやってしまって。だいたい治るのに1カ月半くらいかかったんですけど、(ユース五輪まで)1カ月のときにまだ治っていなくて、そのままユース五輪でした。あのとき、2分11秒3だったのですが、ちょうど治りかかったくらいでした。

憧れの先輩たちに追い付くために

日本選手権では悔しさを味わった

――先日の日本選手権を総括していかがでしたか

早稲田大学の一員として初めて出場した大会だったのですが、100メートル平泳ぎから50メートル平泳ぎ、200メートル個人メドレーと全然タイムが出なくて、他の選手から「渡辺はもう潰れた」というようなことまで言われたのですが、そこから2日ぐらいの間にちゃんと200メートル平泳ぎができる体まで戻して。いままで僕は短水路のプールで調整していたのでそこから長水路に戻すというのは難しかったのですが200メートルの体に戻して、200メートル平泳ぎに出場して。予選は1コースで1人だけだったのですがそこでちゃんとタイムを出せて、準決勝では2分09秒89で派遣標準記録も切れて。決勝ではタイムを落としてしまったのですが、派遣標準記録を突破できたということはうれしかったです。

――準決勝では世界ジュニア新記録を更新されましたが、その点についてはいかがですか

僕が高3のジャパンオープンのときにその記録を出したのですが、僕が持っていた記録だったので自己ベストを更新すれば必ず世界ジュニア新記録になるということは分かっていました。僕は決勝で(2分)9秒台を出してしまったので、準決勝では「やばい、出してしまった」という感じでした。準決勝から9秒台を出してしまうと決勝ではマークされてしまうと思うんですよ。僕の理想としては2コースあたりのマークされないところからいったら上位に入れるかなと思っていたのですが、(決勝では)案の定マークされて、僕の展開を読まれてタイムも出なかったという感じでした。でも準決勝で世界ジュニア新記録を更新できたということは良かったと思います。

――世界ジュニア記録は2014年につくられた新しい記録ですが、世界ジュニア記録というのはどのような位置付けですか

出した時はうれしかったのですが、僕の2つ上の山口観弘選手(東洋大)が高校3年生のときに2分07秒01という世界記録を出しているので、世界ジュニア記録は全くうれしくないです。例えば世界ジュニア記録が3、4年前にできていたとしたら観弘さんが出していて僕は全く抜けていない記録だったので。世界ジュニア記録を更新できたということは全くうれしくないですし、まだまだだなと思います。

――5位という結果は悔しさの残るものでしたか

派遣標準記録を切れば2位までが世界水泳に出られて、4位までがユニバーシアードで、ユニバにも入りたかったのですが5位になった時点でなくなってしまったので、結構悔しかったですね。ユニバと世界水泳には出られないですが、ジャパンオープンでその人たち(代表選手)に勝つだったり、インカレ(日本学生選手権)で小日向一輝選手(明大)や山口観弘選手に勝つということを目標にこれから練習していこうと思っています。

――初めての団体戦のアリーナ杯東京六大学春季対抗戦も行われましたが、いかがでしたか

明治大学の小日向一輝選手が速いのは分かっていたのですが、その他にも僕の1つ上の明治大学の後藤滉平選手がいて。僕は高2の時のインターハイに優勝候補として臨んだのですが、滉平さんが前半からいって僕が後半追いつけずに負けて2番でした。滉平さんはきょねんはあまりタイムを出していなかったのですが、この前の日本選手権から少しずつタイムを上げていて、春六では覚醒していましたね。自己ベストを大幅に更新してきてびっくりしたのですが、本当に勝てなかったのは申し訳ないですし、僕が優勝すると周りの人に思われていたので悔しい思いもしました。400メートルフリーリレーに克さんのアクシデントの代わりに出場してアンカーを泳がせていただいたのですが、ラストで抜かれてしまって。1年生でアンカーを泳がせてもらってそれで抜かれてしまうということは悔しいというか、申し訳ない気持ちでした。レース後僕は泣いてしまったのですが、そういう時にも周りの先輩方や奥野監督から「きょうが最後じゃないから、インカレで優勝できればいいから」という励ましの言葉をいただいて。悔しかったですね。

――団体戦ということで応援なども行ったと思いますがいかがでしたか

僕は聖人さんがいろんな種目に出て、200メートル背泳ぎで優勝したりだとか、そういうことに感動してしまって。鳥肌が立ったというか、こういう選手になりたいと思って。団体の応援はすごかったですね。1年生なのでまだあまり分からないですが、タイムは出せなかったのですがワセダの水泳部の一員として頑張りたいと思います。

――メドレーリレーに出場したいという気持ちもありますか

もちろんあります。加納さん(雅也主将、スポ4=県岐阜商)がいいタイムを出していたのでインカレでの400メートルメドレーリレーは絶望的にはなったのですがまだ諦めていないですし、400メートルフリーリレーも400メートルメドレーリレーも出たいので、自己ベストを更新できればまだ狙えると思っています。きょねん(メドレーリレーが)2連覇して、3連覇が懸かる大事なところで泳ぎたいという気持ちもありますし、加納さんの1分00秒86というのは僕の自己ベストより0秒6もいいタイムなのでなかなか難しいとは思いますが、加納さんのタイムを超えてメンバー入りして優勝したいという気持ちがあります。400メートルフリーリレーではいまの早稲田大学のメンバーを見たら優勝が狙えるところにいると思いますし、メンバー入りをしたら必ず優勝できるように頑張りたいと思います。

――部内の競争というのも意識はしていますか

僕はいま平泳ぎチームで練習をしているので加納さんとは毎日同じ練習をしているのですが、練習で負けたら試合でも勝てないと思いながら練習しているので、加納さんに1本も負けないぐらいの気持ちで練習に取り組んでいます。

――日本選手権のときに「瀬戸選手のようにいろんな種目を泳げるようになりたい」とおっしゃっていましたが、ここまでいろんな種目で戦ってきていかがですか

日本選手権も春六(アリーナ杯春季六大学対抗戦)もあまり調子が良くなくて、調子が良くない時に多種目に出て僕のタイムが出せず、まだ全然だなと思っています。100(メートル)の自由形だったり、200(メートル)の個人メドレーは得意としている種目ではあるので、そこでも活躍したいという気持ちはあるので調子が良い悪いにか関わらずタイムを確実に出せるような選手になりたいと思います。

――瀬戸選手の存在というのはどういったものですか

憧れでしかないです。大也さんは個人メドレーの選手で200メートルのバタフライも泳げて。きょねんのジャパンオープンで200メートル平泳ぎにも出場していて、僕はその時予選で(2分)10秒23で、決勝で(2分)10秒49だったのですが、その時大也さんが決勝で(2分)10秒99で、本当にぎりぎりの危ないところで勝ったという感じでした。多種目に出て決勝に残ってその種目を専門にしている選手を脅かすことができるというところを尊敬するというか、そういう選手になりたいと思っています。

――坂井選手の存在はいかがですか

聖人さんがワセダに来ていなかったら僕はワセダに来ていなかったのではないかと思います。そのぐらい聖人さんの存在は大きくて、聖人さんのようになりたいと思ってワセダに来ています。僕と聖人さんは結構似ていると思っていて、聖人さんは200メートルのバタフライが得意で、100メートルバタフライは決勝に残れるか残れないかぐらいであまりタイムは出せていなくて。僕もその状況にいると思うので、聖人が100メートルでタイムを出せば僕もやらないとという気持ちにもなりますし、聖人さんが代表に入ると僕も代表に入らないとという気持ちになるので、大也さんと同じくらい聖人さんに憧れています。

――坂井選手も九州出身ですが、高校時代からつながりはあったのですか

僕が高2のときに世界ジュニア(選手権)という大会で一緒に遠征に行かせていただいて、そのときが初めてだったと思います。聖人さんは中学のころからずっと速くて、全中(全国中学校競技大会)で優勝していたりしていたのですが、僕は中学のときは全然速くなくて「すごい選手だな」というぐらいに見ていました。

――みなさん憧れの存在なのですね

はい。瀬戸さんに憧れていますし、聖人さんに憧れていますし、克さんは100メートル自由形を得意としているのですがそのほかにも100メートルバタフライも聖人さんより速いぐらいのタイムを出せたりしているので、そういうところに憧れています。ワセダは僕が憧れていた人がたくさんいたということですね。

――BHP4カ国対抗戦では瀬戸選手、渡部選手と一緒でしたが、入学前からワセダの選手とのつながりはありましたか

僕はワセダの先輩たちのことを知っていて、先輩たちは僕のことを知っていたかどうかは分からないのですが、期待はしてくれていました。克さんは国体で僕が100メートル自由形に出場して2番になったときに「頑張れよ」と送ってくださったり、先輩から期待されているなと思っていました。香生子はBHPのときが2回目の遠征で、1回目は高2のときにNSWオープン選手権に一緒に行きましたね。瀬戸さんは、遠征はBHPが初めてでした。でも僕は入学前から(ワセダの選手と)仲は良かったと思います。先輩とはいまも仲良くやれていると僕は思っています。

――瀬戸選手とワセダの話はしましたか

『いにしゃるとーく』という(水泳部競泳部門の)ブログには載せてもらったのですが、それぐらいですかね。僕は男子の中で一番年下で、びくびくしながら遠征に行っていたので…覚えていないですね(笑)。

――国際舞台での経験を今後どのように生かしていきたいですか

ユース五輪優勝というのは東京五輪決定というおかげもあって結構取り上げられているのですが、僕は高3のときにインターハイに出るかユース五輪にでるか迷っていて、最後のインターハイに出場したいという気持ちもあるけれど、どれだけいま自分が世界で通用するか見てみたいのでユース五輪に出場しようか迷っていました。いまいろいろ取り上げていただいているのはユース五輪で優勝したからなので、ユース五輪に出場したことは良かったなと思っています。そのころには世界ジュニア記録も持っていて優勝候補として臨んだのですが、タイムはあまり良くなかったですが東京五輪で戦うであろういまの高校生の大会で優勝できたということは自信にもつながりました。外国の選手は自己ベストを大幅に更新したり、どういうレース展開をするか分からないので怖い存在ではあるのですが、周りのレース展開が分からない中で勝てたということは自信につながったと思います。僕はこれまで遠征に3回行ったのですが、3回とも自己ベストに近いタイムで泳げているので、結構海外でもタイムは出せるんじゃないかなと思っています。

――海外遠征は好きですか

海外で大会をするのは好きです。でも海外に行ってまで合宿をするのはなぜだろうと思います(笑)。

――今後伸ばしていきたい、改善していきたいことは

体が大きいのでターンが苦手と思われがちですが、体が大きくてもターンがうまい人はいますし、そこを直していきたいです。あと、僕はめちゃくちゃスタートが下手くそなので、できるだけ早く直していきたいですね。

――ご自身の強みは

掻き数です。最初の50(メートル)を13掻きで入れる人はなかなかいないと思います。ラスト50は多いですが、前半の掻き数は誰にも負けないと思います。

――ルーキーイヤーをどんな年にしたいですか

インカレで優勝したいと思っています。ことしのインカレで優勝することを最低条件にして、来年はリオの選考会があって、そのときリオに出たいと思っているので、タイムが出ない一年になるかもしれないですがちゃんと追い込んで、追い込んだら次の大会でタイムが出せるというくらい練習したいと思います。

――大学4年間の目標は

まずは2年でのリオ五輪を目標にして。僕はまだリオしか見えてないですね。リオが終わってからまた考えたいと思います。

――大学での意気込みを一言お願いします

卒業したいです(笑)。僕はいままで全然勉強してこなくて不安しかないですが、授業に行ってテストも受けて、4年であまり授業にいかなくていいくらい頑張りたいです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 八木美織、谷田部友香)

悩んだ末、『何事にも全力』と書いていただきました

◆渡辺一平(わたなべ・いっぺい)

1997年(平9)3月18日生まれ。身長193センチ、体重76キロ。大分・佐伯鶴城高出身。スポーツ科学部1年。専門種目は平泳ぎ。誰よりも高い声で奇声を出すのが得意だという渡辺選手。応援されるといつも以上に力を発揮できるそう。次の団体戦の早慶対抗戦で、渡辺選手の奇抜な応援が聞けることを期待しています!