【特集】秋季リーグ戦開幕前スタッフ特集 第3弾 藤原尚哉投手コーチ×鈴木玲央学生トレーナー

野球

 第3回には投手コーチを務める藤原尚哉(政経4=埼玉・早大本庄)と学生トレーナーの鈴木玲央(スポ4=鹿児島玉龍)が登場。 学生コーチ、トレーナーという立場での難しさややりがい、同期への思いなどを語っていただいた。

※この取材は9月2日に行われたものです。

「常に謙虚で」(藤原)

――他己紹介をお願いします

藤原 難しい(笑)。鹿児島玉龍高校出身ですと。もともとは内野手をやってくれていたんですけど、大学3年の夏くらいに一つ上の学生トレーナーの渡辺さん(渡辺大夢氏、令5スポ卒)が来年いなくなってしまうということで、トレーナーがいないという問題になって、渡辺トレーナーがいなくなってから学生トレーナーを作るっていうのがいろいろ遅いので、去年の夏の段階で自分たちの学年からトレーナーを一人出そうということで、鈴木の方に「学生トレーナーになってくれないか」と肥田(肥田尚弥新人監督、スポ4=大阪・早稲田摂陵)、柴垣(柴垣敬太郎主務、法4=大阪・三国丘)が直接お願いして学生トレーナーになってくれたという形です。

鈴木 藤原尚哉っていう結構かっこいい名前です。

一同 (笑)。

鈴木 最初ピッチャーとして入部してきて、覚えているのはあんまりまだ顔も名前もよくわかってないくらいの段階の時に、バッティング練習の守備をピッチャーの1年生も手伝ってくれるみたいなことがあったんですけど、その時に藤原がセンターの奥くらいからめっちゃ強い球をリアカーにいる自分までノーバンで放ってきて、それをずっとやってきて、こいつはとんでもない球を投げるんだろうなって思ったのを覚えています。

藤原 全然とんでもない球投げれなかったんですけど、ありがとうございます(笑)。

鈴木 投手コーチになったタイミングは大学2年の秋のリーグ戦が終わって新チームになったタイミングだったんですけど、うちの代のピッチャー陣は結構個性的なメンツで、それぞれがそれぞれの色を出していて特徴的なメンバーなんですけど、みんなのいいところを伸ばしながら組織としてのまとまりも与えてくれるっていう投手コーチだなというふうに見ているので、そこはすごいなって思います。

――お二人のそれぞれの仕事内容を教えてください

藤原 自分は投手コーチということで、投手陣の練習内容であったり組織を作っていくということをやっているんですけど、基本的にやっていることとしては週に1回スタッフミーティングという、監督と学生コーチ、大人のコーチであったりでお話しする機会があるんですけど、そういったところでチームの課題であったり今後どうしたらいいのっていう方針が出て、それをもとに選手たちの練習メニューを考えるであったり、その考えたものをやらせるであったり、ブルペンの土を固めようとかのグラウンドの環境整備であったりといったところをメインにやっているという感じですね。

鈴木 自分は学生トレーナーの仕事としては、グラウンドでアクシデントで起こるケガが起こった時に適切な対処をすることであったりとか、練習後に行うトレーニングがあるんですけど、そのトレーニングの方針を、社会人のトレーナーの方が在籍しているので、その方と相談しながら決めることと、肩が痛い、肘が痛いといった故障者に対してしっかり管理して早く復帰できるように対話したりとか、どういうふうにリハビリを進めていくかという相談を通して早く練習に復帰できるような体制を整備することの主に三つになります。あとは、その三つと練習中はアクシデント待ちみたいなところもあるので、ピッチャーのキャッチボールの相手になったりとか、野手のノックを打ったりとか自分にできることを探していろいろやっています。

――今年は春夏どちらもキャンプがありましたが、キャンプでの特別な仕事などはありましたか

藤原 特別な仕事は特にはなかったですかね。基本的に同じことをやりました。でも練習する環境がやはり違うので、練習メニューを作るときにいつもとは違うメニューを作ったりして、選手がちょっと楽しめるじゃないですけど、いつもやっていることとはと違うメニューでやるってことはありましたけど、特に特別な仕事はなかったですね。

――春、夏のキャンプでの思い出はありますか

鈴木 春は宿舎から球場まで離れていたので、ほぼ毎日のように練習後の野手全員で部屋対抗じゃんけんみたいなのをして走って帰る人を決めて、それで自分はじゃんけん勝ったので走らなかったんですけど、新潟キャンプの時は距離は短いんですけど宿舎ま激坂で、藤原が毎日のように走っていて、(自分は)1日だけ走ったんですけど死ぬかと思いました。

一同 (笑)。

藤原 自分は春のキャンプはアメリカの方に選手たちとともに行かせていただいて、ドジャースタジアムの見学ツアーみたいな野があったんですけど、それがすごい印象的というか、すごい球場だなって感じたのが一つの思い出ですね。夏のキャンプは玲央も言ってくれたんですけど、毎日宿舎まで走って帰ろうって自分で決めてて、選手たちがすごい走って頑張ってくれている姿を見て、自分も何か一つやらないといけないなと思って、じゃあ宿舎まで自分は走って帰ろうと思って、きつかったんですけどいい思い出ですね。

――藤原さんはロサンゼルス遠征で活躍されたと伺いましたが

藤原 もともとアメリカ生まれで、アメリカでは生まれただけなんですけど、そこから日本帰ってきて、チェコ共和国っていう国に2回行っていて合計7年くらい住んでいて、それで英語がぺらぺらってことじゃないですけどちょっと喋れるので、現地の対戦チームの選手の人と自分たちの選手の間で通訳みたいなことをしたり、レストランとかいった時も自分が英語でなんかやる機会は少しありました。

――お二人は監督や選手たちとどのような会話を意識していますか

藤原 自分が意識しているのは、一応学生コーチという立場で選手と監督の間っていうところで、少し立場が上であるのは間違いないんですけど、そういった中で常に謙虚でいようというか、もともと自分が学生コーチに選ばれた理由も行ってしまえば第一線で選手として活躍できないとチームメートから思われた、また自分でもそう思ったかた学生コーチになったわけで、そういったところをなくしてしまってただ偉そうに選手たちとコミュニケーションを取るのは違うなと思って、常に選手たちの気持ちだったり考えていることを第一にしてコミュニケーションをしているっていうのは意識しているところかなと思います。

鈴木 自分も選手に対しては藤原と同じような感じで、自分もどちらかというか選手ではなくてスタッフ側に身を置いている立場として、選手時代では感じなかったこととか、逆にこっち側に立ってみて見えてくるものとかあるので、選手たちが自分たちでやろうっていう気持ちを持たせられるように、自分がサポートする立場としてやっていこうっていう認識でいます。

「どうやったら自分の発言に説得力を持たせられるのか」(藤原)

質問に答える藤原

――藤原さんにお伺いしますが、投手陣の主な練習内容を教えてください

藤原 春のリーグ戦が終わって、課題がとにかく体力っていうふうにチームとして捉えていて、その体力を埋めるためにも基本的にはランニングとピッチングの二つをメインに重きを置いてやっていて、その二つが終わり次第バッティングであったり守備であったりトレーニングをやっているっていうかたちですね。基本的には走り込みと投げ込みの二つをメインにやっていますね。

――現在の投手陣の状態はいかがですか

藤原 キャンプでだいぶ走り込んで投げ込んでっていうかたちでコンディションが悪かった状態で試合とか練習をやっていたと思うんですけど、一回こっち帰ってきて少し強度を落としながらやっている段階で、だいぶ成長できている選手もいるのかなと考えています。

――オープン戦では前田浩太郎選手(スポ4=福岡工)や澤村栄太郎選手(スポ4=早稲田佐賀)といった4年生投手が結果を残しています

藤原 春のリーグ戦が終わった後に、若松(若松天、スポ4=東京・城東)、澤村、前田の4年のピッチャー陣が目の色を変えてすごい練習を取り組んでくれて、そういった姿が他のピッチャー陣にもいい影響を与えてくれて、練習への取り組み姿勢が大きく変わったって自分では思っていて、真摯に練習に取り組んでいる4年生の3人がオープン戦に出てきて結果を残してくれているっていうのは自分の中でもすごくうれしいですし、またチームにいい影響を与えてくれているなと感じています。

――春以降に投手転向した選手が増えましたがどのように指導していきますか

藤原 他のピッチャーと特に変わった指導をしているとかはなくて、基本的に同じ形で投げ込み、走り込みをメインに、ピッチングのフォーム的な部分で客観的に自分が見てもう少しこういったところを直した方がいいんじゃないかみたいな指導はしますけど、野手から転向したからといって特別他の人と違う指導はしていないです。

――オープン戦では1年生投手も躍動しています

藤原 すごく頼もしいですね。自分たちの代はスポーツ推薦が2人いたんですけど2人ともケガで投げれていなくて、1個下もスポーツ推薦がいなくて、二つ下も伊藤樹(スポ2=宮城・仙台育英)しかいなくてっていう段階で、1年生の越井(越井颯一郎、スポ1=千葉・木更津総合)、香西(香西一希、スポ1=福岡・九州国際大付)、森山(森山陽一朗、スポ1=広島・広陵)、宮城(宮城誇南、スポ1=埼玉・浦和学院)の4人が活躍してくれていることで投手陣の厚みも出てきていますし、4年生と同様にそういった1年生も活躍してくれることで、他のピッチャー陣にもいい影響を与えてくれたと思うので、すごいありがたいというかうれしいことですね。

――投手コーチをやるうえでの難しさはどのようなところにありますか

藤原 一番は、先ほども言ったんですけど自分自身が野球がめちゃくちゃ上手かったわけではないので、例えばメンバーのピッチャーとかの練習の取り組み姿勢とか、フォーム的な問題だったえい課題を抱えているうえで、自分的にすごいアドバイスしたい気持ちはあるんですけど、ただバーンってアドバイスしたり、一方的に自分が言っても説得力がないんだろうなって自分は思っています。というのも自分はやっぱり選手としてはちゃんとした結果を残せなかったっていう意味で、どうやったら自分の発言に説得力を持たせられるのかっていうのを常に考えていて、そういったところでデータを使ったり、他の4年の結果を残しているピッチャー陣と一緒にアドバイスをするであったり、そういったところを工夫して、難しいところではあるんですけど、そういったアドバイスを言ってその選手がよくなってきたときは自分の中でもうれしいです。

「優勝できる力もあると思っている」(鈴木)

質問に答える鈴木

――続いて鈴木トレーナーに伺います。鈴木トレーナーから見て、選手のコンディションはいかがですか

鈴木 キャンプが終わるまでに結構追い込んだので、その分の疲労が溜まっていると思います。春のリーグ戦の時に、ちょっと失敗しちゃった、前例が自分の中にあって。これは選手じゃない、スタッフ全員の責任かなと思っているんですけど。春のリーグ戦前は、結構強度を落とすのが早すぎて、リーグ戦中に、ちょっとへばっちゃうところがあって。 その時に「もうちょっと強度を上げたらどうだ」とスタッフミーティングの時に話が出て、そこで強度を上げたら、法政、明治の試合の時に、地獄みたいな感じになってしまいました。なので、(秋の)リーグ戦が始まる前に、強度をしっかり上げて、始まってからバタバタすることがなければ、優勝できる力もあると思っています。 その失敗があった分、落とすのを早くしすぎないように意識しているので、今週の日曜日までしっかりめのトレーニングをやっています。

――トレーナーを務める上での難しさはどのようなところにあると思いますか

鈴木 みんな野球選手なので、野球の練習は真面目にすることが多いと思うんですけど、トレーニングに関して、特に野手はちょっとなあなあになることもあります。選手自身がやりたいウエートトレーニングとかじゃない限り、取り組む姿勢に差が生まれるところがあります。自分も選手だったのでその気持ちはちょっと分かるんですけど、本数だったりとか強度とかの面で、そこをいかにしっかり選手がやり切れるようなメニューを作るか、声掛けができるかが難しいところかなと思います。

――鈴木トレーナーは昨年からトレーナーになりましたが、知識はどこで得ているのですか

鈴木 自分で学ぶこともあるんですけど、社会人のトレーナーの方と相談して、基本的にはその方からの指示を仰いでっていうかたちが多いです。

――学部で学んだ知識が生かされた場面はありますか

鈴木 3年の春の途中からだったので、3年の秋や今学期はトレーナーに関する授業を意識的に取るようにしましたね。

――トレーニングを見ていて、選手のエピソードがあれば聞かせてください

鈴木 日を分けているのであんまりウエートは見られてないんですけど…。

藤原 足速いやつ。足速いやつ。

鈴木 あー、足速いやつ。印出(印出太一、スポ3=愛知・中京大中京)がめちゃくちゃウエートしていて、めちゃくちゃでかいんですけど、しれっと足が速いんですよね。2カ月に1回、光電管を使って測定して、全員分のタイムを監督とかに提出するんですけど、「このデータは信用ならん」っていつも言われています。

藤原 ちゃんとしてるって言っておいたほうがいいんじゃない?

鈴木 ちゃんとしてます。もちろん、ちゃんとしてます(笑)。

――他に足が速い選手は誰がいますか

鈴木 松江(松江一輝、人2=神奈川・桐光学園)、渋谷(渋谷泰生、スポ2=静岡)、椎名(椎名丈、教2=東京・早大学院)そのあたりですね。

――ここからは野球のキャリアをお聞きします。野球を始めた年齢ときっかけを教えてください

藤原 僕はアメリカで生まれて、1回愛知県に行って、 チェコ共和国に行って、また愛知県に戻ってきた小学3年生の時ですね。人がいなさすぎて、試合もできないような小学校のチームがあって。自分は転校生でその地元の小学校に行ったんですけど、「野球しないか」とその地元の子たちにすごく誘われて。毎週末、朝早くにピンポンされて、みたいな感じで。それまでずっとサッカーをやってたんですけど、「一回やってみるか」と思って、野球をやってみたら、すごく楽しくて。そこからずっと、野球って感じですね。

鈴木 自分は、チームに入ったのは、小学3年生で。それまでは、父と祖母の影響でプロ野球を見ることが多くて、自分でも、プラスチックのバットと、ゴムのボール使って、小学1年生とかぐらいから、学校や父とやっていたんですが、近くに野球チームがなくて。新しく出来た野球チームで、10、20人くらいで集まって始めたのがきっかけです。

――藤原コーチが高校で早大本庄高を選んだ理由は何ですか

藤原 中学校3年間、また、チェコ共和国に住んでいて、そこでも、ずっと野球やってたんですけど。高校受験となった時に、大学受験はしたくないので、エスカレーターで行ける内部校でどこかいいかなってふうに思っていて、早稲田以外にも、関学とかいろいろ見たんですけど、第一志望は早稲田で。 寮がちゃんとついてるところがいいなと考えた時に、早実とか学院だと寮がないんですよね。早稲田本庄であれば、寮があって、帰国子女枠で 入れるっていうので、野球で選んだというよりは、大学にエスカレーターっていうところで選びました。

――鈴木トレーナーが早大を目指した理由は何ですか

鈴木 正直、野球を続けるつもりはあんまりなかったんです。高校3年生で引退する前後ぐらいから、やっぱり大学でも高いレベルで野球やりたいなって思って。あと、早稲田と違う大学の春のキャンプの練習に参加させてもらったことがあって、その時に、大学野球の学生が中心となってやるあの雰囲気っていうのが、自分の中では楽しいなって思って、この雰囲気でまだまだ野球やりたいなと思うようになりました。自分は一般受験で入ったので、勉強もしっかりできて、なおかつ、野球でもっていうところで、早稲田を選びました。

――藤原さんが投手コーチになられた経緯を教えてください

藤原 大学2年の秋に野手の方から新人監督1人で、投手の方から投手コーチ1人を決めるっていうのが伝統というか、ルールとしてあります。そういった中で、自分が投手コーチとして投手のみんなから推薦されたっていうかたちです。

――鈴木さんがトレーナーになられた経緯を教えてください

鈴木 自分は学生トレーナーになったのは大学3年春のシーズン後なんですけど、(3年)春のシーズン前に肩を故障してしまいました。リハビリと復帰に向けて練習していた5月ごろに柴垣(柴垣敬太朗主務、法4=大阪・三国丘)の方から「ちょっと話がある」と言われて。そこで柴垣からこういうふうにトレーナーをやってほしいってことだったりとか、自分だからこそ求めているっていうふうな、なった後の期待感みたいなっていうところまで話してくれました。自分としてはまだまだ選手として続けられるようにリハビリしていてちょっとびっくりしたので、1回ちょっと家に帰って考えたいっていうふうに思っていたんですけど、正直自分の中でも話された時点でもうある程度心は決まっていました。しっかり自分の気持ちを整理させて、その翌々日ぐらいには引き受けさせてもらうっていうふうな話をしました。その後肥田(肥田尚弥新人監督、スポ4=大阪・早稲田摂陵)と藤原と練習終わった後に話とかしたりしてっていうのがきっかけですね。柴垣が話する前は前のチームで入っていた寮生が誰が適任か話して(自分に)決まったっていうふうなことは聞きました。

「とにかく優勝のために何ができるのかっていうところをみんなで頑張ってやっていきたい」(鈴木)

取材に応じる二人

――ここからは秋季リーグ戦についてお聞きします。秋季リーグ戦はお二人にとって4年間の集大成となります。早大野球部での4年間を振り返って、一番の思い出を教えてください

藤原 まだないですね。っていうことにしときます。秋優勝して一番の思い出にしたいです。

鈴木 毎年秋は優勝に絡んできた3年間でした。1年目は大逆転で優勝して、2年目は勝てば優勝っていうところで、目の前で慶応の選手たちがマウンドに集まる姿を見せられて。3年目はあと1つ勝っていればっていうところなんですけど、最後の最後早慶戦でもうこれ以上ないぐらいの勝ち方で慶応を倒すことに必死になっている4年生の姿っていうのを見てきた中で、これまでの3年間の先輩方も自分たち後輩に何らかのかたちを残してきたっていう先輩方なので、自分たちのその姿だったりとか、優勝という結果もそうですけど、後輩たちに還元して、それが今できる早稲田への恩返しなのかなと思います。

――お二人から見た現在のチームの状態はいかがでしょうか

藤原 自分は投手コーチなので投手のことを言わせていただくと、実際オープン戦を見てみると失点は結構してはいるんですけど、内容を見れば自分は悪くないかなっていうふうに思っていて。着実に成長して結果を出している選手もいると思うので、そういった選手が最後リーグ戦で活躍してくれれば問題ないと思っています。

鈴木 自分は試合通して見ることが多いので、やっぱり投手陣は藤原も言ったように失点が多いんですけど、だんだんとかたちになってきています。まだまだ課題はあると思うんですけど、リーグ戦までにそれを潰して点を取られないような、アウトを1つずつ積み重ねられるようなピッチングをしてほしいなっていうふうに思います。野手陣に関しては、春は結構波も大きかったですし、今も結構波は多いんですけど、打てない中でも点を取るっていうことであったりとか、どんな手を使ってでもって言ったら言い方が良くないですけど、あの手この手で勝てるようなチームに(なってほしい)。最終的に勝っていればいいと思うので、あと2週間でいい状態に仕上げていけるようにやっていきたいなというふうに思います。

――リーグ戦の注目選手を教えてください

藤原 越井です。春のリーグ戦でも最後投げていたんですけど、この夏合宿、そして春が終わってからの練習をずっと見ていて、春のリーグ戦が終わってからあいつもすごい練習に真摯に取り組んでいますし、実際結果もついてきていると思っています。オール早稲田戦で先発して失点はしましたけど、3回で社会人の先輩方相手に自分の中ではそれなりにいいピッチングができていたんじゃないかと思いますし、自信もすごい見えるようになってきたので、最後またほえながら、自信満々で秋投げてくれるんじゃないかなと思っています。

島川 自分は島川(叶夢、スポ4=熊本・済々黌)にしときます。やっぱり早慶戦、大舞台のあの場面でスリーランを打てるような、本当に勝負強いバッターだなっていうふうに思います。今はオープン戦で結構出ていることが多いので、リーグ戦も出場することになると思うんですけど、彼も結構自分と一緒に下積みしていた時代も、1年生の頃はメンバー外で練習していた時期もあったので、そういう意味でも思いっきり勝負強さを発揮して暴れてほしいなと思います。

――ここまで4年間一緒にやってきた同期に伝えたいことはありますか

藤原 4年生のピッチャーに関しては春のシーズン悔しいかたちで終わって、実際4年生で投げていたのはユエン(ユエン賢、国教4=カナダ・セントジョセフ)、加藤(加藤孝太郎、人4=茨城・下妻一)、齋藤正貴(商4=千葉・佐倉)、清水大成(スポ4=大阪・履正社)、飯塚(飯塚脩人、スポ4=千葉・習志野)の5人です。それに出られなかった4年生のピッチャーがすごい悔しい思いをして、先ほども言ったんですけど若松であったり、澤村、前田っていうのは本当に目の色変えて練習して、あいつらが頑張ったおかげですごい4年の投手陣としての一体感というか、最終学年の4年でこのピッチャー陣を良くしていこうみたいな雰囲気が出ていました。個性的なやつは多いんですけど、 そういった意味で自分も最後投手コーチをやりやすかったですし、本当に最後悔いのないようにみんなで頑張ろうっていう、それだけですね。

鈴木 みんなに伝えたいことは、最後優勝して全部いい思い出だったねっていうふうに言えるように。今まだ開幕前の不安だったりとか、あとはオープン戦も勝てないゲームもある中でいろいろ不安とか、そういった気持ちの面でも体力的な面でもしんどいこともあると思うんですけど、最後笑って終われるように。 あと少しとにかく優勝のために何ができるのかっていうところをみんなで頑張ってやっていきたいなっていうふうに伝えたいですね。

――最後に、集大成となる秋季リーグ戦に向けて意気込みをお願いします

藤原 春ああやって悔しいかたちでピッチャー陣は終わったので、あのような結果にならないように、夏自分たちがやってきたことを信じて、最後野手を助けられるように防御率低く、失点少なく勝てるように頑張ります。

鈴木 自分は野手も投手も結構関わることが多いので、それぞれどういう調整したらいいかとか、どういうふうにコミュニケーション取ったらいいかとか、試合前にどういう準備をしたらいいのかっていうのがある程度1年半ぐらいやってきて選手ごとに分かってきたつもりです。それを自分の中で選手に最大限気を遣って、とにかく優勝できるようにみんなに檄を入れたり背中を叩いたりしながら、とにかく優勝に向けて頑張ってほしいなと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 田中駿祐、星野有哉、矢彦沢壮真)

お二人のアツい気持ちが伝わってきました!

◆鈴木玲央(すずき・れお)(※写真左)

か2001(平13)年2月3日生まれ。175センチ、75キロ。鹿児島玉龍高出身。 スポーツ科学部4年。学生トレーナー。

◆藤原尚哉(ふじわら・なおや)

2001(平13)年10月2日生まれ。175センチ、77キロ。埼玉・早大本庄高出身。 政治経済学部4年。投手コーチ。