全日本大学駅伝関東選考会 6月23日 神奈川・相模原ギオンスタジアム
梅雨の始まりを告げて蒸し暑さを感じるこの時期、例年各地で伊勢路(全日本大学駅伝対校選手権)切符をかけた戦いが繰り広げられる。そして今季も同様に、神奈川・相模原ギオンスタジアムにて、全日本大学駅伝関東選考会が開催された。各校8人が4組に分かれて1万メートルを走り、合計タイムの上位7校が全日本出場権を獲得する。1人の離脱も許されないシビアなルールが課される本予選会。この大会に、昨年全日本で5年ぶりのシード落ちを喫し、今季、伊勢路への返り咲きを図る早大が臨んだ。挑んだのは、三大駅伝出走経験のある6名と好調ぶりをうかがわせる下級生2名の強力な布陣。2組目を終え、総合8位とやや不穏な空気が漂ったが、その流れを断ち切ったルーキー山口竣平(スポ1=長野・佐久長聖)や4組日本人トップに入った山口智規(スポ3=福島・学法石川)らの活躍により、総合3位で全日本本戦への出場を決めた。
1組目には、間瀬田純平(スポ3=佐賀・鳥栖工)、山﨑一吹(スポ2=福島・学法石川)の2名が出場した。今年からトラックの主戦場を5000メートル、1万メートルにシフトした間瀬田や、前日の刺激練習に懸念を抱えながらも「調子は良かった」という山﨑。1組目からこの2名がタイムをどれだけ稼げるかがカギとなった。レースが始まると、東洋大の2選手が引っ張るかたちに。間瀬田、山﨑は集団の前方に位置し動きをうかがった。1000メートルを2分55秒前後で刻む集団は、先頭が東洋大の岸本遼太郎から松井海斗に変わる場面があったが、大幅な変更はなく5000メートルを通過。すると、ここで松井が先頭から引き下がる展開に。不本意にも先頭に出た間瀬田とそれに続く山﨑だったが、花田勝彦駅伝監督(平6人卒=滋賀・彦根東)から「〇」の反応が出されると、間瀬田、山﨑の順で先頭を入れ替えながらレースの主導権を握った。しかし、7000メートル通過後、集団に動きが見られる。神大の選手が仕掛け、飛び出すと次々に他大学の選手が反応し集団が分散。その一方間瀬田と山﨑は、先頭集団の流れに食らいつくことができなかった。ラスト、2人は第二集団で粘りの走りを見せるも、山﨑は15着、間瀬田は19着でフィニッシュ。1組目終了時点で総合7位と、少し物足りない結果とはなったものの、山﨑、間瀬田ともにまとめきる走りで次の組につなげた。
レース終盤競り合う山﨑(写真中央)と間瀬田
2組目には、組唯一1万メートル27分台のタイムを持つ石塚陽士(教4=東京・早実)と今年フルマラソンに初挑戦し、一般組ながら着々と走力を上げている菅野雄太(教4=埼玉・西武学園文理)が出場。ボーダーラインから脱し、総合順位をひとつでも上げたい早大はこの2名にレースが託された。序盤、地力のある石塚が先頭を引っ張り、集団は1000メートルを3分3秒のスローペースで通過。菅野も集団の中ほどに位置した。しかし、花田駅伝監督が「石塚、菅野ともに教育実習期間と重なり、練習が十分に積めていなかった分軽さがあった。そのため、前半のスローペースでやや身体が動きすぎた感じがした。」と振り返ったように、その中でも石塚はトップを維持したものの、菅野は前半のスローペースが響いたのか、5000メートル通過後から徐々に失速。レースが動いたのは、集団が7000メートルを通過した後だった。東海大の選手が仕掛け、先頭集団が1000メートルを2分50秒前半のペースで推移する展開になると、負けじと石塚も食らいつく。ラスト1000メートルでは、菅野の位置取りを確認し何度も攻めの走りを見せた石塚が、一時はトップに出たものの、最後は東洋大、東海大の選手にかわされ組3着でフィニッシュ。菅野の方は、後半集団から外れ遅れをとった一方、前方の選手を着実に拾っていき、組26着で終えた。「色々な自分のコンディションを加味した上では、自分を出し切ることができたのでは」と振り返った石塚だったが、この時点で早大の総合順位は順位を1つ落とし8位。張りつめた空気のまま後半戦へ突入した。
レース終盤仕掛ける石塚
3組目は、名門佐久長聖高OBらの力が試された。早大からは伊藤大志駅伝主将(スポ4=長野・佐久長聖)、山口竣平(スポ1=長野・佐久長聖)の2名が出場。4月に5000メートルで13分28秒67の自己ベストを更新し、日本選手権の出場を控える伊藤大、大物ルーキー山口竣による、悪い流れを断ち切るレースが期待された。2組目と打って変わってペースが上がり、序盤から縦長の集団となった3組。石田洸介(東洋大)や吉岡大翔(順大)ら強豪がひしめく中、伊藤大は前方で果敢に攻め存在感を放つ。「調子が上がって来ず、本人(山口竣)も不安を口に出していた」(花田駅伝監督)という山口竣の方は「15番以内」を目標に、集団後方に位置取りをした。集団が分裂したのは4000メートル通過後。山口竣は第二集団先頭で懸命に前を追うと5000メートル付近では前方を吸収し、一時は先頭に躍り出るなど堂々とした走りを見せる。そして8000メートル通過後、レースを大きく動かしたのは日体大の選手だった。惜しくもスパートをかけきれず伊藤大含む先頭集団に吸収されたが、東洋大の石田がそれを機に即座にペースアップ。集団がばらけ、各々がラストの競り合いに入ると伊藤大は少々遅れをとる。そして、迎えたラスト1周。ラストのスパートを「久しぶりにキレのある走りをすることができた」と振り返った山口竣は、前方の伊藤大をかわし、29分11秒26の自己ベストで組7着に入りフィニッシュ。伊藤大も組9着でゴールし、総合順位5位と合計タイムに余裕を持たせて最終組に入った。
安定したレース運びを見せる山口竣
留学生や各大学のエース級選手らが集う最終組には、早大のエース山口智規(スポ3=福島・学法石川)と1万メートル28分31秒87の自己記録を持つ工藤慎作(スポ2=千葉・八千代松陰)が出場。1000メートルを2分48秒で通過するハイレベルな戦いとなった序盤、山口智は冷静に留学生の後を追い、工藤は中ほどでレースを進めた。2000メートルを通過後、徐々に先頭の留学生集団と差をつけられた山口智は日本人トップを走る吉田礼志(中央学院大)の後にピタリとつく。一方工藤は前後の集団に挟まれ、単独走になりながら懸命に前を追った。工藤が後方集団に吸収されたのは5000メートル手前。その中でも、集団の中で懸命な走りを見せた。一方中盤から後半にかけて「余裕があった」という山口智は、徐々に前方の留学生との差を縮めていき6位集団まで到達。吉田と抜きつ、抜かれつの展開を繰り返しながらレースを進めた。終盤「揺さぶりがあることは想定できていた」という山口智は、ショートスパートで吉田をかわし日本人トップを狙うプランをたてる。迎えたラストの直線、持ち前の猛烈なスパートで、プラン通り吉田をかわすと日本人トップでフィニッシュ。工藤も集団のペースアップに粘り強い走りで対応し組14着に。最終組を終えて総合順位を2つ上げると、早大は総合3位に入り見事伊勢路の出場権を手にした。
鋭いスパートを見せゴールする山口智
「トップ通過はならなかったが、きっちりまとめられた点はチームの成長を感じた」(花田駅伝監督)と振り返るように、想定外の展開にも翻弄(ほんろう)されず、着実に本戦出場への切符を手繰り寄せた早大。チーム一丸となってひとまずの壁は乗り越えた。しかし、本戦ではシード権獲得だけでなく、「もう一つ上の3位争いにも加わって勝負したい」(花田駅伝監督)と考えている。他の強豪校と互角に渡り合うためにも、早大は夏合宿にて、さらなる走力の強化が必要となるだろう。三大駅伝前哨戦を終え、選手たちは各々鍛錬の夏に入っていく。
(記事 草間日陽里、写真 會川実佑、植村皓大、佐藤 結、谷田光太郎)
コメント
花田勝彦駅伝監督(平6人卒=滋賀・彦根東)
――1組を振り返って
1組の2人は、前半からレースの主導権を握り、最後は競り負けたものの、うまくまとめる走りをしてくれました。山﨑一吹(スポ2=福島・学法石川)はこうしたチーム代表としては初レースでしたが、練習通りの走りができたことは自信になったと思います。間瀬田純平(スポ3=佐賀・鳥栖工)も暑さをやや苦手とする中で、大きく崩れずしっかりまとめてくれました。
――2組を振り返って
2組は当初は、石塚陽士(教4=東京・早実)にもう少し速いペースでレースの主導権を握る指示を出していましたが、1組を走った選手たちから思ったよりも暑さを感じたとの報告があり、スタート前に様子を見て慎重に行こうと伝えました。そのことで、先頭に出たものの、やや中途半端な走りになってしまいました。石塚、菅野雄太(教4=埼玉・西武学園文理)ともに教育実習期間と重なり、練習が十分に積めていなかった分、軽さはあったので、前半のスローペースでやや身体が動き過ぎた感じがしました。菅野が中盤遅れてヒヤヒヤしましたが、大きく崩れることなくまとめたことでなんとかつながりました。
――3組を振り返って
3組は速い展開となったことで、2人にとっては走りやすかったと思います。伊藤大志駅伝主将(スポ4=長野・佐久長聖)は終始、前で駅伝主将らしい堂々とした走りを見せてくれた。5日後に日本選手権5000mがあり、本当は1、2組で余裕を持って走らせたかったですが、油断できない状況を察して本人から後半での出走を申し出てくれました。山口竣平(スポ1=長野・佐久長聖)も調子が上がって来ず、本人も不安を口にしていましたが、前半抑えつつ後半は前に出てレースを動かすなどレース巧者ぶりを見せてくれました。この2人の走りで余裕を持って4組目を送り出すことができました。
――4組を振り返って
4組の2人には特に具体的な指示はせず、うまくまとめてこいと送り出しました。山口智規(スポ3=福島・学法石川)は、調子はよかったですが、無理して留学生にはつかず、日本人トップを取って出場権を確実にしようとは伝えていました。工藤慎作(スポ2=千葉・八千代松陰)も調子が良く、前半から攻める走りをして、中盤追いつかれてからも粘って押し切れたことは本人にとって良い経験になったと思います。
――全体を振り返って
今回は悪くても総合3位以内、できればトップ通過を目指そうと話していました。トップ通過はならなかったですがきっちりまとめられた点はチームの成長を感じました。一方で、今年の本戦ではシード権獲得はもちろん、もう一つ上の3位争いにも加わって勝負したいと考えていますので、この結果を真摯に受け止めて、夏以降はチームとしての強化を進めて行きたいと思います。
石塚陽士(教4=東京・早実)
――本日のコンディションはいかがでしたか
実は昨日まで教育実習をしていました。教育実習明けというところもあってなかなか練習が積めていなかったので、少し不安は抱えた状態ではありましたが、スピード的にはそんなに問題はなかったです。60点ぐらいの調子だったと思います。
――グラウンドのコンディションはいかがでしたか
ちょっと蒸し暑いところはありましたが、これぐらいの湿度などは想定内だったのでおおむね問題ないと感じていました。
――本日のレースプランを教えてください
良くも悪くも僕が実権を握るレースになるとは思っていました。本当にスローになるのであれば、スローになりすぎるとやはり早大としては不利になってしまうので、ある程度自分で引っ張っていこうとしました。流れれば流れで前についていくというかたちで、とにかく順位を前にというところを意識して走っていました。
――本日のレースについて監督から指示はありましたか
1組目が終わった段階で花田監督とお話をして、 1組目が流れたから2組目も流れるだろうから、最初は肩の荷を下ろしてじゃないですけど、少しリラックスして行ってきなさいというようなお話をいただきました。
――このレースでのご自身の役割はどのように考えていましたか
組トップ、もしくは最低でも3番以内というところでした。チームに勢いをもたらすことが大事なことだろうと思っているので、その点に関しては最低限は達成できたのではないかと感じております。
――スローペースになりましたが、レース中に考えていたレース展開などを教えてください
もう少しペースを速くいけるのではないかと思っていましたが、なかなかそこは自分の走りとギャップがあって、(1000メートル)3分05秒ぐらいに収まってしまったのでそこはしょうがないと思いました。そこからラスト勝負に切り替えて走りました。
――8000メートル付近で他大学の選手がスパートを仕掛けましたが、その時の心境を教えてください
それくらいは起こるとは予想していたので、離されないことが大事だと思い、そこはなんとか食らいついていこうと思っていました。
――今回のご自身の走りを振り返っていかがですか
本当はもう少し速く進めたかった、もしくはいい仕事できなかったとか、優勝とか組トップを取りたかったというのはありますけれども、 色々な自分のコンディションなど加味した上では、自分を出し切ることができたのではないかと思います。ここでステップアップして、次の大会を目指していこうと思います。
――最後に、今後の目標を教えてください
次のレースがホクレン(ホクレン・ディスタンスチャレンジ)の千歳で、7月の中旬から下旬ぐらいであるので、そこでベストを狙えるような走りができればいいと思っております。
山口智規(スポ3=福島・学法石川)
ーー今日のコンディションはいかがでしたか
割と疲労のある中でのレースではあったのですが、確実に日本人1位をとろうとしっかりイメージして走ろうと思っていました。
ーー今日のレースプランを教えてください
とにかく日本人トップ、もしくは留学生と競り合って27分台を目指していました。ただ、コンディションがあまり良くなかったのでしっかり日本人1位を狙った中でのレースになりました。
ーー 3組目までの早稲田のチームとしての戦いぶり振り返っていかがですか
若干想定外ではあったのですが、山口竣平(スポ1=長野・佐久長聖)が頑張ってくれたので僕も頑張ろうと思ってました。
ーー花田勝彦駅伝監督(平6人卒=滋賀・彦根東)の方からはどんな指示を受けていましたか
確実に日本人トップ狙っていこうと、チームは大丈夫だから落ち着いていこうと言われていました。
ーー中盤から後半にかけて、吉田礼志選手(中央学院大)と並走になりましたがどのような意識で走っていましたか
余裕があったので、監督からの指示を仰ぎつつ後ろにつかせてもらいながらのレースになりました。ただ、若干遅いペースにはまってしまい、前に出たタイミングできつくなってしまったので、そういった部分は反省を生かして、強くなりたいと思います。
ーー最後の1周は一度吉田選手に先行された後、ラスト20メートル付近で抜き返しましたが、ラストスパートを振り返っていかがですか
揺さぶりがあることは想定できていたので、 ラストでのショートスパート抜くというところを計算しながらのレースになりましたが、想定通りの走りができて良かったと思います。
ーー日本人1位となった点と、タイムについてはどんな印象ですか
タイムはあまり満足はしていません。目指すべきレースはここではなかったので、確実に通過して、日本人1位を取れたところは評価するべきですが、さらに上を目指してこれから頑張っていきたいと思います。
ーー最後に今後への意気込みをお願いします
ホクレンが次のレースになるので、そこでは少しでも5000メートル日本記録に近づけるように頑張って、早めに記録を狙っていきたいなと思います。 また、夏を乗り越えて駅伝シーズンでは区間賞を必ず取れるような選手を目指して頑張りたいと思います。
山﨑一吹(スポ2=福島・学法石川)
――今日のコンディションはいかがでしたか
正直調子は良かったのですが、前日の刺激があまりうまくいかなくて、そこは少し怖い点かなと思ってました。
――今日のご自身の目標を教えてください
目標としては、僕の主観なのですが 、調子的には5位くらいに入れるかなと思っていました。 花田さん(花田勝彦駅伝監督、平6人卒=滋賀・彦根東)からは15位くらいと言われていて、本当に15位だったので、やはり監督の指示は的確だなと思いました。
――監督からの指示は具体的にどのようなものでしたか
タイムは29分50秒で、順位は15位でした。 正直僕的にはそんな順位ではないだろうと思っていたのですが、しっかり15位でした。
――レースプランはどのように考えていましたか
スローになると思っていたので、僕と間瀬田さん(純平、スポ3=佐賀・鳥栖工)が2人で引っ張り合っていくというレースプランだったのですが、本当に速かったので、それについていったという感じです。
――1組でのレースとなりました。ご自身の役割はどのように考えていましたか
やはりチームに勢いをつけて、みんなが楽に無理しないで走れればいいかなと思っていました。
――レース中盤はコースの内側でレースを進めていましたが、位置取りは振り返っていかがですか
大きい集団だった時は外にいたのですが、一列になってからは内側を走って、結構うまくいっていたかなと思います。
――先頭に出る場面もありました。振り返っていかがですか
先頭に出た時は結構きつかったので、あまりペース上げずに行きたいなと思っていたのですが、出てきた人がいたので、仕方なく僕もそれに釣られてペースを上げてというかたちになりました。
――ラストスパートのときの心境を教えてください
ラストスパートは行くしかないなというふうに思っていました。間瀬田さんがちょうど横に来て一声かけてくれたので、気合が入りました。行くぞと声をかけられました。
――自己ベストに迫る走りとなりましたが、今回のご自身の走りを全体的に振り返っていかがですか
1万メートルでこういうアップダウンが多いレースをしたのも初めてだったので、そのようなところは収穫になったかなと思っています。
――今後の目標を教えてください
やはり三大駅伝に出走してチームに貢献するというのが、目標です。
山口竣平(スポ1=長野・佐久長聖)
――今日の調子はいかがでしたか
ここ2、3日走りのモチベーションが上がらなかったのですが、なんとか立て直してレースに臨むことが出来ました。
――今日の目標を教えてください
花田さん(花田勝彦駅伝監督、平6人卒=滋賀・彦根東)からは15番前後目指して走れと言われていたので、15番以内を目指して走りました。
――序盤ハイペースとなり、集団後方から追い上げる展開となりましたが、どのように考えて走っていましたか
序盤から全員速いペースで走っていたため、あとから落ちてくると思っていました。後半は思ったより余裕があったので自分から仕掛けることも出来ました。
――7000メートル付近で1度先頭に出ましたが、その意図を教えてください
集団のペースが落ちていたため自分が前に出てレースのペースを上げたかったのと前に出たら面白いかなと思って前に出ました。
――ラスト1周で伊藤大志駅伝主将(スポ4=長野・佐久長聖)を抜きました。ラストスパートを振り返っていかがですか
同じ高校の先輩である順天堂大学の吉岡大翔選手に負けてしまったのが反省点ですが、久しぶりにキレのある走りをすることが出来ました。
――最後に自己ベストとなりましたがご自身の走りを全体的に振り返っていかがですか
80点位だと思います。花田さんから言われていた15番というのはクリアできたのですが、ラストスパートの走りや勝負強さといったところがまだまだでした。