【連載】『令和4年度卒業記念特集』第2回 原功征/野球

野球

勝利を支える柱

 「自分を一番成長させてくれた場所」――。原功征(スポ4=滋賀・彦根東)は早大野球部の存在をこのように振り返った。テンポの良い投球で数々の修羅場を乗り切ってきた男、それが原功征だ。ラストイヤーは投手陣で唯一の副将を務め、後輩投手陣が能力を発揮できるように尽力してきた。ライバル・慶応義塾大学には同郷の朝日晴人(4年)、増居翔太(4年)といった強力なライバルの存在もあった。原の4年間を振り返っていく。

 「副キャプテンになって周りを見て気を配れることが多くなった。」原は自身が最も成長した点としてこのように挙げた。東京六大学リーグ戦(リーグ戦)に出場した4年生の投手が少ない中、必然と後輩投手陣と接する機会が多くなった原は、後輩とのコミュニケーションを重視した。後輩たちが能力を発揮するために、直接相談しながら選手おのおのの強みを尊重しつつ、最適な練習環境をつくり出してきた。ただ後輩に練習環境を与えていただけではない。自身も球速アップのために練習方法を自ら後輩の伊藤樹(スポ1=宮城・仙台育英)に相談するなど、双方向にコミュニケーションを取ってきた。

昨秋立大1回戦で登板した原

  入学当初は野球部で続けていけるかどうかが不安だった時もあったという。それでも、多様なバックグラウンドを持つ同期たちと、「野球部で結果を出す」という共通の思いを力にはい上がった。下級生の頃からリーグ戦で試合に出続ける中川卓也(スポ4=大阪桐蔭)や蛭間拓哉(スポ4=埼玉・浦和学院)、東京六大学フレッシュトーナメントなどで常に競り合い、共に成長してきた雪山幹太投手(教4=東京・早実)といった同期の存在が今の自分につながっていると原は感謝の気持ちを述べた。

 チームを支えるリリーバーとして定着してきたラストイヤー、原は野球人生で初めてチームを支える立場である副将に就任する。「他の主将、副将とは違って自分はそういった立場を経験したことがない」と述べる原は主将を経験したことがない者の視点から、下級生にも積極的に声掛けをしていくことを意識していた。しかし、春季リーグ戦は東大以外から勝ち点を挙げることができずチームは5位に沈む。投手と野手がバラバラになり、チームとしてまとまることができない時期もあった。原はこの春季リーグ戦を4年間で最も苦しかったと語る。それでも副将としてチームの士気を上げるべく、試行錯誤を重ねながら秋のリーグ戦を迎えた。そして野球人生最後の早慶戦。早大は優勝の懸かった慶大相手に二連勝し、春の雪辱を果たす。この時、原は自分たちの取り組みに間違いはなかったということを実感した。

笑顔でマウンドに上がる原

 原は早大野球部だけではなく、慶大に進んだ高校同期である朝日、増居からも刺激を受け成長を続けていた。この二人に対しては、「自分の前を走り続けて自分が頑張る上でのモチベーションであり、一番感謝を伝えたい存在」と語る。甲子園の土を共に踏んだ3人で神宮のグラウンドに立つということが入学当初からの目標であった原は、最後の早慶戦にも特別な思いがあった。慶大で鉄壁の内野陣を形成し、強力打線の一角を担っていた朝日に対しては「三振を絶対取ってやる」といった気持ちで臨んでいた。最後の1年間で朝日に対して3打席を抑え、中継ぎでの登板ではあったが、慶大のエースで六大学でも指折りの勝ち頭であった増居の前で勝ち投手にもなった。この結果には原の4年間の努力の結晶が表れたといっても過言ではない。

 ブルペンの柱として早大をけん引してきた原だが、大学で競技を退き、一般就職をすることが決まっている。これから起こりうるピンチや苦しい場面は早大野球部で得られたことや頑張りを糧に、リリーフにおける火消しのようにチャンスへと変えていくだろう。原も1人のOBとして後輩が優勝して、優勝した人にしか味わえない格別な気持ちを味わうことを願ってやまない。最後に後輩の優勝を願いエールを送った。

(記事 橋本聖、写真 藤田珠江氏、田中駿祐)