――甲子園春夏連覇の主将が直面した大学の壁 辛酸をなめ続けた2年間
今季、打率3割3分3厘を記録して打線の中軸を担い、念願のベストナインを獲得した中川卓也(スポ3=大阪桐蔭)。そして11月13日、来年度の主将就任も発表された。今特集では中川卓の主将就任に合わせ、飛躍までの道筋を2回に分けて特集する。
3度の甲子園優勝を経験した野球エリートが直面したのは、大学野球の壁。入学から2年春まで、東京六大学リーグ戦(リーグ戦)の全試合でフルイニング出場を果たすも、思うような結果は残せなかった。そして、2年秋は一度もベンチに入れずに、チームの劇的優勝をスタンドから見届けた。特集の第1回では、辛酸をなめ続けた2年間を振り返る。
新星
期待のルーキーはオープン戦で猛アピール。見事開幕スタメンの座を勝ち取った
『春夏連覇を果たした大阪桐蔭高の主将・中川卓也が早大に入学する』。この知らせを聞いて、期待に胸を躍らせた読者も少なくないはずだ。「4年間で相当な選手になるだろうな」(小宮山悟監督、平2教卒=千葉・芝浦工大柏)、「バッティングは本当にいいものを持っている」(徳山壮磨、スポ4=大阪桐蔭)という言葉に代表されるように、実力を高く評価する声も多かった。高まる周囲の期待、そして何よりも本人が、自分の実力への自信と期待を抱いていたはずだ。実際に弊会の初取材時において、色紙に書いた大学での目標は、『リーグ最多安打記録の更新』。並の選手であれば、口に出すことをはばかるような言葉を選んだことからも、大志を抱いて早大入学を決めたことがうかがえる。
そんな注目ルーキーは、入学直前の3月からその実力を遺憾なく発揮する。沖縄キャンプ中に行われた社会人チームとの練習試合で大学デビューを果たすと、初打席でいきなり安打を記録。春季オープン戦でも本塁打を放つなど、攻守でアピールを続けた。その結果、空席となっていた一塁手のレギュラーを獲得。そして迎えた春季リーグ戦の初戦、中川卓は6番・一塁手としてスタメンに名前を連ねた。順風満帆な大学デビューを果たしたかと思われたが、ここから苦悩の日々が始まった。
挫折
直面した大学の壁。好機で凡打に倒れる場面が続き、1年目は悔しいシーズンに
開幕カードの東大2回戦で初安打を放ったが、その後は3試合連続無安打。打率は1割を下回り、打順も8番へと降格した。4カード目の法大戦では3安打を放ち、復調の兆しを感じさせたが、早慶戦では3試合で1安打にとどまり、打率1割2分8厘に終わった。2カ月近く試合が続くリーグ戦特有の調整の難しさ、不十分だった体作りなど、大学野球の壁に跳ね返された。夏場は徳武定祐前コーチ(昭36商卒=東京・早実)に教えを請い、打撃の改善に着手。巻き返しを期した秋季リーグ戦は、2番で起用される。夏場に取り組んだタイミングの取り方や、バットを振る姿勢に手応えも感じ、「調子は悪くなかった」という。早慶戦では2試合連続適時打も放ったが、「(バッテリーに)うまく組み立てられて、自分のバッティングをさせてもらえなかった」と劇的な成績向上までには至らず。打率2割8厘でシーズンを終えた。心技体全ての面で力が足りず、「何もかもうまくいなかない1年だった」と振り返る。
屈辱
2年春、立大戦で犠飛を放つ中川卓。しかし、思うような結果を残せず、秋はスタンドで優勝見届けた
迎えた2年目、冬場に力を入れて取り組んだのは、「振り切る力」の強化とウエートトレーニングだ。「うまいバッティングをしようとし過ぎていた」という1年目の反省から、打球を遠くに飛ばせるように、数多くバットを振った。また、筋肥大と瞬発力強化を目的としてウエートトレーニングを行い、課題としてきた体作りに励んだ。春季オープン戦でも2本の本塁打を放つなど、取り組みに一定の手応えも感じていた。しかし、新型コロナウイルスの影響で、春季リーグ戦の開幕が約4カ月順延。調整の難しさもあったか、打率2割2分2厘と不本意な結果でシーズンを終える。
そして、夏季オープン戦ではベンチを温める機会が増えると、秋季リーグ戦は全試合ベンチ外。早川隆久前主将(令3スポ卒=現東北楽天ゴールデンイーグルス)や蛭間拓哉(スポ3=埼玉・浦和学院)らが成し遂げた10季ぶりのリーグ優勝は、スタンドから見届けた。「ふがいない1年だった」。悔しさと情けなさ、そして「あの場所に立ちたい」という強い決意。さまざまな思いを胸に抱き、後に「やれることは全部やってきた」と振り返る鍛錬の冬に向かった。
(記事 杉﨑智哉、写真 池田有輝氏、望月清香氏)