開幕2連敗から始まったシーズンでしたが、粘り強く戦い慶大に肉薄した早大野球部。本記事では、惜しくも優勝を逃した選手たちのコメントをお届けします。
※インタビューは早慶2回戦の翌々日以降に電話等で行われたものです。
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丸山壮史主将(スポ4=広島・広陵)
――早慶戦を終えて、まず率直な気持ちを教えてください
悔しい気持ちというか、勝つしかない場面で勝てなかったのは、4年生選手やベンチに入れなかったメンバー、監督(小宮山悟監督、平2教卒=千葉・芝浦工大柏)や応援してくださっていた皆様に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
――序盤先制をしてから同点に追いつかれる展開となりました。流れを振り返っていかがですか
序盤ではいいかたちで得点をとれました。ただ、2回以降のミーティングで、「そう簡単には終わらない。慶応は食らいついてくるから、1点ずつ取っていこう」と言っていたのですが、上手いこと攻撃ではできなかったと思っています。
――打撃は1安打となりました。ご自身の活躍は振り返っていかがですか
ヒット1本出たのは良かったのですが、終盤にチームから安打が出ない中で打てなかったので、今後の野球人生の課題というか、チームが苦しい時にこそ打てる打者になっていきたいと思いました。
――試合後は涙も見えました。試合終了の瞬間を振り返っていかがですか
ただただ悔しかったです。このメンバーなら優勝できると思っていましたし、リーグ戦や夏を経て成長してきたと実感して、絶対にいけると思っていた中で、勝ち切ることができなかった。勝つためにキャプテンとして導けなかったことに、申し訳ない気持ちと悔しさでいっぱいになりました。
――試合後のミーティングでは何かお話をされましたか
監督さんにも夏や秋にメンバーの相談をしていました。その時には自分の中では「これで負けたら仕方がない」というメンバーでいきたいというのは常にありましたし、その上で勝てなかったことについて後悔はないとみんなに話しました。でもその中で、何か足りなかった、あと1点が遠かった。それが何かは引退する4年生は探すことができないけど、3年生以下は今後探していくことができる。時間はないし、春はあっという間に来てしまうと思いますが、足りなかった何かを見つけて、今の3年生を中心に頑張ってほしいと話しました。
――「悔いのないメンバー構成」というお話でしたが、今年はどのようなチームだったと感じていますか
4年生は個性的というか、放っておいても自分でやれる人が多く、プラスの面もマイナスの面もあった中で、最後には全員が勝つ方向に向けていました。一人一人が「チームの為に」と行動できた、第111代は素晴らしい代だったと思います。
――秋季リーグ戦はどのようなリーグ戦となりましたか
序盤連敗から始まり、春のようになってしまうのではないかという不安が大きかったのですが、あと1点とったら優勝というところまで行けたということが自信になりました。ですが、「よくやった」と言われるチームで終わってしまった、「優勝おめでとう」と言われるチームになれなかったというのがこの秋の悔しさだと思います。
――早大野球部で過ごされた4年間はどのような時間でしたか
正直あっという間というか、短かったと感じています。その分充実していましたし、早稲田とは何なのかを日々考えさせられる4年間でした。伝統のある早稲田のユニフォームを着て神宮球場で戦えたということは、これからの人生に向けてもかなり財産になったと思います。
――社会人野球で所属するENEOSにはどのような印象を持っていますか
もと慶応の監督の大久保さん(秀昭前慶大監督、現ENEOS監督)のところなのですが、すごく熱いチームだと感じています。全力疾走をするであったり、一つのプレーを怠らないチーム、執念を燃やして全員が戦士として戦っている集団だと思っています。なので、そこに負けず、将来的にチームから必要とされるような選手になりたいと感じています。
――今後目指している選手像はありますか
トーナメントがほとんどなので、ワンチャンスをものにできる、勝負強い選手になりたいと思います。あとは誰からも応援されるような選手、年を重ねていくうちに尊敬されるような選手になりたいと思っています。
――現在考えている具体的な目標はありますか
もちろん、スタメンで出て都市対抗野球を制覇したい気持ちがあります。ですが、まずは自分の実力を上げてチームに必要とされる選手になれるよう、少しずつでも成長していけたらと思います。
――最後に、早大野球部の仲間に向けてメッセージをお願いします
本当に後輩には助けられました。彼らなら絶対に優勝できると思いますし、悔し涙をうれし涙に変える力があると思います。そこに期待していますし、何かあればいつでもアドバイスをしたいと思っているので、いつでも連絡してほしいと思います。
岩本久重副将(スポ4=大阪桐蔭)
――まずは4年間お疲れ様でした
ありがとうございます。
――早大野球部としての最後の試合を終えた心境を教えてください
早慶戦はあと一歩のところで勝ち切れなくて、目の前で慶応が胴上げを行う中、非常に悔しい思いをしました。ただ、優勝した慶応は粘り強かったですし、さすがは優勝するチームだなと感じました。
――今シーズンを振り返っていかがですか
春の5位という結果を受け止めて、ラストシーズンは必ず優勝をしようという思いから、夏場は猛練習を行い、秋勝つために準備をしてきました。迎えた開幕は2連敗というかたちで始まり、その時点では優勝争いをするのは難しいと思っていたのですが、それ以降はチームを立て直して負けない野球ができましたし、最後勝った方が優勝という試合で勝負を決めることができたのは、自分の中では早稲田に来てから一番いい早慶戦だったのではないかと思います。
――ここからは早慶戦について詳しくお聞きいたします。連勝が絶対条件だった初戦。打線は森田投手(晃介、4年)から集中打を集め、見事に打ち崩しました。その時のチームの雰囲気はいかがでしたか
引き分けも許させない状況だったので、まずは先制点を取っていい流れをつくろうという思いがありました。チームとしては前の日から準備を行う中で、もう負けられないという全員の気持ちが一つになった時でした。今まで連打が出なかったチームなのですが、気持ちと体が一つになったことで(打線が)つながったのではないかと思います。
――2回戦は初回、2死から打線がつながり、岩本選手が放った打球は先制となる3点適時打となりました。感触はいかがでしたか
逆方向へ強いライナーが打てたということで、感触はよかったです。今まではああいった場面でなかなか点が取れず、自らの打順も降格したのですが、ずっと4番を打たせてもらっていましたし、そのあたりの意地を何としても見せてやろうという思いで打席に入っていました。
――先日の対談でキーマンして挙げた徳山選手(壮磨、スポ4=大阪桐蔭)は粘り強い投球を披露し、8回まで自責点2の好投を見せました。岩本選手としてはどういった思いでリードしていましたか
何としても(徳山を)胴上げ投手にしてあげたいという一心でリードしていました。もちろん優勝することが第一優先ではあったのですが、高校からずっとバッテリーを組んできた中で六大学で受ける最後の試合だったので、集大成を見せてほしいということを意識しながらリードを行っていました。
――最後の打席ではバットを折りながらも左翼線を破る二塁打を放ちました。この時はどういった気持ちで打席に入りましたか
簡単には終わらせないという気持ちが強かったです。去年もこういった状況からひっくり返したこともあるので、自分としては後ろにつなげば仲間が何とかしてくれるという思いで打席に立ちました。バットを折りながらも抜けたのはベンチにいる仲間やスタンドにいる仲間、応援してくれる仲間が最後、一押ししてくれたから内野を抜けたのではないかと自分では感じました。
――優勝まではあと一歩だったと思います。優勝した慶大に対して、早大に足りなかったと感じる点はありますか
早慶戦自体は拮抗していたと思うのですが、シーズンを通して負けることなく、粘り強い野球をしてきた慶応はさすがですし、素晴らしいチームだと感じました。なので、シーズンとして見れば慶応の方が一枚上手だったのかなと思います。
――福井選手(章吾慶大主将、4年)とは最後、どういった言葉を交わしたか教えてください
一先ずお疲れ様ということで言葉を交わしました。最高の相手と最高の試合ができたので、そこに対してのありがとうという気持ちを伝えてきました。また、慶応は六大学の代表として明治神宮大会に出るので、しっかり(明治神宮大会でも)優勝してほしいということも話しました。
――早稲田での4年間を振り返って思うところはありますか
長いようで短かった4年間でした。なかなか優勝することができなくて、思うような結果も出せない中で悔しいシーズンも多かったのですが、早稲田の野球部というのを4年間を通じて理解できましたし、意義を持って感じることができました。そういったことというのは、指導者を初め様々なOBの方々のご指導があって自分たちは早稲田の野球を学ぶことができたので、そこに関しても感謝していますし、本当に最高の仲間と野球ができたということで後輩や先輩、同期には感謝をしたいです。
――この4年間で悔いが残っていることはありますか
やはり自分たちの代で何とか優勝して終わりたかったというのは正直あります。ただ、今シーズンで言えばあと一歩のところで力及ばずというところで、優勝するための何かが足りなかったと思うので、そういった部分を後輩たちが埋めて、来季以降にこの経験が生かしてほしいと思いますね。自分たちはもうユニフォームを着て野球をすることはできないですが、何か後輩たちにいいところを還元していけたらいいなと考えています。
――プロへ行く2人へのメッセージはありますか
プロの世界は厳しく、なかなか簡単には抑えることができないとは思うのですが、4年間やってきたことがあると思うので、自信を持って投げ込んでいってほしいなと思います。
――最後に改めて同期の方に伝えたいこと、下級生の方に伝えたいことはありますか
自分が苦しい時には本当に同期のみんなや後輩に助けられて、最後まで野球をすることができたので、そういった時に助けてくれた選手たちに感謝をしたいなと思います。
――来季以降のチームを引っ張る下級生へのメッセージはありますか
勝てるチームを目指してほしいですね。自分たちができなかったこと、足りなかったものが必ずあるはずなので、その辺をしっかり埋めてほしいです。やはり前半も後半も波がなく、いい状態で野球ができるチームが優勝できると感じているので、それを頑張ってもらいたいなと思います。
占部晃太朗新人監督(教4=早稲田佐賀)
――試合終了時はどんな心境でしたか
悔しいなという気持ちもあったのですが、やり切ったなという気持ちも正直ありました。
――早慶戦を振り返っていかがですか
初戦はいいかたちで勝てて、2戦目はあと1点を取れませんでした。ただ早稲田も慶応さんもお互いに意地を見せた試合だったと思いますし、優勝がかかっていたというのもあってお客さんたちのボルテージも高くてそういった意味ではすごくいい環境で野球ができたのかなと思います。
――再び坊主にしていました
迷ったのですが、優勝がかかった早慶戦で、みんなの肩の力を抜きたいなというのもあったので前日に刈りました。その日は一日中フードを被ってできるだけバレないようにして、次の日の朝にみんなにお披露目しました(笑)。
――秋季リーグ戦を振り返るとどんなシーズンでしたか
最初の立教戦2試合で思うようなかたちで野球ができなかったのですが、そこからは粘って、優勝が見えるところまできました。ただ、ずっとあと1点が届かなかった試合ばかりだったで、それで優勝を逃してしまったので、そこを来年のチームにはもう一つ詰めてほしいです。そこを詰め切れたら全く優勝できないチームではないというのを証明できたと思うので、そういった意味ではやることはやったのですがあと一歩足りなかったなというリーグ戦でした。
――以前の対談では秋季リーグ戦で優勝し日本一になるために「今まで背負ったことのないようなものを背負ってやっている」とおっしゃっていました。常に責任感を背負って戦ってきた日々を振り返っていかがですか
今背負っていたものがなくなって思うのはその分一日一日は充実していたなと思います。早稲田の野球部として責任を背負うことによって学ぶことも多かったと思います。そういった意味では自分自身も成長できる一年間だったのかなと思います。
――最後まで4年生を中心に勝つんだという姿勢が見られました。占部さんは『一球入魂』を体現できたと見ていますか
新チームが始まった当初よりは明らかに体現できていると思うのですが、ただどこかで詰められるところがあったからあと一つ及ばず終わったと思います。まだ何かできることがあるのだろうというのは思っていますし来年の卓也(中川卓也、スポ3=大阪桐蔭)だったり、新人監督になる冨永(直宏、文3=東京・国学院久我山)にはそれを伝えているのでとにかく来年はやってほしいなと思います。
――自主練をしてきた今井脩斗選手(スポ4=埼玉・早大本庄)や福本翔選手(社4=東京・早実)は今季大活躍でしたね
彼らの練習にずっと携わらせてもらっている身としてうれしかったですが、やっぱり本人たちが打つことにしてもトレーニングに関してもいろいろ考えながらやってきた結果だと思うのでさすがだなと思いながら見ていました。
――結果を出し切ってくれましたか
今井は三冠王取ってくれましたし、福本もベストナインで、萌斗(鈴木萌斗、スポ4=栃木・作新学院)も最後の方はしっかり打って小野(元気、人4=千葉・芝浦工大柏)は最後だめでしたけど、最終的な結果はやり切っての結果だと思います。そこは本人たちも納得はしていると思うので結果はどうであれやり切れたのかなと思います。
――今井選手は三冠王も獲得されましたが、どんな心境ですか
打つ方でどれだけ貢献できるかっていうのは本人もずっと考えながらやってきたと思うのでそこで結果が出せたというのは、本人が一番うれしいでしょうけど自分もすごくうれしかったです。
――今井選手は研究される中でも最後まで持ち味出せたと感じていますか
この一年間自分も含め他の人たちともやってきて1、2年生の頃はころころ打撃フォームも代わっていたのですが、自分にはこれだと信じられるものを見つけてやれていると本人も言っていました。打てようが打てまいが自分のバッティングを信じてやるだけだとという気持ちで打席に立っていたので、そこはいい割り切りだったなと思います。最後の早慶戦ではなかなか結果は出せなかったですが、本人としては結果は出なかったけどやれることはやったという試合だったのかなと思います。
――誰よりも打撃投手をされたと思いますが痛みなどはありますか
やっていた時は感じなかったというか感じないようにしていた部分もあるのですが、終わってみるといろんなところが痛いなというのはあるので、何とか最後まで耐えてくれて良かったなというのはあります。
――改めて早大での4年間を振り返っていかがですか
1年生の時から4年生を通しても基本的には苦しいことばかりだったと思います。ですが去年優勝を経験できたのもそうですし、今年はこうやってあと一歩足りなくて優勝を逃したという経験もそうですし、すごく貴重な経験をいろいろできました。自分自身もそこに向けて今までにないくらいの努力をやってきたつもりだったのでそういう意味では今後の人生に生きるというか生かしていかないといけないなと思います。早稲田大学野球部の一員として誇りを持って、監督を始めたくさんのOBの方々に認めてもらえるような社会人にならないといけないなと思えるような経験ができた4年間だったと思います。
――やり切れましたか
そうですね。
――同期の存在は最後まで支えになりましたか
同期に強く当たることも多くあったのですが、やっぱり同期の頑張りだったり結果を出したりしてくれるのが自分にとっても励みになったので、そういった意味では同期に恵まれてここまでやってこれたかなと思います。
――一緒に戦ってきた仲間への思いを聞かせてください
4年生には一番厳しく新人監督として当たってきたと思うのですが、それでもついてきてくれました。それぞれが、チームが勝つために自分の人生を選択していった選手もたくさんいたのでそういった意味では最高のチームだったと思います。結果は出なかったけど自分たちのやれることはやって、来年以降も常勝軍団を作りたいと言ってきて少しでも残せるものはあったと思うのでそういった意味では4年生として一人一人がやり切れて良かったという思いとありがとうという気持ちがあります。
――来年チームをけん引する選手たちにはどんな言葉をかけましたか
去年秋優勝して、今年春5位に沈んだところの自分の反省としてはいろいろな事ができなかったところだと思います。去年のチームを追い求めすぎた結果、保守的になってしまった部分があったので思い切ったことは思い切りやれと。失敗はたぶんするから、その失敗がゆくゆくはいい方向につながっていくよというのはずっと言っています。そこは特に来年の4年生にはこれだと思ったことはキャプテンだったり新人監督が自分を信じて思い切りやれよというのは伝えました。
――後輩へのメッセージを聞かせてください
後輩たちにはまずはこの悔しい結果は、何かが足りなかったからこうなっていると、そこをそれぞれが追い求めてこういう悔しい思いをしなくていいように、来年一年間やってほしいというのを伝えました。あと、これは新チームの時からずっと言っているのですが本当に自分たちの代が勝てばいい、一個下の代が勝てばいいということじゃなくてずっと勝てるようなチームを作ってほしいと伝えました。自分たちの代のいいものは吸収して、ここはだめだったと思うところは自分たちなりにいろいろな改善をして早稲田大学野球部が今後六大学でずっと勝ち続けられるような集団を作ってほしいと伝えました。
――早大野球部での経験を今後どう生かしたいですか
普通の生活をやっていると関われない人だったり、もっと言えば絶対出会えないような経験をこの4年間でさせてもらったと思います。それは自分の中で自信に持って、いろいろな人に支えてもらいながらやってきた4年間というのを無駄にしないようにしていきたいです。社会人は全く野球とは違うところに携わるとは思うのですがこの経験を糧にどんなことでも乗り越えて最終的には自分の夢をかなえられる社会人になっていきたいと思います。
須永賢也投手コーチ(スポ4=群馬・前橋)
――早慶戦を振り返って
結果として1勝1分けで、まず負けることがなかったので、これまでやってきたことというのが投手陣としては出せたのかなと思います。ただ2連勝できなかったので優勝できませんでしたが、早慶戦自体はみんな楽しんでやれていましたし、4年生は集大成として出し切ろうとなってました。3年生以下も4年生がいる最後の試合をはっちゃけて楽しくやっていたと思います。自分の中では1番いい試合でした。
――今季は開幕連敗からのスタートでしたが、最後優勝争いをするところまで来ました。今季全体を振り返って
最初2連敗してどうなるかなと思いましたが、結果としては早稲田が一番防御率がよくて、投手コーチとしては春の反省を生かして夏のオープン戦を工夫して戦って、それが結果として出せたのは投手陣としてはいいシーズンだったかなと思います。本当に優勝まであと一歩だったんですが…。難しいですね。うれしいんだけど悔しいといった気持ちです。
――2、3年生の救援陣が夏のオープン戦で結果を出して、秋のリーグ戦でも結果を出しました
春のオープン戦、リーグ戦で崩れてしまったのは経験不足というのが何よりも大きかったと思うので、夏場のオープン戦では自信を持ってというか、そんなに気負うことなく自分の実力を出したら抑えられるというのを、どれだけ選手に理解させてあげられるかというのを自分的には意識して、その結果2、3年生が結果を出したというのは自分にとっても大きな自信になりました。
――来年はエース2人が抜けますが、引退する身としてはどのような期待をしたいですか
本当に投手陣全員で勝つという組織になっていくと思います。これまでは徳山、西垣(雅矢、スポ4=兵庫・報徳学園)の後どうにかして無失点でというかたちでしたが、下級生のピッチャーも抑えられるポテンシャルはあると思うので、正しい方向性で頭を使って努力をしたら、今年レベルの防御率は出せるのかなと思います。
――早慶1回戦では西垣選手が、2回戦では徳山選手がそれぞれ先発して粘りのピッチングを見せました。そこに関してどう見ていましたか
本当に2人ともいいピッチングをしたなと思っています。ただいつも通りといえばいつも通りです。本当にいいピッチャーだなと思いました(笑)。ブルペンで作っている身からしても、安心してみていられるというか、改めていいピッチャーだなと思って見ていました。
――逆に1試合目は徳山選手が、2試合目では西垣選手がリリーフしました。ブルペンではどのようなお話をされてマウンドへ送り出しましたか
徳山に関しては状態が割といいのにも関わらずあまり結果が出ていないというところで悔しい思いだったり「やってやる」という気持ちが強かったので、その闘志のまま行かせるというのを意識していました。西垣に関しては、冷静で自分のすべきことをわかっているので、状況といつ、何回に行くよというのだけ伝えて本人に任せていました。この2人に関しては、僕がどうこうという選手じゃないので、2人が邪魔にならないように、どれだけ楽に無駄なことを考えずにマウンドに立てるかということだけ考えていました。
――2人に関しては、いろいろな方からストイックに厳しい練習をしていたという話を聞きます
圧倒的に練習しているなというのもありますし、ただやっているのではなくて自分に何が足りないのか、自分の武器は何なのかというのを考えながらやっていたので、そこは後輩たちも見習う点が多かったのかなと思います。後輩にいいものを引き継げたんじゃないかなと思います。
――リーグ戦序盤で山下選手(拓馬、法4=埼玉・早大本庄)がけがで離脱というかたちになりました
けがしたときは失意の底にいるような感じでしたが、そのあとは早慶戦と明治神宮大会に向けてリハビリを開始していたので、気持ちの切り替えというのはできたうえで声掛けとかでも後輩のサポートをしてもらったので、いい感じに切り替えてチームのためにというところと、自分が明治神宮大会のピッチングのためにという両面でやっていたように思います。
――これまで投手コーチとしてチームを支えてこられましたが、早稲田の野球部での4年間を振り返って
スタッフという自分がこれまでやったことないところ、推薦というかたちで学生コーチになって、本当に自分の中でいい経験をさせていただきました。これまで選手だと自分のために、自分がうまくなるためにという気持ちで練習してきたんですが、スタッフになった時に学んだことというか得たものというのは、学生コーチって試合に出られないので、選手を信じるというか、人を信じる心、人に託す心です。学生コーチの2年間が何よりも大きかったと感じています。人の成功を自分のことのようにうれしく感じたり、人をサポートして人のためにやるというのは、自分のためにやるよりも時には自分を動かす原動力になるんだなと感じました。この考え方というのは社会人になっても忘れずに、人のために世のためにという気持ちで動けたらいいなというふうに思いますね。
――野球とは離れると思いますが、早稲田の野球部での経験をどう生かしていきたいと考えていらっしゃいますか
野球部でいろいろな貴重な経験をさせていただいたので、できればなんですけど、野球に関連した仕事、スポーツをどれだけ盛り上げられるかというのは今後やってみたいことでもあります。またそれだけじゃなくて野球部で学んだ礼儀や人間関係、人のためにという気持ちをどれだけ持って「さすが早稲田大学野球部出身だ」と言われるような人間になっていけたらなと思います。
――最後に、後輩の皆さんに向けてのメッセージをお願いします
多分他大からは「早稲田はピッチャーがいない」と思われていると思うんですが、本当に今の1、2、3年生のポテンシャルはしっかりある方だと思うので、正しい方向に頭を使って努力すれば、他大に引けを取らない投手陣になれると思うので、一生懸命に手を抜かず、自分と向き合って頑張ってほしいなと思います。
清水大翔学生コーチ(スポ4=大阪・早稲田摂陵)
――早慶戦から4日ほど経ちましたが、現在の心境は
今日(4日)フレッシュトーナメントで後輩たちが優勝したのを見て、自分たちの時代が終わり次の時代が来るんだなと感じました。
――今季は開幕カードの立大戦ではベンチ入りをされていましたが、東大戦以降は3年生の冨永学生コーチがベンチに入りました。経緯を教えてください
自分たちの学年の1年間の目標、占部や丸山を中心に話し合っていたのが、「自分たちの学年が勝てるだけでなく、後輩たちも勝ち続けられる早稲田を」というのを最終目標でやってきました。もともと背番号40は学生の番号でなく、去年は佐藤孝治前助監督(昭60教卒=現城西国際大監督代行)が着けていましたが、ご退任されて空いたということで急遽自分が着けていました。その番号というのを来年のためにというのを含めて、冨永をベンチ入りさせることで来年以降も強くなるためのいい経験になるんじゃないかということを丸山らと話して、早稲田のために、冨永に番号を託すということで代わりました。
――ご自身にとっては最後のシーズンで、葛藤は
傍から見れば「あいつ外れたのかな」「何かあったのかな」と思われたかもしれないですが、自分自身はベンチにいようがスタンドから見ていようが、早稲田の一員として戦う気持ちに変化はないと思っていました。冨永も信頼できる後輩だったので、「自分が入りたい」という思いはなかったかなと思います。
――冨永学生コーチとお話は
冨永の方から、「ありがとうございます。清水さんの分まで頑張ります」という言葉であったりとか、早慶戦後も「来年もこの経験を生かして頑張ります」と言ってもらって、多少自分もベンチで戦いたかったという気持ちはなくはなかったですが、来年以降早稲田が勝ち続けられるためにできたのならよかったかなと思います。
――早稲田での4年間を振り返って
1年生の時は本当にしんどいことが多くて、選手としてもリーグ戦に出るわけでもなく、新人戦にも出たり出なかったりで、個人的にはうまくいかないことのほうが多い4年間ではありました。でもこうして、最後の4年生の時に、結果的に優勝はできませんでしたがあそこまでいけるだけの結果というのは残せたと思うので、そこに関しては悔いはないかなと思っています。
――選手として入部して途中から学生コーチに転身されました
選手としての後悔は一切ないです。同級生、後輩の選手は本当に勝つために死に物狂いで努力している姿というのは、スタッフが一番見てきたと思っているので、その選手たちで戦って勝てなかったことは仕方ないと思っていますし、自分だったら、という気持ちは一切ないですね。
――卒業し野球からは少し離れると思いますが、早稲田大学野球部で学んだことを今後どう生かしていきたいと考えていますか
大学生になるまで野球をやってきましたが、大学に入って、野球に死ぬ気で取り組む姿勢というのはこれまでと全然違う4年間でした。こんなに1つのことに夢中になれる、努力できるというところに自分自身気づけたし、そういう力というのを得ることができたので、社会に出ていろいろなことがあると思いますがそこに対して熱量をもって1つ1つのことに取り組んでいきたいと思っています。
――4年間苦楽をともにした同期の皆さんへメッセージをお願いします
最後優勝という結果は得られなかったけど、それ以上にこの4年間一緒に苦しい思いをして過ごした仲間というのは、優勝以上の価値があるものだなというのは思っているので、少し離れてしまうかもしれないですけど、良き仲間として良きライバルとして今後もやっていけたらいいかなと思ってます。本当に4年間ありがとう、と伝えたいです。
――最後に後輩の選手へ、また学生コーチの後輩へ一言お願いします
どれだけ練習をしても課題は尽きないと思うし、1日1日の積み重ねが最後勝てるか勝てないかというところで出ると思います。特に学生コーチは本当に地道だと思うけど、その地道で辛い日々の積み重ねを大事にしてやっていってほしいと思います。
鈴木隆太主務(教4=早稲田佐賀)
――秋季リーグ戦を振り返っていかがですか
春は5位に終わって、秋こそ必ず優勝したいという中で夏のオープン戦をやってきたにも関わらず、初戦の立教戦では2連敗をしてしまってとてもつらかったです。ですが、その後はなんとか周りを見返そうという気持ちで、チーム一丸となって最後やり切ろうと努力した結果、勝ち点の差ではなく、勝率の差というので負けてはしまったのですが、後輩たちには結果含めて何か残せたのではないかなと思います。
――リーグ戦中は選手、裏方の部員たちにどんな声かけをしていましたか
自分はグラウンドに立って練習しているわけではないので、グラウンドやプレーの面では選手を信じて、勝ってほしいと思っていたのですが、なので、特別声かけをしたというのはないかなと思います。ですが寮生とミーティングをした時には「なんとか見返してやろう」という話をしていました。
――早稲田での4年間を振り返っていかがでしょうか
早稲田の野球部で選手からマネジャーに転向して、本当に最初はマネジャーに対して嫌だなと思うこともありました。マネジャーでも主務という立場を経験させてもらって、すごく人として成長できたなと感じています。立場が僕自身を成長させてくれたなと、そういった4年間だったなと思います。またそれ以上に、早稲田大学の野球部を通じて出会えた仲間、それは同期の仲間、後輩、先輩だけでなく、もちろん監督や、他には六大学という大きなくくりで言うと、マネジャーをやらせていただいて、他大学の主務、マネジャーと交流させていただいたりしたので、本当に自分自身成長できたのもこの4年間、よかったなと思うところでありますし、それ上に野球を通じて出会えた仲間に感謝したいと思っています。
――これまで一緒に頑張ってきた4年生にメッセージはありますか
本当に4年間はあっという間だったなあと。とても濃い4年間を過ごすことができたのは仲間のおかげだと思っているので、4年間ありがとうという言葉を伝えたいなと思います。
――後輩のマネジャーにメッセージはありますか
マネジャーという立場もそうですし、これから最上級生になる2人に向けてなのですが、最初はいきなり一番上になって、自分がやらないといけないというプレッシャーであったり、右も左もわからない状態からスタートすると思います。その立場が人を強くするわけではないですが、それに(立場に)見合うような努力をし続けることで結果を出して欲しいなと思いますし、自分で試行錯誤していくという経験が必ず後の自分の成長につながるよ、というのを言いたいと思います。
――主務として振り返って
重ね重ねになりますが、主務はチームにとって主将と同じくらい大事なポジションだと僕は思っているので、それに見合う振る舞いであったり、早稲田大学野球部という百何十年ある伝統あるところの主務ができるという喜びをかみしめながら後輩には頑張って欲しいなと思います。
――早大での経験を今後どのように活かしていきたいですか
僕は卒業しても早稲田の職員なので、ずっと早稲田だなというのはあるのですが、これが早稲田だからというわけではないのかもしれませんが、いろんな人に出会えて、いろんな縁があるなというのを感じられた4年間だったと思うので、それをどう生かしていくのかはわからないのですが、巡り巡ってくる縁を大事にしたいと思いますね。
藤内裕夢副務(スポ4=大分上野丘)
――早慶戦を終えて3日ほど経ちました。引退した実感は
今はフレッシュで神宮に来ているのでさほどないですが、みんなでご飯食べたり練習したりすることがないので、多少感じています。
――早慶戦に関して、勝つしかない状況の中で1回戦は勝利しました
1試合目はベンチに入りましたが、2試合目は入らないと決まっていたので、ここで勝てなかったらベンチに入るのは最後だなと思っていました。何としても勝ちたいなという気持ちで臨みました。
――見事逆転勝ちを収めましたが、勝った後の雰囲気は
正直、明日もいけるなという雰囲気を感じていて、今までになくチームがいい状態でしたし、何とか今まで積み上げてきたものを日曜日にすべてぶつけるだけだという、開き直ったようないい状態だったと思います。
――2試合目は引き分けに終わり、慶応の優勝、胴上げを目の前で見るかたちとなりました
率直に悔しかったですね。優勝だけを目指してやってきたので、何としても勝ちたかったですね。
――シーズンを振り返ると、開幕2連敗から優勝をかけた早慶戦というところまで来ました
開幕2敗してからはこうやって優勝を争った早慶戦ができるということは全く想像していなかったので、まずはその試合ができたことはとても良かった、うれしいことだと思いますし、結果的に優勝はできなかったので、非常に悔しい思いをしたんですけれども、このチームとして後輩にいいものを残せたのではないかなと思います。
――これまでマネジャーとしてチームを支えてこられました
もともと選手として神宮で活躍してチームに貢献したいという気持ちで入ったので、途中でマネジャーになるという決断をして。こうやってマネジャーになった以上はチームのために力になりたいという気持ちで日々過ごしてきたので、最終的にやるのは選手ですし、自分たちは託すことしかできないですけど、自分なりに大学生活すべてをかけてやり切ることはできたのかなと思います。
――4年間で思い出に残っている試合だったりは
やっぱり早慶戦ですね。どの試合も、自分がベンチに入っている試合も、入ってない試合も、下級生の時に経験した早慶戦も。自分が今まで味わったことのない雰囲気でしたし、その中で野球をやらせてもらえることは幸せなことだなと感じました。
――野球部で学んだことや、経験したことで今後も生かしたいことは
学んだことはたくさんありすぎて、ここで何かを答えるのは難しいんですけど、早稲田の野球部員として学んだことをしっかり今後に生かしていくことが使命だと思いますし、こうやって胸を張って卒業することができたのは、早稲田の野球部員としてとてもよかったなと思います。
――卒業後は広島東洋カープの球団職員になられるとお伺いしました。どのような理由でそのような道を選んだのでしょうか
自分はもう野球がとにかく好きなので、これからもずっと野球に携わっていきたいなと思ったので選びました。
――今後の意気込みは
社会に出たときに早稲田大学の野球部員として周りからみられると思うので、そこに恥じないように今後も目の前のことに一生懸命頑張っていきたいなと思います。
――最後に後輩の皆さんに向けて、特にマネジャーの後輩にメッセージをお願いします
自分たちが後輩たちに残したものは何かわからないですが、このチームとして日本一を目指す中でいろいろと後輩たちの力も借りながらここまでやることができたので、後輩たちにはその思いを引き継いでぜひ日本一になってほしいと思います。マネジャーの後輩にはいろいろ迷惑をかけることもありましたが、みんなで協力して頑張ってほしいと思います。
徳山壮磨(スポ4=大阪桐蔭)
――4年間の大学野球生活が終わって率直な感想をお願いします
4年間良いことや悪いことがたくさんありましたが、率直に実感はまだあまりなくて、本当に終わってしまったんだなという気持ちです。
――慶大2回戦の試合を振り返っていかがですか
自分が勝ちに導いて優勝するということで臨みましたが、結果は勝たせることができなくて、正直力不足です。あそこで決めて次の神宮大会に向けていきたかったのですが、勝たせることができなかったというのはチームのみんなに申し訳ないです。
――初回無死二、三塁のピンチを背負った際はどのように切り抜けましたか
あそこは割り切って岩本(久重副将、スポ4=大阪桐蔭)のミットをめがけて、打ち取るということだけを考えて腕を振って投げられたので、そこはよく粘れたかなと後々感じます。
――他にも抑えられた要因などはありましたか
ピンチが多くなるということは想定内で、気持ち的にも準備していたところもあったので、そこで力任せに行くのではなく一歩引いて、打者を見ながら集中して低めに投げられた部分もありました。それでも渡部遼人(4年)にカーブを打たれてしまったので、悔しいです。
――初回以降は安定した投球を見せていました
あそこで吹っ切れたじゃないですけど、緊張も一つ落ち着いて自分のペースで投げられたので、よかったと思います。
――7回に追いつかれてしまいましたが、それ以降のチームのムードは
同点に追いつかれてしまったのですが、ベンチのムードはいけるいけるという勝てるムードではありました。そこまで落ちるということなく最後までできていたと思います。
――この試合のターニングポイントをあげるならどこだと思いますか
自分が打たれてしまったシーンですかね…。あそこを無失点で切り抜けることができていたらというところだと思います。2死から若林(将平、4年)に四球を出してしまったところが一番ダメなところだと自分では思っています。あそこで四球を出して、渡部遼人に打たれたというのは、2死からの失点なので自分の失点だと感じています。
――慶大1回戦、2回戦ともに交代の際に、西垣選手と軽く話をされていましたがどのような話を
ここまできたら気持ちということを伝えて、頼んだぞと伝えました。
――早大野球部で過ごした4年間の振り返りをお願いします
大学に来て1年生の頃から経験を積ませてもらって、心技体ともにすごく成長できた4年間だったと思います。良い経験も悪い経験もたくさんしましたが、この先の野球人生に生きてくるなと感じました。
――4年間で一番嬉しかったこと、辛かったことがあれば教えてください
嬉しかったことといえば、自分がいい投球をしてチームが勝った時は嬉しいですし、逆に苦しかったことでいうと4年生ラストシーズンに春秋ともに自分の力不足でチームに貢献できていなかったというところが一番野球人生で苦しかったです。これも含めて次のステージに生きてくる経験だと思うので、しっかりやっていきたいですね。
――4年生の同期にどのような言葉をかけたいですか
ふがいない11番だったけど心配して声をかけてくれたり、支えてくれたので、感謝の気持ちを伝えたいです。
――具体的にどのような支えがありましたか
個人的にLINEをくれたりとか、ふとした時に話そうと声をかけて話してくれるチームメイトがたくさんいたので、同期に支えられてこの一年やってこれたので感謝しかないです。
――後輩たちに声を掛けるならどのような言葉をかけられますか
今の3年生たちには、4年生になって頑張らないと、という気持ちが出て、空回りするケースがあると思うので、そこは下級生の時と変わらない気持ちで、4年生だからということではなく、自分のやるべきことをしっかりやっていけばチームの貢献につながってくるので、そこを思ってやってもらいたいなと思います。
――来年以降はプロの世界に身を置きますが、上のステージで活躍するために他にどのような力が自分に必要だと思いますか
全体的に力はまだまだないので、上で通用するためには直球も変化球といった技術的なこともそうですけど、プロという世界は1年間やり抜くことがすごく大変なので、総合的に全部レベルアップしていかないなという気持ちしかないです。
――チームに合流するまでは、どのような部分に力を入れますか
自分は肩のけがに大学生活一番苦しんだので、やっぱり肩の強さというかアウターマッスル、インナーマッスルなど、けがしない安定した肩をつくっていけるようにというところに重きを置きたいです。
――来年以降への意気込みと抱負をお願いします
この4年間で学んだことを忘れずに、しっかりプロの世界で勝負していって、キツいこともたくさんあると思いますが、応援してもらっているということを忘れずに色々な人に恩返しできるように頑張っていきたいなと思います。
西垣雅矢(スポ4=兵庫・報徳学園)
――大車輪の活躍を見せた秋季リーグでしたが、改めて振り返っていかがですか
4年間上手くいかないことの方が多かったのですが、最後に自分の納得のいくピッチングというか、少しいいかたちでピッチングができたので、良かったかなと思います。
――今季の早慶戦で日曜日ではなく、土曜日に先発されたのはどういった背景だったのでしょうか
監督から「土曜は西垣で」と言われて、監督さんが総合的に考えて、勝つために選択されたのかなと思います。
――土曜日に先発することが決まった時はどのような気持ちでしたか
すごくプレッシャーがかかる試合だということがわかっていたので、緊張感もありましたが、やってやろうという気持ちの方が強かったですね。
――早慶1回戦、初回マウンドに立った時の心境はいかがでしたか
マウンドに立てば、緊張感もあるし、周りの雰囲気も異なっていたのですが、やることは変わらないと決めていたので、他大学との対戦と変わらないという気持ちでした。
――慶大の廣瀬選手(隆太、2年)に本塁打を許した場面を振り返っていただけますか
春にも正木選手(智也、4年)に今回と同じような不用意なかたちで打たれてしまって、このような球を無くそうと思って、この夏練習してきたのですが、どうしてもあそこで出てしまって、打たれてしまいました。打たれた瞬間、しょうがないと割り切って後続のバッターを打ち取れたので、打たれたことはすごく反省して、その後は丁寧に投げようとしました。気持ちを切り替えることができました。
――8回に足がつる場面がありましたが、大丈夫でしたか
8回に足がつってしまったのですが、(2死で)最後1人だったというのと、ピンチの場面でリリーフに迷惑をかけられないと思って、監督に続投させてください、とお願いしました。
――早慶2回戦の9回、同点の場面で登板した時の心境はいかがでしたか
監督から「早慶戦は徳山と西垣で18イニング投げてもらうつもりでいる」と言われていたので、特にびっくりはせず、準備もできていたのでしっかり投げようと思いました。
――今季は初めてベストナインにも選ばれました
ベストナインに選ばれたのはとてもありがたいことなのですが、最優秀防御率も取りたかったというのが本音なので、少し悔しい気持ちもあります。
――目標とする優勝にはあと一歩届きませんでしたが、今季の活躍は、対談の時におっしゃっていた「チームのために腕を振るう投手に」というのを体現していたのではないでしょうか
長いイニングを今季は投げられて、ある程度結果は出たのですが、やっぱりたらればですが、あの立教戦を抑えていれば、というのがあるので。もちろん個人的に結果が出たというのはあるのですが、あそこでやっておけばという気持ちもすごくあって。そんなことを言ってもしょうがないのですが…。少し後悔は残りますね。
――先日、西垣選手が高校生の時に報徳学園で監督を務められていた永田裕治監督(現日大三島高監督)に電話取材した際に、高校時代の西垣選手についてお聞きしたところ、「(西垣選手は)心がとても優しい子。高校生の時はがつがつしたところがなかったけれど、大学でその芯をつくってくれたのでは」と評されていました。ご自身ではどう思われますか
高校に入ってきた時はあまり主張できなかったところがもちろんあったと思いますし、その部分は(永田監督から)強く言われていました。大学に入って、自分ではわからないですが、永田先生からはそのようにうつったのかなと思います。
――自分ではもっとがつがつしていると思われていますか
自分の思ったことというか、自分がやりたいことというのはこの4年間でしっかり考えられたので、そういった面で(がつがつしてる面が)ついてきたのかなと思いますね。
――早稲田での4年間はどういったものでしたか
先輩や後輩に恵まれて、やはり高校野球と違って大学野球は自分たちで考えて学生達主体でやっていくのが、早稲田の野球だと思うので、すごくそういった面で自分含め、チーム全体がどうしたらよくなるのかを考えた4年間だったなと思います。
――今まで一緒に頑張ってきた4年生のメンバーに言いたいことはありますか
特に裏方に回ってくれた4年生には感謝しかないので、最後優勝させてあげられなかったのはすごく申し訳ないなという気持ちがあります。サポートしてくれて、本当にありがとう、というのを伝えたいです。
――来年チームを引っ張っていくであろう中川卓選手や蛭間選手といった後輩たちへメッセージをお願いします
今年のチームから中川と蛭間に関してはすごく自分のことだけでなくて、チームや下級生のことを考えて動いてくれていたので、しっかり考える力は他の人より持っていると思うので、しっかり全員を巻き込みながら、チームを作っていってくれたらなと思います。
――今後プロへの道を進まれますが、抱負をお聞かせください
とりあえずけがをしないことですね。
――試合数が圧倒的に増えるからでしょうか
そうですね。本当に経験したことがないので、どのくらい疲労があるのかとか、想像できないのですが、そこは先輩方にどういう風に対処しているのかを聞いて、自分の中で落とし込んで実践していこうと思っています。
――大学野球も先発した次の日にリリーフで登板したりとハードな面があったと思いますが、身体のメンテナンスはどのようにしていましたか
特に変わったことはしていないですね。アイスバスに浸かって、交代浴をしたり、あとはしっかり食事を取ることですね。栄養を取って休養するのが一番大事だと思うので、なるべく早く寝て、質のいい睡眠ができるように工夫をしていました。
――プロでの目標を一言で書くとすると何と書きますか
変わらず、克己と書くと思います。
山下拓馬(法4=埼玉・早大本庄)
――リーグ戦全体を振り返って
けがをしてしまって、チームに貢献ができなくなってしまって申し訳ないなという気持ちと、任せていても勝ってくれるだろうという期待を込めてスタンドから見ていました。
――けがでの離脱が決まったときの心境は
正直、なんで今、俺なんだろうと思いましたけど、投げなくても声掛けなどでチームに貢献できることはあるなと思ったので、そっち側で頑張るしかないなと切り替えました。
――早慶戦はいかがでしたか
チームとして4年生を中心にすごくいい雰囲気で戦えていて、小さなミスをしなければ2連勝できるのだろうなと思って見ていました。第三者視点のようになってしまうのですが、すごい楽しませてもらったなというのが率直な感想です。
――高校の同期の今井選手のご活躍を見て
今井はもっと前から期待されていて本人もずっと努力していたので、当然がんばってきた結果が、いや、当然というか多少上乗せされた部分があると思うのですが(笑)。練習してきた分が出たのかなと思います。
――4年間の大学野球を振り返って
1年からけがをして、2年で投げていても多少けがをしたりなど、けがに悩まされたのですが、3年で1年間通して投げられたり、4年の早慶戦で先発したりとか応援部の応援がある中で、そういうことを経験させてもらって自分の中で財産、宝物の一つになったのではないかなと思います。
――自分が入学前に思い描いていた野球人生とのギャップは
入るときはベンチに入れると思っていなかったので。法学部に入って、野球部にいれば就活に多少有利になるだろうって思って(笑)。言い方悪いですけど、適当にやっていればと思っていたのですが、それとは全然違うかたちになってよかったです。
――早大野球部はどのような場所でしたか
正直、最初のほうが好きではなくて、サボりたいな、行きたくないなと思いましたけど、最後には、やっぱり第2の家族ではないですが、ここにいたいな、この場所にいたいなと思える場所でした。
――4年間一緒に戦ってきた同期に一言
最後、力になれなかったのですが、いい試合を見させてくれて、それがけがの治療のモチベーションにもなったので、ありがとうと、お疲れ様と声をかけたいです。
――後輩に引き継いでほしいことは
自分たちは春5位で秋は2位で、結局勝てなかったので。自分たちはやりきったと思うのですが、それで詰められていない部分が後輩たちから見ていて「ここはもっとこうしてよ」という部分が出てきていると思います。自分たちの背中を反面教師ではないですが、生かしていって、ずっと占部たちが言っていた常勝軍団というのを残り3代でやってもらえれば嬉しいです。
――Hondaのイメージは
去年の都市対抗で優勝していて、とても強いチームでやらせていただけるということなので、今以上に気を引き締めてやっていかないといけないなと思います。その強いチームでやるにあたって、大学のようにけがをしていては、(自分を)とってくれた監督の方などに申し訳ないので、気を引き締めてやらないとなという感じですかね。
――これからの野球人生への意気込みは
最後けがをしてスタンドで見るかたちになってやっぱり野球をもっとちゃんと思いっきりやりたいという思いが強くて。正直大学野球の練習では自分は徳山、西垣ほど自分は追い込めていなくて、プロ野球選手になりたいと言えるような立場ではなかったのですが、あの試合を外から見ていて、自分もプロ野球という場所に見を置きたいという思いが強くなりました。社会人で2年、3年としっかりと練習してプロ野球選手になれるように頑張りたいと思います。
尾﨑拓海(社4=宮城・仙台育英)
――秋季リーグ戦2位という結果になりましたが、率直な感想を聞かせてください
春が5位でチームの防御率や打率も東大と変わらない成績で、その中でのスタートでした。最終的にはチームの防御率はトップ、打率も2位ということで、優勝した慶応には負けていない成績なので、それに関してはすごく達成感やうれしい気持ちはあります。ですが、結果としては勝ち点が並んだ状態で優勝を渡してしまったので、悔しさもあって複雑な気持ちというのが正直なところです。
――慶大戦1回戦では勝利し、このまま勝ちそうなムードになっていましたが、2回戦の7回に2点を追加され同点に持ち込まれました。その後はどのような心境で見守っていたのでしょうか
僕自身はブルペンキャッチャーやデータ班で仕事をしている身だったので、「俺が打ってやるぞ」という気持ちではなくて。リリーフで出ていくピッチャーをゼロで抑えさせることが自分の最大限にできることだと思うので、どのように抑えていくとか、ピッチャーに対して「こういう心境で臨んでほしい」と思いながら、球を受けていました。
――ベンチやブルペンからご覧になって、秋季リーグ戦を通して投手陣の戦いぶりはいかがでしたか
ヒットを打たれたりフォアボールを出したりしていましたが、ランナーが出てからギアが上がって抑えたりとか、マウンドさばきも堂々としているピッチャーが多かったです。リリーフピッチャーは3年生以下がほとんどで、3年生は原(功征、スポ3=滋賀・彦根東)しかいなくて、それ以外は2年生というピッチャー陣でしたが。すごく落ち着いていますし、自分の長所を理解しながら投げているというか、バッターに向かっていく気持ちは、西垣や徳山に負けないくらいだと思うので、4年生はもちろんですが、下級生たちがいたからこそリーグトップの防御率を達成できたのかなと思います。
――これまで投手陣や捕手陣を支えてきましたが、この1年を振り返っていかがでしたか
どうしたら抑えられるかを試行錯誤して悩んだ1年でした。主に投手コーチの須永と悩みました。岩本が第一線で配球を考えるのですが、配球に対してだめ出しするのは自分たちが実際に戦っていないのでしづらい部分はありましたが、データをもとに話してみたりとか、どう考えているのか勇気を出して聞いてみたりとか、意見をぶつけ合った印象的な1年でしたね。ピッチャーともありましたが、投手コーチの須永と岩本とたくさん話した1年でした。
――それは、春季リーグ戦でチーム防御率が5位だった焦りもあって、秋までに改善しようとたくさん意見をぶつけ合ったということでしょうか
そうですね。昨年は防御率が良くていい成績を収められていました。極論ゼロに抑えれば負けないので、去年のように防御率を低くすることに重きを置いていました。
――高校まではずっと正捕手として、司令塔としてグラウンドで戦ってきたと思います。大学に入ってからは表舞台に立つというよりは、サポートの役割に徹することが多かったですが、「自分もグラウンドで活躍したい」という葛藤はありましたか
やっぱり葛藤はありました。自分の身の回りの人たちが応援してくれたりとか、「お前の打つ姿を見たい」とか自分の親も「神宮でヒットを打ってほしい」と期待されていたことがあったので。自分も出たいですが、岩本を越すことは難しいと自覚していたので、もどかしさはありました。自分が活躍できる場を考えたときに、頭の中であれば岩本と肩を並べられるという自負はあったので、技術が伴わなくても頭が一緒だったら自分の頭を他の場所で生かせたらいいなと思い、データ班に入りました。自分自身高校時代はバッティングがいいキャラクターでしたが、捕球が苦手だったんですよ。もし自分がキャッチャーとしてブルペンに入るのであれば、必ずキャッチングがうまくなければいけないとか、ピッチャーに気持ちよく投げさせなければいけませんし、キャッチャーとしてのスキルをあげないといけないというのがあって、実戦とは離れたところで自分は努力していました。諦めたわけではありませんが、自分がやらないといけないのはそっちだと思い舵を切りましたね。
――ご自身が出したデータが生きた経験はありますか
結構ありますね。特に秋の立教戦で2連敗して、そのときにどの球が打たれていて打たれていないとか、そういうところを出した結果、徳山と西垣は結構直球を打たれていて。極端に直球を投げなければいいんじゃないかということで、今まで直球が60%とか、ランナーが出たら70%で、4球に3球はストレートで打たれていました。ピッチャー自身、その球に自信があったというのはありましたが。自信があったとしても相手バッターが打てる状態だったら意味がないので、思い切って変えてみようということで、ストレートの割合を落として変化球の割合を増やすように打診しました。実際にやってみたら、面白いくらいに打たれなくなりました。配球の部分ではデータがかなり生きましたね。
――いつからデータ班に入ったのですか
去年の秋からですね。去年はデータ班が少数精鋭で、選手と兼任でやる人はいませんでした。そこに自分が選手とデータを両立させられないかなということで、最初は軽くかじらせてもらいました。
――データよりも自分の感覚を信じる選手もいると思いますが、データを示して理解してもらうことの難しさを感じたことはありますか
西垣は「データでそうやったらそう投げればええやん」という感じでしたが、徳山は真っすぐに自信があると思ったので、それを変えるように伝えるのはためらいました。徳山自身、自分の考えを曲げづらいところはあったと思います。「データでこうなんだからこう投げろよ」ということは言えないので、投球の特徴と状態を論理立てて説明しつつも、彼の気持ちを尊重したい気持ちはありました。もちろん僕だけではなく岩本とも一緒に協力して、徳山に理解してもらってお互い建設的に話を進められるように話し合ってきました。
――折り合いをつけるのは難しいですよね
すごく難しいですね。双方が納得してサインが決まらないと、同じ球であっても納得しているかどうかで打たれる、打たれないが変わってくるので。そこは一番大事していましたね。
――大学卒業後も野球を続けられますか
野球はやらないですね(笑)。ここまで本気で野球をやったら、もう草野球みたいなことはできないなと自分自身で思うので。もしもう一度野球をするのであれば、仕事や趣味を全て捨てて野球を本気でやりたいというのが正直なところです。
――後輩たちにむけてメッセージをお願いします
この1年自分たちの代を見て、良くも悪くもたくさん思ったことはあると思います。自分たちの代の人間を見比べて何が一番良いのかというのを取捨選択しながら、自分たちらしい野球をやっていけば必ず勝利が見えてきますし、いいチームができると思うので、1日1日を大切に頑張ってほしいです。
今井脩斗(スポ4=埼玉・早大本庄)
――早慶戦を終えて、今の気持ちをお聞かせください
最後優勝できなかったので、ただただ悔しいなという気持ちです。
――最後のリーグ戦が終わりましたが、どのような思いですか
個人というよりは、チームのスポーツなので優勝できなかったのは心残りだなと思います。
――早慶戦で4番を打つことに決まった時はどのような気持ちでしたか
特に気にならなかったですね、いつも通りというか。それでどうこうというのはあまりなかったです。
――2試合を通しての打撃結果はどのように振り返られますか
チームに貢献できなかったので、だめですね。
――2回戦の9回の打席では相手の好守にも阻まれました
そうですね、完全に力負けですね。
――それまでの試合と違って厳しくマークされている感覚はありましたか
そういうのはあまり気にならなかったです。
――三冠王、ベストナインを獲得されたことについてはいかがですか
できすぎって結果かなと思います。
――反響はいかがでしたか
いろいろな人に見てもらえてるのだなという感じですね。
――首位打者の表彰で盾を持った時はどのような気持ちでしたか
自分がもらっていいのかな(笑)という感じでした。
――改めて、今シーズン成績を残せたのはどのような理由だと考えていますか
やっぱり、占部のサポートがあったのが一番大きいと思います。
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