ラストシーズン開幕直前に選手を引退し、スタッフへ転身した4年生がいる。そのうちの一人、森田直哉(スポ4=早稲田佐賀)。最速145キロを誇る左腕で、ドラフト候補に名前が挙がることもあった。東京六大学リーグ戦(リーグ戦)では通算8試合に登板。森田はなぜ今、どのような思いでスタッフの道を選んだのか。
高校時代、森田は早大の系属校・早稲田佐賀高校で背番号『1』を背負い、創部初の甲子園出場に導いた。早大では2年秋に神宮デビュー、合わせて早慶戦での登板も果たした。3年に上がる時には、左のエース番号『18』を早川隆久前主将(令3スポ卒=現東北楽天ゴールデンイーグルス)から受け継ぐ。早川が主将になったという経緯はあったものの、そこに監督の期待があったことは確かだ。しかし、3年春、秋の出場機会はそれぞれ1試合に限られる。秋には、リーグ戦途中にベンチを外れ、チームのリーグ戦優勝の瞬間は外野スタンドから見ていた。グラウンドの歓喜の輪に入れなかった悔しさをラストシーズンにぶつけるべく、森田は4年の春を迎えた。自身最多の4試合に登板。立大1、2回戦は無失点に抑えたが、後半の明大戦、法大戦では悪い流れを断つことができなかった。ちょうどその頃、左肩を痛めて戦線を離れることに。その傷が癒えることはなかった。
2年秋の立大3回戦でリーグ戦初登板を果たした
そして迎えたこの夏、森田は大きな決断をした。けがの影響から、8月29日の武蔵大とのオープン戦を自身最後の登板としたのだ。試合の5日前、周囲には相談せず、自ら答えを出した。全体への発表前、一部の部員にスタッフ転身を伝えた。突然の報告に驚きながらも、心強い答えが返ってきた。「お前に後悔がないなら、自分たちはお前らのために頑張る」。武蔵大戦当日、森田は「どんなに点を取られても全力で投げきろう」と最後の試合に臨んだ。先発として登板した結果は3回2失点。4つの三振は奪ったが、決して納得のいくものではなかった。それでも、森田は前向きにマウンドを降りた。
武蔵大戦が現役最終登板となった
転身のきっかけの一つに、高校からのチームメイトの存在があった。誰よりも多くの時間を共有してきた鈴木隆太主務(教4=早稲田佐賀)と占部晃太朗新人監督(教4=早稲田佐賀)。鈴木は2年、占部は3年になるタイミングで選手生活を終え、スタッフとしてチームを支えている。「スタッフたちの分も、自分が選手として頑張ろうと思ってやってきたけど、思うように体が動かない。これではあいつらのためになれないと思って」。不運にもけがに悩まされた森田は、新たな役割を見出した。
今春の法大2回戦で小宮山監督から声をかけられる森田
現在はスタッフとして、対戦チームのデータ分析や投手陣の補助を行う。リーグ戦での登板経験を生かし、デビューを控える後輩のサポートに注力する。筆者が森田に話を聞いたのは転身を決めて、2週間と少しが経った頃。「正直自分が投げられないことは悔しい」。そう漏らしながらも、自らの役割についてこう語った。「スタッフは『自分たちは頑張っている』と思っちゃいけない」。そして、「選手がより良いパフォーマンスできるように精一杯尽くせなければスタッフになった意味がない」と言い切った。選手とスタッフの“チームのために”がぴったり合わさった時に発揮される強さは我々の想像を超えていくことだろう。チームの中で役割は変わっても、森田の原動力は変わらない。「チームのために」、だ。
(記事 後藤泉稀、写真 金澤麻由氏、杉﨑智哉、山崎航平)