ついに目覚めた主砲・徳武 時代を超える早稲田の伝統/早慶6連戦 優勝決定戦再々試合

野球
TEAM
早 大
慶 大
(早)〇安藤―野村
◇(二塁打)野村 ◇(三塁打)所

 優勝決定戦再々試合の前夜、徳武定之主将(商4=東京・早実)は石井連藏監督(昭30商卒=茨城・水戸一)に監督室へと呼び出された。「徳武、おまえプロどこ行くか決めろ」――。ドラフト制度の無かった当時、徳武の元にはプロ11球団から入団交渉のためにスカウトが詰めかけていた。自分の進路、主将の責務、賜杯への思い。「頭がパニックで、眠くてしょうがないんだけど床に入ったら目がさえちゃって寝られない」(徳武)。動揺はプレーにも表れ、ここまで早慶戦は17打数1安打。見かねた石井監督が救いの手を差し伸べたのだった。「そこで初めて俺が自分の気持ちをぶつけてチームを決めた。そしたら何か知らないけど肩の力がスーっと抜けちゃって」(徳武)。早慶6連戦最終章、眠れる獅子のバットがついに火を噴く。

 前日の試合を神がかり的な粘りで引き分けに持ち込み、勢いそのままに迎えた6試合目。2回、15回連続で無得点に抑えられていた打線がついに目覚める。相手先発の角谷隆に対し、不調を克服した徳武が無死から左前打で出塁。1死後相手の失策で一、二塁となると、打席に2回戦で角谷から左中間への三塁打を放っている所正美(4=県岐阜商)を迎えた。得意の相手に対し、所は初球を一閃(いっせん)。打球は浅く守っていた左翼手の頭上を越える2点適時三塁打となり、幸先よく先制に成功した。さらに5回には2番・末次義久(商2=熊本・済々黌)が三塁強襲安打で出塁し、内野ゴロの間に進塁して2死二塁。ここで打席には主砲・徳武。覚醒した獅子が相手2番手・清澤忠彦を捉え、三遊間を破る適時打を放って追加点を挙げた。

 早大の先発はまたしてもエース安藤元博(教3=香川・坂出商)だった。ここまで5試合中4試合を完投し、失点はわずか2。驚異的な快投を見せている鉄腕は、この日も慶大打線の前に立ちふさがった。初回は2死から走者を許すものの、4番・大橋勲を二飛に打ち取って無失点。2回から4回は相手に走者すら許さず、スコアボードに0を並べた。最初のピンチは5回。1死から連打と死球で満塁のピンチを背負い、打席には代打の切り札・玉置忠夫を迎えた。しかし安藤はこのカード45イニング目にしても集中力を切らさず、この窮地を併殺崩れの間の1点のみにしのぐ。8回にも得点圏に走者を背負ったが無失点で切り抜け、ついに迎えた9回裏。追いすがる慶大を寄せ付けず、三者凡退に仕留めた。3-1で試合終了。6試合にわたった死闘がついに決着した瞬間だった。

 徳武が賜杯を受け取り、石井監督と安藤が胴上げされたあの瞬間から、今年の秋で60年となる。徳武は卒業後国鉄スワローズ(現東京ヤクルトスワローズ)に7年在籍した後、中日ドラゴンズに移籍して3年プレー。引退してからはプロのコーチや監督代行などを歴任し、その後早大に戻って打撃コーチとして活躍。2014年に一度退任したものの、昨年から再びグラウンドに戻り、6月に82歳となる今年も熱心な指導を続けている。「嫌われてもいいから、俺は自分が体験して良かったと思うことを今の選手たちにやってほしいという一念しかない」(徳武コーチ)。その思いは確かに届いており、「徳武さんのために打ちたい」と口にする選手もいる。早稲田の伝統はこのようにして、時代を越えて後輩たちへとつながっていくのだ。

(記事 池田有輝)

※学部は判明者のみ記載、名前と学年は当時

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