【連載】秋季早慶戦直前特集『雪辱』第7回 柳澤一輝

野球

 抑え、中継ぎ、そして先発。柳澤一輝(スポ4=広島・広陵)は早大でさまざまな経験を重ねた。抑えを中心に中継ぎでも投げた3年秋、第2先発として力投した4年春。そして今秋、今までの軌跡をなぞるように全てのポジションで投げている。社会人での競技継続が決定している柳澤は、学生として最後のゲームをどのようにして迎えるのか。試行錯誤を重ねた技術研究に加えて、これまでとこれからの野球人生について取材した。

※この取材は10月20日に行われたものです。

見直した秋

今季を振り返る柳澤

――まずは今季について順に伺います。明大2回戦と3回戦は抑えとして登板されました。2回戦は大量リードで登板し、3回戦では延長12回に負け越し打を許してしまいました。その時の調子や状態というのはどうでしたか

 状態自体はそこまで悪くはなく、むしろ良い方でした。ただ、ピッチャーの投げる順番などの兼ね合いもあって。大量リードをもらった2回戦に関しては、何回か「肩をつくっていくよ」と言われつつ、後ろの方に回って・・・みたいなバタバタがあって。結果的には後ろで投げたんですけれど。秋季リーグが始まって最初の試合だったので、試合に慣れるという意味で「どこでもいいから投げさせてくれ」ということは言っていました。2回戦で勝って、3回戦で先発するかもという話もあったので、それだったら2回戦で短いイニングでもいいから投げさてくれ、と。

――3回戦で先発する可能性があったということですが、実際には先発しませんでした。2回戦で抑えとして良かったため、3回戦も同じように抑え起用になったのでしょうか

 どうなんですかね。その辺は監督(髙橋広、昭52教卒=愛媛・西条)と学生コーチが決めているので、自分は何とも言えないんですけれど。もともと後ろで投げていたので、たぶん信頼もあって後ろに回ってくれ、と言ってくれたと思います。そんなに気にはしていないというか。役割を与えられたら、そこをやるというだけなので。

――立大2回戦では中継ぎとしての登板でしたが、髙橋監督もいいピッチングだったと触れられていました。手応えなどは

 投球フォームの修正といいますか、明大戦で気になったところをピンポイントで直しました。大リーグやプロ野球のピッチャーの投げ方や投球フォームを見ながら、自分と照らし合わせて。ブルペンに入って確認したら、良くなっていたので。立大戦でそれを試したらいい結果につながりました。

――東大2回戦は先発して1失点の完投勝利。法大2回戦でも先発され、スターター復帰というかたちになりました

 東大戦でしっかり9回を投げ切れて。先発での体力面やコントロール、ストレートの球威というのは、後ろや中継ぎの時ともそんなに変わらず、しっかりと投げられたので。先発というのをそこまで気にせず、いつも通りでした。いい感じに投げられたかなと。

――週末の試合に入るまでにいろいろと調整をされると思うのですが、先発でも抑えでも準備することはあまり変わらないのですか

 基本的に全然変わらないですね。

――春と秋で投げてきて、ご自身はどう変わったと思いますか

 一番いい状態を保てているというのは、今のフォームがしっかり確率されてきているからかと。自分の中でしっくりきているフォームになっているので、それがいい結果につながってきているのかな、というのは感じます。

――春にも社会人の方にフォームを見てもらったと聞きましたが

 はい。春に直して、夏も自分で見て。秋の立大戦に入る前にさらに修正して、というのを自分の中でいろいろと試行錯誤しながらやってきました。その結果、今が一番しっくりきていて、いいフォームになっている。今季だけでなくこの一年の収穫かなと。ストレートのキレも昔よりだいぶ戻ってきていて、変化球のキレが今までで一番いい状態になっているので。あとコントロールもまとまるようにはなったので。全体的なレベルアップができたかなと。

――フォームが改善したことで投手としてのレベルが全体的に上がっているとのことですが、次に着手したいと思っていることは

 社会人に行ってから、役割がどうなるかは分からないですけど。ストレートに一番自信があるのは自分の中では間違いないので。そのストレートをさらに追求したいです。もう一つ上のレベルに上げるためにどうしたらいいのか。社会人に行ってからだけではなく、行く前からも、それを考えながらやっていけたらいいなと思います。

――今季印象に残った試合は

 東大戦の、今季初先発して完投した試合ですかね。一番自分の中で手応えがあったというか。一番いいフォームでしっかり投げ切れたというのが印象に残っています。

――全体を通してフォーム改造が秋におけるポイントだったと

 そうですね。

続く野球人生

抑え、中継ぎ、先発と全ての位置で投げた

――プロ野球を目指した上で社会人チームであるホンダ鈴鹿行きを決めたと思うのですが、プロ野球志望届(2017年の提出期限は10月12日)を出すことは迷っていましたか

 そうですね、ギリギリまで。社会人の監督さんとも話はしていて、ギリギリまでそういう話が。最終的には自分の四年間の結果とかを見て。そんなに試合も投げていなかったですし、秋の成績を見てもそこまで結果が出ていなかったというのもあったので。それだったら、2年間経験も積める社会人に行こうと。その中で2年後、今よりも成長した自分がいるだろう、と思っているので。今はいい意味で捉えています。

――具体的にいつ頃内定は決まっていたのですか

 自分は他の企業からは来ていなくて。1つ上の竹内さん(諒、平29スポ卒=現ホンダ鈴鹿)がホンダ鈴鹿に行っているんですけど、3年生の時に竹内さんとホンダ鈴鹿の監督さんがご飯に行く、となった時に、竹内さんがたまたま自分も誘ってくださって。それで機会があって話して。縁というか。連絡先も交換して、いろいろやりとりをしていった中で、ホンダ鈴鹿の監督さんが自分に目を付けていただいていたので。他の社会人の情報は分からなかったんですど、何回かホンダ鈴鹿に練習は行かせてもらっていました。いろいろ教えてもらって、練習もさせてもらって。そういった意味でも、ホンダ鈴鹿の練習環境は自分には合っているのかなっていうのを感じていたので。ホンダ鈴鹿さんに恩返ししたい、という気持ちも。

――竹内さんは1つ上の学年ですが、他にも縁のあった方はいらっしゃったのですか

 一回JFE東日本には練習に行きました。中澤さん(彰太、平29スポ卒=現JFE東日本)と他の社会人はどうなんですかね、という話をしたときに、「うちに来れば?」みたいな話になったので。

――その上でもホンダ鈴鹿に行こうと

 そうですね。

――ホンダ鈴鹿というのはどういうチームだと思いますか

 活気があって、全体的にもチームとしてまとまっていて。一つ一つのプレーにしっかり集中していて、ボールを追ったりとか、注意するところは注意するとか。組織としてできているというのはすごく感じました。チーム全体で、都市対抗で優勝するっていう目標を持てていて、それを達成するために計画を立てて練習だったり、環境とかも良くて、充実して野球ができるチームだなっていうのは感じたんで。いろんな経験もできるんじゃないかなと感じています。

――ホンダ鈴鹿に行ってからどうありたいですか

 1年目から投げられればベストですけど。アピールしないといけないと思うので。自分の一番いいところを見せつつ、アピールできればいいかなと。

――学生は授業、社会人には仕事があります。学生と社会人の取り組み方の違いなどは

 ホンダ鈴鹿は会社自体が野球部を応援してくれている会社で。仕事もありますが、野球の練習にも力を入れていいと言ってくれている会社なので、練習もしっかりできると思います。都市対抗に出て優勝する、という意味では練習環境も整っていて、周りの応援もとても暖かく、いろんな意味でいっぱい支えられている企業だな、というのを感じています。野球をする選手からしたらありがたいなと。

――プロ野球のことは小さい頃から考えていたのですか

 いつからだろう。高校生あたりからかな。自分が最終学生になって、新体制が始まったぐらいからですかね。母校の広陵がプロの選手をたくさん輩出していて、冬にはプロ野球選手が帰って来て監督にあいさつに来ていました。そうやってプロ野球選手を身近に感じて練習とかもやっていたので。そういう環境にいると、そこでやってみたいなっていう興味はちょっとずつ出てきたというか。それで大学が決まって、1年目で有原さん(航平、平27スポ卒=現プロ野球・北海道日本ハム)や中村さん(奨吾、平27スポ卒=現プロ野球・千葉ロッテ)がドラフト1位で行ったのを見て、プロに行って野球をやりたいというのをより強く感じたっていうのはありますかね。わりと最近のことだと思います。

――プロ野球はどこかのファンだったりしますか

 全然分からないんですよね。実家が大阪なので、小学生から中学生の頃はずっと阪神を見ていましたけど。広島に行ってから、広島なんで周りに広島ファンが多くて。高校あたりからどこのファンとかなくなりました。とりあえずプロ野球を一通り見るみたいな。

――野球人生において、高校への入学がターニングポイントだったそうですが

 中学3年生になったときに、進路どうするってなって、親がいろいろ調べてくれてて。自分はその時はどこでもいいやみたいな感覚だったんですけど。そんな中で広陵高校をたまたま親が見つけて。中学はクラブチームで野球をしていたので、監督と面談した時に、広陵いいんじゃないか、となって。じゃあそれで行ってみるわ、みたいな。それで中学の監督に言ったら、その監督がすごく動いてくれて、広陵高校に一度練習に行かせてもらいました。練習に行って広陵の監督とお会いして、チーム見学もして。それで「すごいな」と。「そこで自分はどれぐらいやれるのかな」と自分の中で感じたというか。ここに入ってどれくらいできるのかなと思いながら、広陵に決めたって感じですかね。

――最初から強豪校に行くという思いはあったのですか

 いや、全然ですね。そこまではなくて。野球は絶対続けるつもりではあったんですけど。それをどこでやるかっていうのは自分の中では何も計画を立てていない状態でした。ほぼ親とチームの監督に任せたって感じで。自分の中では全然深く考えてなかったです(笑)。

――甲子園もそこまで意識はしていなかったのですか

 まあ、行きたい気持ちはすごくあったんですけど、それがどこのチームで、というのも全然、正直なところ考えてなかったです。広陵高校は強くて甲子園も出場していましたし、そこに行けるんだったらそれで野球やりたいなっていう感じですかね。

――早大に来たきっかけは高校の監督さんだと伺いました

 それも面談ですね。「どこに行きたいんや」みたいな話になって。高校の監督さんは自分のことをいろいろ見てくださっていて、一番自分の実力を分かってくださっている人だったので。それだったら監督さんにお任せして決めてもらうのが一番いいかなと。

――なぜ早大だったんでしょうか

 丸子さん(達也、平28スポ卒=現JR東日本)がいたんですよ。3年生の夏前かな。丸子さんと、法大に行った蔵桝さん(孝宏、現JR西日本)がたまたま練習に来てくださっていて。その時に監督が「柳澤、二人に投げろ」と言ってきて、実際に二人に投げて、抑えて。その日の練習終わりとかに丸子さんと監督さんが話して、戻ってきた時に「お前、ワセダくんの?」って言われて、「えっ、そうなんですか」っていう(笑)。「お前、一回ワセダに練習行かされるかもよ」っていう話になって、実際に監督さんと一緒に行って。

――早大に行っている先輩がいたからこそだったんですね

 そうですね。先輩がいて、実際に自分のボールをバッターとして見てどう感じたか、みたいなのをたぶん監督さんと話したと思うんですけど。それで監督さんが「ワセダ行ってみるか」となり、「お願いします」と。親も「六大学に行けるなら行ってほしい」みたいなことも話していたので。ワセダだったら六大学だし、有名だし、先輩も行ってるから安心もできるし、と。それで早大に来たっていうかたちですかね。

――実際に四年間、早大で過ごしてきてどうでしたか。入る前と後とで何か印象が変わったりは

 最初はすごい上下関係があるんだな、というのは思いました。広陵に比べると楽ではあったんですけど。広陵高校で三年間やって、広陵よりきつい大学はほんとにないなっていうのは感じたんで(笑)。高校の経験があったから、早大に来てもそんなに衝撃を受けることもなく。高校でしっかりやってきたことを1年生のときにやったので。先輩も有原さんとか丸子さんとかいたので、よくしてもらいながら。

――自分が元々鍛えられていたからこそ、ついてこれたと

 それは本当にあると思います(笑)。

――この野球人生で挫折したことはありますか

 確実に大学2年生の時ですかね。ケガもそうですし。一年間野球ができなかったので。悔しいのもありますし。一番はケガした自分が悪いんですけど。それでも野球ができなかった一年は自分の中で一番苦しかったです。逆にそれで焦ったというのもありました。ちゃんと準備しとけば良かったなっていうのは、自分の中で残ってる部分ですね。

――その悔しい部分が今にどう生きていると思いますか

 その期間はろくにボールも投げれなかったですし、練習自体も全然できてなくて。それから3年生の春、ベンチにもギリギリ入れて、早慶戦だけではあるけど投げて。そこから徐々にやっと本格的に取り組めるようになって、意識も変わりました。2年生の挫折が自分の中で一番悔しい思いがあったから、3年生と4年生で調子が上がってきて、今が一番の状態になってるとは思うので。そういった意味では、精神面であったり体の面であったり、自分自身の中で成長させてくれた部分ではあるのかなと。

――精神面や考え方が変わったというのは、具体的にどのようなことですか

 根本的に、一番は自分の体が資本ということです。ケアというのを一番大事にするようになりましたし、食べるものもそうですし、ストレッチとかも。自分のできることをしっかりやりつつ、足りないところはトレーニングをするとか。野球をする上で本当に必要なところを欠かさないようにしないといけないな、というのを実感して。自分の体と相談しながらやれるようになりました。

――ご自身を表す言葉とは何だと思いますか

 どうなんだろう。負けず嫌いなのはありますけど、自分はどちらかというと変人だと思います。なんて言えばいいのかな。基本的に自分は超マイペースなんです。自分の世界に入っちゃえばもう周りも見えないですし。基本的に周りに流されない。自分を持っているというか。悪い意味で言えば自己中ですし(笑)。いい意味で言えば自分の世界を持っているので流されないから、自分の意思というのは強く持っています。試合の時でも周りは緊張してるけど、自分は緊張してないですし。人よりもたぶん感情も出すタイプだとは思うんで。そういった意味では周りに比べるとたぶん変人だと思います(笑)。

――2017年の早大はどういうチームだったと思いますか

 選手自体はそろっていますけど、試合で勝てないっていうのは、いろあろな兼ね合いがあると思います。チームが一つにまとまっているって言われると。自分はどっちかというと疑問に感じる部分はあるんで。他大学に比べると何か抜けているんじゃないかな、というのは感じたりしています。

――1年生の時も4年生の今も、取材をすると「いつも通りのピッチングをすれば抑えられる」という言葉をよくお聞ききします

 自分は基本的にはストレートで押すタイプなので。そのストレートのキレや伸び、球の重さに球速というのが、しっかりといい状態を保つ。バッターを振り遅らせたり、ファウルや空振りが取れたり、という状態に持っていけていると、変化球を使った緩急が生きてきます。そうするとキャッチャーも組み立てがしやすくなって、押すところはストレートで押して、空振りも三振も取れるっていうピッチングになるので。それができれば何事もなく抑えれるのかなっていうのは自分の中でずっと思っています。

――緊張しないということもよくおっしゃっています。緊張しないからこそいつも通りにやっていくと

 試合のその週から、練習やケアを基本的に全部変わらずにやる。試合は自分の一番いいパフォーマンスを出す場所なので。調整をしっかりして、試合の時にベストな状態にするのは当たり前だと思うんですね、選手として。それをした上で、どんな場面が来ても平常心というか、周りを見れるように意識しながらやっていれば、そこまで緊張はしなくなったというか。周りを見ながら、自分のピッチングをできるように心掛けて試合に入れるようになりました。

「学生野球の最後は楽しみたい」

――早慶戦をどこで投げるかはまだ分かりませんか

 分からないですね。

――予想はどうですか

 法大戦があんなかたちで交代させられたので、先発が微妙なんですけど。でもたぶん先発かな。後ろだったら後ろで関係ないですけどね。最後の早慶戦なんで、楽しみたいなっていうのは一番あります。

――早慶戦で警戒している選手などは

 個人というよりは、慶大というチームとして警戒しないといけないかな、というのはあります。

――早慶戦は学生野球で最後となりますが、どういうことを押し出していきたいですか

 一番自分のいいところを全面に出せばいいかなと。最後なので。でも一番は、学生野球の最後を楽しんで、出し切れればベストなのかなと思います。それで結果が付いてくればいいかなと。

――現役はまだ続きます。これからに向けての意気込みをお願いします

 今まで学生野球をやってきて、いろんな経験をしてきましたが、さらにこれから先の社会人やプロの方がもっと厳しくなって、いろんな経験を積むと思います。そういった中で、経験をしっかりと自分のものにしながら、もっといい野球生活を送れれば一番いいのかなと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 廣田妃蘭)

学生野球の『集大成』を早慶戦で披露します

◆柳澤一輝(やなぎさわ・かずき)

1995(平7)年8月3日生まれ。182センチ。88キロ。広島・広陵高出身。スポーツ科学部4年。投手。右投右打。この秋で早大野球部を引退となる柳澤選手。大学進学、社会人就職と多くの人との縁でこれまでの野球人生がありました。就職のきっかけとなった竹内選手とともに、ホンダ鈴鹿での活躍に期待です。