【連載】平成27年度卒業記念特集『覇者たちの球譜』 第6回 川原孝太

野球

ワセダへの挑戦

 昨年の東京六大学秋季リーグ(秋季リーグ)早慶1回戦、6回表。放たれた打球は鋭いライナーでもなく、大きな放物線でもなかった。当たり損ねだ。けれどそんな当たり損ねが安打となり、決勝打となることもある。野球というスポーツの難しいところだ。例えば、打率1割台の川原孝太(文構=静岡・掛川西)。この男が放った当たり損ねは、ワセダの春秋連覇を大きく引き寄せる貴重な一打となってしまった。

 「大学に進学し、ゆくゆくは指導者になる」と、明確な目標のもとで高校生活を送っていた川原。そんな矢先、恩師から指定校推薦入試の話を聞かされる。ワセダで野球を続けるなんて想像すらもできない。大きな不安を抱えたままに入学すると、待ち受けていたのは甲子園のスターたちだった。練習はとにかくレベルが高い。毎日が勉強の日々で、ついていくだけで精一杯であった。毎日自分に求められているものを考え続ける日々。その中で、一つの答えを見つけ出す。「重信(慎之介副将、教=東京・早実)ほどではないけれど、足ではないのか」。初出場は主力打者の代走。守備では二塁や三塁もできるようにして、チャンスを広げていった。しかし、レギュラーは遠い。最高学年になっても、空いている場所は見当たらない。一塁にも絶対的な打力を持つ丸子達也(スポ=広島・広陵)が控えていた。そこで下した人生最大の決断、それが外野手への挑戦だった。空いている場所は外野しかない。

いぶし銀の活躍で勝利のために必要な存在へとなっていった

 野球を始めて以来、ずっと内野手。外野でレギュラーになれる保証など、ないに等しい。だが唯一、一つだけ自信を持てる部分があった。それは、内野手への配慮。内野が感じていることは、もともと内野手だった自分が一番知っている。他の外野手にはない感覚だ。たとえ技術面でかなわないところがあっても、どこに送球をするのが良いのか、どこでカバーリングをすべきなのか――。全てが手に取るように分かった。

 そうした中で迎えた春の沖縄キャンプでは、見事に左翼手としてスタメンに名を連ねる。春季リーグの開幕戦では控えに回ったが、同カード2回戦ではスタメンに復帰し、以降は最後までレギュラーとして居座り続けた。決してプレーが派手なわけでもなく打てる選手でもないが、川原は最後まで挑戦者の気持ちを持ち続けていた。「レギュラーを確信したことは一度もない」。ワセダへの挑戦を決めた4年前、周りは実力者ばかりだった。そんな環境にも関わらず、むしろそんなワセダだったからこそ、ちっぽけなプライドにこだわることなく、一途にまい進し、活躍できる場所を見つけることができたのだろう。最終打者が凡退すると、実力者たちはマウンドに集い歓喜を叫ぶ。そんな中、川原は内野手であればすぐに寄り添え合えるところを遠くから猛ダッシュで駆けつけていた。

 結局、川原がリーグ戦で放った安打は12本。スタメンになったのは4年時からとはいえ、これでは少ない。だが、野球とは、必ずしもエースや4番が試合を決めるわけではない。8番打者であってもヒーローになることだってある。例えば川原は、そんなふうにして早慶1回戦、通算12本目の安打を放ち、一塁ベース上で輝いていた。やっとの思いで均衡を破った6回表。それは、昨年の野球部が一番に盛り上がった瞬間であろう。小島和哉(スポ1=埼玉・浦和学院)の好投もあり2-1で勝利したが、この川原が試合を決めたあたりが、何だか昨年の野球部を物語っているような気がした。

川原選手にとって早大野球部とは『人格形成の場・一生の憧れ』

(記事 菖蒲貴司、写真 後藤あやめ、井口裕太)