【連載】平成27年度卒業記念特集『覇者たちの球譜』 第4回 丸子達也

野球

『勝利を呼び込む4番』へ

 昨年、ワセダの『4番』に一年間座り続けた丸子達也(スポ=広島・広陵)。幾多の好機で勝負強い打撃を発揮し、何度もチームに勝利を呼び込んだ3冠の立役者の一人だ。4年時の東京六大学野球春季リーグ戦は首位打者、ベストナインを獲得し、全日本大学選手権(全日本)や明治神宮大会でも活躍した丸子。この活躍の裏には大学3年まで公式戦にほとんど出場することができなかった悔しさ、高校時代から変わらぬ打撃理論、そして「俺が必ず4番になる」という入学時から変わらない強い信念があった。

 高校通算46本塁打。広島の名門・広陵高の4番という看板を引っ提げワセダに入学した丸子。周囲の期待も大きく1年時の全日本からベンチ入り。しかし、木製バットの対応や、大学レベルのカベに苦しみ出場機会は減っていった。同じ一塁手で1学年先輩の武藤風行(平27スポ卒=石川・金沢泉丘)とのレベルの差も大きく、何千本とスイングを重ねても試合に出場することができないもどかしい日々。しかしそんな中でも丸子は強く思っていた。「俺が必ず4番になる」。

 転機が訪れたのは大学3年のシーズンオフ。髙橋広監督(昭52教卒=愛媛・西条)の就任だ。最初の個人面談で髙橋監督から告げられた。「4番はお前しかいない」。その言葉で『4番』としての自覚が芽生えた丸子の打撃が一気に開花する。得意の広角に打ち分ける打撃で安打、打点を積み重ね、時には大きな放物線をスタンドに描いてきた。3年間鳴りを潜めていた打撃がついに本領発揮。3冠に大きく貢献し誰もが認めるワセダの『4番』になった。

年間を通じて4番の座を明け渡すことはなかった

 広角に打ち分ける打撃を可能にしているのが打席での考え方とボールの見方。まず一球一球相手投手が投げる球種、コースを3通り考える。これを可能にしているのがチーム内で共有されているデータや丸子自身の経験だ。そしてその狙い球が来たらどの方向へどう打ち返すかまでの考えを整理し打席に入る。例えば、外角の直球の場合、球の内側を見る意識で打った打球はスライス回転がかかり左翼方向へのファールゾーンに飛ぶことが多くなる。しかし球の外側を見る意識で打った打球はスライス回転がかからずヒットゾーンに打てる確率が上がる。こういった柔軟で多様な打撃ができるのは高校時代から積み上げてきた努力の賜物といっても過言ではない。

 『4番』としてチームに貢献してきたが最後の最後でチームを勝利に導くことができなかった。4年秋の明治神宮大会決勝、延長13回裏1死満塁、一打サヨナラの場面で打席が回る。この試合本塁打を放っていた丸子は打席で勝利を確信していた。しかし、この油断が力みにつながったのか結果は最悪の併殺打。四冠は夢へと消えた。「最後4番として仕事を果たせなかった。あの場面で打てなければ4番ではないし何も意味がない」。普段通りの打撃をすれば勝利を呼び込むことができただけに悔いが残る。しかし、「この悔しさがあるからこそ次のステージにつながる」と、丸子は次を見据えて前に進んでいた。2年後のプロ入りを目標に社会人野球で己を磨く丸子。新たなステージで『勝利を呼び込む4番』への挑戦が始まる。

丸子選手にとって早大野球とは『初心に戻れる所』

(記事 高橋弘樹、写真 谷田部友香氏、杉田陵也)