【連載】平成27年度卒業記念特集『覇者たちの球譜』 第3回 茂木栄五郎

野球

逆境をはねのけろ!

 何かが起こる。この男が打席に立つと、神宮の大観衆は固唾(かたず)をのんで勝負の行方を見つめる。男の名は茂木栄五郎(文構=神奈川・桐蔭学園)。一振りで球場の雰囲気を一変させる力が、茂木にはあった。幾度の試練を乗り越え、たどりついたプロという夢のステージ。己と向き合い、己を磨き続けた孤高のバットマンは、卒業を迎えたいま何を語るのだろうか。

 文武両道の日々を送った高校時代。聖地・甲子園でのプレーはかなわなかったが、茂木にはもう一つの憧れの場所があった。それは、大学野球最高峰の舞台・早慶戦。伝統の一戦でのプレーを目標に野球と勉強を両立させ、指定校推薦入試でワセダに入学した。しかし、立ちはだかったのは重信慎之介(教=東京・早実)ら甲子園を経験したレベルの高い同期たち。野球一筋で生きてきた猛者が集うこの大海原で日の目を見る日は遠い、はずだった。平成24年度東京六大学春季リーグ(春季リーグ戦)開幕戦。その予想は覆される。『6番・三塁』でスタメンに名を連ねたのはルーキー茂木。大学初打席で初安打初打点を記録すると、勢いは止まらず。ベストナインを獲得し、チームは日本一の称号を手に入れた。デビューイヤーはあまりにも華やかに、そして瞬く間に過ぎていった。

勝負強さ抜群の打撃がチームを幾度も救った

 2年の秋、最初のカベにぶち当たる。体調不良に見舞われ、その年の秋季リーグ戦の出場はわずか1試合。プレーしたくてもできず、ただスタンドから仲間を見守ることしかできなかった。自身のいないグラウンドに映ったのは、ここぞとばかりに頭角を現した同期や後輩の姿。それでも一切の焦りも見せず、このピンチをチャンスに変えてみせた。チームを、ファンを、自分を初めて客観的に見つめ、芽生えた思いは「申し訳ない気持ちと感謝の気持ち」。チームに必要とされる自分とは何か。理想に近づくため、己を見つめ直し歩み始めた。そして翌年、進化した若武者が再び神宮で旋風を巻き起こすこととなる。離脱中のウエイトトレーニングが功を奏し長打力が増すと、秋には5割1分4厘という驚異的な打率で首位打者に輝く。それでも3年次に残ったのは、悔しさだった。春秋ともにあと一歩のところで頂に届かず、実力者のそろう先輩たちの花道を飾ることはできなかった。しかし、ここで腐らないのが茂木という男。「優勝を逃したことは、最後のシーズンにとっては大きなことだった」。この屈辱が、栄光への伏線となったことは言うまでもない。

 背番号『1』を背負いスタートしたラストイヤー。前年に比べ戦力がダウンしたワセダの下馬評は、著しく低かった。だがどんなに強い逆風も追い風に変えてきたからこそ、この状況に燃えた。春季リーグ戦、全日本大学選手権で大暴れし、再び頂へ。3年前先輩たちに見せてもらった日本一の景色を、今度はチームの中心として眺めることとなった。苦戦を強いられた秋。大混戦の末、勝ち点を獲得すれば優勝という緊張感で最後の早慶戦を迎えた。秋は打率2割と低迷し、早慶戦でも目立った活躍をすることはできなかったが、このチームの顔は間違いなく茂木であった。友でありライバルであるチームメイト全員が一丸となり慶大に連勝。春秋連覇の偉業を達成した。悔しさは喜びに変わり、涙は笑顔に変わった。立ち止まることなく歩み続けた四年間。山あり谷ありの大学生活が、ここに結実した。

 「誰かと比較をしても自分自身は変わらない」。茂木はいかなる時でも、自分に自信を持っていた。その一方、常に考えていたのはチームの勝利。仲間を信じて、自分を信じて。真摯(しんし)に、そして謙虚に野球と向き合った。早慶戦に憧れを抱いていた少年はその夢をかなえたが、物語は続いていく。新天地・東北楽天ゴールデンイーグルスで目指すは「日本プロ野球界を代表するような選手」。ワセダの顔から、日本の顔へ。そのバットで、歴史を刻め。

茂木選手にとって早大野球部とは『人間として成長させてくれた場所』

(記事 川浪康太郎、写真 杉田陵也、高橋弘樹)