【連載】平成27年度卒業記念特集『覇者たちの球譜』 第1回 重信慎之介

野球

大歓声を力に

 『紺碧の空』が鳴り響き、ワセダの攻撃が始まりを告げる。応援席で勝利を願う人々の視線の先には、常に、オレンジ色のバットを短く持って打席に向かう背番号『24』の姿があった。早実高時代から背中を押し続けてくれたおなじみのリズムに、重信慎之介副将(教=東京・早実)は闘志を燃やす。巧みなバットコントロールで、右に左に安打を量産。たとえ打ち取られても、俊足を飛ばし内野安打にしてしまう。そして、ひとたび出塁すれば思い切りの良いスタートからすぐさま次の塁を落とし入れる。大観衆の視線を一身に集め、スタンドを沸かせ続けてきたこの男のプレースタイルは、決してためらわず、そして立ち止まらず、己の信じる道を突き進んだ四年間を体現するものであった。

 高校時代から俊足攻打で名をはせた重信は、入部して間もなくベンチ入りを果たす。1年時は主に代走として15試合に出場するも、スタメン出場はなし。二塁手として入部したものの、当時は中村奨吾(平27スポ卒=現千葉ロッテマリーンズ)が不動のレギュラーとして君臨。二塁手として試合に出場するには厳しい現状があった。しかし、スタメン出場がかなわない中でも、代走として試合に出場しながら走塁を学び、研究を重ねていく。そんな矢先の1年冬、転機が訪れる。「お前、外野できるか」。学生コーチから受けた、突然の打診。そして、巡ってきたチャンス。できるかどうかは自分でも分からない。それでも、迷わず、はっきりと言い切った。「できます」。

 すると、早くも2年春には左翼手のスタメンを勝ち取り、初めてレギュラーとして春秋のリーグ戦を経験。その中でも、磨きをかけてきた走塁に確かな手応えを感じたことが、何よりの収穫だった。高校時代から1番打者を務め、足の速さには定評があったものの、盗塁は苦手。監督から盗塁のサインを出してもらえなかったという。ところが、大学に入ってから重点的に取り組んできた盗塁が、実戦でも面白いように決まり、それからは自信を持って盗塁のスタートを切れるようになった。他の誰かが真似しようとしても絶対に真似できない、自分だけが持っている『足』。その価値の大きさに、初めて気付いた瞬間だった。

球界屈指の俊足は相手にとって常に大きな脅威となった

 2年のシーズンを終えると、重信の中にまた一つ、新たな変化が生じる。スタメンを勝ち取り、好成績を残したものの、その場しのぎになって目の前のことばかりを考えている自分に気付いた。「レギュラーになることが目標ではない。目先の結果にとらわれず、もっともっと上を目指さなければいけない」。この飽くなき向上心が、重信をさらに飛躍させる。迎えた3年目のシーズン、盗塁数は春と秋合わせて15に上り、秋には4割4厘の高打率を記録するなど初のベストナインに輝いた。最上級生になると、リーグ戦の春秋連覇と全日本大学選手権優勝に大きく貢献。ラストシーズンとなった4年秋には、2度目のベストナインと初の首位打者を獲得し、名実ともに東京六大学リーグを代表する外野手としての力を証明してみせた。常に志を高く持ち続け、日々を大切に歩んできたからこそ、手にすることができた数々の栄冠。ワセダでの四年間を振り返った重信の表情は、充実感に満ちあふれていた。

 卒業後は、慣れ親しんだWASEDAのユニフォームに別れを告げ、読売ジャイアンツに進む。結果が全てのプロの世界だが、気負いはない。「注目されるのは楽しい。自分のプレーでスタンドを沸かせることを想像するとワクワクする」と語るように、大舞台になり、注目されればされるほど力を発揮するのがこの男。早慶戦での通算打率は4割3分6厘、四年間で積み上げた39盗塁のうち、約3分の1にあたる12盗塁を早慶戦で挙げている。心から大舞台を楽しめるスター気質――。そんなところからも、歴史と伝統を誇る人気球団での活躍を期待させる。東京ドームいっぱいに広がる、大きな期待と割れんばかりの大歓声。それらを全て力に変え、プロ野球選手・重信慎之介は縦横無尽にダイヤモンドを駆け回る。

重信選手にとって早大野球部とは『早稲田大学野球部』。「それ以上でも、それ以下でもない」

(記事 郡司幸耀、写真 八木美織、高橋弘樹)