これまで計3回、被災地へ出向き復興支援を行ってきた早大野球部。この度6月末から7月初旬にかけ4度目の復興支援が行われ、その報告会が行われた。
今回は4度目にして形式が変更され、より実りあるものとなった。過去3回は1つの球場へ現地の高校生が集まり、半日間野球教室を行うといった形で行われてきた。だが今回は岡村猛監督(昭53二文卒=佐賀西)の方針で形式を一新。計25名の選手が3日間それぞれの高校へと向かい、高校生たちとより近い距離で交流を図ってきた。野球を通した復興支援の中で、高校生たちと親交を深め震災に関する話や野球に対する気持ちを聞き、選手たちにとっても学ぶことは多かったようだ。
復興支援の報告と感想を述べる選手たち
「微力だが無力ではない」。東條航主将(文構4=神奈川・桐光学園)は現地の人のこの言葉が心に残ったと言う。微力であっても実際に行動した足跡はしっかりと現地の人たちの心の中に残っている。
(記事、写真 盛岡信太郎)
コメント
岡村猛監督(昭53二文卒=佐賀西)
――4回目の復興支援活動、選手たちにはどういった活動を期待しましたか
これまでの3回とは支援の形態が違いました。いままでは1か所にそのエリアの高校生を集めて野球交流といった形で行っていました。しかも時間的には半日程度しか交流できなかったのですが、今回は2、3名でそれぞれの高校へ行って高校の野球部のお手伝いをしてくるという形を取りました。また、それぞれの高校であったり部長の先生や監督、生徒の方のご自宅にてホームステイをさせていただきました。普段とは違った形態をとったことでより密接な交流が行われることと、さらに飛田穂州先生(大2法卒)が残された指導の一端がありまして、指導する際に注意しなければいけない心得を私の方で抜粋して学生に渡しました。したがって彼らに期待するというよりもワセダの代表として行く訳なので、自覚と責任を持って交流を図ってきて欲しいということはお願いしました。
――形式を変えることでの狙いはあったのでしょうか
我々が大学生のころは地方の高校へ1週間ほど臨時でコーチに行っていたんです。そういった活動をまた行いたいという風に考えていましたので、せっかく復興支援としてやるのであれば今回のような形でより密接にいままでよりも長い時間交流ができればと言う風に思っておりました。
――今後はどういった形で復興支援を続ける予定でしょうか
できれば今回の試みは以前の3回に比べて違いますので、あと1、2回は学生やボランティアセンターと相談しながら、この形態で続けたいと考えています。
東條航主将(文構4=神奈川・桐光学園)
――復興支援へ行く前はどのような気持ちだったでしょうか
自分は3回目の復興支援だったのですが、震災が起きてからの日数も前回とは違いますし、交流するのも初めてのチームばかりだったので、最初はその人たちが抱えている心の傷というものに気を付けながら接していこうと考えました。また前回の反省を生かして、見られているということを感じながらどうあるべきか、ということを考えていました。
――前回までと違った点はありましたか
前回からは日数が経ていて自分が果たして力になれているのか、と言うことに疑問を持っていたのですが、現地の方に「微力だが、無力ではない」という言葉をいただいて、その言葉がすごく大きかったです。どんな形であれ現地の方の心に残っているということを聞いて無力ではないんだな、と感じました。
――支援を終えて思うことは
(自分たちは)自ら時間を作りにくいという環境にはあると思うのですが、現地の人に「最大の復興支援を忘れないこと」と言われました。もちろん行った自分たちはこのことを忘れないですが、支援に行っていない後輩たちや震災に関係していない人に伝えていくということが復興につながるのではないかと感じています。