【連載】新体制対談『大胆』 第3回 麻野堅斗×安食浩士×伊東昌輝×菅原啓

男子バレーボール

 例年に比べ、多くの選手が入部した今年。今回は、東京圏外の高校から早大に入学した4人の選手を紹介する。お互いのことや、春リーグに向けてバレーボールのことを伺った。

※この取材は4月4日に行われたものです。

お互いのこと

対談中の安食(右)と伊東

――まずは自己紹介をお願いします

伊東 山梨県私立日本航空高等学校出身の伊東昌輝です。学部は商学部で、ポジションはリベロです。趣味は音楽を聴くことです。邦ロックをよく聴きます。

安食 こんにちは。

一同 (笑)。

安食 宮城県仙台私立東北高等学校出身、安食浩士です。ポジションはアウトサイドヒッター(OH)です。学部はスポーツ科学部で、趣味は食べることです。よろしくお願いします。

麻野 京都府私立東山高等学校出身の、麻野堅斗です。ポジションはミドルブロッカー(MB)です。スポーツ科学部1年で、趣味は音楽を聴くことです。レゲエとかヒップホップとか洋楽、以外を聞きます。

一同 あ、以外!?(笑)。

菅原 山形県立山形南高等学校出身の菅原啓です。学部は教育学部です。ポジションは高校まではOHだったのですが、大学からはMBをやってみないか、ということでいろいろなポジションを試しているところです。趣味は読書をしたり映画を観たりすることです。

――初対面はいつでしたか。大学で会う前にも対戦経験などはありましたか

伊東 安食と菅原とは中学の時に大会で対戦したことがあります。菅原は大きいチームでプレーしていて、自分がレシーバーだったのですが、拾えないボールをたくさん打ってきて、強いな、という印象でした。浩士(安食)に関しては、1枚エースでやっていてすごいな、という印象でした。

安食 自分は、昌輝(伊東)と中学のときにやった試合のことは覚えていないのですが、高校2年生の冬にサントリーさんが開催してくださったエキシビションマッチの時のことは覚えています。そのとき日本航空は日本一をとって、(伊東選手は)その時のベストリベロだったので、どんなボールもあげるという印象がありました。当時、高校2年生だったのですが、3年生に物怖じしない、強気なプレーが印象的でした。

菅原 中学校時代対戦したときは、髪の毛がありました(笑)。まずレシーブがすごくうまくて印象に残っていて、高校生になって日本航空と練習試合することになったのですが、同一人物だと分からなくて。そのときも上手いな、と思っていたのですが、大学に入ってから同じ人だと知ってびっくりしました。

――みなさん、麻野選手とは関わりはなかったのですか

菅原 いや、3回くらい会ったことがあります。

麻野 3回も会った?

菅原 小学校のとき、中2と中3。小学校の全国大会の時にあたって確か負けました。中2、中3の時にも全日本中学校選手権で対戦しました。

――麻野選手は覚えていますか

麻野 小学校のときは、チームが全員大きかったので、デカい、という印象しかなかったです。中学3年生のときに負けてしまったのですが、その時のエースという印象があります。

――大学で再会して、今はどのような印象ですか

菅原 堅斗(麻野)はチームに合流したのが3月と遅くて、合流前に静かな人と聞いていたのですが、実際に会ってみたら、意外と関西人なところがあって、結構しゃべるし、話がおもしろかったのが意外でした。

麻野 (菅原選手は)もともと静かな性格だな、と思っていて、そのままって感じ・・・でした。

一同 (笑)。

伊東 静かっちゃ静かですね。

安食 昌輝(伊東)は、最初は真面目キャラという印象で、おとなしいと思っていたのですが、仲良くなってくると意外と口が悪いというか(笑)。

一同(笑)。

伊東 おい(笑)。

安食 いい意味で、思ったことをストレートに言えるところがあって、先輩にも「あれなんじゃないの?」と意外とふざけるところがあります。自分は一緒にいる時間が比較的多いのですが、一緒にいて楽しいです。

伊東 自分も浩士は最初は真面目、という印象が強かったです。高校の時に練習試合をさせていただいた時も、プレーについて聞いてきたり、チームを引っ張ったりしている姿を見て、バレーに対して意識が高くて真面目なんだろうな、と思っていました。大学で生活を共にする中でふざけたり、バレーとは違った一面が見えてきて、第一印象とは違って面白い人だな、と思います。

安食 ありがとう。

――寮住みですか

菅原 ここ3人(麻野、安食、菅原)は寮で。

伊東 実家です。

――寮でしたこと、遊びに行ったことはありますか

安食 前田凌吾さん(スポ2=大阪・清風)とか、虎太郎さん(畑、スポ2=福井工大福井)の部屋でゲームをしたりしています。

――プライベートで上下関係はあまりないのですか

安食 最低限はありますが、「気にしなくていいよ」と(先輩方が)言ってくださっているので、仲良くしています。

――同期の間で、面白いエピソードや印象深い出来事はありますか

菅原 寮でご飯をもらうときは、盛ってもらったものをもらうのですが、大谷(陸、スポ1=埼玉・川越東)が初回の時に、何も入っていないジャーを開けてご飯を探していたのが面白かったです。

安食 それでいえば、陸(大谷)は天然というか、抜けているところがあって、違う大学さんの体育館を使わせていただいたときに、ロッカーは使用禁止という意味でテープが張ってあったのに、そこを無理やり開けようとしていたと聞いて(笑)。

伊東 100円かかるわとか言っててね(笑)。

安食 それは抜けてるなあ~と思いました。見ればわかるんですけど、テープが明らかに違うので(笑)。

バレーボールについて

対談中の麻野(左)と菅原

――バレーボールを始めた時期と、そのきっかけについて教えてください

伊東 自分は小学校3年生のときにバレーボールを始めました。きっかけは、家庭の事情で兄と鹿児島県の屋久島に2人で留学に行ったときに、友達からバレーボールに誘われて、始めて、好きになって、東京に帰ってきてからもずっと続けているという感じです。

――伊東選手は都内出身とのことですが、なぜ山梨県の高校を選んだのですか

伊東 全中の時に、日本航空の先生が声をかけてくださったのがきっかけで、将来のことを見据えたうえで、山梨の高校を選びました。

安食 自分は山形出身で、バレーを始めたきっかけは、一応こういうことを聞かれたときは姉の影響と答えているのですが。本当は、小学校1年生のときに、当時の6年生の代が全国大会に行って、負けてしまったのですが、そのあとにみんなでディズニーに行っていたのが羨ましくて始めました(笑)。小学校は、県内では強いほうだったので、毎年必ず行けるわけではないのですが、勝ったら東京に行ける、つまり勝てばディズニーに行けると思って、バレーをはじめました。

麻野 自分は小学校3年生からバレーをやっています。始めたきっかけは、両親がバレーをやっていたのと、お兄ちゃんが出場した春高を観に行った影響で自分もその舞台に立ちたいと思ったことです。

菅原 自分も小学校3年生のときに始めました。そのときは幼馴染や友達に誘われて始めました。

――山形県は春高の代表校が山形中央高と山形南高で年によって違いますが、なぜ山形南高を選んだのですか

菅原 単純に高校卒業後の進路、大学について考えたときに、中央は体育科に主に人を集めているのですが、山形南は進学校のような感じなので山形南にしました。あとは、やはりその近くの年に春高やインターハイに出ていたことが大きかったです。

――早大に進学を決めた理由を教えてください

菅原 高校時代は1年生のときの春高と、3年生のときの国体しか結局3年間で全国大会に出られなくて、自分の中ではもっと高いレベルでバレーボールを続けてみたいと思いました。また、さっきも言った通り、大学でも勉強も続けたいなと思ったので、そういった実績のある早大に行こうと思いました。大きな要因の一つは、今年の3月に卒業した芳賀雄治さん(令5商卒、山形南)が山形南から早大に行ったことです。芳賀さんも成績がよくて、(早大に)推薦で行く、ということでそこのラインがあって自分も行きやすかったです。今年のお正月に芳賀さんが帰省したときにいろいろお話させてもらって、早大についても聞かせてもらったので入学しやすかったです。

麻野 自分が(早大を)選んだきっかけは、この大学はいろんな高校から優秀な選手たちが来るところなので、レベルの高い環境でバレーボールができるということが一番の理由です。あとはスポーツ科学について学んでみたいなと思ったことも理由の一つです。

――東山高校から早大に来る人は珍しいですね。いつから早大を意識していましたか

麻野 初めてですね。もともと大学に行くなら早大に行こうと思っていて、ちょうど声がかかったので「よし、行こう」という感じで決めました。

安食 中学校1年生のときに高校1年生だった水町さん(泰杜、スポ4=熊本・鎮西)がずっとあこがれの選手で、中学校3年間も、高校3年間もずっと見ていて、その自分の好きな選手が早大に行く、というところが1番大きかったです。それとともに、自分も高校で日本一を目指すために宮城県の高校に入って活動していたのですが、3年間で全国大会は自分の代の時にしか行けず、目標を達成することができなかったのが悔しかったので、大学の中でもトップレベルの早大に進学して、自分もその中でレベルアップしたいという思いが強く、進学しました。

伊東 自分はもともと早大進学を希望していて、体格的にも大学ではバレーボールをする気はなかったのですが、一度バレー部の練習を見学させていただいたときに、もう一度、大学でもバレーボールで日本一を目指して頑張りたいな、という気持ちを持ったので、早大に入学して、バレー部にも入ろうと決めました。

――菅原選手は芳賀さんがいらっしゃったとのことですが、他の方は早大の先輩たちとはもともと交流がありましたか

麻野 自分は達宣さん(大塚、令5スポ卒=現パナソニック)とシニアの合宿で一緒になって、すごく仲良くさせていただきました。「早稲田いいよ」って言ってもらったのでそれもあって決めました。あとは、合流前にフランス遠征に行かせてもらって。泰杜さん、大貴さん(山田、スポ4=静岡・清水桜が丘)、怜音さん(荒尾、スポ4=熊本・鎮西)がいて、そのときも仲良くさせていただいたので、練習もスムーズに入ることができました。

――山田選手にいじられていた、とお聞きしました

麻野 え、自分がですか。自分がいじられているほうですか?

――逆にいじっていた?

麻野 いじってないです!特にいじられている自覚はなかったです。

安食 浅野翼さん(スポ3=宮城・東北)が先輩でいて。自分は推薦をもらえるかもらえないかが瀬戸際だったので、他の推薦をもらった人たちよりは遅く、ぎりぎりでもらいました。一応、翼さんから話は聞いていたのですが、自分が行きたいという思いだけではなかなかもらえなかったという部分があって。その中で、早大の練習に一度来させていただいて、やっぱり早大でやりたいと思いました。松井先生とお話をして、まあなんとか・・・という感じです。翼さんのサポートもおそらくいろいろあったのだろうと思います。

伊東 特にないですね・・・。今の先輩方とのかかわりは、凌吾さんと練習試合でやったくらいですかね。

――高校のチームと、早大のバレースタイルに違いは 

麻野 東山はテンポを意識していて、パワーとか高さというよりは、機動力を生かすチーム、速さで翻弄するチームでした。早大は比較的ゆっくりめですが、ミドルブロッカーとしての役割は変わらないです。基本リードブロックなのでブロックで仕掛けるとかはあまりないですが、自分もシニアとかで選ばれたときの課題で横のスピードは意識している部分なので、大学でも練習しています。

菅原 高校では3年間通して、自分以外に180センチ以上の選手がいなくて、すごく小さいチームだったので、レシーブなど粘り強さがありました。高校3年生のときは自分が打つしかなくてハイボールを打っていたので、堅斗はゆっくりと言っていましたが、早大に来て自分の中では結構速いかなという(笑)。

安食 自分たちの代での武器としては、攻撃力とブロックというのを挙げていて、平均的に身長が180後半くらいのチームだったので、高さを生かしたバレーをしていました。テンポがめちゃめちゃ速いというわけではないですが、ブロックで勝負していく、仕掛けていくというチームで。リードブロックはほとんどやっていなかったですね。早大は基礎を大切にしていて、自分は少し勘でやっているところがあったので、そこは今大変です。たくさん課題があって、プレーを見ているとひとりひとりうまいし、バレーのスタイルも確立されているので、これから頑張っていかないといけないと思っています。

伊東 自分の上の代が春高で優勝していて、そのときはレシーブ力がすごくあって、チーム全体で一本目の意識が練習のときからありました。ブロックとレシーブの関係を意識してやっていたので、早大も吏玖さん(伊藤、スポ4=東京・駿台)や怜音さんがすごく意識してコミュニケーションを取っているので、そういう点では似ているのかなと思います。あとは、それぞれの長所で戦うということを松井先生がおっしゃっていて。高校でもそれぞれの長所を生かして優勝できたという共通点があります。

――実際に練習や合宿に参加してみて感じたことを教えてください

安食 合宿で感じたのは、大人な対応をしなければならないということです。高校生はある程度先生たちがプランを決めて、カテゴリーが上の方でもなんでも先生が中心となってやるのですが、早大は学生の主体性を感じて、大人の方との対応も遠征のプランもすべて学生たちが組んでいて。そこがまず驚きました。松井先生は、周りを見て常に気をつかえる人になりなさい、企業さんとやるときは相手をしてもらっているという感謝の気持ちをもってプレーしなさいとおっしゃっていて。そういった面ではマナーというか、大人としての当たり前を求められるという意識の高い集団だなと思います。

――先輩方、特に今年の4年生はどのような存在ですか

伊東 自分たちが中学、高校のときに「すごい」と言われていて有名だった選手たちが4年生にいて、プレーでも頼れる存在ですし、優しいので生活面でも安心できます。泰杜さんたちがいる間に自分たちが入学できてよかったなと思います。

安食 もう、尊いです(笑)。学ぶことが多すぎて、ひとつひとつのプレーすべてに意味があるように見えるというか。実際に考えてプレーしている人はあんまいないと思うのですが・・・

一同 ・・・?

麻野 そんなことはないだろ(笑)。

安食 あ、違うか(笑)。自分は特になにも考えないでプレーしているのですが、泰杜さんは練習試合を見ていてもそうですし、ただ打つにしても必ず相手のことを考えて先を読んで攻撃をしたり、レシーブに入ったりするのがすごくうまくて。人柄もそうですが、全てにおいて尊敬できる、真似しなければいけないと思わされます。伝統があるチームなので、自分たちもこの1年間試合に出られる、出られないはわからないですが、吸収できるものは吸収してこれからもいい伝統を作っていきたい、つなげたいと思います。

麻野 自分たちが中3のときに高3だったと思いますが、ちょうど入れ替わりで対戦とかはしたことなくて。すごく憧れというか、テレビで見ていた方々なので、一緒にプレーできることをうれしく思います。みなさんすごく優しくて、しゃべりかけてくださるので、理想の4年生ですし、自分たちもそうなりたいと思う存在です。

菅原 プレーでも生活面でもいい意味で余裕がある感じがして。自分が最近ポジションが変わったときとかに、吏玖さんがMBのクイックやブロックの入り方について教えてくださったり、生活面でも話しかけてくださったり、自分のことだけになっていないで視野が広いところがすごいなと思います。

――自分の持ち味や、見ていて欲しいところは 

菅原 今回ポジションが変わったこともあって、OH、MB、OPと幅広いポジションに対応できる、オールラウンダーにこなせるところを強みにしていきたいです。

麻野 身長があるのですが、その中でも動けるということが取り柄だと思っています。左のミドルブロッカーってなかなかいないと思うのですが、そのなかでもブロードは効果的に決まっていると思うので、見ていて欲しいです。

安食 持ち味か・・・。しいて言うなら、ジャンプ力かなと思っていて。トレーニングも個人的にしているのもあって、ジャンプ力を生かした攻撃が自分の中では武器なので、生かしていきたいです。

伊東 ひとつのボールに対する執着心は誰よりもあると自分では思っていています。大学のボールの重さにはまだ慣れていないので、怜音さんや駿さん(布台、社4=東京・早実)のプレーを見て吸収して。中学の時から怜音さんみたいなリベロになりたいと思っていたので、そうなれるように4年間を通して頑張っていきたいです。

――春リーグに向け、今のチームの様子はいかがですか 

安食 ピリピリという感じではなくて。緊張感はあるのですが、雰囲気を大事にしている感じです。

麻野 メリハリが多分すごくあって。試合中はやりやすい空間を作ってくださっています。プライベートのときは話しかけてくださいます。

――大学バレー4年間での目標を教えてください 

伊東 俺、あれ見ました。4連覇でしたっけ。

安食 俺も4連覇で。

伊東 今の新入生はたぶん、全員そう思っています。

一同 (拍手)

――やはり頼もしい1年生でした。ありがとうございました!

(取材・写真 五十嵐香音 編集 五十嵐香音、町田知穂)

1年目の抱負を書いていただきました!

◆麻野堅斗(あさの・けんと)※写真右

2004(平)年12月24日生まれ。207センチ。最高到達点345センチ。京都・東山高出身。スポーツ科学部1年。出てきた課題を克服し『成長』します!代表に選ばれることがあれば、その合宿でも成長しチームに還元することを目指します!

◆安食浩士(あじき・ひろし)※写真中央右

2004(平16)年6月2日生まれ。185センチ。最高到達点343センチ。宮城・東北高出身。スポーツ科学部1年。人間としても成長できるよう、『不屈』の精神であきらめずに突っ走ります!

◆伊東昌輝(いとう・あきら)※写真中央左

2004(平16)年4月8日生まれ。168センチ。最高到達点305センチ。山梨・日本航空高出身。商学部1年。2021年度の春高では、優勝を経験しベストリベロに輝きました!さまざまな土地、高校から選手たちが集まる早大では、さまざまな価値観、意見があるのは当たり前。『協調性』を持つことですり合わせ、よいチームを作り上げます!

◆菅原啓(すがわら・ひらく)

2004(平16)年4月8日生まれ。193センチ。最高到達点333センチ。山形南高出身。教育学部1年。まずは1年生の仕事であり目標である、練習の環境を『整』えることを完璧にこなします!