大塚達宣の世界と戦うメンタル 子育て後編「達宣らしく、大好きなバレーを楽しんでほしい」

男子バレーボール

 「素直で謙虚な子。それは家族の仲が良く穏やかな環境で育ったから」。今回の連載を行うにあたり大塚達宣(スポ3=京都・洛南)の人柄について問うと、必ずと言っていいほどこう返ってきた。どれだけ高いステージに行こうとも、変わらず素直さや謙虚さがあるのは、幼い頃からの家庭環境が関係しているのだろうか。「本当にごく普通の家庭で育っただけなんです。達宣がここまで来られたのは周りの方々のおかげなんです」と母親の淳子さんは何度もそう言った。淳子さんが話す『ごく普通の家庭』とはーー。今回は小学6年生から現在までの後編をお送りする。

お母さんも頑張る

エリートアカデミーの合宿から持ち帰ってきた栄養士監修のプリント

 小学6年生の頃、将来の日本代表チームにつながる有望選手発掘を目的に行われた「JVA男子・女子エリートアカデミー合宿」に参加し、ハイレベルなプレーだけでなく、栄養についても学んだ。合宿から帰ってくると、栄養士が監修したプリントを持ち帰ってきた。そこには、成長期を迎えるアスリートにとって栄養のある食事がいかに重要かが書かれていた。「母親としてできることは、生活面でのサポート」と、愛息のために本格的に栄養を学ぶようになった。成長期である小学6年生にとって大切なのは乳製品。身長を伸ばすのに不可欠なカルシウムやタンパク質が含まれているからだ。毎食牛乳やチーズなどの乳製品を取り入れた料理を作った。また、毎日補食として一口サイズのチーズやおにぎりも持たせていた。淳子さんの食事面でのサポートもあり、小学6年生時から高校入学時にかけて身長は30センチ伸び、190センチ台に乗った。

高1で初の世界の舞台「すごい人たちがおった!」

 勉強にも力を入れてきたため、進学校である洛南高校に入学。大学進学に力を入れるクラスであったため、学校の授業について行くのは大変そうだったが、勉強も部活も手を抜かずに取り組んでいた。

 高校1年時、日本代表に召集され、とうとう世界を相手に戦うことができた。第11回アジアユース男子世界選手権大会(U-19)に出場した。同じ代表には、宮浦健人(令2スポ卒=ジェイテクトSTINGS)や中村駿介(令2スポ卒=パナソニック・パンサーズ)、西田有志(ジェイテクトSTINGS)など、名だたる選手が揃っていた。「『いい経験をさせていただいてありがたいね。少しでもチームの役に立てればいいね』と話していたが、YouTubeで配信されていた試合を観たら、出場していてびっくりした(笑)」と当時を振り返る。1年生ながらスターティングメンバーとして出場し、攻守で活躍した。結果は優勝。だが、世界には自分よりももっと体格が大きく、技術のある選手たちがいた。そのときもバレーを始めた小学生の頃のように目を輝かせて帰ってきた。「すごい人たちがおった! 僕なんか体も弱いし、もっと強くなりたいな」。日本代表に選出され試合で活躍したのはもちろんだが、小学生の頃から変わらずバレーを楽しく続けられていることが親として何よりもうれしかった。

悩みはない?

春高優勝後、父(左)にメダルをかけた

 自分よりも強い相手が現れたとき、劣等感を抱くのではなく、むしろ成長する機会ととらえていた。力不足を感じて悩むことはないのだろうか。「『何かしんどいことないの?』と聞いても『全然ない』と言われ、話が繋がらないことがある(笑)。けがをしたときも大事な試合で負けてしまったときも、ちゃんと受け入れていた」。腹筋の肉離れを起こし練習に参加できなかったときは、チームのサポートに回ると意気込んでいた。2年時の全日本高等学校選手権大会(春高)や3年時の全国高校総体(インターハイ)であと一歩のところで優勝に届かなかったときは、落ち込むのではなく「自分が決められなかったから、次は決められるように頑張る」と次にすべきことを考えていた。試練の時期もあったが、自力でその壁を乗り越える過程を見守っていた。試練の時期を経て、最後の春高では優勝。うれし涙を流す息子の姿を見て、自分の中でプレッシャーやエースとしての責任を背負ってきたのだと感じた。

日本代表に選出、そして五輪へ

 大学に入学してからは離れて暮らすようになったが、毎日家族で連絡を取り合っていた。小さい頃から変わらず「楽しいか?」という両親の連絡から始まり、大学生活やペットのハリネズミの話題など、変わらず家族での会話を大切にしていた。

 早大バレー部に入部して早々にスタメン入りし、チームの得点源となった。特にその活躍が光ったのは、黒鷲旗全日本男女選抜大会(黒鷲旗)。苦しい場面で大塚が得点を量産したことで、早大はVリーガー相手に勝利を重ねた。「あの場面でトスを上げてもらえるのは幸せな子やなと。先輩たちにも信頼されているのかなと思って安心したし、うれしかった」。

 大学での活躍が評価され、昨年度の男子日本代表チームに選出された。さらに五輪出場が懸かる今年度もメンバー入り。家族は驚きや緊張を隠せなかった。本業ではないオポジットでの起用が多かったFIVBネーションズリーグでは「ポジション間違ってへんかな(笑)。お兄ちゃん緊張してへんかな?」と言いつつも、家族3人で勇姿を見守っていた。その間も家族で連絡は取っていたが、試合の内容や五輪については触れず「頑張っていたね」「笑顔が良いって言ってくれていたよ(笑)」といった、いつも通りの何気ない会話を交わしていた。

 ネーションズリーグでの活躍もあり、厳しい五輪代表メンバーの選考を勝ちぬいた。自分よりも強い友『達』に出会い東京五輪出場の目標を『宣』言してから9年後、その目標を『達』成した。

いい意味でバレーばかになりたい

 全力で楽しみ、どこまでも貪欲に高みを目指してきたことが大塚の強さにつながっているだろう。「達宣は、いい意味でバレーばかになりたいとずっと言ってきた。バレーが好きな気持ちは誰にも負けないと自負している」と淳子さんは話す。小学校3年生の頃から、寝ても覚めてもバレーが好きだった。『好き』という一心でどんどん高いステージへ駆け上がり、とうとう憧れてきた五輪の舞台へたどり着いた。テレビ越しから勇姿を見守っている。「達宣らしく、大好きなバレーを楽しんでほしい。好きなことを続けてくれてありがとう」。

(記事 西山綾乃 写真提供 大塚淳子さん)

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