【連載】『平成29年度卒業記念特集』第19回 加賀優太/男子バレーボール

男子バレーボール

自分らしく貪欲に

 秋季関東大学リーグ戦(秋季リーグ戦)完全優勝、全日本大学選手権(インカレ)優勝。華々しい戦績で早大バレー部は今季を終えることとなった。その全試合で、唯一の4年生スタメンとしてコートに立ち続けたのは、加賀優太(商=東京・早実)。MIP賞を始め数々の賞を受賞した。「めちゃくちゃプレッシャーがあった」と笑顔で語る彼は、早大で誰よりも色濃い4年間を過ごした。

 きっかけは「サーブが入らなかったこと」。兄が先に始めていたバレーボールを、よく付き添いで見学していた加賀。みんなが簡単そうに打っていたサーブを打てなかった悔しさから、加賀のバレーボール人生は始まった。常に明確な目標があったからこそ、きつい練習をひたすらに地道に続けることができた。兄のあとに続いて、勉強も運動も両立できる早稲田実業高校に入学。高校でバレーボールをやめようと思っていたが、中学時代から意識していた喜入祥充(スポ=大阪・大塚)がスポーツ推薦で早大に入学することを知る。「喜入がいるならもう少し続けてみようかな」と思い、大学でもバレーボールを続けることを決意。早大のバレーボール部へと入部した。

最上級生として常にコートを盛り上げてきた加賀

 入部当初はなかなか試合に出られず、苦しい思いもした。大学の勉強とバレーボールの練習との両立は決して楽な道でなく、想像以上につらい毎日だった。同期が先に試合に出場していい成績を残す姿をみて、何度も葛藤した。「いま(バレーボールを)やめれば、楽になれるかな」という考えが何度も頭をよぎった。それでも加賀は、挑み続けた。試合に勝利するたびに、うまくなりたいという気持ちがあふれてきた。粘り強いレシーブと迫力あるバックアタックは、彼がずっと積み上げてきた練習のたまものだ。

 自分の良さについて「ムードを変える力がある」と加賀は言う。その良さが十分に発揮されたのが、大学2年次の全日本大学選手権(インカレ)準々決勝、龍谷大戦。田中健翔(平29スポ卒=熊本・鎮西)の直前のケガにより、チームは非常に苦しい状況だった。2,3セットを連続で奪われる厳しい試合展開のなか、加賀は4セット目の中盤でこれまで経験のなかったライトとして急きょ出場。当時のセッター、山口頌平(平29スポ卒=現堺ブレイザーズ)などに助けられながら活躍をみせ、見事チームを勝利へと導いた。「大学4年間の中で1番チームを救えた試合なのかなと思う」と加賀は当時のことを振り返る。その後も常にチームの雰囲気に気を配り、コート内でたくさん声を出す加賀は、非常に頼もしい存在となっていた。4年生になると、「自分がチームをを引っ張っていかなくては」という気持ちで試合に臨むようになり、秋季関東大学リーグ戦(秋季リーグ戦)や全日本大学選手権(インカレ)ではコートキャプテンとして下級生を支え続けた。

 V・プレミアチーム入団の誘いを断り、加賀はバレーボールの第一線から退くこととなった。「最高のかたちで終わることができたので、(V・プレミアチーム入団を断ったことについて)まったく後悔はない」と言い切る姿はとても清々しい。今後も「バレーボールで日本一をとったように、就職後も新たな目標に向かってつき進んでいけたら」と語る加賀は、これからもさまざまな試練に挑み続ける。

(記事 松谷果林、写真 杉山睦美)