【連載】『平成27年度卒業記念特集』 第30回 福山汰一/バレーボール

男子バレーボール

考え続けるスマートな主将

 「バレーを始めて、どんなプレーでもきれいにやりたかったんですよ。スムーズにゲームを進めていきたい中で、高校も無駄な動きをしないという感じでした」。福山汰一主将(スポ=熊本・鎮西)はこう言って、クスッと笑った。試合中はあまり表情を変えずにクールな印象を受けるが、コートの外では明るく取材に応じてくれる。その語り口は理路整然としていて、要領のよさがうかがえた。そんなキャプテンについて、チームメートの小林光輝(スポ1=長野・創造学園)は以前このように話したことがある。「頭が良いというかスマートで、バレーボールというのを知っています」。どうすれば大学日本一という目標に最短で到達できるのか。常にそれを考え続けた4年間だった。

 友人に誘われて中学からバレーボールを始めると、鎮西高校時代は全国大会で活躍。複数の大学から声が掛かったが、その中で進学先に選んだのは早大だった。高校時代は自主練習が多かったため、選手の自主性を重視するチームカラーに共感したからだ。入学してすぐにレギュラーになると、その翌年には大学日本一を経験する。順風満帆にきたが、3年時は結果が出ない。「チームとして目指している位置がバラバラになってしまいました」と話し、メンバーの考えにずれが生じているように感じることもあったという。当時の4年生がチームをまとめるのに苦心している姿を見ながら、先を見据えて自身のプレーに専念していたことを打ち明けた。

全日本大学選手権の3位決定戦でMIP賞を獲得し、仲間に祝福される福山

 そして、四度目の春が訪れた。歴代の主将が着けてきた背番号1のユニフォームに袖を通す。同期は阿部あずさアナリスト(スポ=神奈川・洗足学園)のみで、キャプテンに就任するのは自然な流れだった。一体感に欠ける部分があった前年度の反省から、最初にチームの意思統一を図る。それぞれに個人的な目標を立たせるとともに、4年生二人がチームの方向性を示した。この時点で福山はどの時期までに、どの技術を、どのレベルまで引き上げるのかということまでイメージできていたという。「最初に自分の頭の中で考えていて、割り振りながらできました」。松井泰二監督(平3人卒=千葉・八千代)から助言を得ながら具体的な練習内容を考案し、アナリストが割り出したデータを積極的に活用する。チームの状態を把握することで視野が広がり、試合中に問題点を修正できるようになった。

 こうした取り組みは成果となって表れる。春季関東大学リーグ戦の2位からはじまり、東日本大学選手権では優勝、そして秋季関東大学リーグ戦は4位。監督不在の状況も少なくなかったが、福山はリーダーシップでチームを束ねた。昨年12月に行われた全日本大学選手権では準決勝で中大に敗れるも、明大との3位決定戦にフルセットで勝利する。この試合では安定した守備からセンターを中心にコンビバレーを展開し、チーム方針に沿ったゲームとなった。同大会で3つの個人賞を獲得し、後輩やスタッフと笑顔で喜びを分かち合ったキャプテン。周囲の状況を分析して最善策を考えながら過ごした四年間は、鮮やかに幕を閉じた。

 インタビューの終盤に、早稲田大学バレーボール部とはどのような場所なのか尋ねた。思案顔になり、十数秒の沈黙が続く。そして、そっと顔を上げて「率直にいいですか」と切り出した。「自由な場所じゃないですかね。プライベートでも厳しいことはないですし、部活においては学年が上がるにつれてメニューを考えることであったり、プレーであったり自分のやりたいことがやれます。自分の長所を伸ばせるところですね」。早大は自分の考えを実行に移せる最適な環境だった。また、人間教育を大切にしている松井監督や、自身を慕う後輩たちとの出会いも大きかったに違いない。特に唯一の同期である阿部に対しては、「データと仕事をやらなければいけなかったので大変だったとは思うんですけど、最後までしっかりやってくれて本当に同期で良かったです」と感謝の言葉を口にした。今後は国内トップリーグであるVプレミアリーグのジェイテクトSTINGSでプレーする。出場、レギュラー、全日本代表――。スマートな男はすでに次なるビジョンを描いている。

(記事 渡辺新平、写真 谷口武氏)