【特集】新歓号特集『寺川俊平アナウンサー独占インタビュー』<後編>

ア式蹴球特集

 サッカーW杯。サッカー選手なら誰もが一度は出場を夢見る舞台だ。昨年、カタールの地で行われたW杯にて、日本代表が、強豪国を下し勝ち進んだ姿は、日本中の多く人々の目に焼き付けられたことだろう。そんなW杯に憧れを抱くのは何もサッカー選手だけではない。今大会、ABEMAで実況を務めた、早稲田大学ア式蹴球部(ア式)OB寺川俊平アナウンサー(平22人卒)もまた、W杯の実況中継を目標としていたのだ。日本代表戦を含む多くの試合を実況した寺川氏に、W杯での経験やア式時代の思い出、自らの今後について語っていただいた。

※この取材は1月25日に行われたものです。

 

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――アナウンサーになってから一番苦労したことを教えてください

 仕事がなかったことですね。入って丸4年間いわゆるレギュラー番組みたいなのがなくて。私は多少調子に乗りやすいタイプの性格なので、「アナウンサーになったらちょっと派手な感じのいいポジションがあるでしょう」と思っていました。僕の初志は「ワールドカップで実況すること」でした。だから私はサッカー実況を、ワールドカップ実況をしたくて、その手段がアナウンサーしかなかったということなんです。それなのにちょっと欲が出て、「なんか良いポジションに就くだろう」と思っていたら、4年間何もなく(笑)。これは最初の2年ぐらいは非常にきつかったです。やっぱり昔の同級生とかに会うと「テラ、アナウンサーなったらしいな。何出てるの」と聞かれると、答えるのに困りました(笑)。まあ仕事がなかったというのは、半分嘘で半分本当で、放送席で色々な実況アナウンサーの横にいて、サブアナ(サブアナウンサー)という実況見習いみたいなことをしていました。そこで「いつかやらせてください」と思いながら、ひたすら先輩たちの実況を聞いていました。もちろんすごく早めに実況デビューもさせてもらったのですが、地上波の日本代表戦というメインストリームからすごく程遠いところを歩いてしまっているなという実感もありました。  その一方で、レギュラー番組がない4年間は結構苦しかったです。石の上にも3年と言うけれど、4年目もまだわからないじゃんと思って。5年目の最初に情報番組のリポーターに就くことができました。「お前自分から言っていかないと何にも就けないぞ」と言われて、「これやらせてください」と言ってやるようになりました。そういう4年間を過ごしているから、気づいたら誰かに求められていることにすごく喜びを覚えられるようにはなっていました。だからそこから先、だんだんキャリアを積むにつれて、寺川と仕事がしたいって言ってもらえることへの喜びが、華々しくデビューしていた人たちよりすごくハングリーだったこともあって、そこにとてつもなく感謝の思いがありました。 現場はみんなと一緒に作っているんだという実感が私にとって、何よりも幸福な時だという、そういう価値観の醸成につながったかなという感じはあります。

――サブアナをしていた時に、この人の実況がいいなと思う方は誰かいらっしゃいましたか

 テレビ朝日のアナウンサーはみんな上手なんです。自分にできないことができている人がいたら、できるようになりたいし、できるようになっていない自分にとても腹が立つじゃないですか。サッカー実況で言ったら、吉野真治アナウンサーの牙城をどう崩せばいいんだっていうところを考えていました。10年くらい先輩の資料の作り方とかここは学べるなという感じで(笑)。けれど、なかなかうまくもいかず(笑)。元々持っている声のポテンシャルとかも人それぞれ全然違うから、同じようにやろうと思っても到底できませんでした。だからこんな感じで、すごいなとか悔しいなって思うことがたくさんあって、それはそれぞれ先輩全員に対してありました。  例えば野球を主に担当している清水俊輔アナウンサーについては「こんなに綺麗に声が突き抜けるんだ」という発声であるとか、体言止めで並べるとこれだけ綺麗に聞こえるんだとか、単語の並べ方でこれだけ印象的な実況を作れるんだとか、と思っていました。割と近いところで言うと大西洋平アナウンサーや野上慎平アナウンサーとか、実況アナウンサーの先輩たちからは、相当色々なものを学ばせてもらっている感じはあるかもしれないですね。

――サッカー実況を行う際、自分の中で準備をする時に大切にしていることや、自己流で確立できたことはありますか

 今回で言えば、まず1つ必ずあるのは見てくださっている人たちが欲しい情報はどういう情報かということです。ABEMAでしゃべるのと、地上波でしゃべる、CSやBSでしゃべるのは全部ちょっとずつ違ってきます。だからこれを分かりやすく説明するためにはどう考えたらいいのかなという準備は必ずするようにしています。データなどを集めた資料を一応持っておくのは、安心材料みたいなものです。資料にあるのはデータ系ですね。全部の数字はさすがに覚えられないです。どういう選手かということはなんとなく言えるし、自分の頭の中で解決できることもあるのですが、 数字に関しては、やはり間違えてお伝えしてはいけないので、そういう数字系のものがいっぱい書いてあります。

――ピッチ上の選手の判断は背番号でするのでしょうか。それともプレーでするのでしょうか

 どちらもあります。スタジアムの放送席はとにかくピッチから遠いのですが、日本でテレビを見ている人の映像はとてもいいポジションにあるカメラで、現地の私よりもよく見えています(笑)。国際大会だとしゃべりながら再度記憶していく作業をすることはあります。でも、背番号で判断することが多いです

 

ワールドカップで使用した資料を手に話す寺川氏

 

――実況を志した理由がワールドカップで実況をしたかったからだと仰っていましたが、その目標が叶った今、どのような心境ですか

 目標を1回失って、日本に帰ってきてから完全に燃え尽きていたと思うんですが、それでも身の回りでちょっと色々なきっかけがあって、燃え尽きている場合ではないなと。もっとキラキラしていないとだし、もっとギラギラしていないと、と思わされることがありました。そう思っていたときに、ちょうど、「Number」という雑誌(Sports Graphic Number 1067号 「日本代表2026年への決意。Road to the Next World Cup」)の取材があって、2026年の事を考える取材でした。その取材に来てくださったのが高校の先輩であり、高校・大学の部活の仲良かった1年後輩のお兄さんで、早稲田大学のスポーツジャーナリズム論の授業をやっている寺島先生のご子息という、非常に繋がりの強い方が来てくださいました。その方と話していたら、もう1回やりたいと思えるようになりました。これは後輩たちが聞いたら卒倒するかもしれないけれど、日本戦全部、開幕戦から決勝まで全試合実況したくなりました。ABEMAでまた放送するかもしれないとのことですし、本当にできるのかはわかりませんが、言霊を信じて、もう1回、もっと良いものを出したいなと思います。今回いろいろ自分の中で反省もありますから。もう1回3年半後、ワールドカップをやりたいなと思って。そんな未来が来たらいいなと思っています。アナウンス部のサッカー実況をしている後輩たちの良い壁になりたいと思います。それを考え始めたら、気持ちが前に向かって行き始めました。一気に燃え尽き感が無くなってきました。  だから私は、今4年後に向かっているし、世の中からはインターネット中心の時代だとかって言われているけれどもっと言うとテレビ局という所にいて、どこかで「ちょっと上手くいかないかも」と思っているから、そっちに向かって行っているのではないのと思い始めています。だったらすごく面白い未来を想像するために、今動き出したら面白いんじゃないかと思い始めたから、まずは小さいことから始めたいです。今私はアナウンス部に所属していて、ちょっと人数としては多いけれど、組織としてはそんなに規模が大きくないように見える所ですが、アナウンサーという仕事の関係上諦めていることって多分いっぱいあるんです。それは、なぜなら誰かからオファーをもらってする仕事だし、自分から仕事を創出することは基本的にできないとされている部分が多いからです。部署自体に予算がないから何もできないから諦めるみたいなことって結構あるんです。出来ないと思っているから諦めているだけで、出来ると思ったらできるんじゃないのって思い始めています。自分もアナウンサーのキャリアの中で次の4年後を目指すために、また自分の中で研鑽を積むその方法は、自分の中で色々考えています。毎日やらないといけないこと、こういう取材に答えるのもその1つかもしれません。もう一方で、まずは大きな意味で会社を変える。その前に、まずはアナウンス部の若手を元気づけることです。ここから始めようと考えているので、もうすでにアイデアを練り始めている段階にきていて、それをどう展開していこうかなって思っています。

――新入生は大学で「こういう未来になりたいから今こういう行動をする」ということを思い浮かべながら入学してくるわけですが、大学生活でのアドバイスは何かありますか

 「ドリームキラーに気を付けろ」でしょうか。会社や家族や様々な組織で、新しいことをやろうとしたときとか、変わったことにチャレンジしてみようとしたときとか、皆が目指したことのないものを目指したりすると、すっと横にきて、「そんなに無理する必要ないよ」とか「このままでいいじゃん」とか言う、そういうドリームキラーに是非気を付けてほしい。その人は、きっと良かれと思って言っているんだけど、次の新しい自分の想像の範疇を越えるどこかに行きそうな仲間を見ると、止めたくなるのが人間。実は身近にドリームキラーって現れやすいんです。だったら、むしろそのドリームキラーのドリームメーカーになってあげてほしいんです。そうすれば、大学生活がどんどん面白くなるはずです。

――仕事をする上で1番大切にしていることは何ですか

大切にしていることは、仕事も1つのチームスポーツだということです。アナウンサーは確かにこうやって表に出る仕事だから、こうして大きな出来事があったら取材を受けることもあるし、そもそも実況でマイクを握っているわけですから私の言葉がそのまま世の中に届けられています。顔も出しているから世の中の人に顔を知ってもらう機会もあるわけですが、それがあくまでも私だっただけで、私の声は音声さんたちがいなかったら世の中に届かないし、カメラマンがいなかったら映像は世の中に出ていきません。チーフディレクターが指示しなかったら、カメラを切り替えられないし、スイッチャーがいなかったらその画も切り替えてもらえない。そういうことを突き詰めていったら、結局みんなで作っていて、そこに上下はありません。みんなでチームで1つの放送を作っているという考え方を忘れないことです。私はよくディレクターとか、違うセクションで同じ仕事に向かってる人たちと話をしたり食事をしたりします。チームで戦っているんだという実感があって、自分の中ではずっと大切にしていることです。

――ありがとうございました!

(取材・編集 髙田凜太郎、板東萌 写真 星野有哉)

新入生へのメッセージを書いていただきました!

 

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♦寺川俊平(てらかわ・しゅんぺい)

東京・暁星高出身。2010(平22)年人間科学部卒業。早大卒業後はテレビ朝日に入社すると、「報道ステーション」のスポーツキャスターなどを歴任。同番組のプロ野球の熱く盛り上がったシーンをまとめた「きょうの熱盛」というコーナーを担当し、人気を博した。今回のカタールW杯では、ABEMATVで、日本戦を中心に多くの試合で実況を務めた。