プレーオフ制度の創設などにより近年注目度が上がるJ2。その舞台に進出し今季5年目を迎えたファジアーノ岡山へと進んだのが、FW片山瑛一(スポ4=埼玉・川越)だ。一般入試でワセダへ入学するという異色の経歴を持つ片山。ケガに苦しんだ大学ラストイヤー、そして新天地での意気込みを話していただいた。
「収穫の多いキャンプだった」
笑顔でキャンプを振り返る片山
――プロでの生活にはもう慣れましたか
大学の頃以上に一つ一つのトレーニングのレベルが高くて、そういった部分の差を日々感じてます。徐々に慣れてきている感じですね。
――岡山の街の雰囲気は
個人的にすごく住みやすくて、好きになりました。
――どういった点が住みやすいですか
自分はまだ車持ってないんですけど、車があればどこへでも行けますし、晴れの日も多くておいしいものも多いのでそういった部分で住みやすいと感じてます。
――いきつけの場所とかはありますか
お昼はいつもきまって定食屋さんに行ってます。何が名物なのか分かんないんですけど、おいしいお店が多くて量も多いので、そういったところを先輩に聞いたり連れて行ってもらったりしてます。
――MF島田譲選手(平25スポ卒=現ファジアーノ岡山)とよく行動しますか
そうですね。いつも一緒です(笑)。
――ファジアーノ岡山へはどういった経緯で入団したのですか
関東大学リーグ戦(リーグ戦)が始まって一カ月くらいして話があったんですけど、ちょうどその時にケガで離脱しちゃって。復帰するのにもかなり時間がかかっちゃったんですけど、その時もケガの状態を心配してくれてました。それで復帰して練習参加して、それで決まったという感じです。
――練習参加は何回ほどされてましたか
クラブハウスを一回見に来たのと、実際に練習参加したのが一回ですね。
――岡山を選んだ決め手は
やっぱりケガをしていたので他にそういった話がなく、その中で熱心に誘ってくれてたので、ですかね。
――どういった点が評価されたと感じてますか
やっぱりひたむきに練習に取り組む姿勢とか、素直に人の意見を聞き入れて吸収するところを評価されたと思います。
――岡山のサッカーはどういったスタイルですか
一人一人がハードワークするという点ではワセダと共通しているかなと思う点がありますし、その上でJ2のチームとして質が求められているかなと思います。
――チームメイトですごいなと思った選手は
フォワード目線だとやっぱり林容平君とかは個の力がすごくて、見習う点がたくさんあります。
――チームメイトで一番仲がいい選手は
結構みんなと仲良くさせてもらってて、先輩とかもみんなフレンドリーなんです。強いてあげるなら…譲くんですかね(笑)。あとは三村君(真)とかとも仲がいいですね。お昼ご飯とか一緒に食べてます。
――やはり大学時代の先輩がいるというのは溶け込みやすかったですか
それはやっぱりありますね。入りやすかったです。
――岡山での練習ではどういったことをこなしていますか
大学の時との違いとしては、判断のスピードが速くて高いです。(ボールへの)タッチ制限とかがあったりして最初は戸惑いましたけど、その中でだんだんと慣れとか、考えるようになりました。今は求められているのを出せるようになってきたかなと思います。
――大学時代と今だとどっちの練習の方がきつかったですか
きつさは…両方きついですね(笑)。でも今は頭を使うことがかなり多いですし、球際のレベルも一つ上の段階でやってるなとは思います。
――練習でもボールへのタッチ数だったり判断の速さが求められてましたが、それはチームの中での決まり事のようなものなのでしょうか
そうですね、ボールを動かすのが基本でそのためには選手が動かなくちゃいけない。そういった部分はことし入ってからチームとしてずっとやってる部分なので、それの質をもっと上げていかないといけないなと思います。
――2月3日に新人研修会がありましたどういったことを学びましたか
プロとしての立ち振る舞いや対応だったり、プロとしての生活や社会人としてどう行動していくのか、の二つを主に学びました。
――テストがあったそうですが
ありましたね。(点数は)大丈夫でした(笑)。ルールテストみたいな感じで、ファウルの種類やオフサイドのパターンのテストです。審判だけが知ってても試合は成り立たないんで、選手にも基本的な部分をという感じでした。
――DF三竿選手(雄斗、スポ4=東京ヴェルディユース)と話しましたか
まあ、「元気にしてる?」くらいの感じでしたね(笑)。
――それでは岡山で有名な小豆島でのキャンプについてお聞きしたいのですが、率直にキャンプを振り返って
本当に倒れそうになりました(笑)。 キャンプ前から先輩たちに話は聞いてて、意外にそういうの強いタイプだと思ってたんですけど、最後の最後でへばっちゃって倒れかけました(笑)。
――キャンプの内容は
自転車で二日間かけて霊場を回っていくんですけど、山を越えてとかあって。山道とかなので太ももにきました。
――テレビで崖を登るシーンがありましたが
はい、自転車担いで崖も登りました(笑)。遍路道いくか、道路で遠回りするかとかいろいろあって、それで遍路道を選んで行くと崖とかになっちゃうんですよ(笑)。それがきつかったですね。
――班は誰と一緒でした
結構ベテランの方が多いグループでした。真子さん(秀徳)だったり新中くん(剛史)だったりがリーダーシップを発揮してくれて、それに負けないように頑張りました。結構まとまりのあるチームだったと思います。
――晩御飯は自分たちで作ったのですか
そうですね。僕たちのグループは二日間ともキャンプ場で作ったんですけど、初日がキムチ鍋で二日目はカレーを作ってみんなで食べました。
――そういうことを通じて選手どうしの仲も深まりましたか
そうですね、やっぱり逆境なので助け合わないといけないですから(笑)。
――ハプニングとかはありましたか
なんだろうな…。自転車が壊れました(笑)。本当にグループに迷惑掛けました。自転車のタイヤが曲がっちゃって、もう進まなくなっちゃったんですよね(笑)。担当の人を緊急で呼んで代わりのを用意してもらって続けました。
――最後はどんな気分でしたか
「終わった」、の一言だけですね(笑)。もう帰れると思いました。
――小豆島でのキャンプでどんなことを得たと思いますか
自分に負けない強い精神力ですかね(笑)。
――その後宮崎でキャンプを行ってましたが、そこではどういったメニューをこなしてましたか
主に練習試合が多くあったので、目的を持ってゲームに入って、そこで得た課題をまた練習で修正しての繰り返しでしたね。
――練習試合の手応えはいかがでしたか
ファジアーノに来て初めて練習試合をしたので、まだまだ連携の部分が個人的にはいまいちだったなと思ってます。ただ日に日にそういうところも合い始めたので、そういう点でもすごい収穫の多いキャンプだったなと思います。
――プロの世界ではレベルも高かったですか
そうですね。寄せ一つをとっても迫りくる圧力っていうのは大学時代と比べ物にならないくらいで、判断のミスで失点につながることもあったのでそういった部分で違いを感じます。
――チームメートのFW陣からはアドバイスなどはありましたか
一つタイミングが合わなかったりしたら、そこは話し合ったりアドバイスをもらったりして修正していきましたね。
――影山雅永監督はどういった存在ですか
すごく真面目な方で、こだわりというか芯が強い監督ですね。ハードワークとかっていうのもぶれずに求め続けているし、尊敬できる監督です。
「個人的にすごく後悔しました」
圧倒的なフィジカルでチームをけん引した
――ア式蹴球部(ア式)に入った経緯は
体育の教員免許を欲しいと思っていた時に、ワセダというのは選択肢の一つにありました。なおかつ、高校サッカーでやり切れなかったという思いがあったため、サッカーが強くて体育の教員免許をとれるところに行きたいと思い、ワセダに決めました。
――高校の頃からプロになろうと考えていましたか
いえ、全然(笑)。
――一般入試の方がア式のセレクションに通るというのは難しかったですか
僕の代は少人数制になっていました。自己推薦だったり、スポーツ推薦や指定校推薦だったり、元から練習に参加している人がいる中で、セレクション組は遅れて選ばれていました。そのため、残りの枠数が少なく、厳しかったです。僕の代では一般生は一人でしたし。
――周りの選手はユースなどでレベルが高い方々でしたが
本当にレベルが高くて、やっていけるかなと思ったのですが、技術の面は抜きにしても、フィジカルなど自分の強みの部分では負けないように頑張っていて、苦手としている部分は4年間で克服していこうと思っていました。
――1、2年の頃を振り返って
最初の頃はCチームでも試合に出られず、ベンチでした。そこから、パス一つこだわるようになると、徐々にプレーをピッチの上で表現できるようになりました。それがさらに自分の自信につながって、と良い循環が生まれてきました。それで少しずつ、周りからの評価も、信頼も得られるようになってきたと思います。
――3年生の時のリーグ戦、順大戦(○2-0)での初ゴールを振り返って
調子も良かったですし、トレーニングの時からゴールに向かっていこうと思っていたため、それが結果として現れた良いかたちだったと思います。
――FWのポジション争いはいかがでしたか
ポジション争いがあったからこそ成長できた部分がとても大きいです。危機感だったり、一回一回のプレーだったり。練習で少しでも気を抜いていたら次の試合に出られないという危機感があって、それを長い間続けられたことが自信につながったと思います。
――関東選抜に選ばれていらっしゃいましたが、そこで得た経験は
普段大学でやっているトレーニング、一人一人の技術の高さを痛感しました。その中でも、ワセダの選手が同じ選抜に多かったため、自分たちの強みを発揮できました。ワセダ色に染めるというか(笑)。
――4年生のリーグ戦で、初めはスタメンでしたが
オフシーズンの間、すごく調子が良くて、その状態でリーグ戦を迎えたかったです。しかし、1、2週間前から、結果として長引いてしまった膝が少しずつ痛くなってきていて、テーピングを巻いてリーグ戦に出るという時期が一カ月くらいありましたね。
――ケガで離脱していた時期については
やはり口惜しさというか、自分に対するふがいなさを感じていました。プレーしたくてもできないという気持ちが常にありました。しかし、復帰したときに、チームのために貢献できるように、今しっかりリハビリをして、強くなって戻ろうというように思っていました。
――いつ頃からボールを蹴り始めていらっしゃいましたか
走ることはできました。切り替えしなど、膝をすごく使うこと以外では調子は上がっていたのですが、それだけが残っていてなかなか復帰できませんでした。
――今は大丈夫でしょうか
はい、今はガンガンできます。
――どのようなお気持ちで最後の全日本大学選手権に臨まれましたか
本当に負けたら終わりですし、関東リーグでは全く貢献できなかったため、連れてきてもらったという気持ちが大きかったです。その分を取り返してやると強く思っていました。
――負けた時はどのようなことを考えましたか
正直、不完全燃焼で、ケガを言い訳に逃げていた部分もあったなと負けた瞬間に思いました。もっと出来たのではないかと個人的にすごく後悔しました。もっと厳しい練習だったり、もっとシュートを打ったりしていれば良かったと感じます。
――古賀聡監督(平4教卒=東京・早実)からはどのような言葉をかけられましたか
僕はプロに進むため、そっちで見せつけてきてくれと言われました。
――大学サッカーの意義とは
大学サッカーでは、人間性の部分で成長したと感じています。学生である以上、自分で収入を得てサッカーをしている訳ではありません。親がいて、親の支えがあったり、OBの方々の支えがあったり、応援してくれる方々のおかげで大学サッカーが成り立っているということをすごく感じました。自分が大学でサッカーをしていることは当たり前ではなく人に支えられているのだと強く感じられたのは、大学サッカーをやっていたからこそです。大学サッカーは、感謝の気持ちを強く感じられる場だったと思います。
――ワセダで一番伸びたことは
サッカーに関する知能です。大学入りたての時はゼロに等しかったのですが、ユースから来ているような、今までサッカーを教えてもらってきた選手たちに教えてもらったり、監督に教えてもらったりしながら少しは成長したと思います。
――古賀監督の印象は
古賀監督が人としての立ち振る舞いを背中で示してくれました。『WASEDA The 1st』を掲げる中で、人としても1stということを古賀監督が体現していたからこそ、自分たちもそれに負けられないとやってこられました。
――ワセダのサッカーについて
サッカーの本質を突くというか、ゴールに向かっていくという意味ではアグレッシブなサッカーを貫いていました。そこは絶対にぶれなかったので、自分なりにワセダのサッカーを体現しようとしていました。
――ア式蹴球部の後輩で期待していらっしゃる選手は
上形(FW洋介、スポ3=東京・早実)ですね。きょねんの終わりに骨折して、今やっと調子も上がってきた段階です。サッカーでも私生活でも仲が良かったので。ストライカーという感じでゴールに向かっていく姿勢や、チームのために体を張ることもある選手なので、それをぜひ4年目で発揮してほしいと思います。得点王を取ってほしいです。
「チャレンジャー精神でがむしゃらに」
コーチに指導を受ける片山
――先日開幕戦が行われて惜しくも0-0のスコアレスドローだったのですが、あの試合を振り返っていかがでしたか
開幕戦ということで独特の緊張感があった中で、自分たちのサッカーができないことも多くあって、その中での出場でその流れを断ち切れたらという気持ちで入ったんですけど、そういった部分で点を奪えなかったということはまだまだ課題です。そういった部分を次に修正して克服していきたいと思います。
――途中出場する際どういう点を監督から言われたりしたのですか
とにかくシュート打っていけということを言われました。点を取らない限り勝てないと思うので。
――ロングスローをする場面がありましたが役割として与えられていたのですか
ロングスローは大学の時には投げていなかったんですけどこっちに来て一つの武器として使うようになってきて、ロングスローからの得点という具体的なビジョンをまだまだこれからつけていかなければならないんですけど、得点の起点になっていけばいいなと思っています。
――ゴール前で惜しいチャンスもあったと思いますが
短い時間だったんですけど、その中で体張る部分であったりボールを前に運んでいくという部分ではできていたことが多かった反面、最後の質をもっと高めていかない限り厳しいと思ったので、そこを日々の練習で取り組んでいきたいと思います。
――開幕戦がホームということでしたが、雰囲気はどうでしたか
独特の雰囲気があった中で、多くの方が応援してくださいました。
――サポーターにはどういった印象を持ちましたか
も
バスでスタジアムに入ったんですけど、その時から応援してくださってすごい心強い方々だなと思いました。
――FWのポジション争いも激しくなってくると思うのですが、その点に関していかがですか
大学の時からそうですけど、競争があって初めて成長があると思うのでそれをプラスに捉えて、その中でスタメンの座であったり試合に出れるチャンスをつかみ取れるように頑張っていきたいと思います。
――同期の三竿選手が湘南ベルマーレで試合に出ていましたが試合後に連絡など取ったりしましたか
取ってないです。
――もし対戦する機会があると思いますが意気込みはいかがですか
絶対に勝ちたいと思います。
――開幕戦を終えてJ2の印象はどのように思いましたか
レベルの高いことはもちろんですけど、その中で守備の部分であったりハードワークする部分はどのチームもしてくるので、そういった部分でさらにファジアーノとしてはハードワークという部分ではどこにも負けちゃいけないと思うので、その強みをさらに磨いていく必要があると思います。
――プレーオフ争いもあって順位も難しく、どのチームにも可能性があるようになってきますがその点で緊張感はありますか
試合数も多くあるので、その中で多くある試合での一試合と捉えるか、大事な一試合として捉えるかで大きな差になってくると思います。一つ一つの試合にかける思いで、まずどこよりも負けないというように最高の準備をしていきたと思います。
――チームの目標はJ1昇格だと思うのですがどのクラブがライバルになってくると思いますか
どこもライバルですね。
――個人での今季のリーグの目標は
具体的に数字としては目標は立ててなくて、プロ一年目としてチャレンジャー精神でがむしゃらにやって、とにかく試合に出てチームの勝利に貢献できるように頑張りたいです。
――やっぱりJ1は憧れの舞台ですか
そうですね。
――きょう日本代表の試合があると思うのですがスコアの予想はどうですか
当てたらすごいですよね(笑)。2-0ですかね。大迫と岡崎が決めますかね。これ当たってたらすごいですよね(笑)。
――最後に今後に向けての意気込みをお願いします
プロ一年目ということでまだまだ伸ばしていかなければいけない部分が多くある中で、日々競争しながら、自分の成長を感じながら自信つけながらJ1昇格に貢献していけたらと思っています。
――ありがとうございました!
(取材・編集 近藤廉一郎、増山祐史、丸山美帆)
『J1昇格』と力強く書いていただきました
◆片山瑛一(かたやま・えいいち)
1991(平3)年11月30日生まれ。180センチ、75キロ。埼玉・川越出身。スポーツ科学部4年。代表戦の予想を2-0とした片山選手。しかし残念ながら結果は4-2に終わってしまいました。次節のジェフユナイテッド千葉戦では代わりに2-0を達成してくれることに期待です!