【連載】『令和4年度卒業記念特集』第13回 渡邊奈美/女子サッカー

ア式蹴球女子

「自分のため」から「ひとのため」へ

 「(ア女を)辞めようかなと何度も思った」。渡邊奈美(スポ=埼玉・大宮開成)はそう語り笑う。調子が上がっても繰り返すケガ、届かない目標。話す表情は柔らかくとも、その言葉には4年間で彼女がぶつかってきた、そして乗り越えてきた逆境がにじみ出る。チームメイトや監督も認める「努力の人」。サッカーを愛してやまない渡邊にとって、ア式蹴球部女子(ア女)で過ごした4年間とは。

 

試合前のウォーミングアップで笑顔を見せる渡邊

 渡邊は自身のサッカーのルーツを鮮烈に記憶している。小学生の時に観た、2010年の男子W杯だ。世界の大舞台で臆することなくプレーするサムライブルーの姿に魅せられ、遊び程度ではあるものの小学校からサッカーを始める。渡邊の中でサッカーは遊びにとどまらなかった。中学ではクラブチームに所属し経験を積むと、高校ではサッカー部で中心選手に。経験者の少ないチームで、ボランチやフォワードなど様々なポジションをこなした。のめり込んでいく中で、渡邊のサッカーへの愛は膨らむ。「やっぱりサッカーが上手い人はかっこいいし、できないことをできるようにするのって楽しいですよね」。小学生の時以来渡邊の中で在り続けたサッカー愛は、渡邊に大学サッカーの道を選ばせるほどに大きくなっていた。

 早大に進学すると同時に、ア女への入部も決めた。入部当初の自身について、「同期に限らずア女のメンバーを“すごい人だ”と思いすぎていた」と渡邊は振り返る。念願のア女に入部したは良いものの、どうしてもチームメイトに対しての過剰なリスペクトがついて回った。サッカーでのプレー面だけでなく日常生活、精神面においても悩むことの多い日々。気軽に相談できるチームメイトも少なく、「何もうまくいかなかった」。ア女をやめたい、とさえ思ったが、同期の近澤澪菜(スポ4=JFAアカデミー福島)の言葉もあり退部を踏みとどまる。それでもネガティブなことばかりのア女に居続けることは、渡邊にとってはいばらの道を歩むことと同義であった。

 苦難の多いア女での生活も2年が経ち、渡邊のマインドに変化が生まれる。1つ学年が上の先輩たちの雰囲気にも助けられ、この頃から積極的に自主練に取り組むようになった。原動力になったのは当時の渡邊が立てた「関東女子リーグ(関東リーグ)出場」という目標だ。ア女は年間で主に2つのリーグ戦に参戦しており、関東リーグは下級生も十分に出場のチャンスがある。懸命に練習に励む渡邊だったが、出場機会はなかなか訪れない。さらには3年生になってすぐに足首をけがしてしまう。維持していたモチベーションは、風船から気が抜けていくように急激にしぼみ、小さくなっていった。

 

相手のボールホルダーにプレッシャーをかける渡邊

 「また(ア女を)辞めようかなって思いましたね」。あれほどまでに努力して入ったア女を辞めていいのか。これまで頑張った日々が無駄になるんじゃないか。葛藤を抱えながら、渡邊は半ば惰性でプレーを続けていた。そんな渡邊を引き戻したのは1つ上の先輩の言葉。やる気のない人とは一緒にやりたくない、そんな内容だった。母親にも諭され、渡邊は自らを省みる。「自分やばいな、何とかしないとなみたいに思ってきて。そこから徐々に変わろう、というように思い始めました」。次こそは。来年こそは。そう言い聞かせ毎日のトレーニングに臨んだ。チームメイトや監督も認めるところとなる、「努力家」としての渡邊の姿がそこにあった。

 迎えた勝負の年。最高学年となった渡邊は、とにかく自己研鑽に励む。すべては試合に出場するため。鮮烈な活躍を見せる同期に、負けてはいられなかった。しかしチーム全体でもけが人が続出したシーズン半ば。渡邊は前十字じん帯断裂の大けがを負う。復帰までの期間はおよそ8カ月。シーズン中の復帰は絶望的であった。渡邊の頭には、4年間幾度となく考えてきた問題が再び浮かび上がってきていた。ア女を、そしてサッカーを辞める。じん帯の断裂は多くのアスリートを苦しめ、その選手生命を終わらせてしまうようなけがだ。ここでスパイクを脱ぐ決意をしても、何らおかしくはなかった。

  それでも渡邊はア女を辞めなかった。ランニングに筋トレ、これまでやってきた練習ができなくなっても、目標を失っても、渡邊の足は東伏見に向かった。そしてピッチサイドに立つ渡邊には、ある変化が起こっていた。「(けがをしていても)やれることを考えた時に、声を出すことしかないなと思って。それでチームのために動けるようになってきたかなという感じです。…それまでは自分のために、自分が試合に出るために声を出していて。けがをしてから、チームのためを思って声が出るようになりました」。渡邊の精神は、引退までの大事な期間をけがに奪われるという悲劇に見舞われても、チームを思うことができるほどにタフに進化を遂げていた。

 ア女は昨季、「全日本女子サッカー選手権大会(皇后杯)ベスト8」と「全国大学女子サッカー選手権(インカレ)優勝」を目標に掲げていた。渡邊はピッチにこそ立たなかったが、懸命に走るイレブンに声をかけ続けた。自分のためではなく、チームのために。入部当初「辞めたい」と何度も弱音を吐いた渡邊とは全く違う姿で、声で、仲間たちの背中を押した。しかし結果は振るわず。皇后杯はベスト16、連覇をかけたインカレでは3回戦に散った。「自分も一緒に戦っている気持ちだったから、すごく悔しくて。もっと上にいきたかったし、いけたなって思いました。」3年時にはインカレ優勝を心から喜べず、「ア女のことが好きじゃなかった」はずの渡邊は、いつの間にかア女を好きになっていた。

 

ドリブルする渡邊。咋季の関東リーグ前期では少しずつ出場機会を増やしていた

 渡邊は長い4年間のア女生活を終え、卒業する。小学生の時から続けてきたサッカーは、何らかの形で続けていきたいと言う。4年間を振り返って、と質問するとにこやかにこう返してくれた。「自分でどうにかしなきゃと思って強くなって今の自分があると思います。4年間で人間になれたというか。自分のことが好きになれたし、ア女に入って良かったなと思いますね」。周囲の言葉に多くを気付かされながらも、自分自身の中で葛藤を繰り返して壁を乗り越えてきた。その経験こそが渡邊の過ごした4年間における、大きな財産となるだろう。

(記事 大幡拓登、写真 前田篤宏)