ア式蹴球部4年生引退コメント集「素晴らしい4年間を経験できた」(平松主将)

ア式蹴球男子

MF平松柚佑主将(社4=山梨学院)

――ア式での4年間はどのような4年間でしたか

 思い通りにはいかなかったことが多かったのかなと思っています。自分たちの代はコロナで始まったこともあり、思い描いていたものとはだいぶかけ離れたものになってしまいましたし、サッカーの結果でも2部に落ちたり、ケガが続いて、それでもみんながいたからやれたというのはみんなが思っていると思うのですが、素晴らしい4年間を経験できたのかなと思っています。

――ア式で一番成長できたところを教えてください

 成長できたかは分からないのですが、自分で考えるというところは常に意識してやってきて。そこは自分の中で、新たに考えられるようになったところだと思います。

――主将になった今季、一番大事にしていたことは何ですか

 つながりという部分です。例えばBチームの試合の応援に行くということもそうですし、逆にいくことで自分が活力をもらえる部分もありました。そこのつながりのところは自分が後輩たちに残せたものかなとも思います。

――ア式での一番の思い出は何かありますか

 いっぱいあります。でも4年生になってから勝った試合です。いろんな重圧がある中で、4年生としてやっぱり勝てた試合はどれも印象深いです。

――後輩たちに期待することは

 外池さん(外池大亮前監督、平9社卒)の体制から兵藤さん(兵藤慎剛監督、平20スポ卒)の体制になって、いろいろ変わった部分もあると思いますが、日本をリードする存在になるというところは変わらず目指してほしいです。

――同期へメッセージをお願いします

 一言、「同期愛」でお願いします!

 

MF植村洋斗副将(スポ4=神奈川・日大藤沢、J1・ジュビロ磐田内定)

――引退された今の率直な気持ちを教えてください

 4年間が本当にあっという間だったなと思います。プロになるために早稲田大学ア式蹴球部に入って、いろいろありましたけど、結果としてプロになるという大学での一番の目標をかなえられたので、すごく充実した大学生活だったかなと思います。

――今シーズンは副将としてチームを引っ張ってこられましたが、改めてどのようなシーズンでしたか

 まずはケガから入ったシーズンではあったので、副将という立場ではそこは申し訳なかったなというのはあります。復帰してからなかなかコンディションも上がらずという感じでしたが、後期は特に多く出場機会をいただいた中で、チームとしても個人としても、課題に取り組んでいい成長ができたのかなと思います。一方で、結果がついてこなかったのは、今年の課題でもありましたし、これからの課題にもなると思うので、そこにこだわって自分自身も来年からやっていければいいかなと思います。

――ア式での4年間の自身の成長はどのように感じていますか

 この4年間がなかったら間違いなくプロに行けなかったです。この大学での成長は、2年生の時に、メンバーを外されたり出れない期間が続いたことで、自分に向き合うきっかけをくれたことが一番大きいかなと思っています。やはり自分と向き合って、常に考えて行動することで成長につながると思いますし、そういったものを学べたことが自分の成長につながったかなと思います。

――ア式に来て一番良かったと思うことは何ですか

 本当に自分と向き合う時間が多くなったことかなと思っています。ピッチ内でもピッチ外でも、常に自分にできることは何かというのを問われているような気がしますし、それを本当に考え抜いた人こそ、試合に多く出られるというのを感じました。自分で考えて行動するという部分だったり、うまくいかない時とかにどのように向き合えるかというのが、すごく大事だということを学びました。

――4年間で一番の思い出を挙げるとするなら何になりますか

 やっぱり早慶戦です。本当に早稲田と慶応だけができる舞台でもあって、多くのお客さんだったり応援が入る1年に1回の機会でもあったので、そこに自分は1年時はベンチで出場ではできませんでしたけど、2年時から試合に出させてもらいました。早慶戦を経験することで、また一つ成長の段階も上がると思うので、早慶戦を経験できたのはすごく良かったです。

――今のア式に残せたと感じるところはありますか

 多分ほとんどないかもしれないですけど、やっぱりチームの中心としてやっていた中で、少なからずプロにも内定したところもあったりしたので、後輩からの見られ方だったり、自分のプレーがお手本になるかは分からないですけど、いい刺激になったかなとは思うので、これからの後輩たちにも頑張ってほしいなと思います。まだまだ自分にも至らない点が多くあるので、これからJリーグの舞台で課題と常に向き合って、もっともっと怖い選手になっていければいいかなと思います。

――そんな後輩たちに一番期待したいことは何かありますか

 本当に今年成し遂げられなかった日本一や2部優勝、1部昇格というところに本気で取り組んでほしいなと思います。今年もその目標に対してやってましたけど、本当に全員がそこに向かってやっていけたかと言われたらそうではないと思いますし、やっぱり全員がそこに本気で取り組んで向き合わない限りは結果はついてこないと思います。一人一人がそこに向き合って、自分にできることが何かというのを考えて行動して、今年成し遂げなかったものを達成してほしいなと思います。

――最後に4年間苦楽をともにしてきた同期にメッセージをお願いします

 このメンバー、同期で4年間過ごせて本当に良かったなと思っています。この同期だからこそ自分の成長にもつながったと思いますし、いい時も悪い時も自分に向き合うきっかけを必ずくれていたので、この同期で4年間一緒にサッカーできて良かったと思います。ここからはそれぞれが違う道に行きますけど、自分の活躍がみんなの刺激になれればいいと思いますし、自分はもっともっと大きな場所に必ず行くので、それぞれの道で頑張っていければいいかなと思います。

 

GK山田怜於主務(社4=神奈川・鎌倉)

――ア式蹴球部を引退して、率直な気持ちをお願いします

 引退するという実感があまり湧かないくらい、4年間ア式というものが大きかったんだなというのを感じています。練習とかチラッとグラウンドに行った時に見ても、その中に自分がいないのがすごい違和感で非日常感がすごいです。終わってみると寂しいなという気持ちを強く感じています。

――ア式のない生活を体感してみてどう感じていますか

シンプルに時間が有り余ってます。自分ができることが時間が増えたことで増えたなっていうのもあるんですけど、時間の使い方が下手くそになりそうです(笑)。

――一番の思い出は何ですか

 自分の中での一番の思い出は、今年のアミノ(バイタルカップ)の順天戦とかです。自分自身、試合に出てサッカーをガッツリやるという風な気持ちで大学1年生の時に入ってきて、1年生の頃はそもそも試合に絡めずに、コロナとかでもうまくいかなくて、2年生の時はケガとかもありメンタル的にも弱い時もありました。3年生で副務として活動する中で、試合に出れないけど仕事をやっていて、そういう中で4年生になって、あのタイミングでやってきたこととかがうまく噛み合わさった上でのプレーが出ました。自分自身やっていたこととか、高揚感だとか、周りの反応だとか、そういったものを改めて思い出すことができたので、順天戦はすごい印象に残っています。

――後悔はありますか

 2年生の時期に自分自身が全然子どもだったので、今まで試合に出れてきた自分がいるのに対して、理想と自分の今の現実がうまくマッチしなくて、メンタルを落としてしまったりだとか、プレーの波が本当に今じゃ考えられないぐらいありました。それを内田さん(内田謙一郎GKコーチ、平11卒)とかにも強く言われたりとかしました。それに対して、受け入れられない自分がいて、それをしっかり受け入れてやれていたら、もうちょっと違った未来もあったのかなとは少し思います。

――主務との両立という面ではいかがでしたか

 副務の時はあまり実感がなかったのですが、主務になってからは仕事をしっかりやって、ピッチ内だけではなくチームが活動していくために必要な仕事だったりとか、なくてはならない役割、副務・主務以外のマネジャーの仕事であったりとか、そういったものを知ることができました。そのため自分自身が選手として出た時に、早稲田の選手としてトップチームに出ることの重要性とか、それだけのものを背負って(ピッチに)立つことを実感できました。その重さというのを完全に理解できてたかというと、そうではないと思いますけど、人の思いだったりOBの人たちの考えだとか、そういったものを背負ってピッチに立てたというのは、主務と選手を兼任している自分にしかできないことだったと思うので、そこは非常に大きかったですし、意識していた部分もありました。

――GK北村公平副務(、文構3=神奈川・桐光学園)も同じような立場ではあると思いますが、期待することとかはありますか

素直にうれしいなと思っています。自分もそうですけど、(GKとしては)背が一般的に足りない中で、それをビルドアップだったり反応だったりとか別の部分で補っている選手ですし、主務としてピッチに出ることを素直に応援したいし、うれしいなというのはあります。あとはケガとか脳震盪とかをした俺みたいになってほしくないです。北村も1年生の頃からAチームの方の練習に入って、高いレベルで最初からやれてたと思いますが、2年生とかでうまくいかなかった時期もあって、自分もそうでしたけど目に見えてチームに対しての向き合い方とかそういったものを学んでいました。内田さんも言っていましたけど、感情のコントロールだったりとか、バランス感覚が明らかに変わったなというのはすごい感じるので、バランス感覚を持って、100周年ですしはるかに仕事量も多いと思いますけど、うまく周りを頼って、悔いが残らないように試合に出てもらえたら感無量かなと思います。

――最後に同期へのメッセージをお願いします

 自分たちの代は(人数が)かなり少ない代で、ミーティングとかも形式上になっちゃったりもしました。学年が上がって、プロを目指す選手たちは目標に対してがむしゃらにやる姿を見れたり、プロを目指してない選手でもチームのためにとか、自分のために4年間で悔いが残らないようなプレーだったりとか、練習姿だったりとか、ピッチ外の姿をみて尊敬できる同期だったなというのを素直に感じています。4年間一緒にやってこられたっていうのは本当に感謝していますし、これからも仲良くしてほしいなと思います。

 

FW奥田陽琉(スポ4=柏レイソルU18、JFL・レイラック滋賀内定)

――ア式を引退された今の率直な気持ちをお願いします

 本音で言うとやっと終わったなと思っています。ブログにも書きましたし、みんなそうだと思いますが、しんどいことが多かったなと思います。今までの人生振り返っても、この4年間、特にしんどかったなと思っています。

――ア式に来て一番成長できたところはどこですか

 成長できたと言えるかは分からないですけど、このつらい経験を経て、それを乗り越えるためにやってきたことが、これから先、どういうかたちか分からないですけど報われると信じてやってきました。まだ成長を感じれたとは言えないですけど、そういった人間的な部分は強くなったのではと勝手に感じています。

――ア式に来て一番印象的な出来事は

 印象的な出来事はやはり1年目のatarimaeni cupです。チームに必要とされた中で結果も残せて、だから良かったことを振り返った時に思いつくのは、あの1年目のatarimaeni cupの期間かなと思います。

――奥田選手は新人監督も務められていたと思いますが、その経験も踏まえて後輩に何か残せたと感じることはありますか

 難しいですね。でも僕も元々そうやって厳しくするキャラじゃないですし、楽しくやりたいタイプなので、新人監督として何かを残せたかと言われたら難しいですけど、メンバーを外れてもやり続ける姿勢だったりは、感じ取ってもらえたのかなという風には思っています。

――最後の4年早慶戦では得点もされていましたが、振り返っていかがですか

 楽しかったですね。やっぱり入学した時から見ていて、その日だけはなんでもありで4年生が輝く舞台という認識はありましたし、その舞台で点を取る人は役者というか、何かをやってきた人だとも思っています。最後運良く僕だったり、平松だったりが決められたのはすごい良かったです。これまでやってきたことは間違ってたとは思ってないですけど、 頑張ってやってきてくれて神様がご褒美をくれたかなと思っています。

――最後に同期に向けてのメッセージをお願いします

 本当に活動自体は苦しくつらかったですけど、みんながいたから4年間やり切れたと思っていますし、みんなのおかげで最後までア式でやれたと思っているので、この同期のみんなで良かったって思っています。本当に感謝しかないです。ありがとうございます。

 

MF小倉陽太(スポ4=横浜FCユース、J2・横浜FC内定)

――4年間を終えて率直な感想を教えてください

 4年間あっという間だったなというのが率直な気持ちです。関東1部リーグでの優勝争いを経験したり、全く勝てない時も経験しましたし、チームを昇格させないといけないというチーム状況も経験して、本当にいろいろな経験ができた4年間だったなと思います。間違いなく、ア式で経験したことは今後の人生に生きてくると思いますし、この経験を無駄にすることなく今後の人生を歩んでいきたいなと思っています。

――4年間で一番印象的な試合や出来事は何ですか

 3年時の早慶戦です。3年時はチーム戦績が良くない中で、プロ内定選手としてチームの現状を変えられないやるせなさがありましたし、早慶戦という大舞台で何かチームに対して勢いを与えられるようなプレーをしたいなと思っていました。そんな中で、勝利を決定づける追加点を決められることができて、少しチームの力になれたのかなと思えましたし、あんなゴールを決めたのはこれまでのサッカー人生振り返ってもないので、一生の思い出です。

――ア式で自身が一番成長できたと思う点は

 4年前の自分と比べたら、全てにおいて一回り二回り成長できたんじゃないかなと思います。その中でも人間性の部分は大きく成長できたと感じています。さまざまなバックグラウンドを持った同期や仲間と巡り会えて、いろいろな考え方とか価値観に触れることができて、自分の考え方や価値観を見つめ直すことだったり、アップグレードさせることにつながったと思っていますし、それがあったからこそ今の自分があるのかなと感じています。まだまだ、人としても選手としても未熟なので、新しいステージでもア式で培ったものを生かして成長し続けられればいいなと思います。

――改めてア式での経験をプロの舞台でどう生かしていきたいですか

 あまりどのように生かしていこうかというのは考えていないです。高校から大学に来た時もそうですけど、自分にできることをやり続けることが一番だと思っています。プロではプロで求められることがあると思うので、そこに対して、ア式での4年間で学んだり得たものが生きてきそうだなと思ったらそこで初めて生かそうとなるのかなと思います。なので、プロでも自分らしく気負いせずにいきたいなと思います。

――同期へのメッセージをお願いします

 今までたくさん迷惑をかけてしまって申し訳ないです。みんながいてくれたから今の自分があるし、プロの舞台にも進めると思っています。本当にありがとうございました。

 

MF小松寛太(教4=東京・早実、J3・いわてグルージャ盛岡内定)

――ア式での4年間を振り返って率直な気持ちを教えてください

 4年間を振り返ると長かったようで本当にあっという間でしたし、1年生の頃からプロサッカー選手になるという意気込みを掲げて入部して、本当にいろいろありました。時にはプロになれないんじゃないかという思いがよぎることもありましたけど、自分の中でブレずに4年間やり続けて、個人としては目標としていたステージに立てたというところは良かったと思います。4年間そうやっていろいろ考えながらを曲折しながら、 ここ(プロ内定)にたどり着けたことは個人としては良かったと思います。だけど、チームとして3年の時に2部に落ちて、今年はなかなか勝ち切れず1部に上げれなかったですし、全国大会では日本一を取れなかったというところに関してはやっぱり悔しさがあります。そういった悔しさを次のステージで生かしていければなという風に思います。ただ、本当にあっという間の4年間でした。

――順調な4年間ではなかったかもしれない中でプロ内定となりましたが、ターニングポイントはありましたか

 1年生の早慶戦に一番最初に出てて、そこまでは勢いでサッカーをやってた部分がありましたけど、そこからは出場機会を得ることがなく、3年生の後期まではBチームというか1・5軍みたいなところにいました。ターニングポイントとしては、それこそ久去年の後期の桐蔭横浜戦で久々に出て、2年前と比べて成長も感じましたし、何より勝てていないチームが僕が出た出てないは関係なく久しぶりに勝って、チームとしての勝ちに対する執着とか、勝った後の感情は忘れられないですし、チームとしても個人としてもターニングポイントかなとは思います。1回関東リーグに出ると、心意気とかも変わってきますし、余裕も出てくるのでそこですかね。

――一番の思い出は何ですか

1年生の早慶戦ですかね。あの瞬間が鮮明に記憶にありましたし、今となってはいい思い出だったかなと思います。試合の後は練習とかも怖くてというのがあって、本当に何も表現できなくて、カテゴリーも落とされてというところでは一つ思い出の試合かなと思います。

――最後に同期へのメッセージをお願いします

 こうして個人として結果が出たり、この4年間をあっという間に感じたのは、やっぱり同期の存在が大きいと思います。何より、個性あふれた集団だったのでやっぱり楽しかったです。メッセージとしてはそれぞれのステージに進みますけど、死ぬまで一緒に仲良くしようねって感じです。これからも付き合いたいなという風に思います。

 

DF中谷颯辰(基理4=静岡学園)

――ア式での4年間はどのような4年間でしたか

 難しかったです。自分的にはサッカーというよりも、組織的な部分や自分のサッカー観とかの違いが、1、2年生の頃は結構あって、難しかった時期もありました。けど、徐々にア式というものが分かってきて、ア式のサッカーに自分をどう落とし込んでいくかというのを試行錯誤して、徐々に試合に出れたり、勝てるシーズンがあったりなかったりというのがいろいろありました。選手としては高校の時より大きく成長できたと思いますし、他のチームに行ったらどういったサッカー人生になってたか分からないですけど、そこそこいいサッカー人生、大学サッカーを過ごせたかなと思います。

――ア式で一番成長できたところを教えてください

 人間的な部分とかは、自分的にも変わった部分はあります。サッカーの部分で言うと、ディフェンダーという選手としての当たり前のところはすごい成長できたかなと思います。高校はどちらかというと守備はあまり関係なくて、攻撃だけをチームとして追求した上でのディフェンダーみたいな感じだったので、ディフェンダーみたいな泥くさくゴールを守って、絶対に失点しないみたいなことだったり、後方からチームを動かしてプレーに関わってなくても間接的にチームをいい状態に持っていくみたいなところは、すごい成長できたかなという風に思います

――ア式に来たからこそ成長できたと感じる部分はありますか

 外池さん(外池大亮前監督、平9社卒=東京・早実)の時もよく言われていたのですが、良くも悪くも早稲田はサッカー以外のことも視野に入りました。就活もそうですし、広報活動もそうですけど、いろんな視点でサッカーを見て、将来自分がどうなりたいとかOBの人がこういうところに関わっているみたいないろんなかたちのすごい人がいて、ただただずっとサッカー選手というのを目指し続けてきたサッカー人生からは一転しちゃった部分はありました。それが良かった悪かったということではなく、もちろんずっとサッカーサッカーというようなチームに入っていたらもっとレベルの高い選手になれてたかもしれないというのはありますけど、サッカーとの関わり方もそうですし、サッカー以外の活躍の仕方とかも見れたのは、長い目で見たらすごいいいことなのかなという風に思います。

――ア式での一番の思い出は何かありますか

 自分の中では面白おかしく話してることではありますが、2年生の時に、全国(インカレ)のメンバー33人には入ってたんですけど、その期間に1人だけCチームくらいまで落ちちゃって、全国には帯同しないみたいなかたちになりました。その時にもちろん自分に大きな原因があったのは自覚していますが、一緒にベンチ外のスタンドで応援していた4年生は引退間際で、いろいろなかたちでベンチに入れない選手だったり逆にシンプルに登録されていない4年生がいました。逆に3年生はなんとも思ってなさそうに帰っていく姿で、それをベンチ外の視点から見ていて、楽しいとか楽しくないような感じじゃなく、いろんな人がいるんだなというのは、自分の中でまたいろんな観点から見れました。人とはちょっと違う楽しいエピソードとかじゃないですけど、面白おかしい視点で言うと、意外と記憶に自分の中では残ってます。楽しいことは数え切れないほどあるので。

――ア式で思い残したことありますか

 やっぱり最後の1年は1部リーグでやりたかったというのはありますし、自分は全国の時期にケガをして出れなかったというのがあって、全国大会に出れなかったところは最後ちょっと後悔があります。ケガもしょうもないケガの仕方だったので、出れたらもっとチームとしていい順位を取れたかもしれないし、自分がいなかった方が良かったのかもしれないけど、もうちょっと直接的にチームに関わりたかったなというのはあります。

――理系ということで学業との両立が他の選手より大変だったかなと思うのですが、振り返っていかがですか

3年ぐらいからは徐々に楽になりましたが、1、2年の時は本当にしんどかったなと思っています。1年の頃は寝ずに練習に出た日もあったし、それでも単位が落ちたりとか。しかもサッカーは1年生の時は4年生にすごいセンターバックがいて、1個上もセンターバックが多くて、ほぼ絶対に関東リーグとかは出れないのにカテゴリーは下がらなくて、なんでだろうと自分的にも思った時期もありました。もう1年は逆に勉強頑張っちゃおうかなみたいな時期もあったりしました。難しかった部分はありましたが、逆に出ない分、体づくりに専念したりとか体重くなってもいいから体重増やそうとか、そういうのがあったので2年からはコンスタントに試合に出れたりしたところにつながっていたかなと思う部分もあります。

――最後に同期へメッセージをお願いします

プロに行く組はすごく期待しているし、自分はプロになれなかった組なので試合も見に行きたいし、とりあえず行ったからには楽しんで頑張ってほしいなと思います。社会人組はみんな別に良くも悪くも楽観的な人が多くて、楽しく働きながら、年1ぐらいは集まってわちゃわちゃしたいっていう感じです。

 

MF平野右京(人4=兵庫・滝川)

――今シーズンを振り返って

 結果的に1部昇格ができなかったものの、強い早稲田を取り戻すというスローガンみたいなものを自分たちが掲げてる中で、土台的な基盤は少しは築けたんじゃないかなというのは感じてます。

――土台的な基盤をどのように築けたと感じていますか

 サッカーの細部にこだわるところであったり、チームの運営もそうですけど何をしたら勝てるかとか、どういう風潮が早稲田に必要なのかが少し見えた部分はあるのかなとは思っています。

――平野選手自身は今シーズン振り返ってどうでしたか

 自分的には途中出場が多かった中でも結果にこだわってきましたが、今一つ結果が残せず、もうちょっとやれたなとかもうちょっと試合に出たかったなという思いはあります。あとは要所要所でチームのジョーカー的存在で出してもらったので、そこで貢献できた部分は自分の良かった点かなと思います。

――ア式での4年間はどのような4年間でしたか

 財産ですね、一言で言うと。高校、中学校と3年間という中で、大学は4年間という、1年プラスアルファがある中での生活は他に変えられないものですし、やっぱりそこで出会った仲間とか今後ににつながっていく人脈とかもあるので、かけがえのないものを手に入れたなというのは正直な感想ですね。

――ア式に入って平野選手が一番成長したところは

 やっぱりメンタル面かなと思っています。4年間メンタル面に苦しめられた分、少しは強くなったり自分の価値観を崩してまた違う土台、軸をつくることはできたのかな、成長しているのかなとは思います。

――ア式での一番の思い出は

 要所要所区切ってあるのですが、4年早慶戦がやっぱり楽しかったですね、集大成って感じで。みんなとサッカーできるのは最後かみたいな。今後やる可能性はありますけど、東伏見という地で、早稲田のエンブレムを背負って立つのは最後かというところで、そこはくるものがありました。オフで言うと、学年で飲み会をするのが一番自分は楽しかったかなと思います。(飲み会)は半年に1回ですけど、いろんなイベントをして。今年の夏は川遊びとかで、冬は飲み会とか、バーベキューしたいねという話はしてました。

――今後の進路は

 大学院に通いながらまだチームは決まってないんですけど、大学院サッカー選手として歩みを進めようかなと思ってます。そういう選手は少ないというか、両立や二刀流をやっている選手は少ないので、そういうものに自分は挑戦しようかなと思っています。サッカーも頑張って上を目指そうかなと思ってます。

――やはりJリーグが目指すところですか

 そうですね。後悔というか、大学ではプロになれなかった自分の区切りをつけて、やっぱり自分が大学4年間やってきた雑草魂ではい上がるっていうことは今後も続けていきたいかなと思ってます。

――サッカー選手だけではなく、大学院に行く理由は

 自分はなんやかんやでサッカーしかなかったので、ここまでサッカー続けてきて、もっとサッカーをよくするためにどうしたらいいのかというところで、サッカーと今の時代の情報やテクノロジーを組み合わせた研究をすることは、今後の自分のためにもなると思うし、自分が研究した内容でもっと日本のサッカーが進めばいいかなという思いで研究したいなというのがあります。

――同期へのメッセージをお願いします

 難しいですね(笑)。本当にありがとうと、これからもよろしくお願いしますというのは、伝えたいことですね。大事な同期ですし、これからも絶対につながっていくものだと思うので、今までの感謝とこれからのごあいさつということで。10年後の平野右京をよろしくお願いしますみたいな感じです。

 

MF福井寿俊(文構4=東京・国学院久我山)

――ア式での3年間を率直に振り返っていかがでしたか

率直に楽しかったなというのは一つありますね。サッカー内外において、非常に充実した3年間でしたし、非常にいい同期に恵まれた3年間だと思います。

――AT(アナライズチームリーダー)としてのこの1年間はいかがでしたか

 正直、監督も変わって、体制自体も少し難しくなって、アナライズの体制自体がちょっとだけ難しくなったっていったところも踏まえて、学生コーチの濵田君(濵田祐一朗学生コーチ、商2=埼玉・市浦和)がいるのですが、その子が積極的にやってくれてたので、僕と藤本(隼斗、スポ4=柏レイソルU18)はそこまで介入しなかったという、当初思い描いていた介入の方法ではなかったかもしれないです。それでも多分そっちの方が今年はいいんじゃないかなっていったところでは、去年までとかのアナライズとは違ったかたちになっていたというのが、正直なところですね。

――ア式で一番成長できたことは

 下を見る。変な言い方になっちゃうかもですが、4年生が組織を引っ張る中で、下級生の意見を聞き入れたり、上に立つ上での責任みたいなものが、一番上の代になった時は非常に成長できた部分かなとは思っています。

――一番の思い出は何ですか

 最後総理大臣杯に出たというのはいい思い出じゃないですけど、一回(チームとして)インカレには出た中で、自分は3年間で全国に出たことがなかったので、そこは良かったのかなというところもあります。アミノバイタルカップで一旦チームが強くなったじゃないですけど、そういった面は見えていたので、 総理大臣杯行ってもそれなりの自信を持ってやろうとなっていました。そこに関しては、最後の最後でいい思い出みたいなのができたのかなとは思います。

――同期へのメッセージをお願いします

 自分はちょっと難しい立ち位置で、最後の1年間だけ同期みたいな感じだったのですが、非常に明るいメンバーがいっぱいいて、楽しい3年間を過ごさせてもらったので、ありがとうございましたという感謝の気持ちです。

――下級生へのメッセージをお願いします

1個下の学年はクセが結構強くて、まとまれるかなとかちょっといろいろ不安ですけど、伊勢(航、社3=ガンバ大阪ユース)、北村(公平、文構3=神奈川・桐光学園)を中心に頑張ってくれると思うので、3年生にしかない出せない色みたいなのを出して、100周年引っ張ってもらえればなと思います。応援しています。

 

DF藤本隼斗(スポ4=柏レイソルU18)

――ア式での4年間を率直に振り返っていかがでしたか

 結構長かったなというのは個人的な感想です。すごい同期ともずっと仲良くできたな、楽しく過ごせたなという印象です。

――自身としてはケガもあり、なかなか試合に絡めない時期もあったと思いますが、今シーズンを振り返っていかがでしたか

 3年生の時は結構試合に出させてもらってた中で、4年生の初期の時期にケガが多くて出れなかったので、そこはちょっと悔しかったなという気持ちもあります。ただ自分としてはアナライズチームをやらしてもらっていたので、そっちでのチームへの影響だったり、そこでチームにどうやって関われるかみたいなところを考えながらやってたので、そこで貢献できたのは良かったかなというふうに思います。

――AT(アナライズチームリーダー)としてのこの1年間はいかがでしたか

 練習メニューとか流れとかも、自分たちが比較的コーチ側の立場になって考えたりもしてたので、そこは1選手としてではなくて練習しながら、ちょっと指導者目線でも考えながらやってたところはありますね。

――ア式で一番成長できたことは

 考え方ですかね一番は。サッカーの技術とかより、いろんな人と話していろんな人とコミュニケーション取っていく中で、人それぞれいろんな考え方があるなというのをすごい感じた反面、どれが自分の大切にしてる価値観なのかなというのは4年間を通して見つけられたのかなという風には思います。

――特に印象的だった考え方とかありますか

 福井寿俊(文構4=東京・国学院久我山)とすごく仲が良いのですが、そいつと話してる時は似た部分もありつつ、他の人に合わせるだったり他の人への気遣いみたいなところはすごい尊敬できる部分もありました。ちょっとやんちゃな、陽気な子もいる中で、戸部広大(スポ4=埼玉・早大本庄)からは逆に何も考えず、サッカーを本気でやるみたいな部分の大切さを学んだりとか、本当に同期からはいろんな刺激を受けながらここまで4年間できたのが、すごい自分の成長につながっているという風には感じてます。

――4年間で一番の思い出は

一番の思い出はやっぱり3年生の早慶戦ですかね。それまでの早慶戦ではベンチ外で、初めてスタメンとして試合に出れて、観客の中で早慶戦というみんなが出たい舞台で出れて、自分としても結構いいパフォーマンスを出せたという感じがしたので、それはすごい思い出として残ってるかなという感じです。

――最後に同期へのメッセージをお願いします

 4年間結構長いようですごい短かったなというのは感じている中で、常にいろんな選手から刺激をもらいながら、仲良くやらしてくれたので本当に感謝しかないですし、他の人がどう言うか分からないですけど、自分としてはめっちゃ仲良い同期だと思ってるので、これからもバラバラの道でも年2回くらいは集まって楽しみましょうというのを言いたいですね。

 

DF森璃太(スポ4=川崎フロンターレU18、J1・アルビレックス新潟内定)

――ア式を引退した率直な気持ちは

 ア式を引退してから伏見に行って練習はさせてもらいましたが、ア式から離れて4年間を振り返ると、自分のサッカーのターニングポイントになったのかなというのは改めて感じています。やっぱりこの大学サッカーをア式でやったからこそ成長したものだったりとか、自分に足りないものを見つめ直す時期があって、その中でプロを目指すために何が必要かをうまく考えて模索してプレーし続けたことが、大学サッカーで自分がやってきたことの価値やア式でやったことの意味があったのかなと思います。

――大学の4年間を終えてみて、自分の中でのイメージ通りの生活だったか、それともかけ離れたものになったか、どのような印象ですか

 イメージ通りではなかったというのはあります。自分の中では大学1年生の頃から関東リーグに出て、大学3年の頃にはプロサッカー選手になることが決まっているイメージがあったので、そう考えると大1の時は全く試合に関わらなかったですし、大3でも苦しんで、大学4年でプロという夢をかなえたものの、自分の理想としてた大学のプランという感じではなかったです。

――そんな中でも4年時にプロ内定を決めて、J1という舞台に行くことになりました。ご自身の中で一番転機になった時期は

 自分の中ではどの1年間もかなり大きな変化で、どれを選ぶのかというのは本当に難しいくらいなんですけど、ブログにも書きましたが、大学4年のこの1年間がこれからどうしていくのかという危機感がうまく自分のプレーに拍車をかけて、その危機感が原動力となって成長できたのかなという風には思います。ですが、本当にどのシーズンも試合に出れたり、出られなかったり、かなり山あり谷ありだったので、4年間あって良かったなと思いますね。

――具体的に一番成長できたと感じるところは

 今年の開幕戦の立教との試合は、自分自身もゴールを決められましたし、リーグ開幕してプロにならなきゃやばいぞという中での開幕戦で、チームとしての初めてのものだったりとか、自分は点を取るタイプではないですけど、そういった点の部分だったり、今年の立教の試合を経て結果によりこだわるようになりました。そう考えるとあの1試合のあの1点は今年の中でかなり大きかったのかなと思います。

――一番印象深い出来事や、思い出に残っているア式での出来事は

 立教の試合が成長というか、プロを目指すスイッチとなった試合ですけど、3年時の西が丘の順天戦の試合です。自分はもうサイドハーフとしてそのままプロを目指す希望というか光が見えたのですが、そこから何試合か出させてもらった中で、やっぱり自分のサイドハーフじゃ上にはいけないのかなと感じたりしました。そのサイドハーフの時期があったからこそ、今サイドバックで可能性が見えるというか、新潟でプレーできたこともありました。どの試合というのが難しいんですけど、大きなポイントとしては順天の試合で光が見えた中で、そこからなかなか試合に出られず、試行錯誤しながら、立教の試合で改めてサイドバックで光が見えたのかなという風に感じます。

――ア式での経験をどう生かしてプロサッカー選手になっていきたいですか

 自分はサッカーをこのまま続けられるので、ア式で自分のストロングポイントをどう表現するかとか、自分の価値をどのように周りに伝えていくか、それこそファン・サポーターだったりとか、これまで以上に多くの人が自分のサッカーに関わる中で、プレーを見たいとか応援したいと思ってくれるものを自分はピッチで表現しなくてはいけないです。その部分に関しては、ア式で自分のスピードだったりとかクロスだという部分は磨けたのかなと思っていて、その部分をやっぱりプロの舞台でより厳しい環境の中で表現していくことが、この先自分のサッカー選手としての存在価値だと思うので、今後もア式で積み上げたものを表現し続けたらいいかなっていう風に思います。

――同期にメッセージをお願いします

 同期には感謝しかないですし、プロを目指してやってきた仲間だったりとか、それこそBチームでなかなか関わりがなかった選手たちもいましたけど、 例えば植村(洋斗、スポ4=神奈川・日大藤沢)だったり小倉(陽太、スポ4=横浜FCユース)がプロ内定しているのも刺激になったりとか、同部屋の陽琉(奥田陽琉、スポ4=柏レイソルU18)がかなり努力している姿を間近で見たりとか、本当に同期がプロを目指さなくても、努力し続けたア式で自分のチームのために頑張ってる姿は本当に刺激的でした。その部分に関しては自分が他のみんなに対して何かを残せたかはちょっと疑問ですけど、いろんな刺激が自分に残ったあの4年間を良いものにしてくれたという風に思うので、それぞれみんなバラバラのところになりますけど、このア式で培ったものをみんな表現して、またどこかでという感じです。

 

浅木柊人トレーナー(スポ4=広島)

――ア式を引退されて数日がたったと思いますが、引退されて率直な気持ちをお願いします

 最近実感が湧いてきて、少し寂しいなという気持ちがあるのが本音です。最初の方は時間ができたりしていたので、いろいろできるなと思っていたのですが、週6で何時間も毎日やっていたものがなくなってしまうと、時間を持て余すじゃないですけど、みんなと会える時間も減りましたし、そういうところで寂しさをすごく感じるようになりました。

――ご自身の中でのア式での一番の思い出は何ですか

 僕はやっぱり全部に思い出があります。特定の試合というよりは日々の練習とかでトレーナーなので、どうやってケガ人を減らそうかなとか、どういうアップをしようかなとか、毎日考えながら成長じゃないですけど、1年生の頃できなかったことができるようになるとか、成長する機会をすごく与えてもらった環境だったなというのが、僕にとっての思い出ですかね。

――トレーナーとしての4年間を振り返ると、どのような4年間でした

 僕はすごく難しかったですけど、同期に恵まれたかなと思います。トレーナーを経験したことがないというところで、最初は何も分からない、何もチームに貢献できないというところから、始まりはしました。それに対して今の4年生とか、僕は2年の時から入ったので、元の3年生の代の同期とかが、いろいろ優しく教えてくれたり、コミュニケーションを取ってくれる中で、僕はトレーナーとして活動することができたので、貢献できたかは分からないけど、みんなから支えてもらって活動を終えることができたなと思います。

――トレーナーとしてア式に入ったことに悔いはないですか

そうですね、悔いはないですね。もう1回人生あったら、ア式に入るかと言われたらちょっとよく分からないですけど(笑)。ア式に入って良かったと僕は思います。

――逆に一番自分の中で苦しかったことやつらかったなと思ったことは何ですか

 さっきも少し言いましたけど、分からないことだらけだったので、チームにあまり貢献することができなかったことです。ケガをした時に、ケガの予測を誤ってしまって、ケガを長引かせたりそたこともありましたし、それだけじゃないんですけど、もちろん。そういう面でケガ人を増やしたり、試合に勝てない時期も去年とかありましたし、自分の知識不足でみんなに申し訳ないことしたなとは思います。

――トレーナーの後輩たち期待したいことはありますか

 2人ともすごく特徴はあって、いいキャラを持っていますし、2人とも自分の意思持ってると思います。僕が結構流されちゃう人だったのですが、(2人は)自分が主体的に活動できる活力を持っているので、そういうところを絶やすことなくそのまま頑張ってほしいなと思います。

――最後に苦楽を共にしてきた同期へのメッセージや一言などがあればお願いします

 そうですね、やっぱり「感謝」が一番にきます。僕は分からないこともありましたし、ミスも何度もやってきましたし、その度に同期が怒ってくれたり、支えてくれたりして、実際結構きついなとか、(ア式を)やめようかなと思った時もありましたが、同期の支えで続けることができたと思います。そう思いつつもみんないじりすぎなので、そこはもう少し抑えて欲しかったなと思いますね(笑)。感謝だけじゃつまらないので(笑)。

 

佐藤慧一マネジャー(政経4=東京・早実)

――ア式を引退されてからの率直な気持ちをお願いします

 いや、難しいですね。率直に楽しかったなというのが一番にあります。この前、チアステ(応援部のチアステージ)を見に行きました。その演技の中で、早慶戦のハーフタイムライブの演技を一部やる時間がありました。それを見て、改めて早慶戦など自分がやってきたことを思い出して、本気で自分は頑張ったんだなというのを振り返りました。やはりその分、楽しかったなというのもありました。

――佐藤さんにとっての一番の思い出はやはり早慶戦になりますか

 そうですね。いい思い出というか、楽しかった思い出というと早慶戦かなと思います。

――早慶戦と関わってきて良かったなと思うことはありますか

 一番は自慢の同期たちと、最後3、4年生の時に勝利をして、それこそ同期がゴールを決めて勝利して、一緒に紺碧を歌えて、本当にうれしかったです。この瞬間をつくるために、会場の手配とかお金を集めたりとか企画を考えたりとか、そういう下積みがあったんだなという風に自分で振り返っても思うので、そこは同期と素敵な時間を過ごせたというところで、一つ良かったなと思います。あと実業(早実)時代からの友達とか、それこそ大学になってから関わるようになった早稲田同期とか学生が、この早慶戦に来てくれた時とか、試合終わった後に本当楽しかったとか。それこそ、この早慶戦をつくることに一緒に関われてうれしかったですというメッセージをいただいたりとか、自分だけじゃなくて早稲田のみんなと一緒になって思い出を一つ共有できたことで、やっぱり早慶戦ってすごい舞台だなという風に実感できたので、多くの人と思い出を共有できるという経験をできたことが、自分にとってはすごく大きいかなと思います。

――逆に一番つらかったことや、やっていて一番しんどかったことはありましたか

 それはやっぱり3年の時に降格したことです。ブログとかにも書いているのですが、マネジャーってゴールは決めれないし、守れるわけでもないし、ピッチ上でチームの救世主になれる存在ではないです。けどだからこそ、チームが苦しい時とか勝てない時期に、自分が貢献できてないというのが、すごい悔しかったですし、それは自分だけじゃなくて同期のマネジャーとか、それこそトレーナーとかも含めてですけど、みんな悩んで悔しい思いをした部分なので、あそこが一番つらかった思い出かなと思います。

――4年間で一番成長できたところはどこですか

 心配りができるようになったところかなと思います。自分がア式に入った理由にもつながるのですが、高校の時にすごく尊敬していた友達がいて、その人が心配りのスペシャリストみたいな感じの人でした。そんな風になりたいなと思って、マネジャーを始めたというのもあったので、元々(心配りを)できていたかは分からないですけど、そういう存在を意識していたので、普段の一つ一つの練習から選手のために何ができるかというのを考えて、少しでも仲間の期待を超えるような行動をとれなくてもできるマネジャーになるみたいなところは、 早慶戦とか試合とかも関係なく、ずっと意識していたことでした。そういう意味では、周りから見たらどうか、は分からないですけど、自分の中では成長できたのかなと思います。

――ご自身がア式に残せたと感じるものは何ですか

 難しいな。後輩に伝わってるかは分からないですけど、まず一つはどんな時でも選手ファーストなり続ける姿勢というのは、マネジャーとして、一つ残せたかもしれないです。実際、自分の2個上の拓矢君(羽田拓矢、令4人卒)たちの代から、受け継いだ思いでもあると思っているので、そういった思いとか姿勢は行動で示して残せたのかなとは思います。あとは、早実の後輩たちに向けてなのですが、外池さんの時は、早実らしさをすごく練習中からも口酸っぱく言及されて、兵藤さんが来てからそういう機会は少なくなったのですが、その中でも大橋(優貴、社4=東京・早実)とか、小松とか。早実で学んできたことをどういう風にア式に還元して、マネジャーとか出てる出てないとか関係なく、チームのために何ができるかを考えて行動に移すというのは、ずっと話しながらも意識してきたことです。そういった部分は、少なからず早実の後輩たちには、見せれたのかなという風には思います。

――ア式にはマネジャーの後輩もたくさんいますが、そういった後輩たちに期待したいことはありますか

 期待したいことか。素直な気持ちを言うと、なんか嫉妬しちゃってるんですよね(笑)。やっぱり自分たちの代は、(創部)99年目で、早慶戦も74回目のところで、(早慶戦の開場で)国立(競技場)を目指したいとか、いろんな思いがあってもなかなかうまくいかなかった部分が多い中で、下級生たちは、これから100周年や、早慶戦75回というところで、本当に大きな責任とかを持ちながら活動できるところは、うらやましいなと思います。だからこそ、絶対成功させてほしいなっというのは思います。あとは、もっとこうしてほしいなというので、早稲田の他の部活とかサークルの活動を見る機会を、積極的につくってほしいなと思います。サッカー部の活動だけを見ていたり、サッカーの試合だけを見ていても、早稲田のサッカーを盛り上げるのは難しいと思っていて。言っちゃえば、早稲田のサッカーに興味ない人の方が大多数なわけじゃないですか、野球やラグビーや早稲田祭の方が人が入ったりもしますし。そういう早稲田の学生たちが、 どういうものに興味持っていて、なんでその試合に行っていてとかをインプットして学ばないと、広報の仕方とか含めいろいろ生まれないと思います。そういう意味では、割とサッカーが好きという子は多いので、プロの試合とか、他の大学サッカーの試合を見に行く人は多いと思いますが、これから早慶戦で言えば、もっとお客さんを集めなきゃいけない時にアプローチするべき相手は早稲田の学生になってくると思うので、もっと早稲田の人のことを、早稲田のために何ができるかというのを考えてほしいなと思います。

――最後に同期へのメッセージをお願いします

 本当に素敵な経験をさせてもらったなと思っています。自分1人ではそもそも選手じゃないので、何か結果を残すこととかはできないですけど、みんなが2部に降格してから、自分たちが1部昇格させるんだという思いを一日一日体現してくれていました。最終的な結果は伴わなかったですけど、少なからずそういう姿勢から何か感じれる人や後輩は多いと思うので、この1年間ないし、入部してからコロナでうまくいかなかった期間も含めて、この4年間を全力で走り切った、一緒に走り切った同期のことを、尊敬していますし、これからも社会人になってからも、活力を与えてくれる存在だと思うので、定期的に飲みに行きましょうという感じです。

 

平山怜央マネジャー(スポ4=愛知・刈谷)

――引退から数日がたったと思いますが、率直に今感じていることを教えてください

 約4年間を毎日部活に捧げてきたというところもあったので、いざ終わってみると、時間的には余裕ができて、こんなに部活に時間使ってたんだなというのはすごく感じるところではあります。今感じることとして、同期にはたまに会いますし、まだそこまで寂しさみたいなのを感じないです。やっと終わったなという気持ちと4年間やってきて、良かったなという気持ちが今一番大きいです。

――ア式での自分の中での一番の思い出を教えてください

 試合の勝敗みたいなところは、どれも勝ったらもちろんうれしいし、負けたら悔しいという思いもある中で、振り返って一番思い出に残るのは人との出会いです。自分が、1年生で入ってきた時の4年生姿であったりとか、もちろん他の先輩方や同期もしかり、後輩もそうですし、後は外池さん(外池大亮前監督)であったり、兵藤さん(兵藤慎剛監督)であったりといったスタッフの方々もそうですが、やはり尊敬できる人というのにたくさん出会えたというところが、自分の中ではア式の一番の思い出というか、一番ア式で過ごしてよかったなと思えるところです。

――逆にア式に来てつらかったことやきつかったことはありますか

 やはり自分は高校までは選手をしていて、大学で初めてマネジャーというものに挑戦した中で、マネジャーとして、チームに与えられる影響力であったりとか、これがチームの勝利などに貢献してるのかなという風に思ってしまう時期というのはたくさんありました。それは年を追うごとになくなっていったわけではなく、むしろそういう問いみたいものは、ずっと続いていました。そことの葛藤みたいなのはあったかなと思います。

――そういった葛藤もあった中で、マネジャーという新しい挑戦をした4年間はいかがでしたか

 結論から言えば、やって良かったとはすごく思ってます。先ほど申し上げた通り、スタッフの方々などから新しいサッカーの見方ができたことや、今までずっとサッカーだけしかやってこなかった分、社会との接続であったりとか、そういった部分もマネジャーだったからこそ、新しくできた経験や出会いということもたくさんあって、それはすごく自分の中でプラスになっています。これからもその学びというのは、自分が社会に出ていた時も生きてくるのかなと思っています。

――ア式創部100周年のプロジェクトにも携わられていましたが、100周年を迎える前に引退という形にはなりました。プロジェクトは今後、髙見真史マネジャー(人2=埼玉・栄東)などを中心に取り組んでいくことになると思いますが、ア式創部100周年を迎える後輩たちに向けて、期待したいことはありますか

 100周年の活動も、3年前くらいから少しずつ始めていって今に至るのですが、どうしてもこういう活動は100周年プロジェクトで言えば、ピッチ外の活動として捉えられるものかなとは思います。しかし、自分も4年間選手としてではなくても、(ア式で)過ごしてきた中で、ピッチ内とピッチ外がすごくつながっているなという風に感じる部分はたくさんありましたし、後輩たちのブログとかを見ていても、そういう言葉というのはすごく最近見られるなという風に感じています。100周年だからこそ取り組めることであったりとか、伴う責任があったりというものをポジティブに捉えて、それぞれが目指す目標やチームとしての結果みたいなところにつなげていってもらえたらなという風に思います。100周年は自分としてはきっかけに過ぎないかなという風に思っているので、あまり責任を負いすぎずに、100周年の一員としていられることを、楽しんで過ごしていってもらえたらなという風に思っています。

――最後に4年間苦楽を共にした同期へのメッセージをお願いします

 自分はそもそも仮入部を始めたタイミングが今の同期の中では一番遅かったです。もう既にいるみんなは仮入部期間を乗り越えて、自分の存在意義を確立していってる中で自分が入って、コロナなどイレギュラーこそあったものの、そういう中で自分を仲間として受け入れてくれたというところにまずはすごく感謝しています。そこから過ごしていく中で、自分の取り組んでいることをリスペクトとしてくれて、時に助けてくれたり、気にかけてくれたりしてくれて、本当に同期がいなかったら、続けてこられなかったかなという風に思っています。そこはすごく感謝していますし、なによりサッカーで同期が表現する姿は、自分の中でまだまだ頑張らないといけないなという刺激になってやってこれたという風に思っています。感謝の気持ちでいっぱいです。

(取材、編集 髙田凜太郎、永田怜、星野有哉、渡辺詩乃、勝野優子)