ア式が生んだ叩き上げMF平野右京の「憧れの舞台」

ア式蹴球男子

 開幕戦でスタメンを飾ると、続く作新学院大戦では関東リーグ初ゴール、駒大戦では途中出場5分も経たず得点。ひとたびピッチに立てば相手ゴールを脅かし、兵藤慎剛監督(平20スポ卒=長崎・国見)に「切り札」と評されるMF平野右京(人4=兵庫・滝川)は今季、ア式の攻撃の推進力となっている。早慶戦に憧れ早大に入学し、今やア式の主力にまで上り詰めた彼が歩んできた道は決して平坦なものではなかった。

 

ドリブルをする平野

 ユース出身でも、強豪校出身ではない平野が早大進学を決めたのは、他の強豪校と違って、ア式がどんなバックグラウンドを持つ人でも受け入れる柔軟な組織だからだ。だが、今までの環境やサッカーのレベルの違いに思い悩んだ。チームメートが試合に出ている中、ベンチ外のメンバーで練習をしたこともあった。2年時には関東リーグでスタメンに抜てきされるも、その後は下のカテゴリーでプレーすることも多く、関東リーグでコンスタントに出続けるようになったのは4年生からだった。しかし、ア式を辞めるという選択肢は全くなかった。「親や、いろいろな人が支えてくれているので、その人たちの期待を裏切るようなことはできない」。そうした苦しい時期を乗り越えることができたのは同期の力が大きかったという。「挫折は大学でたくさんした。同期と話したり、頼って頼って、それを乗り越えていった」と、振り返る平野の同期への愛は人一倍大きい。

 平野の大きな転換点は「スピードを生かせるところが良いのではないか」と上赤坂佳孝コーチ(平14商卒)から提案されたポジションのコンバートだった。元々はボランチやアンカーに座り、中盤でボールをさばくプレーをしていた平野。中盤の底で伸び悩む中で、上赤坂コーチは本人のスピードが思う存分に発揮されるサイドでプレーすることを進言したのだった。最初は戸惑う気持ちもあったが、丁寧な説明と、上赤坂コーチへの信頼からコンバートを決断したという。そこから、FC(社会人リーグ)などで実践を重ねていく内に、スピードを生かしたプレースタイルを確立した。「上赤坂コーチの存在はめちゃくちゃ大きい」と語る平野。コーチやチームメートからの言葉を受け入れ、それを実践していく素直さ、応援したくなる人柄、底抜けの明るさが、彼の魅力をつくり出している。

 課題であった保守的にプレーしてしまうこともなくなった。「自分のサッカー人生は限られているので、それが攻撃的にガツガツ持ち味を出してプレーできている理由だと思う」と分析する。「こんなところで終われへん。流れを変えたるぞ」と、覚悟を持って気持ちをつくることで、自分自身の殻を破っていった。チームメイトから信じてもらえていることを感じているという平野は、4年生になってより大きな力を発揮するようになった。

 

作新学院大戦でゴールを喜ぶ平野

 そんな平野が伝えたいのは「1、2年の頑張りが今に響いている」ということだ。「下でプレーしている人たちも上まで行って活躍できることは、一つ証明できたと思うし、これからもしていきたい。」と語る平野は、諦めなければ、努力は実を結ぶことを体現した。

 「早稲田は早慶戦が一番魅力的」。早慶戦への憧れから、早大進学を決めた平野。初出場を果たした昨年の早慶戦では、前に仕掛ける姿勢や、ゴールに迫るプレーを見せた。「言葉で表せないぐらい楽しくて、魅力的で、かけがえのないものだった」と振り返る。平野が、今年の早慶戦を一言で表すなら、「集大成」。自分自身と、大好きな同期との「集大成」。まわりを巻き込み、4年間で自らの強みを見つけ、今やチームの主力となった。ア式が平野を大きくし、平野がア式を強くする。ア式が生んだ叩き上げが、最後は西が丘の夜空に『紺碧の空』を響かせる。

(記事・写真 渡辺詩乃 写真 大幡拓登、髙田凜太郎 )

 

早慶戦に向けての意気込みを書いていただきました!

◆平野右京(ひらの・うきょう)

2001(平13)年10月15日生まれ。173センチ60キロ。兵庫・滝川高出身。人間科学部4年。早慶戦前の決起集会では、4年連続ネタを披露した平野選手。今年も、決起集会に懸ける並々ならぬ思いを語ってくれました!学年の集まりもよく企画するとのことで、総理大臣杯までにはバーベキューを開催し、団結力を高めたいそうです!