ア式蹴球部卒業記念特集 第3回 GK平田周『自分のスタンスで』

ア式蹴球男子

『自分のスタンスで』

 早稲田大学ア式蹴球部(ア式)のGK平田周(スポ=東京・国学院久我山)は高校では1年時に選手権準優勝を経験。その後早大へ入学し3年生でのAチームのレギュラー獲得を目指していた。しかし、そううまくはいかず。4年になりやっとつかんだ関東リーグ出場の機会。順大戦で味わった悔しい思い。ア式のメンバーやコーチとの関わりで成長したところとは。平田の4年間を追った。

 

 最後方からチームを支える平田

 サッカーを始めたのは小学校1年生の時。中学に入り受けたクラブチームのセレクションで、GKにならないかと打診され、当時はポジティブな気持ちでDFからGKへと転身した。高校は文武両道も視野に国学院久我山高に入学。中学時代のチームコーチからの「1年生の時から試合に出なければプロになれない」という言葉は彼に強烈な印象を与え、入学前の練習では高校3年生の先輩にさえも指示を出していた。

 1年生の時には選手権に出場し準優勝をかざる。「当時は生意気な新入生を受け入れてくれた先輩たちのおかげで試合に出られた」と平田は語り、1年生での選手権出場についてはこの物怖じしない姿勢や積極的なプレーが評価されたとしている。

 高校時代のターニングポイントは2年生の時。選手権準優勝時のメンバーも多数残っていたため優勝が期待されていた。しかしインターハイは都予選2回戦負け、選手権では予選1回戦で負け。準優勝した1年生の時の結果は当時の3年生に支えられていたからこその結果だったと思い知らされた。自分の不甲斐なさを痛感し、自分の力だけでなく周囲の人々の力があってこそ結果がついてくることを知ることとなる。

 

 チームメートのGKヒル袈依廉(スポ3=鹿児島城西)(左)と対談をする平田

  絶対受かると思っていた大学受験。しかし、不合格となり、浪人を決意する。サッカーでも学力でも上の大学ということで私文の雄・早稲田を目指すことに。浪人期は社会人サッカーチームに所属し、その後予備校に通うという生活。社会人サッカーチームは新参者にとってはアウェーな雰囲気があり、さまざまな年齢層の人がいる中で関係を築いていくということで得たものは多かった。

 

 平田は大学に入ってもサッカーを続けることにした。それは、高校1年時に経験した選手権準優勝を超える優勝を目指すためだった。入学当初1年目は体づくり、2年目でBチームのレギュラーを獲得。3年目ではAチームでの定位置の座を確保し、4年目には公式戦でのコンスタントな出場というプランニングを平田はしていた。そのため1年目は自主練はせず。プランニングに忠実にするため終わったらすぐ帰り、やりたいことだけやって、ミスをしないことを考えていた。

 2年生になるとコロナウイルスがまん延し、練習も一時的にストップ。そんな中で本を読んだり、知識を蓄えたりと内省的なことに時間を使うことが多かった。一方でBチームでプレーしながら、時には選手のケガによりAチームでもプレーをすることができた。

 

 試合前のアップを行う平田

 プランニング通り順調にいっているかのように見えたが、3年生でのAチームでの試合出場機会は全くなかった。「最初の頃は病んでいたし、なんで出られないんだろうと思い、何もしなかった。ふてくされていた」と語った。フラストレーションが溜まり、どうすれば出場できるかを考えることもせず。しかし後期には何もしないままの自分に違和感を覚え、ベンチからでもやれることを探し、試合への関わりをつくり始めた。高校時代は経験しなかったベンチでの経験。前期から後期へと時間が経つにつれて気持ちも変化していった。

 迎えた最終学年ではケガからの復帰にはじまり、なかなか思い通りにはいかず。そこで、他人からの評価や出ることには執着せず、自分のスタンスで思うようにプレーしようという原点に戻った。チームへの関わり方では盛り上げることや周囲を笑わせること、締めるところは締めるなどナチュラルにやっていたことを思い出し、評価を気にしない方がうまくいくと気づきはじめる。「早慶戦への思いなどもあったが、そのような気持ちに流され過ぎずに気持ちはブレずにやろうと決めていた」と語った。邪念は吹っ切れてナチュラルに楽しんで臨めた早慶戦。一方で4年時に一番悔しかったのは直接的に敗戦に関わってしまった後期の順大戦。1点リードで迎えた前半34分に相手のシュートが自分の正面に飛んできた中でまさかのキャッチミスをし、同点弾を許す。残留争いに関わる大一番で起こってしまったミス。平田は「前半から後半の前半にかけてブレてしまったことが原因だった」と語る。そしてプレーでのミスだけでなくチームを立て直せなかったことが一番の自分のミスであるとし、ミスを気にしないといういつものスタンスを貫き通せなかったことが精神的な実力不足であるとした。

 ゴールキックを蹴る平田

 平田周の考えるア式に入って成長した部分とは、自分の考え方だ。「これまでは自分の考え方やマインドを共感できる仲間がいなかったが、ア式の中ではサッカーだけでなく人生についての考え方・生き方について深く考えている人が多く、自分の思考力や考え方・物事の見方についてとても成長したなと感じている」と語った。

 そんな平田の話をよく聞いてくれたのはGKコーチの内田さん(内田謙一郎氏、平11卒=東京・早大学院)だそう。「仕事をしながらア式の練習や合宿にも来てくれたり、ときには一緒に練習をしてくれたり、相談にも乗ってくれたりと選手に対しての思いやりを感じておりリスペクトをしている」と語った。一番の思い出はア式をやめると言って話し合いを夜遅くまでしたこと。疑問や社会に対する考えについて、自分が考えなかったことを考えている人がいたり、自分の考えを表現する機会があったことがいまの自分につながっている。

 今後のサッカーとの関わり方については「社会人になっても僕を成長させてくれたサッカーとのつながりを完全に絶つことはない。刺激的なものという立ち位置としてサッカーは続けたい」と語った。4年間でのア式の経験は社会で生きていく上でこわいものなしになれるとした平田は、「自分のスタンス」を貫く姿勢を変えずにこの春社会人という新たな舞台への一歩を踏み出す。

(記事 長野雪華、写真 前田篤宏、宮下幸、宮島真白)

◆平田周(ひらた・めぐる)

1999(平11)年7月14日生まれ。東京・国学院久我山高出身。スポーツ科学部。関東大学リーグで、1部通算2試合出場。就職のために様々な資格を勉強していた平田選手。大変だったかどうかを聞くと、「もともと蓄えることは好き」と早大生の鏡のような方でした。インタビューでは記事には入りきりませんでしたが多くのことを語ってくださり、日頃からいろいろなことを考えていらっしゃる様子が伺えました!