ア式蹴球部卒業記念特集 第4回 MF小林将也『目の前にある活動を全力で』

ア式蹴球男子

目の前にある活動を全力で

 ア式蹴球部をアナライズチームリーダーという立場から支えた、MF小林将也(先理=群馬・高崎)。アナライザーとしての役割を全うする中で、次第に選手としてピッチに立てない自分に葛藤を抱くようになる。役職と選手の間で苦悩を抱えた小林だが、とある出来事をきっかけに、胸の内で答えを導き出す。サッカーを通じて大きな成長を遂げた、小林の歩みに迫った。

 

 クロスボールを蹴り込む小林

 小林の物語の始まりは、運命的だった。兄と共に習い事を始めることになり、野球とサッカーのどちらにするかを決めるべく、じゃんけんをした。車の中での、一瞬の運試し。その結果として、サッカーを始めることとなった。「もしかしたら野球選手になっていたかもしれない」とおどけて語るが、サッカーこそが小林の『定め』であったのだろう。一方で、競技を開始した際はまだ、受動的な姿勢であった。

 小学生の頃、サッカーに対する意識が変わる出来事が起こる。少年団から強豪クラブに移り、レベルの高さを体感。それまで「楽しくボールを蹴れれば」という感覚であったのが、「もっと上のレベルへ」という思いに変わった。中学入学以降もこの意識が変わることはない。高校進学時には、「Jクラブのユースチームに行きたい」という思いを抱く。しかし、この向上心は親との衝突を引き起こした。「もっとJクラブ(に近い環境)でやりたい。その方がプロに近い」という小林と、勉学にも同様に励むことを求める親。意見の相違が生まれていた。そこで小林が選んだのは、名門・高崎高校に進学し、部活でサッカーを続ける道だ。「地元の進学校に進学し、結果的に早稲田に入ることができて、ア式蹴球部に入るという選択肢ができた。親のサポートは自分にとって大きかった」。プロを目指すには、幾分か遠回りとなった可能性もある。ただ、勉学はもちろんのこと、競技面においても高校時代が重要であったと小林は当時を振り返った。

 

 試合前にはボードを使い、選手に戦術を伝える

 高校を卒業し、早稲田大学の理工学部に進学。授業が忙しい学部でもあり、サークルでサッカーを続けることも考えた。たが「より高いレベルでやりたい」という小学校時代から持つ意識が、小林をア式蹴球部ヘと導いた。当初は、地元から東京へ出てくることにさえ抵抗があったというが、周囲の助けを借りながら徐々に適合する。一方でサッカーでは、高校と大学の違いを味わった。スピード感やフィジカル面が大きく異なり、「本当に同じサッカーをやっているのか」と感じたと話す。

 1年目は試合に絡む機会も少なかったものの、2年目にア式蹴球部FCやIリーグでの出場機会を増やすと、トップチームに選ばれることもあった。しかし、トップチームにいてもまたすぐにBチームに下がってしまうという日々。外池大亮監督(平9社卒=東京・早実)には「FCでできていることが、なんでトップに来た時にできないのかを考えなきゃいけない」と言葉をかけられたと回顧する。プレイヤーとしてもどかしい日々を送る中で、小林は転機を迎える。小林が主に活躍していたア式蹴球部FCは、前期のリーグ戦で一勝もできず、改善が必要だった。そこで、ア式蹴球部FCにも分析班が誕生し、小林もメンバーに加わった。小林が戦術に興味を持ったきっかけであった。

 

 4年早慶戦でゴールが生まれた直後。羽田拓也主務(人=東京・駒場)が小林に駆け寄る

 3年生となっても、選手としては自身の立ち位置の確立に苦しむ。一方で、戦術担当としてトップチームに携わるように。4年生になるとアナライズチームリーダーという役職に就いた。トップチームの分析班を統括する役職だ。はじめは分析もしっかりと行いつつ、選手としても一定の結果を残せていた。しかし、シーズンが進むにつれて、トップチームに携わりながらも選手として試合に出られない自分に葛藤を抱くようになっていく。当初は「アナライズという役職があるから、そこからチームに貢献できていれば問題ない」と受け止めていた。ところが、アナライズという役職にさらに力を注ぐと、ますます選手としての考えや行動が伴わなくなっていった。

 思案に暮れた小林は、上赤坂佳孝コーチ(平14商卒、近大和歌山)に相談した。上赤坂コーチと話していく上で一つの結論に達する。「まずは自分の目の前にある活動を全力で」ということだ。自分の時間を割き分析を行う。練習前にも監督やコーチとギリギリまで打ち合わせる。そのため、選手として使える時間は限られてくる。そのような苦しい状況でも、自身が全力で取り組む姿で、チームが一つの方向にまとまっていくと考えた。こうして気持ちを立て直し、再びメンバー入りを目指す日々が始まった。結果として関東大学リーグ戦の出場はかなわなかったが、メンバー入りまであと一歩のところまで迫った。また「苦しいけどめちゃくちゃ楽しかった」と振り返る4年早慶戦では素晴らしいプレーを見せるなど、充実のラストシーズンとなった。

 

 選手の輪の中心に入りメッセージを伝える小林

 小林はア式に入り、大きく変わったことがある。ア式に入るまで、積極的に前に出て、チームを引っ張るというタイプではなかった。前に出て、誰かに嫌われることを恐れていたためだ。しかし、最高学年になるタイミングで、自分がどう立ち振る舞うべきかを検討し、積極的に前へと出ていくようになった。「日々みんなの前に立って発言したり、みんなに対して指示を出したりとか。そういう姿をみせていくことが、みんながスムーズに自分の話を聞いてくれることにつながると思って。みんなの意識を塗り替えてやろうという感じでいた」と小林は語る。気が付けば試合前、小林がメンバーへ熱く語りかける姿はお馴染みの風景となっていた。自信を身にまとい、今では「どういう風に思われていても別に気にしない」とまで言い切るほどである。

 今後は大学院に進むという小林。一時の運が導いた『定め』のサッカーも、一度幕を下ろすこととなる。ただ、サッカーがもたらした色々な成長、アナライズチームとして試行錯誤を繰り返した経験が、小林の中で生き続けるだろう。

(記事 髙田凜太郎、写真 青山隼之介、橋口遼太郎、前田篤宏)

◆小林将也(こばやし・まさや)

1999(平11)年12月6日生まれ。166センチ、64キロ。群馬・高崎高出身。先進理工学部。アナライズチームリーダーとして、公式戦のメンバー選考にも携わっていた小林選手。「自分が練習しつつ、他の選手のけがの様子や調子の良し悪しなどをみて、(選手を)監督に提案」していたといいます。自分自身がメンバー選考のテーブルに乗る、という場面ももちろんあり「自分を(メンバーに)入れちゃえよ」といった冗談を、他の選手より投げかけられることもあったそう。「自分がもしかしたらメンバーに入るかも、というリーグ戦最終節は少しやりにくかったです(笑)」と打ち明けてくださいました!

関連記事

大一番に弾みをつける逆転勝利! 4年生が意地を見せつける