入部当初から主力としてエンジを背負ってきた奥山政幸(スポ=名古屋グランパスU-18)。鉄壁の守備陣の中核として19年ぶりの関東大学リーグ戦(リーグ戦)優勝に大きく貢献。そんな奥山が実力を証明する機会がやってきた!新天地・レノファ山口FCはJ3を圧倒的な強さで駆け上がってきた新進気鋭の若武者クラブ。新たな挑戦に挑むクラブと共に夢の舞台へ足を踏み出す奥山にその意気込みを伺った。
※この取材は2月21日に行われたものです。
「34番は自分が大学に入って初めて付けた番号」
――山口に初めて来たのはいつ頃なのでしょうか
初めて来たのは昨年の年末、12月の終わりですかね。メディカルチェックを受けに山口に1日だけ来て、病院で受診してすぐ帰りましたね(笑)。
――それまでは全く来たことがなかったのですね
そうですね、練習参加とかもしていなかったので初めて来た感じでした。
――来てみての印象はいかがでしたか
東京と比べるとどうしても田舎だと感じてしまいますが、住みだして1カ月ほど経ったいま、すごい落ち着いている雰囲気ですし、住みやすい場所だなと思います。
――新生活は寮での暮らしになるのでしょうか
そうですね、寮なんですけどほとんど一人暮らしみたいな感じです。
――その生活はいかがですか
やっぱり最初は慣れずに大変でしたけど、1カ月経つと自分の生活のリズムが整い、家具もそろってきたので、いい生活と言ったら変ですけど(笑)、割と普通の生活は送れていると思います。
――東京から山口へということで、環境の変化をどのように感じていますか
本当に落ち着いている場所なので逆にサッカーに集中できるかなと思っています。
――山口に来てからオフの日はどのように過ごしているのですか
特にこれといったことはしてないです(笑)。まだ(オフの過ごし方を)探していますね。
――チームの方と出掛けたりするのですか
そうですね、同年代の選手が二人いるのでそこと一緒にご飯に行ったりとか、先輩方に食事に連れていってもらってますね。
――山口と言えばフグが有名ですが、もう食べられましたか
いや、まだ食べてないんですよ(笑)。これからいいお店を紹介してもらいたいなと思います(笑)。
――レノファ山口FCに入団が決まった経緯はどのようなものだったのでしょうか
昨年の夏過ぎから「練習参加に来てほしい」というお話をいただいていて、そこでは機会が合わずに練習に参加できなかったんですけど、11月半ばに「話がしたい」ということで上野展裕監督に東伏見に来てもらって2回ほど話して、正式にオファーをいただきました。
――その際上野監督とはどのようなお話をされたのですか
上野監督も早稲田大学のOBなのでワセダについての話もしましたし、山口でどのような役割が求められるか、どういうことを期待してオファーを出したかというお話をいただきました。
――具体的に上野監督にはどのような思いがあったのでしょうか
自分はやっぱり守備が特徴の選手なので、レノファが攻撃的なサッカーをする中で守備の中心にということであったり、ボールを奪って攻撃につなげること、失点を減らすことでチームに貢献してほしいというお話でした。
――入団する前、レノファ山口FCにはどのような印象がありましたか
J3を圧倒的な攻撃力の下、たくさん点を取って優勝していた印象ですし、ボールをたくさん動かして魅力的なサッカーをするチームだなという印象がありました。サポーターもすごい熱心という話を聞いていたので、活気があって魅力的なチームだと思いました。
――入団してから1カ月ほど経ちましたが、実際に加わってからチームの雰囲気をどのように感じていますか
若い選手が多いので、活気があってチームワークの良さもあると思います。サポーターの温かさも練習に多くの方が足を運んでくださることで感じています。本当に印象通りのチームでしたね。
――きょうの決起パーティーはいかがでしたか
この決起集会にもワセダOBの方がいらっしゃったり、スポンサーの方々がたくさんいらっしゃる中で、レノファないし自分に懸かる期待をすごく感じることができました。それに応えられるようにがんばりたいという思いですね。
――レノファ山口FCは今年度からJ2参戦ということでサポーターの期待もさらに大きいのではないでしょうか
そうですね。昨年のJ3を、最後はギリギリなかたちでしたが、途中までは首位を独走して昇格したかたちだったので、そういう戦いぶりを見ている以上ことしもそういうことを期待されていると思います。それに応えることがサポーターやスポンサーの皆さまへ恩返しすることかなと思います。
――背番号は34に決まりましたが、決まった経緯はどのようなものだったのでしょうか
もっと若い番号がいくつか空いていて選べたのですが、34番は自分が大学に入って初めて付けた番号で、この背番号で初めてリーグ戦にも出場した思い入れのある番号でした。この34番でリーグ戦デビューしたチームメイトもいたので、そういうやつらのことを思ったり、自分のゲンを担いでこの34番にしましたね。
――Jの舞台にも34番を背負って挑戦するのですね
そうですね。大学時代は運良く1年目からリーグ戦に出場できたので、そういうところも引き継げたらなと思います。
――新しいユニフォームの印象はいかがですか
ユース時代も赤系で、ワセダもエンジだったので、ここのオレンジという色が明るいユニフォームは自分に似合うのかなという不安が若干ありますね(笑)。
――これからこのユニフォームが似合う選手になっていこうというところでしょうか
そうですね。この輝かしい色がしっかりと似合う選手になれたらなと思います。
決起パーティーで地元企業、サポーターと談笑する奥山
「道しるべの役割に」
――ア式蹴球部を引退してから時間が経ちましたが、いまの心境はいかがですか
引退してみて、本当にいい組織にいれたなとか魅力的なチームだったなというのを改めて感じています。監督(古賀聡、平4教卒=東京・早実)やスタッフをはじめ、先輩や後輩、そして同期が山口に来てからも応援してくれていて、これから山口まで行って会おうぜと言ってくれるやつもいて、仲間にすごい恵まれていましたし、本当にいいチームだったんだなと感じています。
――主将を務めた金澤拓真(スポ=横浜F・マリノスユース)さんとはなにか話されましたか
拓真と同部屋だった4年の川井健吾(創理=東京都市大付)、そして堀田(稜、商=浦和レッズユース)が山口に来る計画を立てているらしいので(笑)、もうすぐ来てくれると思います。
――ぜひプレーする姿を見せたいところですね
そうですね!応援しに来てくれるので、その姿を見せられたらベストですね。
――最後の試合となった全日本大学選手権、国士舘大戦(●1-4)を振り返っていかがですか
やっぱり今でも悔いが残る試合です。自分たちらしさが全く出せなかったので、本当にもったいない試合だったなと。勝てる自信もあった中でああいう負け方をしたのは本当に屈辱的でした。あの負けをこれからに生かしていかなければいけないと感じます。もちろん自分のようにプロへ進んだ選手はそうですし、就職する選手もあれを人生の一つの糧にしなければならないのかなと思います。
――その後、後輩のみなさんにはどのようなお話をしたのですか
正直なところ、最終学年の4年での自分のパフォーマンスには納得がいってなくて3年の頃の方がいいパフォーマンスができていたのかなと考えていたので、どういう心境で4年目を迎えるかという話や、もっと自分のためにプレーしてもいいんじゃないかという話を自分なりに伝えました。
――4年目のプレーに納得ができなかったのはなぜなのでしょうか
チームとしてはリーグ戦優勝という一番求めていたという結果を得ることができましたが、自分は全日本大学選抜にも選ばれている中でもっとチームの勝利に直接貢献しなければいけない立場だったと思います。そういう働きができなかったということで悔いが残ります。
――ア式蹴球部での4年間を通して学んだことはどのようなものでしょうか
『WASEDA THE 1ST』という言葉に一番表れていると思うのですが、まず人として一番であること、サッカー選手である以前に一人の人間であるということが自分の中で一つの軸となりました。そういう当たり前のことを当たり前にやるのがいかに難しいか、いかに大切かというのを学べました。だれが見ても恥ずかしくないような人間になるという考えを持てたことが一番大きいと思います。
――選手個人としては技術的にどのような点が成長しましたか
高校時代までは本当に守備だけの選手でした。大学に入ってからサイドバックやボランチを経験してプレーの幅が広がりましたし、守備だけでなく攻撃にも少しずつ貢献できているという印象があったので、そういう面で成長できたかなと思っています。
――古賀監督とは最後どのような話をされましたか
監督からの話で一番印象に残っているのは国士舘大に負けた後のミーティングで、「これで終わりじゃないぞ」と強く言われたことですね。自分自身もそれは感じていましたし、ア式蹴球部は引退となりますが、これからどのように関わっていくかであったり、何を後輩に残せるかという話を監督が話していました。それが自分の中で印象に残っています。
――プロへ進むことが決まってから古賀監督から何か言葉を掛けられましたか
特にはありませんでしたが、レノファ山口FCに入団することを決めたというのをメールで伝えて、監督から「おめでとう。新たな門出を祝福します。」と一言をいただいたのは素直にうれしかったです。
――プロに進むことを意識したのは具体的にいつごろなのでしょうか
やっぱり大学に進学した時からプロに進みたい思いはありました。でも高卒の時点ではプロになれるレベルではなかったので、大学4年間を経て(プロに)なれればいいなぐらいの思いでした。2年時の夏頃に全日本大学選抜に選ばれてからプロになりたいと強く思うようになりました。
――実際にプロから声が掛かった時の心境はいかがでしたか
やっぱり評価してもらえたのはすごいうれしかったですし、小さいころからの夢だったのでそれが現実になってうれしかったですね。
――ご家族とはどのような話をされましたか
もちろん喜んでくれましたし、おめでとうと言ってくれましたが、これから勝負だよねという話をされたので、身が引き締まる思いでした。
――大学サッカーからプロに進むことに関してはどのようにお考えでしょうか
大学サッカーで伸びる力というのは自分で考えられる力だと感じています。高校時代までは上から与えられたものを自分の中で理解せずにやっていた印象で、それが大学に入ってからは「どうしてこれをやるんだろう」と自分自身で考えて行動するようになったので、そういう考える力が付くという点で大学サッカーはいいステップアップの舞台だなと思います。
――大学サッカーも侮れないというのを証明するチャンスでもありますね
そうですね。U-23日本代表を見ても大学生は室屋(成、明大※FC東京に入団決定)だけで大学サッカーの価値をもっと高めなければいけないと思いますし、それは自分自身が結果を出すことだと思うのでがんばっていきたいですね。
――これからア式蹴球部にはどのような恩返しをしていきたいですか
大きな恩があると思うので、まずは自分が試合に出て活躍して、ワセダで身に付けたことをJリーグの舞台で証明することが一番だと思います。そうすることで自分みたいに高卒でプロになれない選手でも(大学を経て)プロで活躍できるという道しるべの役割を果たせると思うので、まずは活躍することを目標にがんばっていきたいです。
落ち着いた心持で取材に応じる
「あいつがいないとダメだという選手になりたい」
――Jリーグ開幕が間近に迫った今の心境はいかがですか
自分が夢にまで見ていたJリーグの舞台まで1週間と目前に迫っていますけど、思ったより実感はないですね。でもわくわくしていますし、早く開幕しないかなという気持ちが今は強いです。
――チームの雰囲気はいかがですか
キャンプを通して徐々にチームワークは高まっていて、練習試合でも結果が出ているのですごい自信がある状態です。
――ことしはJ2参戦初年度ということでクラブにとっては重要な年になるのではないでしょうか
そうですね。力のある相手はたくさんいるので厳しい戦いになると思いますけど、レノファの力や勢いをJ2でも示していけたらなと思います。
――守備の選手として、チームの代名詞でもある攻撃力にどのような印象を受けていますか
自分たちのボールを大事にするチームですね。見てくださる方はいいチームだなとすごく感じられるチームだと思います。自分も練習で対峙(たいじ)するとすごく魅力的に感じるので、そういったところ見てくれるとうれしいですね。
――大学サッカーとプロの違いはいかがですか
大学サッカーと比べて一人一人の技術が高いです。自分が一番の違いと感じるのは、プレッシャーを掛けられた時のボールの扱い方ですね。自分ももっと力を付けて通用する選手になりたいです。
――プロということで、サポーターの規模や注目度も大きい点に関してはいかがですか
入団前からそれは感じていて、実際にたくさんの方が練習を見にきてくれて、声を掛けてくれる方がたくさんいるので本当にプロとして幸せなことだと思います。それが自分自身に懸かっている期待だと思うので、それに応えられる活躍がしたいですね。
――先ほどキャンプの話がありましたが、どのようなものだったのでしょうか
主にチームの戦術や結束力を高める目的が強かったと思います。攻撃のことはもちろん、守備においてはボールの奪い方やプレスの掛け方という細かいところを調整しました。
――後方からパスをつなぐサッカーがチームのコンセプトですが、新たに意識したことはありますか
やっぱりワセダのサッカーとは対極にあるので自分も最初は戸惑いがありました。ですが、周りの選手が教えてくれたり気を遣ってくれるので、徐々に理解してきましたね。対極にはあってもどちらの良さも出していけたらいいですね。
――対極にあるサッカーということですが、ワセダのサッカーからレノファのサッカーに生かせる点、つながってくる点はありますか
このチームでも攻守の切り替えのスピードは求められるので、その点はワセダも引けを取らないところがあるからこそ自信を持ってやれていますね。
――その中で、選手個人としてはどのような持ち味を出していきたいですか
自分はボールを奪う力やカバーリング、失点を減らすことに自信があるので、ボールを奪ってチームの強みである攻撃につなげられるような活躍ができればなと思います。
――奥山選手の特徴として複数のポジションができるユーティリティー性が挙げられますが、ボランチ・センターバック・サイドバックのどこで勝負していきたいですか
特にまだこだわりはありません。試合に出られるポジション、与えられたポジションでしっかりやることが大事だと思います。ですが、上を目指す中で、センターバックとしては身長的になかなか厳しいところがあるので、ボランチとしてのプレーが適任なのかなと少しずつ思ってきているところです。
――10番の庄司悦大選手がボランチの核となるプレイヤーですが、一緒にプレーしてみて学ぶことはありますか
やっぱりゲームをつくる力がずば抜けていると思います。パスの一本一本にメッセージがのせられていて、見ていてすごいなと思う選手ですね。プレーを見て学んでどんどん吸収していきたいです。
――J2には多くのア式OBである選手がいますが、先輩方と勝負するという印象はいかがでしょうか
素直にやってみたいという印象ですね。マッチアップしたら楽しいだろうなと思います。でも、いざ試合で勝負となったら先輩・後輩は関係ないので、遠慮せずにプレーして、自分の持ち味を出してチームを勝たせられたらいいなと思います。
――具体的に対戦してみたい先輩はどなたでしょうか
やっぱり意識するのは近藤貴司選手(平27教卒=現愛媛FC)ですね。すごく仲良かったですし、昨年も「プロはどこに行くの」という話をしたり、このオフシーズンも何回か会って一緒にお話しました。そういう選手とこの舞台で再会できるのはすごくうれしいことだと思います。あのスピードをどう対処するかが非常に楽しみです。
――J2で戦う上でのアドバイスはありましたか
試合数が多いので、「どんな状況でも絶対チャンスは回って来るから常にしっかり準備をしておけ」という話をしてもらいましたね。
――また、ア式蹴球部の同期からは八角大智選手(社=千葉・流通経大柏※ザスパクサツ群馬入団)、宮本拓弥選手(スポ=千葉・流通経大柏※水戸ホーリーホック入団)もJリーグに参戦しますが、この点に関してどのような思いでしょうか
やっぱり同期への思い入れがありますし、二人とも入団が決まったのが遅かったので心配していたところもありました。無事にJリーグ入りが決まって、彼らの力ならすぐに試合に出られる選手だと思いますし、そういった選手たちに負けないよう自分が最初にデビューしたいなと思いますね。
――お二方と何か話はされましたか
そうですね、お互いに連絡を取り合っていて、「すぐに試合でやり合えたらいいな」とか「お互いがんばろう」という話をちょくちょくしています。
――先日の八角選手への取材の際に奥山選手への伝言を聞くと「何もない」ということでしたが、宮本選手へ伝言はありますか
宮本にはとりあえず「走って、走りまくって、痩せろ」と伝えたいです(笑)。
――やはりあの体格は対戦するとなると嫌なのでしょうか
そうですね(笑)。紅白戦でマッチアップすることが何回かありましたが、本当に嫌なタイプです。大きい割にうまくて、足も速いですし、対戦していて嫌なので、負けないように自分もがんばりたいです。
――ぜひとも止めたいところですね
そうですね、止めてやります!
――これから夢のプロ生活が始まりますが、どのような選手になっていきたいですか
替えが効かない選手というか、「あいつがいないとダメだ」という選手になりたいと思います。チームメイトはもちろん、サポーターやスポンサーの方々が応援したくなるような選手になりたいです。もちろん長く現役を続けられればベストなので、息の長い選手になりたいと思います。
――まずはJ2残留が一つの目標となりますが、チームとしてはどのように戦っていきたいですか
きょねんからやってきたことを継続して、どの程度まで通用するか試すのが重要だと思います。十分やれるチームだと思うので、まずは自分たちのスタイルをぶらさずに勝負していきたいです。
――それでは最後に今後の意気込みを聞かせてください
プロに入ってうれしかったですけど、これがゴールではなくてスタートだと思うので、ルーキーという一番下からのスタートでも自分がやるべきことをやり続けて、一日でも早くレノファのユニフォームを着てスタジアムで声援を送ってもらえる選手になれるように毎日を大切に過ごしていきたいです。
――ありがとうございました!
(取材・編集 桝田大暉)
サインと共に今季の意気込みを書いてくれました!
◆奥山政幸(おくやま・まさゆき)
1993(平5)年7月23日生まれ。身長173センチ、体重69キロ。愛知・中京大中京高出身。前所属・名古屋グランパスU-18。スポーツ科学部。